友人

 さてこの件をどう処理するか、と考えを巡らすソッフィオーニに、主が『ねえ』と獣人を膝の上で撫でながら声をかける。

『友人じゃ駄目なの?』

 素直な問いに獣人は目を見開いてがばりと起き上がった。メイドは「いいえ 良い案かと」と返すものの表情は曇っている。

「……獣人ということはご家族──テルベ家の者はご存知なのですか?」

 令息に訊ねると、

『知らねぇはずだ。絶対バレないようにそこだけは気ぃ張ってたからな』と令息は苦々しい声で言った。

 ソッフィオーニのほっとしたような態度に『どういうこと?』と令嬢は首をかしげる。

「変化する獣人は、今では存在しないとされています。その存在が明らかになってしまうと、いろいろな面倒事が発生するのです。……たとえば、身分制ですね」

 令嬢は『あっ』と小さく声を上げた。

『……昔の、身分制度を当てはめるってこと?』

「そうです。それだと、獣人は平民ですらない扱いを受けることになりますので、今獣人が存在していると周囲に勘づかれてしまうとテルベ家の横暴を止めることができないのです」

 しん、と室内に静寂が落ちる。


『……つか バケモノ呼ばわりした奴を友人とか、頭おかしいんじゃねぇの』


 空気を裂いたのは獣人だ。発言の内容はさておき、気まずい雰囲気ではなくなった。

 令嬢は怒る様子もなく『それが常識になる日がくるかもしれないよ』と受けた。

 獣人はポカンと目を丸く見開き、ふいっと顔を逸らす。

『そんな戯言、いつまで言ってられるか見物だな』

 喉を鳴らす獣人は、失くせない期待をどう捨てれば良いのかわからない様子だ。育った環境のせいで歪んでいるものの、令嬢と敵対したいわけではないらしい。

「……ところでずっと気になっていたのですが、あなた女ですよね?なぜ令息として振舞っているのです?」

 メイドの一言に、

『逆になんで気づいたんだよ』

 気持ち悪、と言いたげに獣人は顔をしかめた。

『わたしも不思議だった』

 と同調した令嬢に獣人は目を見張る。ソッフィオーニに対する態度とまるで違う。

『別に。テーベの野郎が間違えただけだろ』

『テーベ……?』首をかしげた令嬢に、

「テルベ家の当主のことです。平民と貴族とでは使う発音が若干異なるので、貴族で使う発音が難しい単語もあるのです」

 ソッフィオーニの説明に令嬢は俯く。

 部屋に再び静寂が落ちた。主はおそらく貴族と平民の差が想像よりも大きいことに戸惑っている。そして、どう接するのが正解なのか考えているのだろう。

「……そういえば、あなたの名前を聞いていませんでした。アルグと呼ばれていましたけど」

『#アレク__・__#だ。アルグなんて名前じゃない』

 兄のアルグ呼びは、アレクを貴族階級の発音で呼んだものらしい。「アルグ・テルベ子息」などこの世に存在しない。居るのはアレクという少女。そう本人が認識しているのなら、自分を見失わずに済むのかもしれない。

『じゃあ アルって呼んでもいい?』

 主の提案に、アレクはぷいと顔を逸らしながら『好きにしたら』と言った。ふわふわの黄色い腹を見せながら、機嫌よさそうにゴロゴロ喉を鳴らす。


「──ビビ」


 主が獣人を構っている間に、ソッフィオーニは控えていたメイドを呼ぶ。

「テルベ家に手紙を出してください。内容は『テルベご子息とオルガ嬢が親しくなられた』と」

 いつの間に用意していたのか、紙ナプキンに書かれた文字をビビに握らせた。

「……この文面を私が考えてもよろしいのですか」

 困惑気味に見上げてくるビビに、

「ええ 頼みました。ただし差出人のところにはオルガ嬢の側近とだけ記しておいてください」

 上司から命じられた仕事に、ビビは「かしこまりました」と一礼する。

「あなたの字はとても綺麗ですし、私と違って余計な一言を入れたりはしないでしょう?」

 ソッフィオーニの励ましにビビは「お任せ下さい」と気合いの入った様子で受け、静かに部屋を出ていった。

 ひとまず教養がない、あるいは救いようのない阿呆でない限りは、ビビの手紙によってアレクに手を出すことはできなくなる。

 けれど。

「……生温いわ」

 ソッフィオーニの瞳が細められる。

 主を罵倒され、これだけの処置で終わらせることが気に食わない。主の決定を覆すわけにもいかないが、あのイタイ演技を披露した子息を文字通り痛い目に遭わせてやりたい。

 お嬢様と口を聞いたことすらないだろう。素顔だって、声だって知らないだろう。そんな無知な輩に主を貶されることが一番腹が立つ。


「主役はそろそろ戻らないとじゃない?」


 知らないテノールの声にソッフィオーニは素早く振り返る。医務室に人が集まることはそうそうない。余程の怪我か、屋敷のメイドか住人しか医務室を訪れるはずがなかった。

 しかし屋敷のメイド、執事の声ではなかった。

 まさか、と予感はあった。なにせ想定外の人物と想定外の場所で接触してしまったのだから、なにかしらアクションがあるとは踏んでいた。何も起こらないはずがなかった。


──そう、覚悟はしていた。でも……。


 自分の目が信じられずに瞬きを繰り返す。

 紫がかった黒髪に、透明度の高い水色の瞳。令嬢に近づけたくない最たる人物が──ラヴィールの肩を抱いて登場した。

 情報過多に思考が追いつかず、ソッフィオーニは棒立ちになるしかなかった。

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