魔女の啓示

 翌日より、専属騎士となる準備が進められた。

 アランジュ家の空き部屋がひとつラヴィールに譲られ、そこに荷を運ぶ手筈になっていた。これが貴族出身の騎士であれば荷が多いのだが、あいにくラヴィールの荷物といえば隊服の他に二着程度の私服、鞄、練習用の剣だけであった。

「有り得ませんね」

 準備を手伝っていたソッフィオーニは抑揚のない声で言った。

「オルガ様のお付きともあろう者が、こんな貧相な服を着ていたのでは……買いましょう。オルガ様に申し上げておきます」

「えっいや……金ないし、困ってないし」

 ごもごもと乗り気でないラヴィールを冷ややかな目で見つめたメイドは、

「あなたの気分の問題ではありません。アランジュ家の体裁に関わるんです。身だしなみという第一印象から、貴族は値踏みを始めます。あなたがみすぼらしい格好をしていたら、アランジュ家が風評被害を受けるのです。誰かの下に就くというのはそういうことなのですよ」

 ベッドシーツを敷き終えたメイドは「さて」とラヴィールを振り返る。

「……あなた、隊服の管理も上手ではないようですね。洗濯係に伝えておくので、使った隊服は洗濯室へ持って行ってください。場所はわかりますか?」

 首を振ったラヴィールに「案内します」とソッフィオーニはさっさと歩き始める。 


──これは、嫌われているみたいだ。


 いきなり信頼しろというのは無理だろうが、このメイドは態度に出すぎだろう。これでは仕事がやりづらい。

「あの、平民出っていうので気にはなるかもしれないですけど、仕事はちゃんとやるんで」

 と思い切って声に出す。メイドは怪訝そうに首をかしげ、

「?私も平民ですけど」と言った。

「えっ」

 いや言われてみれば当然だ。この国にはふざけるなといいたい法律があった。それは「黒髪であれば貴族にあらず」というものだ。けれどその法律を訂正しようとする者はほとんどいなかった。なぜなら自分たちには関係がないから。自分の子も、その次の世代もどうせ黒髪になるはずがないから。

「えっと 平民の出自だから冷たくされているのかと」

「それは……」

 どうやら冷たく接している自覚はあったようだ。

 ラヴィールの頭に、一種の予感めいた思考が生まれた。まさか、と目の前のメイドをまじまじ眺める。

 浮かない顔でどこか余裕のないこの態度は、まさか。


「もしかして、夢を見ましたか」


 ラヴィールの言葉に対し、メイドの反応は顕著だった。紺碧の眼を見開き驚愕を顔に出す。もし何も知らないのなら、「何を馬鹿なことを」という小馬鹿にしたような、もしくは呆れたような、信頼など皆無だと言わんばかりの態度になるだろう。

「……あなたは、どうなのです」

 慎重な姿勢は崩さない。主の敵となるか、それとも味方となるか。それを見極めんとしている。

 無表情なメイドの背後に、得体の知れない圧力が透けて見える。ごくりと喉を鳴らし、

「オレは、見ました。令嬢が他国に嫁いで、そして──……」

 その先を言葉にはできなかった。だが十二分に伝わったようだ。メイドは薄い唇を噛み、嘘であることを祈るように目を閉じた。暗い碧の瞳を長い睫毛が隠す。やがて薄く口を開き、

「私も、同じ夢を見ました。お嬢様が有りもしない罪で裁かれるという悪夢を。……ラヴィール殿、私たちにできることなどたかが知れています。けれどこれは啓示に他なりません」

「啓示……」

「はい。魔女の力が働き、私たちに未来を見せたのでしょう。この事件を止めるため、いいえ止められると判断されたため」

 射るような鋭い瞳に捉えられ、ラヴィールの足は床から離れられなくなる。

「魔女の力って」

「私は魔女の一族の血を引く者ですから。まさか予知夢があなたにまで伝播でんぱするとは思いませんでしたけど」

 遮るように、だがハッキリ告げられた事実らしい発言にラヴィールは混乱する。詳しい「力」のことも話す気は無いようだし、なにより魔女といえば迫害の対象であり、嫌われる存在である。悪意を撒き散らすような存在だと──、


──この人は、本当にそんなことするか?


 見た感じ、自分の主をとても大事にしている。たった一日だけの付き合いだが、なぜか信頼できると思ってしまう。

 それに色眼鏡なしで見ると決めたじゃないか、と首を振る。

「なら、何とかしましょう。あんな死に方はまっぴらごめんだ」

「私が魔女の一族だということには何も言わないんですね」

 メイドが、初めて頬を緩めた。作り笑いには背が震えたが、まるで実の姉であるかのような微笑みには心を開きそうになる。

「異質なものを見るような目で見ないのは、今じゃあなたとこの家のご主人様方しかいません。少しだけ絆されてしまいました」

 絆された、というわりには既に鉄仮面のような無表情に戻っている。

「それじゃ、まずは……なにからすべきでしょう」

「……あなたにはまだお話できないことが、今回の件には大きく関わっています。ですので、当分はふつうにお嬢様に仕えてください。そして信頼を得てください」

 口調からして、メイドのほうが予知夢の詳しい内容を知っているようだ。であれば、その指示に従わない理由などない。

「わかりました」

 即答した少年に対し、ソッフィオーニは半信半疑の目を向け、

「お嬢様を、これ以上傷つけないでくださいね」

「え」

 それはどういう意味だ。まさか昨日既にオルガ嬢に対し無礼を働いたことを暗示しているのか。

 わからないから聞いてしまおう、と口を開きかけた刹那、部屋の扉が軋む音を立てながら開いた。

『二人とも、もう荷解きは終わった?』

 小さく首をかしげながら、話の中心人物であったオルガ嬢が二人に問う。

『任命式を行いたいんだけど、いつがいいかと思って聞きにきたの』

 任命式とは、貴族の護衛を決める儀式を指す。儀式を行わなくとも書類一枚で手続きができるという面はあるのだが、たいていの貴族は任命式を行う。任命式という名の見合い会場を設営し、子どもの友好関係を広げ事業展開の幅を広げたり、将来の義娘や義息子を探すためだ。

 メイドと二言三言交わした後、令嬢は部屋を出ていった。どうやら日程の段取りが組めたらしい。振り返ったメイドは心做しか表情が生き生きして見える。

「お嬢様は年頃のご令嬢とご子息をお招きする手筈を整えなければならないため、とても忙しくなります。ラヴィール殿にはその間、式典で必要になる礼式をきちんと覚えてもらうので覚悟なさってくださいね」

「お手柔らかにお願いします」

 にっこりと口元に笑みを浮かべてはいるが、メイドの目は欠片も笑っていない。

 ラヴィールはひくっと頬を引き攣らせた。

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