専属メイドの戸惑い
一縷の望み
任命式まで残り一週間、と迫りつつある。
あの平民を絵に描いたような若い騎士も、形だけは礼儀作法を覚えつつある。飲み込みは早い方らしい。
──問題はこっちだ。
黙々と刺繍をする主に、ソッフィオーニは「お嬢様」と声をかける。
主ことオルガ嬢は手を止めて顔を上げる。
レースの下から視線を感じる。怯えはいつの間にかなくなり、主としての態度を学びつつある。が、内気で引きこもりがちな少女であることに変わりはなかった。
「本当に式に出席しないおつもりですか」
本音を言えば、出席してほしいわけではない。出席すれば、好奇の目に晒され、かつ陰口を叩かれるに決まっている。つらい思いなどしてほしくない。
だが侍女の立場、かつ未来を知る者からすれば出席してほしい。令嬢としての任をこなしてほしい。
オルガ嬢は小さく首を振る。
『でないわ。怖い思い、させたくないもの』
主の主張に、ソッフィオーニは「かしこまりました」と言う。「そんなことない」とは口が裂けても言えなかった。
主を一人残し、ソッフィオーニは部屋を出る。
靴音を一切響かせずに廊下を渡り、図書棟の扉をくぐる。
アランジュ家の図書棟は、他家のものより豪華で蔵書も多いらしい。中には貴族が嫌うような平民向けの本も置いてあり、アランジュ家は貴族界の変わり者と囁かれることもあった。
しかしソッフィオーニが図書棟を訪れたのは読書をするためではない。
図書棟の最奥へ進むと、本があまり入っていない棚が二つある。それの一つを手前に引くと、隠し階段が現れる。この最奥には人が寄り付かないため、この扉のことを知る人間は極わずかな人間しか知らない。
さてその隠し階段を下り、さらに奥へ進み、いくつかの扉を開けると──、
『ソフィ!』
音では無い何かが「聴覚」としてソッフィオーニの脳を巡る。
「お久しぶりです。お変わりありませんか」
鬱蒼とした森の中、散らばった光がソッフィオーニを囲う。
光はまるで生き物のようにふわふわと上下左右に移動している。
『元気元気!でもね……』
しょんぼりとしたトーンで光は言う。
『やっぱり【天使の加護】を受けている人間は見つからないよ』
『呪いをかけた悪魔もね』
光が弱っていく。ソッフィオーニはそれらに笑み浮かべ、
「いいんです。そう簡単に見つからないことなど分かっています。それよりも、今日は差し入れをもってきたんです」
とバスケットをかざす。
「お茶会用の茶葉です。フルーツも貰ってきました」
バスケットに被せてあった布を取り払うなり、わっと光がバスケットに集まっていく。
『茶葉だぁ!お茶会ができる!』
『ソフィ大好き!』
口々に礼を言っていた光のうちのひとつが『ん?』と反応を示した。
『なんだか……ソフィから天使の加護の気配がするような』
真っ白な光の言葉に、ソッフィオーニは「え」と目を見開く。心臓が逸るのを必死に堪え、浅く息を吸う。
『あ、でもすごく弱いから……もしかしたら、物にかけられた【お祈り】なだけかも』
真っ白な光は慌てて付け足した。しかしソッフィオーニには聞こえておらず、
「私から、気配……」と虚ろに呟く。
令嬢でないことは確かだとして、それ以外だとあの騎士しか思い当たらない。
だがあの騎士が天使の加護をもっているなど、──……。
有り得るかもしれない。
メイドの頭にひとつの推測が浮かぶ。
彼はソッフィオーニと同じく平民だ。そして髪が金の系統ではない。法で「黒髪であれば貴族にあらず」とあったのには「魔女」以外にもれっきとした理由がある。
かつて「アクタム」という小国があったのだが、ダルダンの属するカラ国の強襲により併合された。この国の人々は「人ならざる者」と交友できる者が多かったのだ。ソッフィオーニもその一人であり、彼女は精霊と会話ができるほど彼らから愛されている。
「人ならざる者」とは、精霊、天使、そして悪魔を指す。しかし悪魔に好かれることは災厄と同義とされており、大抵は忌み嫌われる。
その小国には黒髪、焦茶の髪の人間が多く存在していた。つまり黒真珠のように鈍く光るグレーの髪の少年がアクタム出身の可能性は十二分にあるということだ。
とはいえ、少年が天使の加護を受けている可能性は否定できないものの、実のところあまり期待はできない。なぜなら精霊よりも加護を授けることに慎重であり、かつソッフィオーニは強力な加護を必要としている。そんな人間は大司教と同等の地位に就けるほどに稀で有難い存在なのだ。
けれど闇があるなら、それと同等の光も存在するはずだ。
魔女の啓示が騎士にも見れたのは導きなのかもしれない。そうであってほしい。
「ありがとうございます、皆さん。私はそろそろ戻るので、あとは皆さんでお楽しみください」
ソッフィオーニはいつの間にか空になったバスケットを
──とはいえ、今回のパーティーにお嬢様が出席しないとなると……。
王家主催のパーティーには必ず出席しなくてはならないのだが、それがお嬢様が初めて参加するパーティーとなると、おそらくあの腹黒王子のもとへ召されることになってしまう。
初めてのパーティーで「ベールで顔を隠すなど主催者に失礼」だの抜かす輩にベールを脱がされるという事件が起きてしまうのだが、それを目撃した隣国の王子がオルガ嬢を欲するようになってしまう。
この展開を阻止、あるいは変化させなければ主の未来に光は無い。
──彼を見つけることができれば、もっと話は早かったのだけど。
幼い頃に遊んだ、焦げ茶のカツラをしていた彼は天使の加護を受けているとのことだった。ソッフィオーニには精霊の加護があったため、天使の加護や悪魔の呪いは感知できない。姿を見ること、声を聞くことも当然できない。
彼がいれば、という望みを抱いてしまう。一度出会ってしまったら、また会えるかもしれないという望みを捨てきれないのだ。
「……ラヴィール殿が、加護を受けていれば良いのですが」
湿った隠し通路の中に、祈りに似た呟きが落ちた。
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