09 忍び寄る災厄
自治管理局を後にして、エミーナはエイスたちを連れて馬車で自宅に向かった。
馬車から降りたエンリカとヨニュマはその大邸宅を見てたじろいでしまう。
「なんて美しいお屋敷なのでしょう。
この建物はいつ造られたものなのかしら……」
エンリカから思わずそう声が漏れた。
特に質問したいわけではなかったが、そのあまりの美しさに建造時期が全く分からなくなってしまったのだ。建築様式的にはそれなりに古い建造物なはずなのに、まるで数年前に建てられたかのように美しく輝いている。
建物の大きさにも驚いたが、それ以上にそのあまりの美しさに戸惑ってしまった。
エミーナはその問いにも笑顔で答えてくれる。
「十世紀以上前の建物だと聞いています。
この石材は非常に耐久性が高いだけでなく、汚れ等にも強いのです。
布生地でさっと拭くだけでどんな汚れでも簡単に落ちます」
「えっ!? そんなに古い建造物なのですか?」
「はい。この島の住居のほとんどが五世紀以上前の建造物です」
「それではこのお屋敷は最初からこうだったのですか?」
「そうらしいです。
ここは譲り受けた当時のままです。
部屋数が多くて余っているくらいですから、増改築はされていないと思います」
ギロンドに人族的な豪邸趣味はない。運良くこの建物を譲り受けたとのこと。
サロース邸にお邪魔したエイスたちはエミーナから二人の母親を紹介された。
ミサーナは
もう一人の母リスミルも守人。二十年前にサロース家に入り、現在妊娠中。
エミーナの母は100歳。二人目の子供リュージュはまだ3歳。
エミーナは24歳。21歳違いの弟である。
守人は長命種族。アルスの話ではそのくらいの年齢差はごく普通のようだ。
医術師として多忙なミサーナは家を空けることが多い。
エミーナもそうだったが、弟リュージュの子育てはリスミルが主に担っている。
『21歳差くらいならごく普通だ』
『まぁ、そうなんだろうな。そう言えば、アルスには兄さんがいたんだよな。
何歳差だったんだ?』
『おれの兄さんか?
110歳上だ』
『えっ!? それって、すごくないか』
『いや……、それが龍人の場合はまぁーそうでもないんだ。
四百歳差の兄弟とかの話を聞いたことがあるんだが、それはさすがになぁ。
ただ、兄というより、たまに会う叔父さんだったけどな。
兄さんなんて呼んだことは一度もない』
そう話しながら、アルスは懐かしそうに思い出し笑いをした。
**
ここで守人族の一般的な家族形態について少し触れておこう。
守人族社会は竜族・龍人崇拝。
大陸東部域の獣人族と人族も基本的に同様だ。
ただし、
守人族の社会基盤は、龍人族の社会様式と生活様式をベースに、さらに守人族固有のルールが加えられている。
無論、家族や家族形態についての法等は存在しない。
家族簿制である以外は、基本的に自由。特に制限や制約はない。
多種族共生が前提のこの社会には家族に関する法や戒律等はそぐわないのだ。
獣人族は多種多様。寿命が約三十年の短命種族から、守人族以上の長寿種族まで幅広い。人族だけは平均的に短命。
また、一口に守人族とは言っても、聖守系族の血の薄い者ほど短命になる。
ただし、短命とは言っても三百歳くらいなのだが──。
その逆に、龍人の血の濃い守人の平均寿命は十世紀近くにも及ぶ。
守人であっても、実に六百歳以上もの平均寿命差があるのだ。
この社会では寿命の異なる者たちが家族を成す。
このため、家族構成に一般的な形はあっても、枠や決まりはない。
誰の家族簿に入っているか、あるいは新たに家族簿を作成するか、その違いくらいしかないのだ。
サロース家の例では、
ミサーナは約800年。リスミルは約500年。
守人同士のパートナーであっても、各人の
パートナーとは言っても、生涯を共にするわけではないのだ。
地球人の感覚で家族構成に制約を課すと、家族も社会も崩壊してしまう。
また、守人女性が生涯に産む子供の数は、平均的に二人から三人。
この統計値を参考にしても、聖守系族の繁殖力がいかに低いか、一目瞭然だろう。
仮にミサーナが生涯に三人の子を得たとしても、それは750年の生涯中のこと。
八世紀の時間があれば、獣人族や人族は数組のペアであっても爆発的に子孫を増やす可能性があるし、実際に増える。
さらに、龍人族と守人族には人口増加を阻むもう一つの要因がある。
守人女性は愛情を感じる男性と一緒に生活する中で受胎可能期を迎える。
しかも、家族になってから受胎可能期を迎えるまでに時間を要することが多い。
ギロンドとミサーナは、第一子のエミーナを得るまでに約五十年もかかった。
獣人族や人族とは懐胎に至る過程が本質的に異なるのだ。
そして、このために聖守系族社会での求縁は女性主導。
好意を抱いていない相手と打算的に──というような家族関係は成立しない。
女性の方からパートナーを指名しないことには子供を授からないのだ。
とは言っても、このケースでは最終選択権が男性側にもあるため、拒否されることも間々ある。
この駆け引きは、守人女性にとってもなかなか悩ましいものらしい。
**
サロース邸に一晩の宿を得たエイスたちはリスミルから二部屋を与えられた。
エイスはかなり立派な部屋を割り当てられた。
室内は優に三十畳くらいあるだろう。ベッドも二つ。
室内にシャワーとトイレが付いている。
エイスたちは部屋に荷物を置き、軽装に着替えてからリビングに現れた。
エミーナの入れてくれたお茶をいただいていたところに、ギロンドが知人三人ともに戻ってきた。
その三人は、島の守人族長、獣人族長、人族長。
エイスたちはギロンドから三人を紹介され、挨拶を交わした。
『おぉい……エイス、嫌な感じの顔ぶれじゃないか?』
『あぁ、その意見に完全に同意する』
それはそうだろう。島の三族長が顔を揃えて島長宅で昼食だ。
普通に考えれば、重大な話題が持ち出される可能性が高い。
しかも、その会食にはエイスたち三人、さらにエミーナも含まれている。
*
会食が始まり、島の世間話をしながら三十分ほどが過ぎた。
警戒中のエイスは基本的に無言。
エンリカ、ヨニュマ、エミーナの三人も同様だ。
昼食のメインを食べ終え、デザートとお茶が出されたところで獣人族長が重い口を開いた。
「──さてと、例の話を始めてもいいかな?
そっちが本題だ。
エミーナと神官様の意見もぜひ伺いたいからな」
エイスとエミーナ、それにエンリカとヨニュマの二人もこの流れを予想していた。
そして、その話題はおそらく守人族が所管すべき案件なのだろう、と。
その概説は守人族長が担い、現状の詳説についてはギロンドと獣人族長が行った。
人族長は簡単な私見を述べるにとどめ、特に参考になるような話はしなかった。
その話を聞いたエミーナは少し伏し目がちになり、顔色も優れない。
「そんなことが起こっていたなんて……。
大事件じゃないですか!」
「あぁ、ここ五世紀で最大の危機だろう」
エミーナとギロンドのこの短い会話が事の深刻さを物語っていた。
エイスたちが聞いた島の一大事件の概要は以下のようなものだった。
────事件の発端は国外で起こった。
オペル湖最南端部からさらに南下し、リキスタバル共和国とエクレムスト連邦の国境線の周辺地。そこで最初の問題が発生した。
その周辺地域はインドネシアやマレーシアに近い亜熱帯気候。
雨量も多く、深い森と草原のエリアだ。一部にはジャングル的な密林地帯もある。
そこには多くの動植物、爬虫類、昆虫等が生息する。
ここでの最恐生物はあのダミロディアスとミギニヤ。
この地域は厄介な亜熱帯生物が多いことでも知られる。
今回、災いの種となったのは「オトラバス」。
この星の嫌われモノで、最大級の虫! 巨大昆虫である。
この昆虫は地球のキリギリス種の外形に近い、超大型の雑食昆虫である。
その成虫の大きさは、なんと80cm以上。
大型の成体の中には1mを超えるサイズのものもいるとのこと。
このオトラバスは大きさ以外にも四つの特徴を持つ。
頭部と胴部が非常に硬い外殻に覆われている。
トノサマバッタ的な立派な翅(羽)を持ち、長距離飛行能力を有する。
雑食性で、草木だけでなく、昆虫類、爬虫類、小動物まで捕食する。
かなり獰猛で、暴食。複数で人間を襲った記録も残っている。
つまり、毒こそないものの、昆虫としては最凶種の一角。
だが、数度の脱皮を経ながら成長するため、成体になるまでに三年ほどを要する。
『アルス、オトラバスってそんなにヤバい害虫なのか?』
『おれも噂にしか知らないが、相当ヤバいやつらしい。
大型の成体は獰猛な肉食獣と変わらないって話だ。
それに冗談みたいにでかくなるやつがいるらしいからな』
『でかくなるって、どのくらいの大きさなんだ?』
『おれが聞いた話だと……最大記録は2mくらいだったかな』
『はぁ? なんだ、その大きさは……。
それはもう昆虫のサイズじゃないだろう!』
今年に入り、その生息地域でこのオトラバスの幼体の大量発生が確認されたのだ。
最悪の害虫の大量発生。その総数は約一千万匹。
そして、この幼体の大量発生は同時に成体数の急増を意味する。
大型成体の個体数だけでも二十万匹以上。その大きさを考えると「匹」ではなく、「体」で数えた方がいいのかもしれない。
しかも、一年後にはその成体数が百万を大きく超えると予想された。
これは大災害級の脅威の一歩手前。
イナゴの数千億匹級の群れに匹敵する暴威だ。
この数のオトラバスが大群を形成すると、その通過地域の草木、昆虫類、爬虫類、小動物等は食べ尽くされてしまう。
これを放置しておくと、エクレムスト連邦とリキスタバル共和国の二国は壊滅的な被害と損失を被ることになる。そしてもしその数がさらに増加すると、二国内の自然環境と生態系に深刻な影響を与えかることになるだろう。
この対処に先に動いたのはエクレムスト連邦。
次いでリキスタバル共和国。
実際には、エクレムスト連邦からの要請を受け、リキスタバル共和国がようやくその重い腰を上げた状況だった。
この理由は説明するまでもないだろう。
リキスタバル共和国は獣人族の国。その獣人族兵たちは大陸でも最強を誇る。
だが、その一方で守人族には悪評が絶えない。
──この国の守人族とは、つまり西の守人族。
それでも、この二国は大規模な殲滅部隊を組織して、殲滅作戦に向かった。
総勢八千人の守人と獣人を動員し、三日間の殲滅作戦が行われた。
討伐隊に追われたオトラバスは群れになり、さらに多数の群れが一つに集まり、スタンピードが起こった。
これは、討伐隊が包囲殲滅しやすくするために作戦上であえてそうしたのだ。
その周囲を囲い込むようにして、守人部隊の広範囲火炎攻撃と
一見には、この殲滅作戦は順調に推移していた。
ところが、その攻撃から逃れたオトラバスの強個体が段階的に集合しながら、結果的に一つの大きな群れを形成したのだ。
それは、約一千万匹もの大群の中から屈強な個体のみが選抜されたようなもの。
──その数、約七万。
そして、あろうことか、この群れの一部をリキスタバル共和国の作戦部隊が取り逃がしてしまった。
火炎攻撃による森林火災から逃げてきたミギニヤと作戦部隊が鉢合わせしたのだ。
獣人族にとって毒大蛇ミギニヤは最も苦手とする天敵。
多くの獣人たちが逃走した。
この時に、なんと一部の守人族も一緒に逃走したのだ。
西の守人族の本質はやはり変わらないのだろう。
火炎攻撃の包囲網の数か所が手薄になり、そこを突破されてしまった。
エクレムスト連邦は鳥人族を多数動員していたが、リキスタバル共和国はそれを怠った。
結果的に、数の減った地上部隊だけでは、包囲網の穴を塞ぐことはできなかった。
実は、リキスタバル共和国のこの動員は、エイスが大滝ミララシアで毒大蛇の群れを殲滅した時期と重なる。
この大動員のために、共和国内では有力守人たちが出払っていたのだ。
とは言っても、下位級守人の精鋭たちなのだが──。
作戦遂行のためには能力不足だったのだが、体面上の理由から共和国内から総動員し、派遣していたのだ。
その包囲網を突破したオトラバスの大群はオペル湖南部に到達。
焦ったリキスタバル共和国の守人部隊は、そこで殲滅作戦に再度失敗。
群れはオペル湖の上空へと逃げ去った。
ただし、これはあくまでリキスタバル共和国の守人族からの一方的な通報と報告。
実際には、共和国側は困難な殲滅作戦を諦めて、ミクリアム神聖国にオトラバスの群れを意図的に逃がしたという可能性もある。
他国の被害を気にしなければ、それが最も簡単な解決策だったからだ。
殲滅作戦に失敗したと連絡してきたものの、共和国は既に危機から脱している。
これではミクリアム神聖国にオトラバスの群れの処分を押し付けたようなものだ。
それも単なるオトラバスの群れではなく、厄介な最強個体の大集団である。
西の守人族ならやりかねない
──ミシリアン島やオペル湖周辺地域の住民はそう考えている。
一昨日の夕方からミシリアン島南西部にその群れが飛来し始めた。
昨夕までに確認できたオトラバスの数は約一万体。
飛来した総数は推定で1.2万体ほど。
島西部の山麓(町からは裏方向)の一部に深刻な被害が出ている。
放置すれば、島の自然環境と生態系が壊滅的なダメージを被るだろう。
最悪のシナリオは、オトラバスがミクリアム神聖国内の環境に適応することだ。
もし群れが繁殖期を迎えれば、神聖国内は外敵の少ない環境だけに、爆発的にその数を増やしかねない。
そして、その可能性を全否定できない状況になっていた。
もしそうなれば──
エンリカとヨニュマの二人はその惨状を想像しただけで背筋に悪寒が走った。
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