06 首都インバルへ
この日の午後、ミシリアン島ではオトラバス駆除の完遂が宣言された。
これにより、明日から本土との定期便が再開されることが決まった。
島民にとって、これは待ちに待った快報。
翌日に向けてロワールの町は一気に活気づいた。
街中はちょっとしたお祭り騒ぎになっている。
本土側からの知らせによると、最初の定期便にはファミルの大聖殿から派遣された守人族調査団が搭乗予定とのこと。もちろん、目的はオトラバスの群れの来襲から駆除までの過程についての調査である。
補足になるが、ミシリアン島は古からの自治領。
島内には聖堂どころか礼堂さえ設置されていない。
なにしろ島には守護竜エブラムがいる。
加えて、龍人家族の居住地でもある。
大聖殿を介さなくとも、特別な理由があれば、どちらにも会うことができる。
そういう事情から島民が聖殿等の施設整備や神官派遣を求めることもなかった。
大聖殿の調査団が今さらやってくると知らされても、島民の反応は冷ややかだ。
それでも、大聖殿はこの一件を調査しないわけにはいかなかった。
その一つの理由は、他国への体面。
大聖殿が完全駆除を確認し、せめてその終息宣言だけでも行いたいのだろう。
本件に関する大聖殿の関与を周辺国に多少なりアピールしておきたいようだ。
もう一つの目的は、オトラバスの解剖用成体サンプルの収集。
これは、オトラバスの実体と生態の調査を進めるために不可欠なものだ。
とは言っても、時すでに遅し。
島内で回収された死骸は既に完全焼却済み。残っているのは灰だけ。
これに関しては無駄足を踏むことになるだろう。
いずれの理由も聖殿側の都合によるもの。
それでも大聖殿としては形だけでも協力の痕跡を残しておきたいのだ。
そういう聖殿側の勝手な事情から送られてくる調査団である。
島長のギロンド、そして龍人たちもこの調査団を足蹴にしたりはしないが、さっさとお帰りいただくつもりのようだ。
**
エイスらは予定通りに、馬を借りて島の北側を観光してきた。
そこには小さな村があり、美しい白亜の砂浜と温泉を楽しむことができた。
三人は島を離れる前日にしてようやくリゾート観光的な気分に浸れた。
*
サロース邸に戻ってきたエイスは、エミーナと二人で街へ出かけた。
島から報奨として譲渡された高級フラットを見るためだ。
話に聞く限りでは、そこは別荘的な上級リゾートマンションらしい。
エイスとアルスの二人もちょっとだけ期待していた
──まぁ主にはアルスなのだが。
ちなみに、後日にインバル大聖殿へ赴くエンリカとヨニュマの二人には、この報奨のことは伏せられている。もちろん、大聖殿に別荘の件を知られないためだ。
エイスの別荘は中心街まで徒歩で約十分。
観光客立入禁止地区の一角にある。
その周囲には高さ5mほどの美しい白壁が立ち並ぶ。
そこに入るためには三か所のゲートのいずれかから出入りするしかない。
とは言っても、大型獣人ならその壁高でも跳び越えられるのだが──。
各門所には屈強な獣人警備員が配置されており、不審者に目を光らせている。
エイスとエミーナは予想通りに門所で一度止められた。
門所には外と内に一人ずつ獣人警備員がいる。
どちらも2.5m級の狼人。なかなかワイルドなイケメンである。
そこで住居の居住権書と鍵を見せると、身分証を見せることなく通してくれた。
エミーナが一緒にいると、こういう時には助かる。
報奨の件は門所にも通知されていたようで、警備員は笑顔で通してくれた。
「もう顔と匂いは憶えました」
──二人の獣人警備員は笑顔でそう伝えてきた。
エイスも鼻は良い方なのだが、さすがに獣人族には敵わない。
こういう時に獣人族中心の社会であることを実感できる。
ゲートから徒歩三分ほどで、目的の建物の前に着いた。
そこは真っ白な五階建ての石造建築物。
エイスの別荘はその五階の一角。
「──これはなかなか立派な建物だな。
一見には新しい建造物のようにも見えるけど、これは改築したのかな?」
「はい、この区内の建物は基本的に改装や改築されたものです。
この石材は少し研磨するだけで輝きを取り戻します。
ふふっ、ですので、新しいものでも十世紀以上前の建造物です」
確かにどの建造物も内外ともに素晴らしく美しい。
エイスは興味深げに観察しながら建物内に入っていった。
正面のロビーに入ったところで、エイスは意外なものを見つけた。
そこには、なんとエレベーターが設置されていた。
(これは驚いた。
エレベーターがあるじゃないか。
おいおい……初めて見るぞ)
エイスが驚くのも無理なかった。
これまでに宿泊した大型ホテルにもエレベーターは設置されていなかった。
(これは油圧で作動するわけだな。
動力は電磁式なわけか……。
ああっ……まぁーそれは当然か!)
聖守系族は超電磁気を操る力を持つ。
術技は魔法ではないのだ。
実は、守人族は地球人よりも遥かに電気と電磁気を科学的に理解している。
動力や電動の装置類を開発できないわけがない。
それでもこの類の技術は社会的・産業的にほとんど活用されていない。
エイスにはその理由もすぐにピンときた。
「なぜここには昇降機があるんだ?」
「ええっ……なぜと言われましても……
この動力装置は規制前に造られた物だと思います」
「これは規制前の古い装置を使っているわけか」
「そういうことだと思います」
大陸では経済性や生活利便性等の向上が最優先されるわけではない
──むしろその逆なのだ。
最優先されるのは自然環境の保全。
環境保護のため、竜族令により、重工業がそもそも禁止されているほどだ。
このため、高炉を用いる金属工業は禁止。鉱石採掘も厳格に管理されている。
許可されているのは、鍛冶屋レベルの鉱石採集と製造だけ。
エレベーター用の主要部品など、当然だが、今や入手不可能。
現存機を修理しながら使い続けるしかないのだ。
このエレベーターは守人が時々電力をチャージするだけで動く優れもの。
送電線も発電機も不要である。
エイスは少し感心しながら、そのエレベーターに乗り込んだ。
*
五階部の住居は四世帯分のみ。
室内に入ったエイスは、そのリビングの広さと眺望に驚かされる。
ロワールの街並みと湖を一望できる。
地球的に言えば、間取りは6SLLDK
──延床面積は262m²!
アメリカのコンドミニアム級の広さだった。
バスルーム二つに、トイレは三か所。
「この場所で、この広さなら、かなり良い住居だと思います。
エイス様の別荘としては最適だと思います」
エミーナは特に驚いていないらしく、普通にそう話した。
お、お嬢様だ……。
「おれは一人なんだけどな」
「そうですが……
家族は増えるものですから」
彼女はまたまた普通にそう話した。
実は、これはエミーナの方が正論。
エイスのどこかにまだ日本人的の感覚が残っているだけのこと。
おそらく彼はこの後に十世紀以上を生きる。
普通に生きるなら、その間にそれなりに大家族化していく。
また、大家族化しなければ、龍人族は滅びてしまう。
「ここなら定期的に室内壁の改修をするだけで、五から六世紀くらいは過ごせます。
調理器具や家具は頻繁に買い替えることになりますから、その時の気分でよろしいかと思います」
エミーナは室内の壁を指で触りながらそう話した。
五から六世紀──日本とは一桁ほど時間軸が異なる。
欧州であっても、多少の改修工事だけでそこまで住み続けられる家屋はそう多くない。
二室あるリビングの一つにはソファーセットが既に設置されていた。
ベッドルームも二室にベッドが備え付けられている。
しかも、どれもなかなかに上質な物ばかり。
ただ、マット、布団、枕等の寝具は備えられていない。
エミーナがとりあえず生活上で最低限必要なものだけをメモしていく。
その後に、彼女はいくつかの生活系術を用いて、室内を軽く清掃した。
その後、二人は街中に一度戻り、エミーナの知人の店で必要な物品を購入した。
かさばる布団等は店員がすぐに住居まで運んでくれた。
二人はそれらを収納庫に収めて、次回に来た時の準備を終えた。
エイスはここまで使ってきた大太刀と小太刀も昨晩に油拭きし、リビング横の収納庫に収めた。
この島には刀剣類の取扱店が一件しかないためだ。
おそらくもう使うことはないだろうが、その二刀は念のための予備刀にした。
インバルには新しい太刀だけを持っていく。
エイスとエミーナは街中を歩いて抜け、そのまま徒歩でサロース邸に戻った。
明日の定期便到着に向けて、街の店々はその準備に余念がない。
街にもようやく活気が戻ってきた。
今回、エイスはあまり街中を見物できなかったが、島の若い女性たちには既にそれなりに知られていた。
エミーナと一緒であっても数人の女性から挨拶の声をかけられた。
それでも、エミーナが盾役を担ってくれているおかげで、特に騒ぎになるようなことはなかった。
*
最後の夜ということで、サロース邸ではエイス、エンリカ、ヨニュマの三人の送別会的な宴が開かれた。
町の重鎮や族長らが集まっていて、夜には大宴会になった。
よせばいいのに悪酔いした獣人族長がエイスにお酒での勝負を挑んだ。
もちろん、へべれけにされて、リビングの床で哀れな姿を晒した。
エイスは超高次元の毒耐性を持つ。酒類はほぼ水と同じ。
同様に毒耐性を持つギアヌスとデューサがその獣人族長の哀れな姿を見て笑っている。
この送別会にはフェルン家全員が顔を揃えていた。
ギアヌスとデューサがエイスに家族を紹介してくれた。
北の村に住むこの家族は全員で18人。
その中で龍人は五人のみ。
エイスはその家族構成を聞き、龍人が希少種であることを改めて思い知らされた。
ギアヌスには龍人一人と守人二人の配偶者がいて、子供は計九人。
龍人の子供はデューサともう一人女性がいる。
ただ、島内に住むのはデューサとロランの娘一人のみ。
ギアヌスは671歳。息子のデューサは370歳の時の子だ。
そして、孫のギロンドには三人目の子がこれから生まれる。
ギロンドは
彼の兄妹の中にも龍人はやはり一人しかいない。その兄は島外に住む。
兄の家族に生まれた血脈の龍人がいずれこの島に住むことになるそうだ。
エイスにとって初めて知り合った龍人家族がこのフェルン家。
話には聞いていたが、少子の長命種族の問題を目の当たりにした。
アルスによると、この問題が龍人女性に深刻な運命を突きつけるとのこと。
『龍人族の女性に惚れられたら大変だぞ。
猛烈に求愛してくるからな』
『そうなのか?』
『ああ、死ぬ気で突撃してくるぞ』
そのアルスの言葉にはどこか重みがあった。
さすがにエイスもそこにツッコミを入れる勇気はなかった。
龍人族は龍人数を維持するために、龍人男性に最低一人の龍人女性の配偶者を持つように奨励している。
これは単純に、龍人同士の男女からしか龍人が生まれないためだ。
それでも、その子の龍人確率は20%。
ゆえに、龍人女性は若くして配偶者との同居を始めたがる。
受胎期を迎えるまでに時間がかかることがその理由の一つ。
しかし、その実は、自らの意思で配偶者を決められるのは50歳くらいまで。
その年齢を過ぎると、お見合い的な方式で相手を決められてしまう。
それもあって、龍人女性が意中の男性に出会った時には、猛烈に求愛する。
──それはそれは猛烈な勢いらしい。
(うわぁーそれは大変そうだな。
どうやらアルスも昔になにかあったっぽいしな……)
エイスはそう考えてちょっと笑ってしまいそうになった。
それでもエイスはその話をまだどこか他人事のように聞いていた。
今は──。
宴の終盤に、エイスはミサーナに捕まり、インバルでの仕事について尋ねられた。
彼女は彼が医術系職の就くと思っているらしく、遠回しに勤務先の情報を知ろうと粘る。あの手この手で探りを入れてきた。
エイスはそのミサーナの猛攻を静かな微笑みでかわし、時に煙に巻いた。
そこにはエンリカやヨニュマもいるため、その実を明かさなかった。
まぁ、それでも明日には二人にも知られることになるのだが──。
**
翌朝、エイスたちはサロース邸で別れの挨拶をしてから、馬車で東の丘へと向かった。エミーナもインバルに住む叔父宅に向かうとのことで、エイスらに同行する。
エイスたちが丘に到着した頃にエブラムと五人の
先日と同様に、二人一組で重そうな鞄を一つずつ抱えてくる。
エイスは
鞄の中身は不明だ。
彼もその鞄を持ち上げようとして、その重さに改めて驚かされる。
(なんでこんなに重いんだ、この鞄は!!
おまけに中身が不明というのも……どうなんだ)
それはエイスも驚くほどの重量。
特殊な構造と製法で作られた鞄のようだ。
普通の鞄なら間違いなく底が破れて抜けしまっているはず。
エイスの感触では、その鞄は一つ90kg近い──それが二つ。
しかし、そこはエイス。二つの鞄を普通に持ち上げた。
とは言え、インバルに着いた後、彼は自分の荷物を含めて全てを一人で運ばなければならない。
アムルカがインバルのどこで降ろしてくれるかにもよるが、距離によっては馬車が必要になりそうだ。
エイスもさすがに全ての荷物を持って数kmを歩くのは避けたかった。
しばらくするとアムルカがやってきた。
銀華竜は一緒に来ていない。
エイスたちのところへとアムルカがゆっくりと降りてくる。
彼にとっては前世で見慣れた昇り竜の姿。
その姿はやはり勇壮で美しい。
エブラムと
竜族と
何かあれば、いつでも連絡してほしい。
エイスは荷物を持ってアムルカの背へと上がっていった。
荷物が多いこともあり、さすがに一足跳びで背にというわけにもいかなかった。
彼は背中に厳重に梱包された重い1.8m級の筒を二本抱えている。
さらに、右肩に旅行鞄を担ぎ、
重いことよりも、荷物が多いうえに両手がふさがれ、バランスが悪い。
この状態でジャンプすると、それこそ鞄の底が抜けかねなかった。
その後から、エミーナ、エンリカ、ヨニュマも荷物とともにアムルカの背に乗った。それを確認してから、エイスはアムルカに合図した。
「エブラム、いずれまた話そう」
この島にはまた来ることになる。
島内に別荘を得たという理由を除いても、彼にはそう予感できた。
ただ、傍にエンリカとヨニュマがいるため、彼は短い言葉だけにとどめた。
「エイス殿、お世話になりました。
息災にお過ごしを。
またお会いたしましょう」
エイスとエブラムはそう短い挨拶を交わした。
彼は右手を上げて、エブラムと
アムルカは静かに揺れることなく、煙のようにふわりと浮かび昇っていく。
まるで無風の中、煙が静かに立ち昇るように、アムルカの体が空へと向かう。
見送るエブラムらに、エミーナ、エンリカ、ヨニュマが深々と頭を下げた。
『また会おう』
エイスの念話が地上にいる者たちの頭に響いた。
100mほど上昇したところで、アムルカが身体を少しくねらせるように動かした。
そのわずかな動きだけで、昇竜の飛行速度が一気に増した。
間もなくして、ステルス飛行に入った昇竜の姿がゆっくりと薄らいでいく。
快晴の空に溶けるようにその美しい姿態が消えていった。
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