07 白亜の世界


 偶然に飛竜デュカリオに遭遇し、その姿を見ることができた。

 エイスはそれが嬉しかったのか、部屋に戻ってもご機嫌だった。

 先日炎竜に遭遇した時も彼は嬉しそうだった。

 本人に自覚があるかどうかはさておき、彼が竜好きなのは間違いないだろう。


 エイスはベッドの上で足を伸ばして、遭遇した飛竜の記録をノートにつけ始めた。

 そのノートの別のページには炎竜のスケッチもきちんと残されている。

 しかも、2ページに渡り、炎竜の絵図が描かれていた。

 全体、頭部、翼、腕、足等々。各部のアップまで別絵で描かれている。

 その絵図がまた上手い。

 ペンで書いているにもかかわらず、上級者のデッサン画のようなクオリティだ。

 彼は前世の記憶を持たないが、こういった時に特徴的な力を示す。

 人族に関する医学と医術の知識と応用力もそうだ。

 脳以外のどこかに、まるで刻み込まれたなにかがあるかのように──。


        *


 エイスは、飛竜の文書記録をつけ終えたところで、絵図も描きたくなってきた。

 ただ、既に就寝予定時刻を過ぎている。

 彼は少しうずうずする感覚を覚えながらも、ノートを閉じた。

 そして、ベッドで横になろうとした時だった。

 突然、エイスは脳内に嫌な感じの騒めきを感じた。

 それは以前にも経験したことのある感覚だった。


(──これは、あの時の)


 彼の意識の中に何か白い霧状の靄が過っていく。

 その得体の知れない靄は通り過ぎるように消えていった。

 だが、消えたはずのその靄が再び意識の隅に現れた。

 意識下に靄のようなものが浮いて見え、ゆっくりと流れていく。


(今回は……なんだ?

 なにを見せたいんだ)


 彼が意識的にその靄を覗き込んだ時だった──。

 エイスの意識に視界と俯瞰視の他に、やや不鮮明なモノクロ写真のような静止画が映った。


 巨大な双首の竜が広範囲に火炎を吹いている。

 ──二首の巨大竜、双竜だ。

 そこは山の麓のような場所。

 その火炎攻撃は地面ではなく、空中に向かっている。


 次の瞬間に、頭中に映っていたモノクロ写真が色付けされていく。

 濃厚な色ではなく、薄い色彩のカラー写真へ変化していった。

 そして、その薄いカラー写真がまるでスロー動画再生のように動きだした。

 半速再生で荒い画質の映像が意識下に映し出される。


 双竜は仁王立ちしたままで空中に炎を吹き続ける。

 辺り一面が炎に包まれている。

 それにもかかわらず、その竜は炎を吐き続ける。


 次の瞬間にその映像は止まり、消えていった。

 それと同時に、頭の中の霞も瞬く間に消えていった。

 映像は非常に短く、わずか10秒ほど。

 その映像を一緒に見ていたアルスの声が響く。


『あれはおそらく双竜エブラムだろうな』

『見たことはないが、おそらくそうだろう。

  これだと、これから行くミシリアン島がその現場ということになるのか』

『これは……やっぱり、あれか?』

『前回のことを踏まえると、そうなんだろうな』


 エイスとアルスは気が重くなってきた。

 あえて言葉にせずに「あれ」と置き換えて呼んでいるのも、それが理由だ。

 二人はともに、未来視的な予示はぜひとも否定したかった。

 何しろそのミシリアン島はこれから観光のために立ち寄る場所。

 その島で双竜が炎を吹きながら暴れていたようにしか見えなかったからだ。

 あまりに深刻な状況の映像だっただけに、二人は途方に暮れる。


『巨大な双竜があの勢いで島を焼くとか……

  ありえない気がするんだが』

『ミシリアン島の守護竜が島を盛大に燃やしていた

  ──ということになるからな。

  ただ、そこに至る状況が想定できない』

『エイス、……双竜と戦う気はあるか?』

『いやー、それはさすがにご遠慮させていただきたい』

『じゃーどうする?

  観光を中止して、さっさとファミル行きの船に乗るか?』

『どうもこうもないだろう。

  どちらにしたところで、船がミシリアン島に着いてからの話だ。

  状況的にマズそうなら、早めに逃げるしかないだろう』

『それは確かにそうだ。

  これはそういう警告なのかもしれないな』


 エイスとアルスはそんな会話をしばらく続けた。

 二人は翌日もこの件について話し合ったが、具体的な進展はなかった。

 着港前夜の就寝時刻になってもアルスはまだ話し続けていたが、エイスはとりあえず寝ることにした。情報不足のままいくら話しても、埒が明かないからだ。

 アルスを放っておいて、翌日に備えてエイスはさっさ眠りについた。



        **


 エイスは予定時刻に起床した。

 身支度を整えてから荷物を用意したところで、部屋のドアがノックされた。

 エンリカとヨニュマの二人とともにエイスはデッキに出た。


 外は清々しい明るさ、そして抜けるような青空。

 快晴だ!

 船酔いに苦しんでいた人たちも、それをもう忘れたかのように笑顔だ。


 眼前にはミシリアン島とロワールの街が見える。

 エイスとアルスはあの予示のことがあり、あまり良い気分とも言えなかったのだが、それも吹き飛んだ。


 船は既に港まで2kmほどの距離に近づいていた。

 十五分で着港だ。


 ぐんぐんとロワールの港と街が近づいてくる。

 昨日一日、あれほど騒がしかったアルスが全く話しかけてこなくなった。

 その光景に魅入られたようだ。


 そこはクロアチアのクルク島に似た形状の島。

 湖岸線の一部が大きく奥に窪んでいて、そこに町がある。

 その窪みのU字カーブ内の中央部だけが岬のように少し突き出ている。

 遠目にはその街並みがアドリア海側のイタリア南部のようにも見える。

 だが、その町の歴史はローマやベネツィアよりも遥かに古い。

 また、この町の建造物は全て白色。町が白く輝いて見える。


 実は、この島の半分(町側)は超高密度結晶石灰岩でできている。

 イタリアのカッラーラ周辺が島になったような環境。

 島の約半分が超硬質の大理石でできているようなものだ。

 町はその中央部の海岸側に位置する。

 町やその周辺は地盤そのものが超高密度結晶石灰岩質。

 この超高密度結晶石灰岩は地球の大理石とは違い、金属並みに硬度が高い。

 当然、建造物にも基本的にこの石材が使われている。


 ロワールの町では人が居住するわりと新しい建造物でも五世紀以上前のもの。

 中には三十世紀以上前の建造物もあり、それらがそのまま使われている。

 また、街のあちこちに古代建造物が当時のほぼそのままの状態で残っている。

 古代遺跡と呼ぶにはあまりにも状態が良い。

 この秘密は先に触れた超高密度結晶石灰岩。その耐久性の高さにある。

 この石材を加工するためには特別な機材や技術が必要になるほどだ。


 ここは小さな島だが、その規模に不釣り合いなほど高く険しい山が聳え立つ。

 島は白と緑のコントラスト。島の残り半分は、自然豊かな山と森。

 緑部の湖岸線には菜園と果樹園が並ぶ。

 そして、ここには双竜エブラムが棲む。この島の守護竜である。


 そして、ここは湖のど真ん中、つまり水の町でもある。

 街中は多数の水路とアーチ橋で結ばれていて、ヴェネツィアのようだ。

 水路をゴンドラが行き来する様は全く同じ。


 船が港に着くまで、多くの人たちが無言でその光景に見つめていた。

 エイスも昨晩のことをしばし忘れて、ロワールの街並みに見入っていた。


(──これは天上界とでも呼ぶべきような美しさだ)


 さすがは大陸東部でも名高い観光地だ。

 エイスも驚くほどの光景。当然だが、アルスは猛烈に感動していた。



        **


 船は無事にロワールに入港し、乗客たちが降りてきた。

 この日の予想最高気温は26度。

 心地良い風が吹いていることもあり、快適だ。

 エイスのシャツも中袖状態。エンリカとヨニュマもそれに近い。


 三人が舷梯げんていを降りていくと、桟橋に黒髪の超絶美女が一人、舷梯の上方を見つめるように立っている。

 その女性を瞥見する男性も多い。

 だが、場所が場所だけにさすがに話しかける強者はいなかった。

 そのあまりの美女ぶりが逆に近寄り難いオーラにもなっているようだ。

 加えて、いかにもな上位級守人のオーラを纏っているため、余計に近寄り難いのだろう。


 もちろん、エイスはその美女を知っている。

 それでもエイスは彼女が自分を待っているとは思っていなかった。


「エイス様、おはようございます。

 昨晩はお話する機会をいただき、ありがとうございました」

「エミーナ、おはよう。

 こちらの方こそ、昨晩は飛竜について教えてくれて、ありがとう」


 エンリカとヨニュマはいつものようにエイスのガード(女性専用)としてエイスの一歩前に出た。ただ、エイスがその女性の名前を知っていたことに驚き、確認するかのように彼の方を見る。


「昨晩、甲板で飛竜を観察する機会があったんだ。

 彼女とはそこで会って、竜の説明をしてもらった」


 それから、エイスたちはその場でエミーナと少し話してから、そのまま改札へと一緒に向かった。

 エイスはその途中でエンリカとヨニュマを簡単に紹介した。

 エミーナは二人がゴードウィク大聖殿の神官補佐と知り、かなり驚いていた。

 しかも、エイスのインバルまでの道中に従者として同行していると聞いて、さらに目を丸くした。


 四人は話しながら改札ゲートに向かったため、最後にゲートに到着した。

 エイスらの前には八グループほどが順番待ちをしている。

 普通は切符を回収するか、切符を確認するか、いずれかの作業だけ。

 グループ単位の順番待ちを他港の出口ゲートで見ることはなかった。

 エミーナがこれについてガイドのように教えてくれた。


「エイス様、ここでは入国審査に近い人物照会が行われます。

 身分証の提示も求められます」


 この島はこの世界でも有数の観光地。

 しかし、聖竜湖オペルの中央に浮かぶ、歴史ある島と町。

 町では非常に厳格な住民管理が行われている。

 住民であっても、軽犯罪を犯しただけで島から追い出されるほどだ。

 また、島に特別な貢献を持つ者を除き、移住者を原則として受け入れない。


 旅行者の滞在期限は原則、一週間か二週間。最長でも一か月。

 入島時の改札ゲートでの人物照会により、その期間が決まる。

 事実上の入管だ。

 その期限を過ぎて滞在していると、警備隊が捜索を始める。


 待つこと約十五分。

 ようやくエイスたちの順番がきた。

 先にエミーナがゲートに向かった──のだが、彼女の人物照会はなし。

 いきなり、顔パスだった!

 彼女はそのままそこで足を止めて、人物照会担当官と笑顔で話しだした。


 次にエイスがゲートに向かった。

 担当官に指示されるよりも先に、エイスは身分証を提示した。

 銀色の身分証に担当官が一瞬驚くが、直ちに刻印と術印情報を読み込む。


 その人物照会担当官の作業は通常のものだったが、エイスもその次の行動に驚かされた。

 担当官はエイスの身分証をエミーナに手渡し、二人で話し始めたのだ。


(──おいおい、彼女は何者なんだ)


 エミーナはエイスの身分証の色を予想していたようだ。

 それには驚かなかったが、身分証の裏面に記載された身分証作成者の名前を見て仰天した。

 そこには、イストアール・エン・ケ・オルカタスと刻印されているからだ。

 守人術師で彼の名前を知らない者はいない。

 エミーナもこれにはさすがに驚かされた。


 担当官はすぐに滞在許可書を発行し、丁寧な応対でエイスに身分証を返した。

 エイスはその許可書を見て、少し困惑する。

 何と……滞在許可書には「三か月」の印が押されていた。


(最長でも一か月のはず……。

 五日間の滞在予定だと言ったんだけどなぁ)


 エイスの同行者と告げたエンリカとヨニュマには即座に許可書が発行された。

 二人の滞在可能期間も、やはり三か月になっていた。

 二人もこれにはびっくりしたようだ。

 先ほどまでエミーナを二重の意味で警戒していた二人だったが、それも少し和らいだようだ。











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