踏み出した先には

 式はアランジュ家の大広間にて執り行われる。公には、オルガ嬢は病気で声が出ないことになっており、本来なら主となるオルガ嬢が読み上げる専属騎士の心得を当主が代読する手筈となっており、オルガ嬢は騎士から剣を受け取り、家紋の色のリボンを柄に巻いて渡すことで正式な専属騎士だと認められる。

 たったこれだけの所作を見るためだけに集まる貴族連中に対して「暇なのか」と言ってしまいたくなるが、その後のパーティーが重要なのだ。親は事業について語らう相手を見つけて商談、子どもは将来のパートナーを探す会場となる。

 若騎士はまだ知らない事だが、オルガ嬢は既に一度婚約が決まっていたものの破棄されている。そのため周囲からは「婚約破棄された欠陥令嬢」と見られている。そのレッテルを剥がすためにも、今回のパーティーでの振る舞いがとても大事になってくる──のだが、その前に任命式だ。とりあえず周囲からの重圧に耐えながら式を無事終えることが今の一番の目標だ。

 ちら、と視線を向けると、案の定主は手をカタカタ震わせていた。当然だ。オルガ嬢は人前になど出たことがない。人の視線に晒されることに慣れていないのだ。

 ソッフィオーニは令嬢の小さな手を「失礼します」と包み込む。

「お嬢様、緊張されるとは思いますが……お嬢様は、誰かに後ろ指をさされるような御方ではありません。もしお嬢様を貶す輩がいるのでしたら、その人間は見る目がないうえに自分の意見を持たないような雑魚です」

『ソフィったら、口が悪いわ』

 困ったように咎める主に、メイドは「申し訳ありません」と心のこもらない謝罪を口にする。

「けれど、本心です」

 ソッフィオーニの真剣な眼差しを主に注ぐ。オルガ嬢は視線から逃れるように俯きかけるも、

『父様と母様には迷惑をかけたくありません。……それに、ソフィに助けられてばかりの情けない主にもなりたくありません』と顔を上げる。

 ふぅ、と息を吐いた令嬢はメイドを振り返らなかった。前だけを向き、背筋を伸ばして敷かれた絨毯の上を歩いていく。

 会場の扉の前に立つと中の声がうっすら聞こえる。当主の挨拶が終盤に差し掛かっている。そろそろ令嬢が呼ばれてしまう。

 正直、心配な気持ちが拭いきれない。しかしここでそのような表情でも見せてしまえば信頼していないのと同義だ。


──それに。


 初めて、主が自身の意思で進もうとしている。それなら背中を守りながら支持しなくては。

 扉がゆっくり開かれる。思いに馳せている間に主が呼ばれてしまったらしい。

 緩みかけていた頬を引き締め、ソッフィオーニは令嬢の後ろを歩く。横目で周囲を伺うと、気味の悪いものを見るような目で見てくる者、敵意の目を向けている者、静観している者、と見えてくる。敵意を向ける者の中にはビビの父親もいた。自身の娘が専属メイドから外されたことを恨んでいるのだろう。加えて、「なぜあんな小娘が娘を押し退けてその座についているのか」とでも言いたげにじとりと睨んでくる。

 できるだけ関わらない方が吉だろう、と視線を戻しかけたそのとき。

 ビビの父親の二席前に、どこかで見たような顔を見た。だが記憶を探るも思い当たらない。直接会ったことはなさそうだ。

 けれど、とその者を二度見する。

 透き通るような水色の瞳の美少年は主と同年代に見える。ただの美少年ならば記憶から抜け落ちることもあるかもしれない。だがこの少年の髪は黒に近い紫の髪という、貴族の中では非常に珍しい髪色をしていた。


(まるで隣国の王子みたいな外見)


 隣国の王子といえば未来の主の嫁ぎ先なわけだが、その男は残酷無慈悲な性格で、貴族制度反対運動に参加した市民を平気で打首、火炙りにしていった。逆らうものは皆殺す主義と言っても過言ではない、過激な人物だ。

 その争いに巻き込まれた主は無念の、そして無惨な死を迎えることになる。


──……!?みたい、じゃない。


 夢で見た光景と背格好は違うし、なにより悪意など知らないとでも言いたげな丸みを帯びた目が夢の人物と結びつかない。それなのに、垂れた目尻やつむじが男と重なる。それらの仮説を裏付けるように、少年が座っているのは来賓の中でも最高位の人が座る場所だ。

 油断した。王家主催のパーティーでない場にも隣国の王子がいる可能性はゼロではない。ゼロではないが、なぜ一介の、しかも他国の令嬢の専属騎士任命式に居るのかは謎でしかない。

 しかし今は式典の最中だ。なにもできない現実が歯痒い。

 内心落ち着きのないソッフィオーニをよそに、式は着々と進んでいく。主が当主の横につくと、メイドは一旦傍らを離れる。壁の方に並ぶ他のメイド同様、前で手を組み背筋を伸ばして立つ。

「リヨク騎士団隊員、ラヴィール・ダンデリオン」

 式の司会進行を務めるリヨク騎士団団長、フィリップ・ラルドに呼ばれた若騎士がカーペットを歩く。

 現れた少年を目にした賓客の間でどよめきが走った。予想よりずっと幼い見た目というのもあるかもしれないが、なにより髪色がブロンドではなかったからだろう。

「アランジュ家の当主は変わり者って本当でしたのね」

「いや、喋れない令嬢とお似合いだろう」

 口々に喋る声は明らかに愉しんでいた。中にはソッフィオーニと若騎士、そして令嬢を順に見る者もいる。

 式の最中というのに陰口が止む気配はない。

 まさかここまで大っぴらに態度にしてくるとは、とソッフィオーニは唇を噛む。相手は自分たちより明らかに子どもだが、そこは彼らからしたら関係ないらしい。

 広い空間のはずだが、令嬢からすれば息苦しく狭く、そして見える景色は暗いのだろう──と、主を見る。

 しかしメイドの予想とは裏腹に、令嬢は堂々と背筋を伸ばし、前を向いていた。主の変わりように息が詰まった。それはメイドだけではなかったようで、陰口の数がすこしずつ減っていく。

 とはいえ、悪意の視線はずっと令嬢に刺さっているし、陰口が完全に止む気配はない。どうにかしたいが良い手が思いつかない。当主は様子を窺っているものの表立って行動はしないようだ。

「──……では ラヴィール・ダンデリオン士、忠誠を誓う主に剣を預けよ」

 式の進行を務めるフュリスの言葉に、若騎士は主の前に膝をつき、剣を鞘ごと抜く。差し出された剣を取ろうと主が手を伸ばした。


「私は」


 頭を下げたまま若騎士が声を発した。

 予定外の行動に、周囲はおろか、令嬢も伸ばした手を宙に置いたまま固まる。

「見ての通り貴族出身ではありません。教養もありませんし、恥をかかせてしまうかもしれません」

 陰口の声は止んでいた。意図はどうあれ、この場に集う全員が若騎士の言葉に耳を傾けている。別段大きな叫びではないにも関わらず、後方席の来賓まで声が届いているようだ。

 主の声を聞くときと同じ感覚だ、とソッフィオーニは目を見張る。

「それでも、私の全身全霊を以てお守りすると誓います」

 歳を重ねた貴族からしたら「不敬」に映っているかもしれない。しかし若者の目には羨望が滲んでいるのをソッフィオーニは見た。

 専属騎士とはいっても、完全な忠誠を誓う騎士は少ない。騎士は騎士団一家でない限り次男や三男が就く。そのため令嬢の騎士になりその令嬢と結ばれるか、パーティーで令嬢の婿を画策する者が多い。

 故に、ラヴィールの行動が平民と令嬢のご法度とも言える恋物語を想起させたのかもしれない。


──図らずも、啓示未来ではそうなっていたけど。


 ただ、幸せな結末はそこに待っていなかった。

 想い人は為す術なく結婚し、幸せと言えない生活を彼はただ見ることしかできなかったのだから。想いを内に燻らせ、処刑された主を前に後悔と喪失感に発狂していたのだから。

 そんな結末を知っている者からしたら、恋など知らない方が幸せだと思えてしまう。


「では、忠誠を受け入れるのであれば剣をお受け取りください」


 よく通る声にソッフィオーニの意識は現実に引き戻される。

 予定にない展開にも関わらず、フュリスは上手いこと進める。主もフュリスの指示に再び手を伸ばし、今度こそ剣を受け取った。

 ブローチに通されたリボンを抜き取り、柄に巻いていく。

 巻き終えた剣を横に持ち直し、

『ありがとう』と差し出した。

 おそらくソッフィオーニと若騎士にしか聞こえない声だったのだろう。すぐ隣にいた当主は気づいていない様子だ。

 若騎士は剣を受け取り、もう一度深く頭を下げた。

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