代理の任命式
任命式までの日程で、ラヴィールは貴族と接する際のマナーを一通りメイドから叩き込まれた。笑顔を浮かべながらも容赦のない指導の結果、貴族の前に出しても恥ずかしくない程度にはなった。
さて後は任命式の手順だけ──というときに、驚くべき宣言をされた。
「任命式は代理の者が行う手筈となっております」
アランジュ家の執事長であるディマンが、フルーツがたくさん入ったアイスティーを注ぎながら告げた。
甘いものに目がないことを既に知られているラヴィールの前には、貴族の令嬢が昼時に楽しむようなティーセットが広がっていた。これもマナー勉強の一環だ。
焼きたてのスコーンの他、クリームたっぷりのバターケーキ、カステラ、マカロンと色鮮やかなスイーツが顔を並べている。本当なら並べてあるものすべてを胃に収めたい。できたら持ち帰って家で一人堪能したい。だが貴族の中では下品な行為に当たるためその衝動を抑える。
「えっと……それは、私が平民出身だからでしょうか」
平民を軽んじる行為なのかと疑うラヴィールに、執事長はやんわりと首を振る。
「いいえ オルガお嬢様のご意向にございます。お嬢様は、ご自分が任命式に出ない方が良いとお考えのようです」
予測していたことのように淡々と告げられた。だがラヴィールは当然困惑する。
ラヴィールに指南していたメイドは立ち上がり、
「執事長、後は私が」と軽く腰を折った。
ディマンはうなずき、「失礼致します」と応接室を出ていった。
足音が遠のいてから、メイドは用意されたケーキに手をつけながら話し始めた。
「お嬢様は、貴族界隈では忌み嫌われている存在なんです。いえ、この地域の人皆から恐れられていると言った方が正しいかもしれません」
喉を湿したメイドは俯く。言葉を選ぶように目線を上方にさまよわせ、再び口を開く。
「その理由を今はお伝えできないのですが……その理由があなたに明かされ、かつお嬢様がご自分でベールをとる日がきたら、そしたら、……もしかすると、未来が変わるかもしれませんので」
ひどく望みの薄いものだと言うように、メイドは「憶測でしかありませんけど」と付け足す。
「……ご令嬢の信頼を得ろということですよね」
「そうですね。ですが『強い』信頼でないと意味がありません。お嬢様はとても用心深いお方です。ゆえに、心を開くことは容易ではないと思いますが」
「具体的な策はないんですか」
「ありませんね」
あっけらかんと言い切ったメイドを恨めしげにじとりと睨む。メイドは「ついでに」とソーサーを引き寄せカップを手に取り、
「時間が経てばお嬢様のお心が開いていく、という考えは捨てたほうが良いですよ。そういうことで心を開くようなお方ではございませんので。多少は変化があるかもしれませんが、赤の他人がただの従者になるだけでしょうね」と紅茶をこくりと飲む。
「悪い報告しかないんですか。具体策を聞いたのに……」
カップをソーサーに戻し、短く息を吐いたメイドは小さな声で言う。
「なにがあってもお嬢様の味方でいることかもしれませんね」
小さな声だがやけに響いた。
なんだそんなこと、と眉をひそめるラヴィールに、メイドは蒼の瞳をキロリと向ける。蛇に睨まれた蛙のごとく、ラヴィールはぎくりと体を強ばらせた。
「なにがあってもですよ。その意味がおわかりですか?……そうですね──例えばお嬢様のベールの下が火傷で皮膚が爛れていても平然としている……とかですかね」
低く呟いたメイドの言葉に、ラヴィールはごくりと生唾を呑む。
「冗談ですよね?」
と干上がった口を開く。そのせいか声が掠れた。
「それを受け止めるくらいの度量が必要だと言っているのですよ」
嘘か誠か定かでない答えを返したメイドは何食わぬ顔で紅茶を飲み干す。
──このメイドは……!
怒りというかイラつきというか。
まるで他人事だ。このメイドのほうが余程信頼できないだろうに。お嬢様はどうやら相当な変わり者らしい。
「……つか、俺は貴族がそもそも嫌いなんです。そこからなんの疑いの余地もなく信頼できるなんて難しいと思います」
「貴族が嫌いなのですか?」
黒髪を揺らし、メイドは初めて表情を変えた。驚きに目を開いたが、すぐにもとの無表情に戻る。
メイドの意外な反応にラヴィールのほうが戸惑う。
「あんたは好きなのか?」
「ソッフィオーニです。……貴族が嫌いというのではなく、単に嫌いな人としか考えませんね」
想像とはまったく違う答えにラヴィールは狼狽する。
「だって、あんた黒髪じゃないか」
メイドは目を細め「成程」と自身の髪を梳く。
「言いましたでしょう?私は貴族が嫌いとかそういう枠組ではなくただ人が嫌いなのですよ。……私が嫌いなのは
あなたとは違って、とメイドは立ち上がる。怒った様子は微塵もない。当然のことを言ったまでだというように、
「まだ教えきれていないことは山ほどありますよ。いつまでゆっくりしているんですか」
とテキパキテーブルの上を片し始める。
皿に盛ったケーキたちを慌てて口に放り込み咀嚼する。
いつもなら幸福な気分に浸れるのだが、このときばかりは味を感じなかった。
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