17 交渉カード


 四時間ほど睡眠をとったエイスがサロース邸のリビングに現れた。

 丘上の会議に参加しなかったエンリカとヨニュマは既に十分な睡眠をとっていた。

 ギロンドとエミーナはまだ眠っている。


 結局、島の管理局は通常の観光船の運航を停止した。

 この事態が解決するまで定期船の運航は停止されるとのことだ。

 状況的にも、エイスたちはインバルに向かうどころではなくなっていた。


 ミサーナが用意してくれた食事をとりながら、エイスは四人で話した。

 すると、突然にエンリカとヨニュマの二人が頭を深く下げて謝りだした。

 エイスのことを勝手に冠守人ロランと思い込み、これまで会話の時にもそう話していたからだ。

 (半)龍人ラフィルとは知らずに、無礼を働いてしまったと考えたようだ。


「あぁ、そんなことか。

 別に謝らなくてもいいし、気にもしなくていい。

 おれが守人耳にしているのも原因だろうしな」


 エイスはそう話して、半龍人の耳に戻した。

 すると、今度はミサーナがそれに仰天する。

 彼女はこの場で初めて、彼が(半)龍人ラフィルと気づいた。

 すると、今度はミサーナがペコペコしながら詫び始めた。

 さすがにエイスも苦笑しながら、エンリカとヨニュマの二人に言ったのと同じ話をした。


        *


 エイスはミサーナに入れてもらったお茶を飲みながら、彼女の質問に答える。

 エンリカとヨニュマも丘の上で何が話し合われたかが気になっていたようだ。

 二人も真剣な表情で話を聞いている。

 エイスはその概要を数分にまとめ、現状を伝えた。


「そうなのでございますか。

 それでは本土からの増援を主力にオトラバスの駆除を行うことになるのですね。

 上手く運ぶといいのですが──」


 彼女は一刻も早く、この問題が解決し、普通の生活に戻りたいと切に願っている。

 エンリカとヨニュマもミサーナと同じ思いのようだ。

 二人は本当に生真面目な守人である。


「そうだな。そうなるといいな」


 エイスはやや素っ気なくそう応じた。

 ミサーナはそのニュアンスが気になった。


「上手く運ばない可能性があるでしょうか?」

「うーん、そうだな……。

 それはギロンドにでも訊いてみるといい」


 ミサーナはそのエイスの言い方がまたまた気になった。

 そう返されると余計に気になるのだろう。


「エイス様!! 本当のことを教えてくださいませんか」


 エイスは明らかに答えたくない様子だ。

 エンリカとヨニュマは何となくだがエイスの性格が分かりだしていた。

 彼は適当に誤魔化したりせずに、話したくない時はそう伝えてくる。


「どうせ数時間後には分かることだ。

 当事者から聞いた方がよくないか?」

「エイス様、お教えくださいませ」


 そのミサーナの圧力にエイスは困り顔になり、しばし考えていた。


「そうだな……。

 まぁ、どうせすぐに分かることだしな」


 エイスはそう話してから、少し間を置いた。


「本土の竜族への支援要請は上手く運ばないだろう。

 竜系人ヴァラオの方も基本的に同じだ」


 これにミサーナは驚き、動揺する。

 まさか全否定されるとは思っていなかったのだ。


「エ、エイス様……。どうしてそう思われるのでございますか?

 オペル湖周辺地では古より互いに支援し合ってきた歴史がございます」

「ミサーナまで……どうしたんだ?

 だからこそ、断られるんだ」

「はぁっ!?

 申し訳ございませんが、その本意を理解いたしかねます」


 ミサーナらしからぬ強い口調だ。


「ミサーナ、そう興奮するな。

 これはごくごく簡単な話だ。

 このミシリアン島は『オトラバスの完全駆除』を選択しなかった。

 エブラムも、龍人も、島民も、島の被害を最小限に抑えることを最優先にした」

「そ、それのどこに問題があるのでございますか?

 当然のことでございます」

「それでは、本土のオペル湖周辺地域は自衛に注力せざるをえない」

「えっ?」

「この島の民は殲滅を目標にしていない。

 それはイコール、オトラバスの群れを本土に向けることを意味する。

 災いを押し付けようとしている者を誰が助けるんだ?

 しかも、この交渉相手は竜族だ。

 本土側では竜族を中心にこれからその対策を練ることになるんだぞ。

 連中は島と本土を必ず天秤にかける」


「「「あっ!!」」」


 困っている他の地域を相互支援する。それが古からのオペル湖周辺域の慣わしだ。

 今回のケースでは、島民は島の環境と社会・経済の保全に全力を尽くす。

 ギアヌスたちはそれを最優先にして竜族と交渉しているはずだ。

 だが、そのために島の災厄を島外へ振り向けることを選択した。

 交渉相手は竜族。島民とは異なり、全体主義的な観点に立つ。

 竜族に感情論は通用しない。オペル湖周辺全域の保全を最優先にする。

 その竜族と交渉する際には、同レベルの合理性が求められる。

 エイスはそう予想していた。

 不思議なことに、彼には上位竜たちの意思決定のロジックを想定できていた。


 それに気づいたミサーナは頭を抱えた。


「なんてことなの……。

 竜様方からすれば、この島で群れが休んでいる今こそが完全駆除の好機。

 小さな島一つの犠牲で済むのなら……。

 竜様方と同じ立場なら、私でもそう考えるわ。

 あぁー、なぜみんなこんな簡単なことに気づかなかったのかしら」


 エイスは、ギアヌスらがこれに全く気づいていなかったとは思っていない。

 彼は遠回しにそう助言し、警告もした。

 だが、龍人二人は島と島民の未来を慮り、あえてそこから目を逸らしたのかもしれないのだ。


 エンリカは別の点が気になり、エイスに質問する。


「これは初動を誤ると、取り返しがつかなくなりませんか。

 最初にその支援要請をしますと、後から『完全駆除に方針転換しました』とはもう言えないように思います。

 それこそ信用を失うように思いますが?」

「それはそうだろう。

 おれからも一応助け舟を出したが、乗ってこなかったくらいだ。

 ギアヌスも後で自分から前言を撤回したりはしないさ。

 まぁ、それでも竜族から強制されたら、方針転換するしかないんだがな」

「助け舟でございますか?」

「ああ、デュカリオなら殲滅も可能かもしれない、とは話した。

 あの巨体だから、最大火力での攻撃なら島の1/4近くを焼失させるだろう。

 だが、実際にそうなるか、ならないか。それは重要ではないんだ。

 オペル湖周辺全域のためにそうする覚悟があると伝えないことには、他からの協力を得られないからな」

「それでどうなったのでございますか?」

「いや、一蹴された。

 おそらくそれを竜族との交渉カードにはしたくはなかったのだろう。

 そのカードは使い所を誤れば、墓穴を掘ることにもなりかねないからな。

 おれは部外者だから、それ以上強くは言えなかった」


 ミサーナはその話を聞いて頭を垂れた。

 それから、彼女はこの島と島民の意識の問題について話しだした。

 ここは古代遺跡がその当時のまま残る特別な島。

 そして、世界最高の観光地の一つ。

 心のどこかで、竜族の理解と全面支援を期待していたのではないか、と。


「それでも支援してよい。

 そう言ってくださる竜様がおいでになれば……」

「まぁー普通はいないだろう。

 竜族に島民の社会や経済は関係ない。

 もしかしたら、ものすごくお人好しな竜がいるかもしれないが、それでも無条件ではないだろうな」

「それは……、オトラバスの群れの殲滅でございますか?」

「まぁ、そうなるだろうな。

 それを前提にするなら協力してくれる竜もいるかもしれない。

 ただ、それを実現可能な作戦を示せれば

 ──そういう条件付きになるだろう」


 それを聞いて、ミサーナの目が虚ろになった。

 それは、あまりに高いハードル。

 この島にとって、それは途轍もなく高いハードルだ。



        *


 ミサーナはすっかり気落ちした様子だ。

 それでも彼女はダイニングテーブルの椅子の座ったまま、懸命に何かを考えている。


 エイスはリビングのソファーに座って、目を閉じている。

 この状態のエイスは謎だ。

 俯瞰視で島の状況を探っているかもしれない。アルスと会話しているかもしれない。シミュレータで実験中かもしれない。少なくとも眠ってはいないが──。



 そこに、丘の上の会議に同行していたエミーナが起きてきた。

 まだ少し眠そうな顔だ。

 エイスが既に起きているのを見て、彼女は我に返った。

 慌てて身支度を整えに別室に向かった。


 ダイニングへと戻ってきたエミーナはパンと果物類を持って、母の前に座った。

 元気のない様子の母と静かに話しだした。


 しばらくしてから、突然、エミーナがダイニングテーブルの席で立ち上がった。

 母から先ほどの話を聞いたのだろう。

 エミーナは今朝の話し合いのその場にいたのだ。

 遅まきながら、彼女も事態の緊急性に気づいたようだ。


 エミーナはエイスと話そうとダイニングテーブルから離れた。

 それと同時に、室内にエイスの声が響く。


「エブラムが八分で戻ってくるぞ。

 ギアヌスとデューサも一緒だ。

 ギロンドを起こした方がいい」


 その声にエミーナの足がピタリと止まった。

 今度はミサーナが立ち上がり、寝室へと駆けていった。


 その後ろ姿を見送ったエミーナがエイスの座るソファーに静かにやってきた。

 彼女はゆっくりとエイスの隣に座った。

 エンリカとヨニュマの二人がそこに座ることはない。

 だが、彼女は静かに歩いてきて自然にそこに座った。


「島はこれからどうなるのでしょうか」

「お人好しで世話焼きな竜がいることを願うしかないだろう。

 ──ただ、もしいれば、相当な善竜だ」


 エミーナもそれは理解した。

 支援竜の望みは薄い。それが薄氷の次元の薄さであろうことも。


 そこにギロンドが着替えながら現れた。

 お洒落で颯爽とした服装のギロンドが慌てふためきながら靴下を履く姿は、なかなかに愉快だ。

 リスミルも出てきて、馬車の準備等を指示する。

 急いで出かける準備をしていたギロンドらにエイスが声をかけた。


「ギロンド、そう慌てなくともいいようだ。

 どういうわけか、エブラムはここに向かってきている。

 二分後に到着する」

「こ、ここに……ですか?」


 どうやら東の森でも、丘でもなく、一直線にこちらに向かってきているようだ。

 ギロンドは何があってもいいように、とにかく急いで身支度を整えていく。

 ウロウロと歩き回るギロンドに聞こえるようにエイスが話す。


「着地するのはおそらくこの家から150mほど離れた広場だろう」


 一分後、ズォンッという静かな音が外から聞こえ、床が微かに揺れた。

 双竜エブラムに気づいた近所の住人たちが家から出てきて、挨拶に向かう。

 エブラムの背から降りた龍人二人が集まってくる住人たちを横目にサロース邸へ駆けていく。


        *


 二人の龍人はサロース邸内をよく知っているようで、リスミルに声をかけながら、勝手に邸内に入っていった。

 そして、二人はそのままリビングに駆け込んできた。


「父上、大父!!

 話は上手く進みましたか?」

「デュカリオ様がお怒りになられて、話はそれでまでだった。

 他は……どれも似たようなものだ。

 ギロンド、それよりもオトラバスの群れの完全駆除策が必要だ。

 すぐに島の要人全員を丘に集めろ‼

 3時半までにその策を用意できなければ、大変なことになる」

「はぁ!? 3、3時半までに完全駆除策ですか

 ──では、支援は来ないのですか?」


 ギロンドは二人の様子から竜族との交渉が不調に終わったことを察した。

 だが、寝起きの彼にはその経過や理由の見当がつかなかった。

 ギアヌスは近くに住む要人たちを至急ここに集めるようにギロンドに話した。

 とりあえずエブラムに乗せてもらう段取りのようだ。


 ミサーナとエミーナはその話を聞いて、目を閉じて考え込んでいる。

 エンリカとヨニュマはリビングの隅の椅子に移動して、いかにもな部外者オーラを発している。


 ギロンドとギアヌスはそれから二分ほど大声で喚き合っていた。

 ギロンドは何しろ寝起きだ。

 状況は分かっても、その事情が全く飲み込めない。

 疲れから熟睡していたのだろう。自慢の並列思考にもキレがない。


 それでもギロンドは近所の要人たちの家へと向かった。

 彼の足なら10分ほどで全て回れるはずだ。


 ギアヌスが何かを思い出したようにキョロキョロと周囲を見回す。


「ところで……エイス殿はどこだ?」


 エイスの姿が見えないため、ミサーナにそう尋ねた。


「あらっ!?

 先ほどまでそこに座っておられたのですが」


 エンリカとヨニュマの二人はエイスが隣室から庭に出ていく姿を目撃していた。

 どうやらこの事態も予想していたようだ。庭にも既に彼の姿はなかった。

 どうやら絶妙なタイミングで邸内から姿を消したようだ。



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