10 驚異の進化
エイスの食後二杯目の紅茶が空になろうとしていた。
無理矢理話を聞かされる形になったエイスたちだが、それでも島の状況と問題等についてその大筋は理解した。
ただ、そうは言っても、あくまで今ここで話を聞いただけ。
島に到着したばかりの四人にとってはやや巷説的で、現実感に薄かった。
それでもエイス以外の三人は真剣な面持ちだ。
ミクリアム神聖国の守人族にとって、それが憂慮すべき事態なのは間違いない。
ここは守人として協力的な言動が求められる。特にエンリカとヨニュマの二人はそう受けとめていた。
一方、エイスの心境は立場的に少し違っていた。
彼は観光目的でこの島にやってきた。
ここは初めて訪れた場所。エンリカとヨニュマ以外は初対面の人たちばかりだ。
島の危機であることは理解したが、エイスが口を挟むべきことではないように思えたのだ。
これはアルスも別の観点から同意見だった。
『この島には双竜と龍人がいるわけだろう。
おれたちが首を突っ込むような話ではないはずだ』
『まぁーそうなんだよなぁ。
それに、おれは責任を負えないことに口を挟みたくない』
『連中はおまえを
──それで、どうする?』
『どうするもなにもないだろう。
エミーナだって昨晩初めて話したんだぞ』
エイスはイストアールの用意してくれた高位神官の身分証を持つ。
だが、その実、彼もアルスもミクリアム神聖国の国民ではなかった。
ましてや、守人でもない。
エイスは公には(半)
龍人は原則的に中立。居住地周辺域外の諸事情には一切係わらない。
守人とは本質的に立場が異なるのだ。
また、転生してからの期間が短いうえに、龍人化の進むエイスには帰属意識も非常に希薄だ。竜族と龍人族はそもそも国境線とは無関係な存在なのである。
さらに予示のこともあり、エイスはいつも以上に慎重だ。
エイスとアルスはその未来視の状況に極力関わりたくなかった。
それにもかかわらず、同席する人たちはエイスを守人族の枠に含めて話している。
案の定、エイスはギロンドらから意見を求められた。
彼は単なる旅行者なのだが、そうも言えない流れだ。
「双竜エブラムと龍人がいるんだろう。
おれがとやかく口を挟むわけにもいかないはずだ。
それにおれはオトラバスを見たこともないんだ。
ここには観光に来ただけで、明日にはここを発つつもりだ」
このエイスの返答は、実は高位神官として非常に妥当なものだった。
聖殿の神官にとって、竜と龍人の意思決定はほぼ絶対的なもの。
エイスはたまたまそう答えただけなのだが、意外にも的を射たものだった。
現実的なド正論の返答だった。
ギロンドもいきなりそう言われてしまい、表情が曇る。
彼はその返答振りからエイスを
「そうなんです。
その通りなのですが……」
島民たちもそれは重々承知している。
双竜と龍人の考えに異を唱えるつもりはない。
だが、オトラバス対処のために湖岸線の農耕地まで焼くことになると、観光業と島民たちの生活に大きな影響が出てしまう。
その時、ここまで沈黙していたヨニュマがこう口にした。
「エイス様と同様に、私もオトラバスを見たことがございません。
後学のためにもオトラバスを見ることはできないでしょうか?」
何と真面目な性格の守人──。
医専志望の彼女は予想外に貪欲だった。
すると、獣人族長から思わぬ返答が聞けた。
「守人様、オトラバスの死骸でもよろしければ、馬車に三匹ほど積んでいます。
これからミサーナ様が解剖されることになっています」
獣人族長によると、警戒しているオトラバスは基本的に群れで移動する。
だが、湖岸近くの菜園にオトラバスが時々飛来してきているそうだ。
大群中では食べ物の争奪戦になるため、そこを一時的に離れる個体もいるのだ。
そういったはぐれモノ的なオトラバスは小型がほとんど。
このため、火炎や電撃で地上に落としやすい。
落としてしまえば、そのサイズの個体なら獣人たちが武器で倒すこともできる。
獣人族長はそこで入手した死骸を馬車の荷台に積んでいた。
*
それから十五分後に、エミーナの母ミサーナが戻ってきた。
エイスたちは少し話してから、ミサーナと一緒に別棟の医務室へ移動した。
ヨニュマがエイスのことを高次医術師とエミーナに伝えたことがその理由だ。
一宿の恩義もあり、検分作業を手伝うことになった。
医務室内のエイス、ミサーナ、エミーナの三人は上位医系術が使える。
ヨニュマはまだ医専志望生の身だが、基本医系術はそれなりに使えるようだ。
ギロンド、エンリカ、獣人族長は離れた位置から見学している。
「次の予定もありますので、さっさと始めましょう」
さすがにエミーナの母。そっくりのよく通る声で、明るく爽やかにそう話した。
これから狂暴な巨大昆虫を解剖するという緊張感を微塵も感じさせない。
*
ミサーナ主導で解体が進められていく。
エミーナが手慣れた様子でその補助をする。
最初に診察台の上に置かれたのは、体長60cm級の三体のオトラバス。
かなり若い個体のようだ。
いずれも頭部に穴が空いていて、それが致命傷だった。
獣人の弓攻撃により撃ち落とされたのだ。
頭部以外はわりと綺麗な状態。
ミサーナが
「これは凄いわね!!」
その翅は予想よりも特殊な構造をしていた。
翅は前翅が二枚、そして後翅が二枚。
折りたたまれた状態の後翅を広げていくと、その長さが二倍以上に伸びていく。
体長とほぼ同サイズの前翅を持っているのだが、飛行時には後翅の長さが倍以上になる。この個体は60cm級だが、広がった後翅の長さは130cm近くにも達していた。
「この翅の構造は素晴らしいわ。
前翅の方は強度もあって、加速したり、飛行姿勢を制御するのに使われるようね。
後翅は薄いけど、三重に折り畳まれていて、長く大きく広がるようになってるわ。
安定飛行状態に入ると、この軽い後翅が主に使われるのかしら。
これはすごく効率的ねぇ。ちょっと驚きだわ……。
後翅の強度は高くないけど、飛行効率が高そうね」
「そうね。でも、広がった内翅(後翅)は火炎攻撃で簡単に穴を空けられそうだわ」
ミサーナとエミーナの親子は翅の構造に感心しながらも、要所を確認していく。
内臓器を確認するために、解剖に移ろうとしたところで、エイスが作業を止めた。
彼は別の個所が気になったようだ。
「ちょっと待ってくれ。
外殻と前翅の構造を確認させてくれないか。
外側は俺が調べよう」
そう話しかけてから、エイスは診察台の前に出てきた。
あまり積極的ではなかったエイスが初めて自ら動いた。
エミーナが慌てて診察台の高さをエイスの身長に合わせる。
ミサーナはその要望に沿うように、硬い外殻で覆われた胴部と腹部を切り離した。
そして、彼女は診察台前方で腹部の解剖を始めた。
オトラバスの内臓器とその内容物を慎重に調べていく。
エイスとヨニュマは後方で頭部、胴部、翅の構造を調べ始めた。
彼は主にオトラバスの外骨格(皮膚骨格と内筋肉)と翅に注目し、そこを調べる。
実は、これはミサーナとエイスの阿吽の呼吸だった。
ミサーナは
実は、彼女は攻撃術等を苦手にしていた。
エイスはそれを瞬時に見抜いて、オトラバスの攻撃術に対する耐性の検分を引き受けたのだ。
*
多忙なミサーナはサッと作業を終え、ギロンドたちに報告を始めた。
オトラバスの腸内には、鼠や爬虫類、それに一部に大型獣のものと思われる肉片が確認された。
ミサーナによると、それはおそらく大型の鹿の肉片ではないか、とのこと。
これはオトラバスがその大きさの動物も捕食対象にできるということになる。もちろん、さすがに単独で鹿を仕留めたわけではないだろうが──。
一方で、腸内には樹皮、穀物類や葉草類を小量しか見つけられなかった。
ここまでの逃避行程で葉草類や穀物類をほとんど取れなかったと推察される。
おそらく大群での移動時には葉草類や穀物類を効率的に摂取できないのだろう。
このビタミンや炭水化物の不足を一時的に肉類で補っているようだ、とミサーナは話した。
そして、その内臓構造と内容物から、オトラバスを国内の平地に逃がせば、山間部だけでなく、穀倉地帯にも向かう可能性がある、と語った。
エイスは、先ず外殻の硬度が非常に高いと話した。
獣人族の弓矢と武具攻撃なら倒せるが、人族の物理攻撃では難しいだろう。
ギロンドと守人族長もオトラバスの外殻に実際に触れてみて、その硬度と強度に驚いている。
非常に軽量なのだが、金属で叩くと、カキンという硬質な音が響く。
そして、衝撃吸収性が高く、凹みはするが、割れにくい。
次にエイスは翅の構造を分析した結果を伝えた。
それはその場にいた者たちを震撼させた。
推定される最高飛行速度は約70~80km/h。
問題は最高到達高度だった。
──推定最高飛行高度は200m。個体によってはそれ以上。
その場にいる全員の顔が青ざめた。
特に獣人族長の顔色が悪い。
「最悪じゃないか……。
弓矢どころか、電撃でも撃ち落とせない高度まで上昇できるのか」
「そういうことだ。
しかも、ここで調べた個体はいずれも若いものばかりだ。
1m超級の大型個体はそれをさらに上回るかもしれない」
一般的に、鳥類と昆虫類の飛行能力には大きな差がある。
最高飛行速度もそうだが、独力での最高飛行高度に関して大きな違いがある。
この世界の昆虫の中には地球の昆虫よりも高く飛べる虫種が多い。
ただ、それでも独力の最高飛行高度はせいぜい30mまで。それでも驚異的だ。
それが、この巨大昆虫の最高飛行高度はそれよりも一桁高い。
これは、このオトラバスの群れが驚異的な進化種の集合体ということになる
──あるいは、突然変異種の集合体。
その高度になると、守人族の雷撃の威力も命中率も著しく低下する。
おまけに、高出力の雷撃は守人にとって連発がきかない術技だ。
「鳥並みの飛行能力を持っているということなのですか?」
「いや、鳥ほどの飛行能力は持たない。
回避能力や旋回能力がそれほど高いわけではないからな。
だが、追い風に乗らなくとも、独力で鳥に近い飛行能力を持つということだ」
ギロンドとミサーナはその時にようやく気づいた。
リキスタバル共和国の失態だけがこの現状を招いたのではないかもしれない、と。
このオトラバスは、二国の守人族や獣人族の部隊の想定を超える能力を持っていたのかもしれない。
そして、これがミシリアン島だけの問題ではないことを、二人はこの時点でようやく認識した。
──このオトラバスを本土に逃がすわけにはいかない。
ギロンドの顔色が真っ青になっている。
「この島には鳥人族が少ない。
どうする……。
動員できるのは三十人ほどしかいないぞ」
「ギロンド! 忘れてはいけないわ。
このオトラバスは恐ろしい大顎を持っているのよ。
毒こそ持っていないけど、空中でも十分に脅威だわ」
たとえ鳥人族であっても、空中戦専門の兵士ではない。
非常時以外は、一般人として暮らしている。
大きく強靭な大顎を持つ1m超級のオトラバスと空中でどこまで戦えるかは未知数だ。
獣人族長が怯えたような声で話す。
「直接火炎攻撃ができるのはエブラム様だけということですか。
龍人様の火炎でも200m上空までは届かないのでは……」
確かにその通りだ。
エイスなら可能だが、数が増えれば単独の火炎攻撃だけでは対処できない。
しかも、仮に広範囲火炎術を上空に放ったとしても、大きく翅を広げて飛行するオトラバスを風圧でさらに上空に押し上げてしまうことになる。
また、猛熱により上昇気流も発生してしまう。
一旦上空の安全高度に到達されてしまうと、地上からでは打つ手がなくなる。
単純攻撃だけで殲滅し、対岸に一匹も逃がさないなど、絶対に不可能だ。
立場的に一歩退いていたエイスも、ここに至り、ようやく考えを少し改めた。
このオトラバスを本土に渡すべきではない、と。
『アルス、悪いな。
これは観光どころではないかもしれない』
『あぁ、いいさ。分かってる。
このオトラバスはここで殲滅すべきだ。
だが、ここには龍人も守護竜もいる。
俺たちが深い入りしない方がいい。
それが基本ルールだ。
それだけは忘れるな』
だが、これは不幸中の幸いと言える。
この島に大群が丸ごと逃げ込んでいるのだ。
しかも、その群れが島西部域に密集状態で休んでいる。
殲滅するには、絶好の機会だ。
しかも、だ。
──ここには双竜と龍人がいる。
ミサーナは時間切れ。次の予定があり、そこに向かった。
エイスはもう一つの留意点を話す機会もなく、散会することになった。
結局は双竜と龍人に報告し、指示を仰がなければならないからだ。
ギロンドらは双竜のところへと向かった。
*
ギロンドらの乗る馬車の中に、なぜかエイスたちも含まれていた。
──エミーナに頼み込まれたからだった。
彼女の中に流れる龍人の血が本能的に何かを知らせた。
彼女は帆船でエイスと初めて出会った夜から彼に何か特別な力を感じていた。
明確な理由があったわけではないが、エイスを双竜エブラムに引き合わせるべきと考えたのだ。
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