05 聖龍たちの願い
三竜から聖龍人の話を聞き、エイスが珍しく考え込んでいる。
実はこの時、彼は完全並列同時思考を駆使し、あらゆる事態と可能性を遠望しようと試みていた。
聖龍になった先の先の未来についてまで考えを巡らせていた。
──よせばいいのに、だ。
おそらくエイスはこの後十世紀以上を聖龍人として生きるだろう。
さらにその後には──。
アムルカを参考にするなら、優に百世紀以上を生きることになる。
彼はこれから不死に近いほどの長い長い時間を歩むことになる。
──それは今の彼にとって出口のない迷路も同じ。
彼は自らの死について過度に怖れたりしない。
それは自然の摂理。そして、一度経験し、既に超越してきた。
しかし、
それは想定どころか、空想さえ困難なほど先の未来。
どのように染色体を解析したところで、その答は得られない。
エイスは「普通に生きる」以上のことを望んでいない。
突然「聖龍人」と呼ばれたエイスにとって、もし選択権を得られるのなら、それはぜひとも拒否したい未来だった。
彼は「不死の恐怖」とでも呼ぶべきような初めての感情と向き合っていた。
エミーナは考え込んでいるエイスに対して声をかけられないでいる。
彼の複雑な心境を汲み取れるからだ。
だが、エミーナには知らなければならないことがまだ他にもある。
彼女は恐る恐るアムルカに話しかける。
「アムルカ様、私をここにお連れいただきましたのは、どういった理由からでしょうか?」
そう尋ねられて、二本のお髭が少し驚いたようにピョコンと動いた。
「おおっ‼ そうじゃったな。
おまえさんにはそのために来てもらったんじゃったのぉ」
どうやらアムルカはすっかり忘れていたようだ。
そう仕切り直して、アムルカは改めて話しだした。
「エミーナよ、そなたには感謝しておる」
「私に……感謝でございますか?」
「そうだ。
そなたの『聖女の輝き』がなければ、我らはこの島には来ていなかった」
アムルカはその微かな思念波を追って島に来たのだった。
「その聖女の輝きとはどういったものなのでございますか?」
「そなたは聖守族の中でもかなり優れた血を受け継いでおるのだ。
まぁーそれはこの島の龍人たちの血脈ではないのだがな……。
おそらくはそなたの母方筋の血脈からその力を継承したのだろう」
「わ、わたくしが優れた……でしょうか!?
ただ、私も母も
しかも、医術以外に大した能力を持ちません。
どちらかと申しますと……
そのぉ……体力系の仕事なら自信はございますが──。
私や母が聖守族の優れた血脈とは到底思えません」
その率直な声にアムルカが大笑いする。
アムルカのツボをついたのか、二本の髭が大きく踊る。
「いやいや、おまえさんは素直でよいのぉー。
だがのぉ、表の術力だけで判断するのは正しくない。
そなたの力は普段抑えられているのじゃ。
そなたの中に潜んでいるのは、おそらく武の
エイス様のお傍にいる時には、中位級の龍人の力と攻撃系術力を出せるはずだ」
アムルカによると、上位級聖龍人の傍で仕える時に、巫は三つの力を発揮する。
一つは、武または術のいずれかに特化した能力向上。
さらに、一時的に主の能力の一部を使えるようになる。
最後に、主の傍に長く仕えるほど、様々な基本能力が上昇していく。
「先日、そなたが発動した雷撃剣もそうじゃ。
エイス様の持つ能力を一時的に使えたのじゃ」
エミーナはその時のことを回想する。
言われてみれば、エイスの俯瞰視術からの情報を見ることもできた。
「私の力が普段抑えられている……と」
「エイス様のお傍にいる際に、そなたの能力は跳ね上がる。
そのために普段の生活では能力が抑えられておるのじゃ。
そして──」
アムルカはそこで一呼吸を置いた。
エミーナに対して少し勿体ぶった様子だ。
「そして?」
「そなたはエイス様の巫女。
聖龍人の御子を生むことができる」
それを聞いて、エミーナは驚いたのか、口を開けたままで固まった。
数秒の間、彼女は文字通りポカンとしていた。
直後に、彼女の顔が真っ赤になる。
絵に描いたような赤面。長い守人耳の先まで真っ赤になる。
「おまえさんは非常に幸運な力を持っておるのだ。
聖龍人の御子を生めるのは、龍人と守人の中でも巫の力を持つ者のみ。
その数は極めて少ない」
エイスは熟考中だったが、その話を聞いていないわけではなかった。
彼は話が勝手に進められないように釘を刺すことにした。
「アムルカ、さっき言ったようにおれは普通に生きる。
誰がおれの子を産むのかは、おれとその女性が決めることだ。
それに当面子供は生まれないぞ」
「そ……それはどういうことでしょうか?」
「おれは二世紀近くも泉底に封印されていたんだ。
まだ肉体機能の全てが回復したわけではない。
男性機能自体は戻ってきたが、子供を持つのはまだしばらく先の話だ。
先ずは体の回復が優先だ」
三竜はそれを聞いて、どこか安心した様子だ。
「先の話でありましたら、全く問題ないのではございませんか。
聖龍人と聖守族は元々一緒に住み始めましてから受胎までに時間がかかります」
──結局そこかい!
エイスはそうツッコミたくなった。
そして、そのアムルカの話を聞いて、エイスはこの三竜の目論見を察した。
「あーっ、そういう話か。
おまえたちはおれの血脈というか……
子孫の方を心配しているんだな」
三竜が、バレたか……的な表情を浮かべる。
ただ、それについてはエイスも竜たちの心情を少なからず理解できた。
一度は絶えたと思っていた聖龍人を発見したのだ。
とりあえずエイスには先ず子孫を残してほしいところなのだろう。
「それこそ我らの悲願でございます。
いつか『聖龍人族』が復活することを夢見てまいりました」
これには多少の含みもあるようだ。
──とにかく多数の子を残せ。
エイスにそう言っているようにも聞こえた。そうにしか聞こえなくもない。
竜たちの要望はどうやらそこにあるようだ。
この宮殿云々という話ではないらしい。
「エミーナ、君には申し訳ない。
別にアムルカたちは君におれの子を産むように強要しているわけではないんだ。
気分を悪くしないでくれ」
「い、いえ……。
とんでもございません」
エミーナは赤面したまま下を向き、以降貝のように口を閉じてしまった。
アルスがエイスをからかいながらゲラゲラと笑っている。
(そうか……。
おれは偶然に血脈の絶えた聖龍人に突然変異してしまったわけか。
偶然とはいえ、肉体をそう操作したのは、おれ自身だ。
それにしても、……あの腕輪が竜子に変化するとは。
──おれは聖龍になんてなりたくないんだけどなぁ)
エイスはそう考えると、また笑いそうになる。
(いやいや……竜になるとか。
どうシミュレーションしてみたところで、答を得られるわけもないかぁ。
それは分かってはいるんだが──)
エイス自身にもそれが無意味なことは分かっている。
それでも、彼はなんとか「不死の恐怖」から脱け出し、現状を受け入れようとしていた。
(なんにせよ、情報不足だ。
これは先の先の話だし、とりあえず事実は事実として受け入れていくしかない。
ただ、……これはおれの子孫には影響大だな)
エイスはこの時にようやく自らの竜好きな一面に合点がいった。
道理でアムルカやデュカリオに親近感が湧くはずだ、と。
*
エイスはそれからしばらく神殿や建造物等の状態を見て回った。
どの建造物も百世紀以上前のものとは思えないほど良好な状態だ。
場所場所で三竜のいずれかが簡単にその説明してくれた。
事実上、この日から故宮だった場所が「古宮」に変わった。
そして、別の観点から彼はこの周辺の古代遺跡に興味が湧いてきた
──この古宮を含む遺跡の歴史と技術について。
ただ、ここで知った事実に関する山のような謎や疑問について、彼はあえて今踏み込まないことにした。
これから一人で整理し、精査・確認しなければならないことがあまりに多い。
それにはかなりの時間がかかるだろう。
そして、今のエイスにとって、これは最優先事項ではない。
インバルに着いてから、時間をかけてじっくり考えることにした。
エイスはこの世界について、まだあまりに無知だ。
それは戦乱の中にいたアルスも同じ。
アルスとともに普通の生活を送りながら、人々とその社会について先に学ばなければならない。
竜たちには悪いが、この古代遺跡や聖龍人については、とりあえず後回しにすることに決めた。
**
アムルカがエブラムの棲む遺跡に戻ってくるまでに四時間近くを要した。
この時間経過から、エブラムはエイスが聖龍人だと確信した。
尤も、エミーナの輝きを見た時からエブラムはそうではないかと疑っていた。
この日の彼らの役目はエイスに太刀を引き渡すこと。
エブラムとの話を終えると、さっさと帰路に就いた。
三竜たちがエブラムのところに戻ってきた。
エイスがエブラムと話すと、エブラムの話し方が妙に丁寧になっている。
エブラムはこの島の守護竜。
ここ三十世紀ほどの島の事情についてはエブラムが最も詳しい。
エブラムは聖竜ではないが、この島については誰よりも詳しい。
「この島の古代遺跡や歴史についての本や資料等はあるのか?」
「基本的にはありません。
ただ、随分前にミビルガンナ・オル・キドロンがここにやって来て、何やら調べておりました。
その時に、どうしても記録に残しておきたい史実があると言っておりました。
それで、その許可がほしいと」
「それは大聖守術師と呼ばれるミビルガンナ・オル・キドロンのことか?」
「そう呼ばれておりましたな。
やつがいろいろとまとめているかもしれません」
このミシリアン島の東部は進入禁止のマル秘扱いの場所。
ミビルガンナはアムルカとともにここにやって来た。
この古代遺跡の存在を知る数少ない人物の一人だった。
アムルカがミビルガンナに部分的な史実の記録を残すことを許可したのだ。
それについてはアムルカ自身が認めた。
「それは好都合だ。
インバルに行ったら、その資料を探してみることにしよう」
すると、アムルカがその資料の保管場所に案内するとエイスに言ってきた。
アムルカはエイスをインバルに送る気らしく、その際にそこに降りるとのこと。
インバルは首都。当然、都会だ。
いきなりエブラムが現れると市街が大騒ぎになる。
また、大型飛竜は着地場所が問題になる。
重量の問題だけではなく、巨大な翼から生じる風の問題だ。
その点、アムルカならステルス飛行できるうえに、ほぼ無風で着地できる。
都心に向かうには適役である。
ただ、どうしたところで着地した後は多少の騒ぎにはなるだろう。
アムルカはオペル三神龍の一翼。竜族の最上位格竜。
街中で姿を現せば、それになりの騒ぎにはなるだろう。
*
そこから、話はエイスのインバルでの生活に移った。
エミーナは、エイスが大聖殿に務めているものと考えていた。
だが、エイスの事情を聞く限り、少なくともそれはなさそうだと気づいた。
「エイス様、インバルではどのようなお仕事に就かれるのでしょうか?」
「おれの仕事?
それについてはイストアールが研究職を紹介してくれた。
これからその面接と試験を受ける」
「研究職でございますか……。
どのような職務なのでしょうか?」
「それはおれも現地で詳細を聞かないことには何とも言えない。
そこ以外だと、大聖殿の神官たちから距離をとるのが難しくなるらしい。
かと言って、どこかの居住地に引きこもる気もないしな。
もう既にエンリカとヨニュマをつけられているから、インバルに入ればすぐに報告されるだろう」
エミーナはエイスの言動が慎重な理由を改めて痛感した。
エンリカとヨニュマの二人に悪意はない。
それでも二人は大聖殿に務める身。
インバルに入れば、真っ先に大聖殿へと向かい、この旅の報告を行うはずだ。
「仕事内容については医療系かもしれない。
まぁ普通に考えればそうだろう。
とりあえずイストアールの紹介だし、彼とシルバニアに任せた。
そうは言っても、仕事内容が気に入らなければ、別の仕事を探すことになるかもしれない」
ただ、エイスは仕事に関してはあまり心配していなかった。
この短い旅を通して、彼は自らの医術がかなり高次元であることを自覚した。
仕事に困るようなことはないはずだ。
エイスらは明日もう一日だけ島内を観光してからインバルへ赴く。
明日には閉鎖されていた島の西側の湖岸道も通れるようになる。
その道から島の北側の観光スポットに向かう予定だ。
この数日の予定について話していると、エイスの目の前に銀色のリングが浮かびながら移動してきた。
こういう超電磁気的な術技はアムルカの仕業だ。
「エイス様、そのリングをお受け取りください」
「このリングを?」
彼はそれを指でつまみ上げて、興味深そうに眺める。
リングには刻印や溝が彫られていて、なかなかお洒落だ。
そこに刻まれているのは初めて見る言語の文字。
シルバーのファッションリングのようにも見えるが、それはたまたまだろう。
未知の金属も含まれ、非常に特殊な製法で作られたもののようだ。
「そのリングをつけておられましたら、いくつかの防御術を発動できます。
それから、リングを介しての念話でいつでもルミアスとサリアスと話すことができます」
エイスにとって、「防御術」はまだまだ未知の領域。
身体強化術や
彼はその術領域に興味を持っていた。
ただ、銀華竜との念話については用途が不明だ。
「ルミアスとサリアスと話せるとは?」
ルミアスがそれに答える。
「なにかご用がございましたら、私かサリアスをいつでもお呼びください。
我らは超高速飛行できますので、インバルまで二十分で到着いたします」
飛行速度に関しては、竜族中でもこの二竜が最速とのこと。
どうやら念話でこの二竜を呼ぶことができるらしい。
それはエイスにとって非常に便利で都合の良いことだが、二竜には迷惑な話。
「なにかあれば、乗せてくれるのか?
それはルミアスとサリアスに悪い気がするんだが」
「何なりとお申しつけくださいませ」
馬車や船は何しろ時間がかかる
──それは必ずしも悪いことばかりではないのだが。
そうは言っても、緊急時には銀華竜が来てくれるのはやはりありがたい。
これについては断る理由もない。
それを気にするのなら、二竜を呼び出さなければいいだけのこと。
エイスは早速リングを左手の中指にはめてみた。
やや大きめだったリングが徐々に小さくなり、指にピッタリのサイズになった。
さらにリングから透明化術が発動され、リングが見えなくなった。
彼はその機能に感心させられた。
それから、エイスはさらに二時間ほど竜たちと話した。
エミーナはこの日に聞いた話を口外しないように厳重に注意された。
それは家族であっても同様だ。
特にエイスが聖龍人であることは極秘にするように、竜たちから何度も念押しされた。あまりに何度もエミーナにその事を念押ししていると、今度はエイスが竜たちに念押しし始めた。
──ここ以外では、彼は「(半)
彼はそれを失念しないように三竜に繰り返し注意した。
そのエイスと竜たちの話を聞きながら、エミーナはいつの間にか微笑んでいる自分に気づいた。
エイスとのこの一日は、自分だけが知ることを許された史実と秘密。
そして、「エイスの巫女」と伝えられた時の感動は、彼女にとって何物にも代えがたい幸福感を与えてくれた。
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