16 半龍の制約


 早朝にもかかわらず、東の小湖近くの丘には六台の馬車が停車していた。

 丘の崖下には双竜エブラムが立ち、その二つの首の途中から上だけが見える。

 双竜を囲むようにして島民たちが並び、既に一時間以上も話し合いが続いていた。


 エイスとエミーナはそこから少し後方に座り、その話し合いを静観していた。

 エンリカとヨニュマの二人は、馬車の定員の都合で連れてきてもらえなかった。


『エイス、おまえができることはもうないだろう』

『ああ、基本的にない。

  解剖後に話した感じだと、島民には本気で完全駆除する気はないようだしな。

  オトラバスの群れを撃退するだけなら、現状の方向で間違っていないはずだ。

  火災を回避しつつ、あの未来視のシーンと大差ない結果が得られるだろう』


 エイスはそう軽く話したが、その結果には天地ほどの差がある。

 未来視のシーンとほぼ同数を駆除し、島を大火災から救うことになるからだ。


『結局、あの予示を変えたことになるわけだな。

  これでこの島はあの大火災を回避できるわけか』

『今のところは……だな』

『へっ?』

『結果的におれがそう促したのは事実だ。

  だが、あの未来視を本当の意味で回避できるかどうかは分からない』

『おおぃ!? またそんなことを……。

  あっ、あぁっ……。そうか。

  絶対にないとはまだ言い切れないのか。

  これは未来の出来事だからな』

『そういうことだ。

  おれは未来の軸をほんの少しずらしたにすぎない。

  本来なら、今日か明日にあの未来視のシーンが起こるはずだった。

  単にそこだけが変わったにすぎない』

『──とすると、ここから先が予測不能になっただけのことか。

  その反動で別のなにかが起こるかもしれないしな』

『その通りだ。

  ここから先は予断を許さない状況になるだろう』

『そうなるとだ……。

  おまえはもうこれ以上関与しない方がいいな。

  もう現場には近寄るな』

『わかっているさ。

  おれが(半)龍人ラフィルとしてできることは限られる。

  それに、仮にその制約がなかったとしても、正直この状況は手に余る』


 観光客のエイスが(半)龍人ラフィルとしてできることには限りがある。

 アルスは不測の事態によってエイスの身分偽装がバレることを危惧しているのだ。

 加えて、エンリカとヨニュマが従者として側にいる以上、この旅での言動は全て聖殿にも筒抜けになる。この点には細心の注意を払わなければならない。



        *


 丘の上の話し合いを主導するのは、ギロンド、ギアヌス、それに獣人族長と守人族長の四人。昨晩からの経過も踏まえて、四人はオトラバスへの攻撃を武器攻撃と電撃主体に変更するとエブラムに伝えた。


 双竜は強力な広範囲灼熱火炎のブレスを持つ。

 エブラムは双首。電撃も吹けるのだが、主力はやはり火炎攻撃。

 エブラムからすると、大型とは言え、たかだか昆虫の集団に火炎攻撃の有効性を否定されるのは面白くなかった。

 もちろん、エブラムもオトラバスの群れの数が数だけに、自分だけでどうにかできる状況ではないことは分かっている。そして誰よりも火炎攻撃の弱点を知っている。


 エブラムも目前に置かれた大型オトラバスの死骸を見ると、「たかだか昆虫」とも言えなかった。その進化にはさすがに驚かされた。

 昨晩に調査しないまま、火炎攻撃主体の作戦を実行していれば、確実に失敗していただろう。それは明らかだ。

 島民たちもその点を踏まえて、確実に数を削っていく武器攻撃と電撃主体の攻略に変更したわけだ。

 ──それはエイスの入れ知恵なのだが。


「島の将来を考えれば、攻撃方法を切り替えるのは、良い判断だろう」


 エブラムは三十世紀以上を生きてきた竜である。

 自らの思いや考えは脇に置いて、客観的な判断からそう語った。

 そして、さらにこう続けた。


「だが、広範囲の電撃を使える者は少ない。

 それは竜族でも同様だ。

 あの数を相手にするとなれば、雷竜を呼んでくるしかあるまい」


 さすがは双竜エブラム。話が早い。

 その場にいた誰もがそう思った。

 ギアヌスも説得の手間が省けて少し安堵したようだ。


「仰せの通りです。

 エブラム様にそこをお願いしなければなりません」

「ただ、雷竜はそもそも数が少ないからのぉ。

 ふぅーむ……

 まぁー話してみるしかなかろう」

「私とデューサもお連れください。

 そのオトラバスの死骸を持っていって説明いたします」

「おぉー、それは助かる。

 この件は説明が厄介だ。

 そうしてくれるなら話が進めやすい。

 ──ただ、時間がない。数は限られるぞ」

「承知しております。

 急いで出立ついたしましょう。

 それから、可能であれば、竜系人ヴァラオのところにもお寄りいただけませんか?」


 エブラムの右頭の目がギロリとギアヌスを睨みつけた。


竜系人ヴァラオか。

 飛行能力があって、空中でも雷撃と電撃を使えるが……。

 まぁ、寄ってもよいが、あいつらは協力的ではないぞ。

 それに……分かっておるだろうが、やつらは龍人族を良く思っておらんぞ」

「分かっております。

 ダメなら諦めます」

「そうか……。それならよい」


 エイスは雷竜についてよく知らなかった。

 エミーナに尋ねると、オペル湖周辺に棲む固有種の竜とは教えてくれた。

 ただ、彼女も話として知っている程度で、実際に見たことがあるわけではない。


 二人が雷竜について話していると、エブラムが急に話しかけてきた。


「おい、エイスよ。

 おまえはまた守人の耳にしているのか。

 それにしていると何か良いことであるのか?」


 これはまた、いきなりなご挨拶だ。

 エイスも苦笑するしかなかった。


「ほとんど習慣だ。

 目立たないようにしているだけだ」

「そう言えば、気配の消し方も変えたようだな……。

 (半)龍人ラフィルとは分からなくなったぞ」

「そうか……。昨日少し変えたからな。

 それはよかった」


 その場にいる多くの者はエイスを守人と思っていた。

 何人かがかなり驚いている。


「それで、お前の展望はどう変わった?」

「対オトラバスのか?」

「そうだ」


 抜け目なく、オマケ的に訊いてくるところがいかにもエブラムらしい。

 どうやら変更案に100%賛成というわけではないようだ。


「そうだな……。

 重要になるのは、基本戦術よりも作戦だ。

 それ次第だろう」

「ほぉー。おまえはまだ作戦がないと言っているのか?」

「あるのか?」


 喰えない古竜だ。

 どうやら分かったうえで言っているようだ。

 エイスはそれを逆に問い質した。


 フフン!! ──エブラムは鼻で笑った。


「面子が揃っていない状態で作戦もないものだろう」

「いや、面子もそうだが、それ以前に必要な前提条件をどう満たすかだ。

 そここそが戦略の要だ」

「前提条件だと……」


 このエイスとエブラムのやり取りはその場にいる者に対する問いかけでもあった。

 エブラムもそう問われて、何らかの見落としがないか、再確認する。

 エブラムより先に横からギアヌスがエイスに質問する。


「作戦の前提条件とはどういう意味なのだ?」

「そのままの意味なんだが……」

「悪いが見当がつかない。

 説明をもう少ししてくれんか」 


「そうか。漠然とした話過ぎるかもしれないな。

 ──では簡単に話そう。

 このオトラバスは昆虫としてはかなり強いが、能力とか、毒とかの強さではない」


 飛行能力的には侮れない昆虫だが、突出した攻撃力を持つわけではない。


「数が少なければ、対処はそれほど難しくない」


 なにを当たり前の話をしている

 ──といったエムブラムの表情だ。


「それで?」

「簡単なことだ。

 これは数の脅威との戦いだ。

 そして、こちらはその数の脅威に対する策が必要だ」


 エブラムとギアヌスはそう改めて言われて、ようやく再認識したようだ。

 それはあまりにも単純かつ原始的なレベルの指摘だった。


「おおっ‼ そういう話か……。

 確かにそうだな。

 一番肝心なことを忘れておったわい」

「エブラム様、ただ、そうは申しましても、数の脅威への対策は、やはり数でございましょう」

「そうだ。

 だが、エイスが問うているのは、その大前提だ」

「そういうことだ。

 数の脅威と暴威に対する基本策は限られている。

 最も簡単な基本策は、それを上回る戦力の投入。

 それを上回る数で相手を圧し潰すこと。

 それができない場合は、よほど強力な手駒を持つか、奇策が必要になる。

 おまえたちはそのどれを選択するつもりだ?」


 それはあまりにも低次元な質問。

 だが、そこが捨て置かれている。彼はそう話したのだ。

 ギアヌスも話の要所を押さえたようだ。


「そういうことか……。

 数の脅威には数で対抗するのが基本だ。

 そうは言ったものの、島の戦力は限られておる。

 我らの選択は、数を諦めて、その実は『強力な手駒に頼る』。

 そうなると、その手駒を揃えるのが基本策ということか」

「そういうことになる。

 ただ、それは非常に難しい選択になるぞ」


 ここでエブラムもこの話に加わってくる。


「それはそうだのぉ。

 結局のところ、わしらがオトラバスの数を潰せる戦力を揃えなければならないことになる。

 それは相当に高い次元の要求だ」


「いや、それだけでは十分ではない」

「なに? それでは足りないとな……。

 竜族の増援だけでは不足と言うのか」

「戦力の過不足ではなく、それだけでは無理ということだ。

 少数であっても強力な手駒を加えられれば、勝つことはできるだろう。

 残念だが、これは勝ち負けの戦いではない。そこが問題なんだ。

 その作戦なら、打ち破れはするだろうが、完全駆除はできない」


「──おおっ、そうだ。そういう話だった。

 島からは追い払えるが、殲滅はできない。

 群れの一部は生き残る。

 そういう結果になる、と」


 その要点を再確認し、そこにいる島民たちは安堵の表情を浮かべた。

 この島での対処は不可能。一部のオトラバスを対岸に逃がすことも止む無し。

 島長ギロンドを含め、島民たちはそもそもそれでよしと考えていた。

 最大限の努力はするが、島内での殲滅は無理だと考えている。

 結局、島民たちの考えは昨日からまるで変わっていなかった。

 一方で、エイスだけは完全駆除を目指した作戦について話している。


「痛いところを突いてきおるな……。

 だが、この大群を殲滅できるものか?」

「それだけを目的にするなら、方法はいくらでもあるはずだ」


 そう話すエイスの口元が微笑む。


「いくらでも……だと。

 そんな手があるのか?」

「これは推察でしかないが……

 例えば、デュカリオの火炎攻撃なら初撃で島の1/4くらいを猛熱で焼けないか?

 上手く奇襲できれば、オトラバスの群れを殲滅できるかもしれない。

 たとえ撃ち漏らしが出たとしても、追撃して殲滅可能な程度の数まで減らせるかもしれない」


「「「「「「「「「「えっ!?」」」」」」」」」」


 それはその場にいる者にとって、想定外の例え話だった。

 エブラムの四つの目が見開いた。


「おまえのことだ。その意味を分かって話しているのだろう……。

 確かにそれはそうだ。

 だが、デュカリオ様の火炎攻撃で群れを殲滅できても、島は大火災になる。

 最低でも島の半分が焼失するぞ。

 ──いや全焼するかもしれん」

「おそらくそうなるだろう。

 だが、殲滅を大前提にした策にはなる」


 当然だが、この場にいる者たちのほとんどがこれに猛反対した。

 それはそうだろう。

 それでは島のほとんどを失うことになるからだ。

 町の存続さえ危ういだろう。


 エイスは単にそれを殲滅策の一例として話しただけだ。

 だが、島民にとってはそれは事実上の禁じ手だったようだ。

 結局のところ、ギアヌスも島全体を引き換えにしてまでオトラバスの群れを殲滅するつもりはないようだ。


「我らはできる限りの対処はする。

 だが、一万二千匹全ての殲滅は無理だ。

 その駆除のために島の全てを失うわけにはいかない。

 対岸から協力を得て、できる範囲の仕事をするだけだ」

「そうか。

 おれは検討すべき一案の例を挙げただけのことだ。

 検討の余地がないというなら、それでいいのではないかな。

 ──ただ、それでは苦労することになるぞ」

「苦労!?

 それはどんな苦労なのだ?」

「いや、それはいい。

 行けば分かるさ」


 エイスはそれ以上何も話さなかった。

 それ以上は彼の立場で話すことではない。そう判断したのだ。


 その場での話し合いは間もなく終了し、竜族の支援を得るため、エブラムと龍人二人は本土へと飛び立った。



        *


 一時間後、エイスはサロース邸へと戻った。

 だが、ファミル行きの帆船にはもう間に合わなかった。

 仮に発船時刻に間に合っていたとしても、切符は買えなかっただろう。

 オトラバス駆除作戦に向け、観光船が運航停止になりそうだからだ。

 観光客が一斉にその切符に殺到していた。

 港では切符待ちの行列までできている。

 結局、三人はサロース邸に延泊することになった。


 エイスはギロンドとエミーナに緊急事態用の防磁マント(防護マント)の有無について尋ねた。

 この防磁マントは、軽度の電撃や火炎攻撃から身を守るためのもの。

 緊急事態用とは名ばかりで、実質的には対ケイロン用の防護マントだ。

 高身長の獣人でも全身をすっぽりと覆い隠せるほどの大きさがある。

 コンフィオルでは各家庭の常備品だったので、島民の家庭にも標準配布されているかどうかを確認したのだ。

 結果、それはミクリアム神聖国の標準配備品。

 島民全員に対して配布されていた。


 エイスはエミーナに防護マントを出してもらい、その材質を調べ始めた。


『エイス、なんで防磁マントなんて調べてるんだ?』

『万が一に備えてだ』

『オトラバス相手にか?

  あいつら相手に防磁マントなんて必要ないだろう。

  それに、そのマントはその場に広げて下に隠れるやつだぞ』

『いや、これは万が一に備えて材質を調べているだけだ。

  それ以上でもそれ以下でもない』

『そうか。それならいいが……。

  分かっていると思うが、おまえはこれ以上深い入りするなよ』

『分かってる』

『そんな作業は明日にして、おまえはさっさと休め。

  島に着いてからほとんど寝ていないだろう』

『ああ、おれもさすがに疲れた。

  悪いがこれから寝させてもらうよ』


 島に到着してからここまで、エイスは一時間の仮眠をとっただけだ。

 この島に彼が到着したのは昨日のこと。それから長い長い一日を過ごした。

 作業を終え、部屋に戻ったエイスはようやく静かに寝ることができた。




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