ちんけな画策

 いくばくか令息よりも年上に見える男は、令息の手を強引に引き、二人して芝生の上に膝をついた。

「すみません!弟が……っお怪我はありませんか」

 兄の方は、弟と共に膝をつき、胸に手を当てて令嬢に心配そうな眼差しを向けている。

「御無礼の程、どうかご容赦ください!弟を甘やかしたことは否めません。マナーを充分に身につけていない者を連れてきてしまったことは家の責任です。しかしどうか一度だけ、見逃してはもらえませんか」

 頭を垂れ懇願する姿はなんとも慈悲深く、そして責任感のある者だと思わせる。

 ちら、とソッフィオーニは弟の方に視線を当てる。今にも噛みつかんとする形相の弟だが、その対象は主ではなく令息の兄に向けられていた。

「……お嬢様、いかがなさいますか?」

 との問いに、令嬢はメイドのチョッキを握り引き寄せた。

『弟君の方だけ後で応接間にお通しして。兄君の方には警告を』

 相変わらずお人好しだ、と内心苦笑いをこぼす。

 この人は、きっと自分の目の前で困っている者がいれば助けようとするのだろう。美徳でもあるが、主はその度が行き過ぎている節がある。時には自分のことよりも見ず知らずの誰かを気にかける。

 メイドとして、そして姉のような立場の者としては人が良すぎてすこし心配になる。


「かしこまりました」

 一礼したソッフィオーニは先に兄の方へ近づいて声を潜めた。

「主はあまり社交界に顔を出しませんが、だからと言って無能で無知ではありませんよ。お帰りください」

「メイドごときが私に命令するのか……!」

 この男、いやテルベ家は次男をつかって長男がアランジュ家に取り入ろうとしていたのだ。それをメイドが説明するまでもなく見抜いた令嬢は慧眼といえる。

 真っ赤になりながら怒りを露にする男を前に、やはり屑な男だったと確信する。火のないところに煙は立たないとはまさにこのこと。

「命令ではなく警告です。それと、私はただの言伝人です。お言葉そのものは我が主のものですよ」

 抑揚なく言い放ったソッフィオーニをギロリと睨みつけ、

「……受けた仕打ちは忘れないからな」

 と低く呟いた。

「そうですか」と応じたメイドは意に介した様子がない。

 馬鹿にされたテルベ兄はメイドに対し、

「お前みたいな女は本当に腹が立つ。愛想のひとつもないだなんて、女としてもメイドとしても失格だろうに。お前を傍に置くあの気味の悪い令嬢の気が知れないな」

 と小声で嘲りを返した。

 メイドの脇を通り過ぎ、令息はそのまま会場を後にした。残されたメイドは短く息をき、

「侮辱する相手を間違えましたね」と低く呟いた。

 未だ地に突っ伏している弟に近づき、

「救護室へご案内します。起き上がれますか」と声をかける。

「舐めるな。それくらい……ッ」

 と起き上がろうとする少年は苦しげに呻く。肋骨の辺りを抑えている。もしかしたら折れているのかもしれない。

 人の視線が徐々に多くなりつつある。これ以上増えると面倒だ。ソッフィオーニは「失礼します」と少年の肩に腕を差し込み、持ち上げた。

 抱えられた少年は何が起きたかわからない顔で呆けている。

「お怪我が酷いようなので、このまま失礼しますね」

 横抱きに抱え直したメイドは、歩き出した主の後につづいた。



 主催者が居なくなった会場では、主に令嬢たちが興奮を抑えきれない様子で各々語り合っていた。

「最後の見た!?お姫様抱っこしてたわ!」

「肩を支えながら立たせるお姿も凛々しかったわ……」

「というか、みんな言わないから言うけど、なんで今日パンツスタイルなの!?心の準備ができてなくて心臓危なかったのですけど!」

 会話からお分かりいただけたかもしれないが、ソッフィオーニの隠れファンたちである。会場のひとテーブルを占拠した彼女たちは、真剣な面持ちでこのように令嬢らしからぬ会話をしている。ただし基本は小声のため、傍目からは真剣にこの国の行く末について、他国の流行を取り入れることについてなどを話し合う堅実な令嬢レディに見えていることだろう。

 ソッフィオーニの見た目は黒の長髪に碧眼と、ダルダンではあまり親しまれない容姿なのだが、彼女のもつ切れ長の目と長い睫毛、無表情ゆえのミステリアスさが一部の令嬢の間で黄色い歓声と共に騒がれている。

「へぇ……黒髪碧眼だけど、君たちは怖くないんだ?」

 やわらかな声に、令嬢たちは「もちろん」と高い声で応じた。

「凛々しくて近寄らせない雰囲気だけど、それがまた最高なのよ。あの方が優しく微笑む姿を想像するだけで鼻血が……」

「落ち着いて。でも気持ちはわかるわ」

 互いのソッフィオーニへの愛を語り合うことを繰り返す令嬢たちは、会話の異変にまったく気づいていなかった。

 ぬるりと会話に溶け込み、気配も違和感も感じさせない。令嬢たちのカンが鈍いわけではなかった。相手の技術を褒めて然るべきなのだ。

 そっと卓を離れた男は、青紫の光を反射する前髪を整えながらニヤリと笑った。

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