ひどく卑屈な令嬢
オルガ嬢の部屋は体調に支障をきたす不衛生さのため、急遽別の部屋が与えられた。
「お嬢様 こちらが、今日から少しの間お嬢様のお部屋にございます。少し狭くはなってしまうのですが、どうかご容赦くださいませ」
ドアノブを捻り、主を中へと促す。
真っ白なシーツに、レース編みのカーテンがかかったベッド。その枕元には柔らかなクッションと少し固めの枕が置かれている。またベッドの向かい側には、大きな鏡付きのドレッサーが違和感なく佇み、中央には高級布地を使ったターコイズブルーのソファと白いローテーブルが配置されている。
衣装部屋は他にあるが、部屋の端の方には気軽な服を置いておくクローゼットもある。
「お気に召さないようでしたら模様替えをさせて頂きますが」
俯いたまま反応のない主を、ソッフィオーニは膝を折って覗き込む。
だがソッフィオーニの心配をよそに、オルガ嬢の目は爛々としていて、
「そんな、まさか……こんな素敵なお部屋を用意してくださるなんて……ありがとうございます」
と相変わらずの小声ではあるものの、興奮気味に頬を上気させている。だがハッと目を見開いたかと思うと、
「あの、本当に私の部屋で良いのですか」とメイドを見上げる。
「勿論でございます。今までの生活が異常だったのです。これからは私がしっかりお世話させていただきます。それと……」
ソッフィオーニは眉を下げ、
「お嬢様、使用人に対して下から物を言っては駄目です。たとえ使用人のほうが年が上でも、お嬢様のほうが偉いのですから」
と注意した。
「ですが、ビビは……」
「あのメイドに言われたことは全てお忘れになってください。おそらくほとんどがデマでしょうから──そうでしょう?」
後ろに控えていたメイド──ビビに訊く。
「は、はい……その、本当に、大変申し訳ありませんでした」
青い顔で頭を下げるビビを前に、オルガ嬢は珍しいものを見た、というように目をぱちりと瞬く。
「わかりました」
「すぐに慣れますよ。それよりお嬢様、お飲み物はなにがお好きですか?」
「えっと、………………水?」
令嬢の返答にソッフィオーニは一瞬言葉を失う。欲がないと捉えるべきか、謙遜なのか。どちらにせよ回答が下町の子どもたちと一緒では貴族社会の中で異端と蔑まれること間違いない。
「水もたしかに飲み物ですが……甘いものと苦いものと渋いものでしたらどれが宜しいですか?」
「……甘いもの」
「では温かいものと冷たいもの、どちらがよろしいですか?」
「えっと、冷たいもの」
「かしこまりました」
ソッフィオーニは振り返り、動こうとしないビビに目線を送る。
ビビは慌ただしく部屋を出るなり、数秒後、銀色のワゴンを運んできた。
「甘くて冷たいものをご所望とのことでしたので、フルーツジュースはいかがでしょう」
赤く艶々の丸い果実を手にするなり、ワゴンに載せてあった小刀で皮をスルスル剥き始めた。途切れることなく剥ききった実をすりおろし、透明なグラスにそれを入れる。ワゴンに積まれていた透明な液体の入った瓶をカシュッと開けてグラスに注ぐ。
「わ……!」
グラスの中で泡が弾け、シュワシュワと音を立てる。中に詰められた果肉が踊り、やがて底の方に落ち着く。
「こちらをどうぞ、お嬢様。最初は少しずつ召し上がってくださいね」とグラスを渡す。
オルガ嬢はおすおずと受け取り、まじまじグラスを眺める。透明な器のため、小さく透明な泡粒が水面に向かっては消えていく様子が見て取れる。
泡粒を見るのに満足したオルガ嬢は、そろりとグラスを傾けた。
「ひゃっ」
慌てて口を離したオルガ嬢は「なんですかこれは」と戸惑いを口にした。
「リンゴに炭酸水を注いだものになります。飲み進めていくにつれて、喉が慣れて、きっと美味しく感じるようになりますよ」
ソッフィオーニの言葉を半信半疑、といった様子でオルガ嬢はちびちびと中身を減らしていく。
「……本当ですね。おいしい」
ほわっと口元を緩める主に、ソッフィオーニは張っていた肩の力を抜いた。
「実の方も美味しいと思いますよ」
と柄が少し長いスプーンを差し出す。
「シャリシャリしてて、しゅわっとしてて……おいしいです」
「それは良かったです。が、お嬢様──敬語はお控えください」
「あっ ごめんなさ──いえ、気をつけます。じゃなくて」
「……ゆっくり慣らしていきましょうね」
まだ先は長そうだ、とソッフィオーニは苦笑を浮かべる。
けれど、と目を細めて主を見る。
怯えていた姿よりも、ずっと表情を見せてくれている。まだ満面の笑みは見れていないが、その顔が見れる日がくるのはそう遠くない未来なのかもしれない。
メイドはひっそり期待を唇に乗せ、目を伏せた。
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