18 竜族の駆け引き
ギロンドの邸宅から通り一つを隔てた一角に、公園のような広場がある。
そこでは、今本土から戻ってきたばかりの双竜が休憩している。
正しくは、龍人二人が島の要人たちを連れて戻るのを待っている。
双竜エブラムはこの島の守護竜。
ただ、エブラムがこの周辺に現れたことはこれまで一度もなかった。そのせいか、 広場にはいつの間にか周辺住民が囲むように集まり、双竜に祈りを捧げ始めた。
その住民たちの間を華麗にすり抜けながら、双竜に近づいていく男がいる。
──エイスだ。
『エブラム、あまり居心地が良くなさそうだな』
エブラムの頭にそう念話が響いた。
エイスは平伏している最前列の島民の後方に片膝をつき、目立たないようにしながら念話で話しかけた。
エブラムにとって、それは久しぶりの感覚。
右頭の目がエイスの姿を捉えた。
『エイス、……おまえか。
ギアヌスとデューサがおまえを迎えに行ったはずだが?』
『そうなのか?
まぁ……なら、予想通りだ。
面倒そうだったから、二人が到着する前に家を出てきた。
話の内容には想像がついたしな。先に一人で話しにきた。
おれに話があるんだろう?』
これにはエブラムも驚かされた。
昨日からの経過を踏まえると、この状況に至るまでの全てを彼は正確に読み切っていたようだ。
彼は昨日偶然ここに来た単なる観光客のはずなのに──。
『この念話を使うやつに久しぶりに会った。
ミビルガンナ以来だ』
『──ミビルガンナ?
あのインバル聖守術修学院の創設者のことか……。
知り合いだったのか』
『あぁ、よく知っておる』
ミビルガンナ・オル・キドロンはインバル聖守神学校の創設者。
エブラムはそのミビルガンナを知っていた。
『その様子だと、デュカリオのところに最初に行ったな。
楽観的過ぎるな、まったく。
──それとも、そこで時間稼ぎでもするつもりだったのか?』
なぜかエイスは最後に針でチクリと刺すようにそう尋ねた。
そのエイスの読みは、正に明察だった。
エブラムは周辺域の竜たちからの協力を広く得るために、最初にデュカリオのところへ向かったのだ。
竜族最上位格のデュカリオが協力的に動いてくれれば、多数の竜たちの助力を得られる。上手くいけばオトラバスの群れの殲滅も夢ではなかった。
──ただし、それは表の最善策だった。
それとは別に、エブラムは誰にも話していない腹案を持っていた。
その交渉の風向きが芳しくないようなら、エイスから得た情報等を最大限に活用して、デュカリオら古竜たちに慎重策も検討するように働きかける計画だった。
慎重策の検討とは言っても、実際にはそれは単なる時間稼ぎの方便にすぎない。
丸一日か最大でも二日ほど話し合いを引き延ばせれば、それで十分だった。
その間にオトラバスの群れが島外に向けて動きだす──そういう目論見だ。
群れさえいなくなれば、島は軽微な被害と後処理だけで済む。
それは本土側にとって最悪の事態だが、ミシリアン島にとっては最良の結果だ。
今オトラバスの群れは島で休息しているだけだ。
その再始動は間もなくのはず。時間の問題だ。
だが、本土の竜族は群れの現状まで正確に把握できているわけではない。
エブラムはその本土側の情報不足を利用する腹積もりだった。
実は、この問題の最も簡単な解決法は、単純に群れを追い払うこと。
駆除等について一切考えず、追い散らしてしまえばいい。
しかし、本土との関係上、さすがにそこまであからさまな行動はとれない。
そんなことをすれば、本土から完全に孤立してしまうことになる。
エブラムはそれでも問題ないが、島民は生活できなくなってしまう。
だからこそ群れが再び動き出すのを待つ
──そして、それは間違いなく近日中に起こる。
しばらく時間稼ぎができれば、この災厄は飛び去ってくれるのだ。
ところが、エイスはそのエブラムの腹案にも気づいている節がある。
(この男は一体どこまで見透かしておるのだ……)
だが、そのエブラムの企みも上手くは運ばなかった。
竜族自らがオトラバスの群れの殲滅に動きだしたのだ。
事の次第は以下のようなものだった。
持ち込んだオトラバスの死骸を調べた
ただ、これは不幸中の幸い。
ミシリアン島はオペル湖に浮かぶ小規模な島。隔絶された空間。
その小空間にその「未曽有の大災禍」の種が全て集まってくれているのだ。
それは、正に幸運。そして、好機!
そこで殲滅するしかない
──それがデュカリオと側近の竜たちの共通認識だった。
ところが、その島からやってきた守護竜と龍人は、島の環境と経済を最優先に考えていた。
島の戦力だけでは完全駆除は不可能。
島から逃げたオトラバスは本土側で対処してほしい。
あろうことか、いきなりそう話したのだ。
これでは双方の意見が嚙み合うわけがなかった。
それでも、エブラムだけは話し合いがいくら長引いても構わなかった。
──むしろ密かにそれを期待した。
だが、デュカリオは神龍。
さすがにいきなり激怒するようなことはなく、冷静に私案を話しだした。
デュカリオ自らが出向き、上空から群れを強襲して超広範囲灼熱火炎を吹く。
また、他に四竜を同行させて、四方からも同時攻撃し、上空には逃がさない。
この攻撃から逃れる個体がいても、百人の
奇襲からの全体攻撃
──三分で一万強を叩くと話した。
これはエイスの例示案に近いもの。
だが、それはさらに大がかりな殲滅策だった。
──ここでエブラムにも想定外の事態が起こった。
その話を聞き、興奮したデューサが真っ赤な顔でこう反論したのだ。
デュカリオの案では、島の山間部や緑地部だけでなく、町にまで被害が及ぶ。
歴史的にも、これまで一度として
そして、デューサはデュカリオの提案を拒絶した。
直後に、デュカリオ、そして周囲にいた竜たちが大激怒したのだ。
話し合いはそこで頓挫した。
エブラムの表裏の二重策は、このデューサの暴走により泡と消えた。
こうなると、もはやエブラムにどうこうできる状況ではなくなり、デュカリオらは一方的に条件を突きつけた。
──それなら今日中にオトラバスの群れを殲滅可能な別案を出せ、と。
それができないのなら、島民は財産を持って、明日の午前10時までに島から離れろ、と。11時からデュカリオらが殲滅行動に出る。
そして、以降、ミシリアン島は竜族の相互支援の慣わしから除外する、と。
それは、事実上の死刑宣告だった。
今さらそんな別案を数時間内に提示できるわけがない。
──明日午前、ミシリアン島はデュカリオらからの攻撃の中に沈む。
エブラムとギアヌスは状況を打開しようとそれからしばらく粘った。
だが、デュカリオらに取り付く島はなかった。
それを聞いたエイスは苦笑するしかなかった。
(交渉のカードを持たずに交渉しようとするからだ。
狙っていた時間稼ぎ策も、デューサの暴走に潰されたわけか)
エブラムは少し諦め気味だ。
今朝までの覇気が全く感じられない。
『エイスよ……。
お前は最初から言っていたな。
デュカリオ様の一撃が最善手だと。
これしかないのか?』
『おれはオペル湖周辺域の竜族のことを知らない。
だから、それが最善手かどうかは分からない。
──ただ、殲滅するのであれば、初撃が全てだ。
そして、その最適任者はやはりデュカリオだろう』
エブラムはそのエイスの話を理解しようと懸命に考える。
そして、自分では何が不足なのかも。
『包囲攻撃では何が不足する?』
『包囲攻撃では群れの中央と山側の大型個体が一斉に飛び上がる可能性が高い。
おまえの広範囲灼熱火炎では、初撃用には有効攻撃範囲が不足する。
この初撃で中央から山側の六千以上を倒すか、飛行不能にしないといけない。
欲を言えば、七千かそれ以上……。
そこに、四方からの包囲攻撃を開始する。
ただ、それでも上空に逃れるやつは出るだろう』
『──初撃で七千以上……か』
エイスは帆船で初めてデュカリオを見た際に、その体構造を既に解析していた。
それはエブラムも同様だ。
その解析結果から攻撃の種類や威力等も推算していた。
この説明でエブラムも作戦の基本イメージを捉えた。
『それで、おまえはデュカリオ様の一撃と言ったわけか……。
確かに、上空に逃げる数を減らすにはそれしかない』
『そうは言っても、デュカリオの初撃にも問題がある』
『どういう問題だ?』
『殲滅作戦の最終段階では、一体ずつ確実に死んでいることを確認すべきだ。
まだ生きているやつはとどめを刺す必要がある。
特に雌の個体は厳重に処分しないといけないだろう。
受精卵を持っているかもしれないから、完全焼却して灰にすべきだ。
竜族だけだと、そこまでの徹底した処分はおそらくできない。
──そうじゃないか?』
『おおっ……、そういうことか!
確かに、細かい詰めの作業は竜族には向かないのぉ。
なんだ……。それではデュカリオ様でも殲滅できないではないか』
その時、なぜかエブラムの表情が少し緩んだ。
デュカリオや古竜たちの一方的な応対に対して、エブラムも異論や不満がないわけではなかった。
『それはそうなんだが……。
デュカリオは頭も切れるんだろう?
財産まで持たせて島民を先に避難させるとなると、島全体を徹底的に焼く気かもしれないな』
『なにっ!?
デュカリオ様は島の全て焼き尽くすつもりなのか』
『おそらくそのつもりなんだろう。
一切躊躇せずに、島全体を燃やすつもりかもしれない』
デュカリオは最も単純な対処策を採るかもしれない
──島の全てを焼く尽くす。
『ただ、飛んで逃げる数が多いだろうし……
地上でも、守人族と獣人族の協力なしに殲滅は難しいだろう』
『全てを焼いてもか?』
『島全体が熔けるくらいまで火炎攻撃するなら、話は別だ。
ただ、それはさすがにデュカリオでも無理だろう。
そうでないなら、洞窟、穴、岩の割れ目、それに小川や水場に逃げ込むやつがいないとも限らない』
『虫どもも必死に逃げるだろうからのぉ。
そもそも火炎攻撃だけ殲滅はできんということか』
『だから、何度もそう言ってきたんだ』
『ああ、そうだったのぉ』
エブラムはエイスと話す間に、殲滅策についてかなりのアイデアを得た。
『エイスよ。お前はなぜそれをわざわざわしに伝えにきた?
ギアヌス、デューサ、あるいはギロンドにでも話した方が早いだろうに』
『だから、最初に言っただろう。
おれは観光客だから、表に出たくないんだ。
それにあの二人が竜たちに話したところで、もう相手にされない気がする。
おまえが考えたことにすれば、話も早いし、先に進むだろう?』
『わしはどんな交渉をすればいいんだ?』
『竜族だけでも万全ではない。
デュカリオの案でも二千かそれ以上を討ち漏らす可能性が高い。
だが、それなら島の守人族と獣人族との共同作戦でも大差ない。
初撃もおまえと複数の雷竜で強襲した方がいい。
そう話してみてはどうかな』
『それなら上手くいくのか?』
『どうだろう……。
とにかく、これは奇襲策とその初撃が全ての鍵を握る。
それ次第だ。
竜族の接近はどうやってもかなり早い段階で気づかれる』
『先に飛ばれると厄介極まりないからのぉ。
やつらの飛行能力は高過ぎる』
『今さらそれを嘆いてもどうしようもないだろう。
繰り返しになるが、これは勝ち負けの戦いではないんだ。
その高い飛行能力を持つ一万二千もの相手を殲滅しなければならない。
馬鹿げた次元の要求なんだ』
『ああ、全くだ』
今さらながら、エブラムはその超高レベルの要求に途方に暮れる。
それでも、エブラムはエイスの話に一応納得したようだった。
奇襲策と初撃に焦点を絞って、これから島民と話し合うと話した。
『ただ、もう時間がないんだろう?』
『──時間はない。
3時半に使者がやってくる。
そこでこちらの殲滅策が了承されなければ、本土の竜たちが明日動く』
『はぁ!? 3時半って……。すぐじゃないか。
それって……。あぁ、つまりは……そういうことか。
それで、島民の避難はどうするつもりなんだ?』
『島民は明日10時までに島を離れるように告げられただけだ。
11時から攻撃が始まる』
『避難用の船はあるのか?』
『遊覧船もある。
船はなんとかなるが、島民が持ち出せるのは手荷物だけになるだろう』
デュカリオの迅速かつ冷徹な決断に、エイスは逆の意味で唸らされた。
そこにアルスが突然話しかけてきた。
『おいっ! エイス、なにに気づいた。
教えろよ』
『デュカリオと竜たちが激怒したのは演技だ』
『はぁ、演技って!?
お、おいっ……それって、まさかデューサの暴走を利用したってことか?』
『そういう話だ。
デュカリオは相当頭が回るな。
島の使者たちとの話し合いをその演技で強引に打ち切ったんだ。
オトラバスの群れが先に動きだすのを警戒したんだろう』
『あぁーっ、そういうことか。
どう考えたって話し合いが決着するわけがない。
時間の無駄と踏んだわけか……。
ふはははっ、それっておれの嫌いなやつの頭の回り方だ……。
神龍のくせに、容赦ないな』
『おれもそう思う……。
ただ、狡猾だが的確だ。
今のままの群れが島外に飛びだしたら、対岸では打つ手がない。
それに一応エブラムと島民に最後の機会も与えている』
『そうは言ったって、デュカリオ以上の殲滅策なんて出せるのか』
『いや、出せない。
さっき話した案でも完全駆除は無理だ。
デュカリオ案と同等程度に仕上げるのが限界だろう。
それにデュカリオの案でも完全駆除は無理だ』
『だよなぁー。
それでも、それが合理的なら、躊躇なしに実行できるわけか。
──神龍様は賢いし、お優しいな!
これで、ミシリアン島は明日めでたく消し炭になるわけだ』
アルスは嫌味たっぷりにそう締めくくった。
エイスの俯瞰視がこちらに向かってくるギアヌスらを捉えた。
これからは東の丘では最後の話し合いが行われる。
もちろん、エイスはその話し合いに参加しない。
エイスは鉢合わせしないように、別の道からサロース邸へと戻っていった。
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