調子に乗りすぎたメイド

──珍しく、奥様に呼ばれたけれど。


 これまで二年間、だれにもなにも言及されることなくオルガ嬢の専属メイドの座を守り続けてきた。

 だからきっと今回の呼び出しも大丈夫。

 あの新人専属メイドに仕事を押し付けたから、あの女がチクったのかもしれない。

 でも信頼はあの子にはない、とビビは小馬鹿にしたように唇を薄く開く。

 仕事をしていないみたく言われたのなら、「新人教育のため」だの「仕事に慣れさせるためにあえて」だの言えばいいだけなのだから。


 喉を鳴らして軽く発声をして声の調子を確かめる。


(奥様の前だから、ちょっと高めで小さめの声にしなくては)


 コンコン、と控えめに扉を叩いてから「オルガお嬢様の侍女、ビビです」と声をかける。

 中から「入って」と低く圧のある女性の声に従い、ビビは扉を開く。

 そこには彼女の想像通り、例の新人専属メイドが温度のない目を伏せて立っていた。


「今日ここへ呼ばれたことに、もちろん心当たりがあるわよね?」


 奥様ことハウィル夫人の声は、普通よりもだいぶ低い声をしている。それが迫力となってもいるのだが、せっかく美しい見た目なのだから、もう少し高い声だったら完璧だったのに、とビビは常々思っていた。

 ビビは眉を八の字に下げると、

「いいえ……皆目見当がつかないのですが、私、奥さまのお気に障るようなことをしてしまいましたか……?」

 と肩を縮めて瞳を潤ませた。

 舞台女優もびっくりの演技である。

 けれどハウィル夫人は「はぁ」と眉間に長い指を当て、重いため息を返した。


「あなたのしていることは全て聞いています。あなた──娘のドレスを勝手に売ったり、食事を抜いていたりしたそうね」


「…………え?」

 ビビの目から涙が消え、代わって唇がどんどん血の気を失っていくのが見て取れた。ほんのり赤く染まっていた頬は白くなり、胸の前で組まれていた手はカタカタ震えて止まらない。

「すべてソフィから聞いたわ。掃除もまともにしない。ドレスを選ぶどころか盗む、挙句売る。オルガの世話をほとんどしないくせに給与だけはもらう。ちょっと前に、照明をオルガがはしゃいで壊したからと請求してきた修繕費、あれも嘘だと」

「ちが……わた、私は本当に、なにも」

 ちょっとまって、とショート寸前の脳を必死に回す。

 ソフィって、あの女の愛称?愛称呼びされるほどの信頼を得ているということ?何の後ろ盾もない、ただの新米メイドのはずなのに。

「なにもしていないのよね?あなたに割り当てたはずの仕事を」

 射るように鋭い目を前に、ビビは目に涙を溜めて喉を引き攣らせる。

「違うんです奥様。それは全部、全部そのメイドの発言は全部ウソです!私はきちんと職務を──」

「あの埃まみれの部屋」

 吐かれた息とともに出た言葉に、ビビの肩が跳ねる。青を通り越して真っ白の顔が下を向いた。弁明の言葉を必死に模索しようとするも、緊張も恐怖で頭がうまく働いていない様子だ。

「あの部屋を見た時は言葉を失いました。それを見るまでは、私も半信半疑だったのよ。けれど証拠を見せられてしまっては何も言えません」


 十日前、ビビと別れたソッフィオーニはすぐにハウィル夫人の部屋へと向かった。

「お嬢様のお部屋を見てください」

 ただごとではない雰囲気のソッフィオーニに促され、ハウィル夫人は深く訊くことなくオルガ嬢の部屋へと向かった。

 あの部屋──ビビが管理しているはずの部屋の扉を開けたその瞬間、ハウィル夫人は「どういうことなの」と呟いた。

 埃の積もり具合、窓のサビ、それら全てがメイドの怠惰を物語っていた。

 ソッフィオーニを配属してからまだ時間は経っていない。新しく配属したメイドがビビを陥れるためにこの惨状を用意することなど不可能だ。


 刺すような二人の視線に、ビビは喉を鳴らした。


 逃げられない。


「……私、悪くないです」

 ポツ、と静まり返った部屋にビビの声が落ちた。

「私、私は悪くないです。お嬢様が言うことを聞かないから、私を困らせるから……私が仕えているのは奥様であってお嬢様ではないのだと、わからせたかった一心なのです」

 自己弁護に走るメイドに、ハウィル夫人は冷えきった目を向けた。

「本気でそれを弁明だと思っているのなら、あなた、とんでもなくお間抜けよ」

「弁明だなんて……」

「私は『オルガ・アランジュに仕えよ』と命じたのよ。オルガが言うことを聞かない?あなたは言うことを聞く立場でしょう。それがそもそも理解できていなかったようね」

 取り付く島もない物言いだが、ビビは「でも」とすがりつく。

「でも私のしていることを女中長はご存知だったはずです……!けれど今まで何も言われたことがありませんわ」

「それはそうでしょうね」

 ハウィル夫人は一枚の紙を机から取り出し、ビビに見えるよう回転させた。

「…………え?」

 精緻な文字が記すのは、女中長の処分書だった。

 事態が呑み込めない少女にハウィル夫人は冷たい目で、

「女中長は資金を横領していたの。だからあなたに対して何も言わなかったのよ」と放った。

「問い詰められた時、貴方に脅されたとでも言うつもりだったのでしょうね。……それで、あなたの処分だけれど」

 ちら、とソッフィオーニと目配せしたハウィル夫人は愛用の扇を手にし、


「ソッフィオーニの補佐を命じます」


 夫人の言葉がうまく呑み込めなかったビビは、「え」と小さく声を漏らす。

 専属から外されることは降格を意味し、メイドの中では「落ちこぼれ」と称される。しかし命令違反な上に貴族の体をぞんざいに扱ったことへの罰としては軽すぎる。

「聞こえなかったのですか?ビビ・バレッタ」

 刺すような声に「いえっ」とビビは声を裏返しながらも返事をする。

「つ、謹んでお受け致します……ですが夫人、一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか」

「許しましょう」

 ビビはすっかり血の気の失せた指先を握りながら、

「なぜ、私は追い出されないのですか?」と訊く。

 夫人は無言で背もたれに体を任せ、

「追い出した先の未来、貴方はどうなるのです?もし路頭に迷うことにでもなれば、犯罪に手を染めてでも生き残ろうとするかもしれません。それでは困るのです。我がアランジュ家の行いによって犯罪者を生み出すことは、あってはならないのです」

「では、女中長も……?」

「彼女は大人です。事の重大さをわかっていて行動したのです。それはきちんと処分しなければなりませんので、もうこの屋敷には居ませんよ。けれど貴方はまだ、倫理観を持つ途中にある子どもです。軽い気持ちで手を出してしまった犯罪について、家の主人である私が、諭さなければならないと判断しました」

 扇を広げながら、ハウィル夫人は切れ長の目を細める。

「──と、ソフィに提案をされたのです。それも一理あると思い、その案を受け入れました」

「……か、寛大なお心に、感謝しきれません。恩情を無下にすることなくお仕えすることを、改めて誓います」

 ハウィル夫人に頭を下げた後、少女は抵抗感を噛み殺しつつ、

「ソフィ……いえ、ソッフィオーニさん。お心遣い、感謝致します」とスカートの端をつまんで礼をした。

「ではあの部屋の掃除を今から行いなさい。わかっていると思うけど──二度は、ありませんよ」

 夫人の凄みに、ビビは「はいっ」と首を何回も縦に振り、扉の先へと姿を消した。



「……これでよかったのかしら」

 扇をふわりと優雅に口元へと運び、残ったメイドに横目で問う。

「ありがとうございます。これからは育成に励みたく思います」

「えぇ 頼みます。……ひどい母親だと思いましたか?」

 顔を上げると視線がぶつかった。

 ソッフィオーニはわずかに目を逸らし、思考を巡らせ、

「……それは、私を試す質問でしょうか?」

「いいえ 自由に答えてくれて結構よ」

 では、とソッフィオーニは指を組み直し、

「奥様が今回の騒動を想定していらっしゃったのにメイドを解雇しなかったのは、理由がおありなのだと思いました。自分から助けを求めるよう、あえて放っておいたなどの理由が。……とはいえ、少し放置しすぎだと思ったこともまた事実です」

「そうね」

 ハウィル夫人は目を伏せ、


「私がひどい母親というのもまた、変え難い事実なのよね」


 寂しげに残した言葉の余韻が、俯く令嬢とよく似ていた。

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