04 ニアミス


 ゴードウィクを出港してから三日目。

 船旅は至って順調。

 下り航路に比べると、巡航速度は少し遅いが、ジャビュルたちは元気に船を牽引してくれている。黒豹人によると、予定通り明後日にオペル湖最北端の町ストルフォークに到着するとのことだ。



        *


 エイス、エンリカ、ヨニュマの三人は、昨晩初めてホテルの高級レストランで夕食をとった。

 とは言っても、別に高級レストランに行きたかったわけではない。

 これは、そこが黒豹人のお薦めの店だっただけの話だ。


 エイスはこの世界で初めてドレスコード指定のある高級店に向かった。

 ここで彼はコンフィオルで仕立てたフォーマルウェアに初めて袖を通した。


 エイスたちはヨルグ一行とともにそのレストランに向かった。

 だが、そのエイスをホテル内の女性客たちが見逃すわけがなかった。

 五人の女性たちが盾役として動いてくれたが、それでもレストラン内は騒めいた。

 それでも、テーブルに座るエイスとヨルグに挨拶してくる女性たちはいた。

 だが、その騒ぎも三十分ほどで自然に収まった。


 七人のテーブルが落ち着いたところで、メインディッシュが運ばれてきた。

 色彩豊かに盛りつけられた極上の肉料理は、味も素晴らしかった。


「これは美味しい!

 食材も良いのだろうが、下処理がいいんだろうな。

 肉が口の中で溶けていく」

「はい。これは絶品だと思います」

「私も同感です」


 黒豹人コンビの舌はやはり侮れない。

 エイスが料理に感心していると、ヨルグが妙に嬉しそうな顔をしている。

 ヨルグの連れの女性たちもなんとなく得意気な表情を浮かべている。


 実は、ヨルグの父兄はミクレストアム共和国の大地主で富豪。

 共和国も地球ほど商業規制は緩くないが、ミクリアム神聖国ほど厳しくない。

 ヨルグはミクリアム神聖国国民だが、それは守人の母方の生家を継いだからだ。

 彼は二国籍保有者。

 そして、父方の家業をミクリアム神聖国内で共同経営している。

 ゴードウィクやインバル等にホテル5軒。

 さらに、父方から仕入れる食材を使い、八店舗の高級レストランを持つ。


 ヨルグ一行の得意気な顔の理由もそこにあった。

 そう。この高級レストランはヨルグの店。

 ヨルグ一行は所有するホテルとレストランの様子を定期的に見て回っている。

 この船旅もその道中だ。


 ヨルグが母の生家に入り、父方の家業の一部を引き継いだのは七年前。

 ミクレストアム共和国内は父と兄。ミクリアム神聖国内の事業はヨルグが統括している。

 それ以前の彼は武人だった。

 武人と言えば聞こえは良いが、定職に就かない単なる自由人と言えなくもない。


「剣で身を立てるために竜系人ヴァラオに弟子入りしておりました」


 ヨルグは少し恥ずかしそうにそう語った。


 その後に、彼はしばらく冒険者的な旅をしながら、大陸のあちこちを巡った。

 たまたま母の顔を見るために立ち寄った母の生家で、今際の際の祖父から家のことを託された。

 祖父はヨルグを本当に可愛がってくれた。

 そして、ヨルグもそんな祖父が大好きだった。

 その祖父の最後の願いに応え、彼はそこできっぱりと自由人を卒業した。

 それでも、ヨルグの朝の稽古は日課。一度も欠かしたことがない。


 この日の夜、エイスたちはヨルグ一行と夕食を取りながら、楽しく話した。

 そこは彼の店。彼は料理も酒も山のように頼み、全て支払ってくれた。

 なかなか豪快で大らかな性格の男だ。

 人族五人、獣人族三人、守人一人の夫人。四人の子供がいる。

 子供に関しては年内にさらに二人増えるらしい。

 彼の話を聞く限り、家族はまだまだ増えそうだ。


 外見は細身の美貴公子だが、性格は獅子人ハーフらしく、なかなかやんちゃな豪傑。

 その性格とは反対に、仕事と剣術には極めて真摯。

 あの朝の稽古以来、ヨルグは毎朝のようにエイスの部屋にやってくる。

 問答無用でエイスを連れ出し、稽古をつけてもらっている。

 ──ヨルグはいつも瞬殺されるのだが、懲りずに何度でも挑んでいく。

 エイスはこの男にすっかり懐かれてしまったようだ。



        **


 上り航路、四日目の午後。

 エイスらはヨルグたちと船上テラスでお茶を飲みながら話していた。

 このヨルグの話を最も熱心に聞いているはアルス。

 昔、ヨルグは大陸を旅して回り、今も家業で大陸東部を渡り歩く。

 アルスはそういう旅の話が大好きなだけに、彼の話をいつも真剣に聞いている。


 明日のお昼前にはストルフォークに到着する。

 エイスはそこから帆船に乗り換えて、湖中央に浮かぶミシリアン島へ向かう。

 ヨルグ一行もそこで帆船に乗り換え、インバル行きの下り航路拠点へ向かう。

 オペル湖では稀に風の強い日もあり、かつ水竜も棲む。

 このため、湖内では帆船での船旅に切り替わる。


 エイスはヨルグからミシリアン島の観光名所、そしてホテルと飲食店の情報等を教えてもらった。

 ただ、当のエイスよりもエンリカとヨニュマの方が熱心にヨルグの話に聞き入っている。

 二人はメモまで丁寧に取っている。


 この二人はこれまでなかなかに立派な守人のエリートコースを歩んできた。

 これは同時に、二人がこれまで勉強や修行に明け暮れてきたことを意味する。

 実は、二人はまともに観光旅行などしたことがなかった。

 ミシリアン島にはエイスのお供として向かうのだが、それでもそこは国内有数の観光名所。二人もいつかミシリアン島を訪れてみたいと思っていた。

 その夢が叶うのだ。二人が瞳をキラキラと輝かせながら、ヨルグの話に聞き入っているのも、そういう理由からだ。

 その二人を見ながら、エイスはアルスに問いかけた。


『ミシリアン島はそんなに有名なのか?』

『なにを言ってるんだ、エイス。

  あのミシリアン島だぞ!』

『そんなに歴史のある島なのか?』

『あぁ、古代期の遺跡まで残る希少な島だ。

  温暖な気候。美しい街並み……。

  島全体が美しい絵画なんだ』


 エイスはそれを聞いて思わず吹き出しそうになった。

 アルスはミシリアン島に一度も行ったことがないはずだ。

 エンリカとヨニュマの心境をアルスが代弁してくれているのだろう。


『運が良ければ、山の麓にいるエブラムを見られるかもしれない』

『エブラム?』

『──双竜エブラム。

  ミシリアン島の守護竜だ』

『双竜って、やっぱり双首ふたくびなのか?』

『らしいぞ。

  俺も双竜には会ったことがないんだ。

  何しろ数が少ないからなぁ』


 アルスによると、エブラムはミクリアム神聖国の十八至竜しりゅう中の一竜らしい。

 このエブラムが島に棲むおかげで、島は過去一度も攻撃を受けたことがない。

 それもあって、島内には古代期の街並みや史跡がそのままの残っているとのこと。


 アルスが熱心に語ってくれる話を聞きながら、エイスは静かに微笑んでいた。

 アルスの表情を窺うことはできないが、おそらくエンリカとヨニュマと同じ心境なのだろう。


(アルスのためにも、楽しい旅になるといいな)


 龍人族と守人族。聖守系族は特別な能力を持つ。

 そのために不条理な宿運を背負わされながら、それを疑うことさえしない。

 そのせいか、アルスらは旅の話になるとテンションが分かりやすく急上昇する。

 微笑ましくもあるが、エイスには少し切なくもあった。


 ヨルグは獅子人ハーフ。

 ミクレストアム共和国では獣人族。そして、この国では守人族の扱い。

 彼はその出自を卑下したこともあったが、おかげで普通の守人よりも自由に生きられる。

 頭上の耳のおかげで、守人の生き方を強要されたことはなかった。

 それが何よりありがたい。ヨルグはエイスにそう話した。


「ハーフの方がこの社会は生きやすいと思います」


 エイスはアルスと入れ替わる際に、龍人でありながらも、(半)龍人ラフィルを装った。

 つまり、彼も社会的には似たような立場だ。

 結果的に、その選択はエイスにとって幸運となった。

 エイスはそう考えながら、アルスだけでなく、エンリカとヨニュマにとってもミシリアン島が楽しい思い出になるように願った。



 ヨルグらがヨニュマの質問に答え、ミシリアン島の古代建造物について説明してくれている時だった。

 突然、エイスの目付きが険しくなる。

 それだけでなく、彼は念話で黒豹人の二人を呼びだした。


 エイスからの突然の念話に驚きながらも、すぐに二人はエイスの方へ駆けていく。

 二人がエイスから念話で呼び出されるのは、これが二度目。

 一度目は、メイラとロサンが拉致された夜のこと。

 その呼び出され方から、黒豹人の二人はただ事でないことだけは覚悟した。


 船上テラスに黒豹人の二人が駆け上がってきた。

 エイスが立ち上がり、南西の上空を指し示した。

 突然のことに、エンリカ、ヨニュマ、ヨルグらが戸惑いの表情を浮かべる。


「巨大な飛翔体がこちらに向かってきている。

 おそらく飛竜。

 全長は40m級だ‼」

「うぇぇ!?

 だ、だんな……飛竜ですかい?」

「大きさと形状から間違いないだろう。

 距離は3kmを切った。

 このままだと、低空飛行でこの船とすれ違うぞ」


 黒豹人の二人の目が大きく見開いた。


「あっ‼ それ、やべぇーな。

 急いでジャビュルを放さないと!」


 黒豹人の二人とエイスは船首の方へと走り出した。

 その会話を聞いて、エンリカ、ヨニュマ、ヨルグも席を立った。

 三人もエイスたちの後を追った。


 オペル湖は「聖竜湖オペル」とも呼ばれるほどその周辺に竜族が棲む。

 また、湖水中には複数種の水竜が生息する。

 竜族は基本的に肉食ではないが、広大な湖には大型の肉食恐竜と肉食魚の棲むエリアがある。

 オペル湖内ではジャビュルが警戒するため、船の牽引役を引き受けてくれない。

 湖内で帆船が主力になっているのも、それが理由だ。

 ジャビュルには竜族と恐竜種を見分けられないのだ。


 飛竜が上空に現れれば、ジャビュルはもはや船の牽引どころではない。

 一目散に逃げ出す。

 それまでにジャビュルを放してやらなければ、船が転覆しかねない。

 この軽量な中型船では、運が悪ければ、船首から水中に引きずり込まれてしまう。


 船員たちは急いで船を川沿いに停船させた。

 そして、船首ではジャビュルを放す作業が始まった。

 だが、その状況を理解できない二頭のジャビュルが水上から頭を出して、キョトンとした顔でこちらを窺っている。

 海牛人たちはジャビュルを自由にして、念話で水中に逃げるように指示した。

 それでも、大好物の果物が欲しいジャビュルたちはその場を離れない。


 仕方なく、エイスが竜のイメージをジャビュルに念話で送る。

 そのイメージを受け取ったジャビュルがエイスの方をチラっと見る。

 エイスは逃げるように指示し、小さく頷いた。

 次の瞬間、二頭のジャビュルは猛速で川底へ向かい、姿を消した。


「はぁーっ、ま、間に合った……」


 手すりにもたれかかるようにして黒豹人が大きく息を吐いた。

 エイスらもホッとした、その時だ。


 低空飛行の飛竜の姿が丘の陰から現れた。

 こちらにぐんぐんと近づいてくる。

 二十秒後、巨大な飛竜が船のほぼ真上を通過していった。


 鼻先まで鋭角な頭部に長い髭。二本の角。

 巨大な翼の先には手指が見える。

 翼の手指を腕として加えると、四本の腕を持つ。

 そして太く長い尾。

 炎竜の鱗はタングステンを超える硬度を持ちながら、高分子ハニカム構造でマグネシウムよりも遥かに軽量。

 その身体構造から推算された最高飛行速度は約260km/h。

 右腕には過去に負ったであろう傷痕があり、動きにも微かにその影響が窺える。

 エイスはわずかな時間で炎竜の姿と状態をしっかりと解析していた。


『全長40mか。

  ──やはり大きいな』

『あれは炎竜。地上なら25m級(立ち姿勢)だな。

  炎竜としては結構な大物だ』

『攻撃は火炎だけのようだな。

  電撃系の攻撃力は持っていないわけか』

『ああ、火炎だけだから炎竜だ。

  だが、竜炎バロム級の炎温で、しかも広範囲攻撃してくる。

  まぁ―おまえなら火炎だけでも撃ち合えるかもしれないが……

  普通は逃げるしかない』

『──ということは、火炎渦で吹いてくるのか?』

『そうだ。

  本気の攻撃だと、150m以上の範囲が火炎渦に巻き込まれる。

  小さな町なら三十秒ほどで丸焦げにされる』

『あぁ……そうだろうな。

  ただ、あの炎竜からは好戦的な気配を感じなかった』

『そうか……、それならいい。

  竜退治だけは御免だからなぁ』


 炎竜はミクレストアム共和国に向かって飛んでいるようだ。

 竜の姿がどんどん遠ざかっていく。

 間一髪。正にニアミスだった。


 冷汗ものの出来事だったが、エイスは少し感動していた。


(炎竜……か。

 ふふっ、地球ではありえないことだな)


 なぜだか彼は本物の竜を見て、少しも恐くなかった。

 反対に、わくわくするような高揚感を覚えた。

 もしかするといずれ竜と話す機会があるかもしれない。

 エイスはそう考えるだけで胸が高鳴った。



        *


 炎竜が視界から消えてから十五分ほどが経過し、海牛人が念話で近くにいるジャビュルを呼ぶ。

 逃げていった二頭とは別のジャビュルが姿を現した。

 海牛人は念話で話しながら、その中の二頭に牽引役を頼んだ。


 出船準備が整い、船が動きだした。

 結局、二十分ほどは停船していたため、この日の予定が少しズレ込むことになるだろう。

 ただ、この程度の遅れはよくあること。

 誰も特にそれを気にしたりはしない。

 それがこの世界の日常だ。



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