礼儀と常識のない輩
一時は式の進行が危ぶまれたものの、無事に式は終わりを迎えた。今は立食パーティーに向けての休憩時間だ。
一旦令嬢と騎士は部屋に戻り、二人が帰ってきたのを合図にパーティーは始まる。
「お嬢様、お疲れ様でございます。ご立派でした」
自室の扉を閉めた後、ソッフィオーニは労いの言葉をかける。
『ありがとう。……式に出て良かった』
主の言葉に、ソッフィオーニは「左様ですか」と椅子を引きながら応じる。
主が今そのように感じることができているのは、例の騎士のおかげだと認めざるを得ない。
しかし、貴族を嫌っているらしいあの少年が主を擁護するような行動をしたのは予想外だった。なにか裏があると考えられなくもないが、この場合は弱いものいじめの現場に自分を重ねたからという線が濃厚だろう。
『安心するのは早いよね。ここからは一層気を引き締めないと』と不安そうに主は呟く。
人前に出ただけでも進歩なのだが、今回は聖品と思しき耳飾りを受け取り、かつダンスを断るまでがセットだ。はっきり言ってしまえば茶番だ。
だがこの茶番が令嬢の評価に直結する。この貴族社会はいつでもだれかのための舞台なのだ。
「この後はお嬢様が楽しむことが大事かと」
アイスフルーツティーをグラスに注ぎ主に手渡す。グラスを受け取った令嬢は『そうね』と小さくうなずく。
『ソフィ、傍を離れないでね』
いつもよりさらに小さな声で懇願した主に、ソッフィオーニは「かしこまりました」と安心させるように微笑んだ。
コンコン、と高い音が部屋に響き、
「そろそろお時間にございます」と外から声がかけられる。
オルガ嬢はソッフィオーニの手を借りながら立ち上がり、レース編みの白いグローブを手に嵌め、花の香りが漂う部屋を後にした。
***
パーティーは拍子抜けするほど順調だった。庭は社交の場として機能しており、和気あいあいとした雰囲気に満ちている。
──やはりと言うべきか、だれもお嬢様に話しかけようとはしないけど。
表立ってオルガ嬢に挨拶したのはリヨク騎士団と並ぶ団の一つであるブラク騎士団の団長、リデルト家当主のアインベルくらいのものだ。
参加者たちはおそらく、喋れない令嬢と話しても話題が膨らむかわからないし、なにより近づくデメリットを危惧しているのだろう。
(まぁ、思ったより陰口を言われてないようでよかった)
と胸を撫で下ろすメイドだったが、いやまだ懸念事項はある、と気を引き締める。オルガ嬢に例の王子を知り合わせてはならない。もし近づく気配があればそれとなく身を隠さなければ。
──おそらく、その意識が働きすぎた。
そのせいで悪意をもった人間が主に近づいてきたことに気づくのが遅れた。
ビシャリと音がした時には、ソッフィオーニはノンアルコールのシャンパンを浴びていた。緑のチョッキの色が濃くなり、雫がポタリと滴る。
「ああ?なんだ執事のほうかよ」
チッと高らかに舌打ちをしたのは、主と同年代に見えるどこぞの令息だ。この場で腕を捻りあげてしまいたいが、過剰防衛というものだ。メイドが私情のために貴族に手を挙げたと噂されてしまうことだろう。
令息はアランジュ家が支援するリヨク騎士団のシンボルカラーのリボンを胸に付けている。となると騎士団の誰かの子息だ。丸こく暗いオレンジの瞳は、おそらく──……、
「テルベご子息、お怪我はございませんか」と膝をつく。
グラスは手に握られているから怪我はないだろう。しかし一種の社交儀礼として、また後々面倒事に発展してしまう可能性もあるため怪我の有無は聞いておかなければならない。
それを目の前の子息もわかっていたようで、メイドの対応に不機嫌そうに「ああ」とぶっきらぼうに言った。
「お召し物が汚れてしまいましたね。ご子息の服には及ばないのですが、予備の衣装がございます。よろしければご案内します」
明らかにソッフィオーニのほうが汚れが酷いものの、ここで自分を優先させてはならない。布地が張り付く気持ち悪い感覚はあるものの、顔に出してはならない。
「……は?おまえ女か」
令息の呟きにソッフィオーニは「その通りでございます」と答える。
「女が男物の服着るとか……ここの家はメイド服が足りないのか?」
ふっと嘲る笑いを向けられた。
なるほど、そこからメイド服がないと繋げるか。さすがにこの場で「動きやすいから」とは答えられない。
「いいえ 最近は西の方では女性のパンツスタイルが流行しているらしく、知人が式典に合わせて贈ってくださったのです」
嘘は言ってない。ただその知人も、まさか
「……っなんなんだよクソが」
さっきから口が悪い。仮にも令息が、公の場でこのような失言ばかりを繰り返すなど前代未聞。他の貴族からも軽蔑の目で見られている。
ただ一番の問題は、それを令息が自覚していないことだ。本当に令息だろうか、と疑念が湧く。
教育を受けていないのではと疑う程の横暴な態度。元々テルベ家はあまり良い噂を聞かない家ではあったが、とソッフィオーニは令嬢を見やる。
子息の態度に驚いてはいるものの、怯えてはいないようだ。だが令嬢の傍を離れる選択肢はソッフィオーニにはない。
「ビビ、ご案内して」
近くにいたもう一人のメイドに言いつけ、その場を離れようとした。
しかし、
「は?なんでおまえじゃねぇんだよ。俺は来賓だろ?そんなにもそこのバケモノが大事かよ」
令息の言葉に周りは凍りつく。
和やかな雰囲気は一変し、ザワリと一瞬騒がしくなった後重い沈黙がその場に落ちた。
「………………人の主をバケモノ呼ばりとは、随分な教育を受けてらっしゃるのですね。テルベご子息」
冷酷な笑みを浮かべたソッフィオーニに令息はびくりと肩を揺らした。
「礼儀のなってないご子息にひとつ、常識をお教えしましょう」
メイドは令嬢の後ろに立ち、
「私はオルガ・アランジュ令嬢の専属メイドにございます。専属メイドはいついかなるときも主を優先して考えなくてはなりません。ですので、主の傍を離れてあなたについて行くなんてことは絶対に致しません。おわかりいただけました?」
それに、とソッフィオーニは光のない目で令息を眺める。
「アランジュ家に物申せるお家柄だと、教育を受けたのですか?」
令息は怒りからか恥からか、顔をカッと赤く染めた。見て取れるほどに腕が震えている。その腕を、ヤケクソだとでもいうように大きく振りかぶった。
「アルグ!!」
その手を止めたのは、令息と同じ色の瞳と髪をもった少年だった。
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