03 早朝の人影


 日差しがわずかに赤みを帯び始めた頃、船は川沿いの大型桟橋に着船した。

 下りと比較すると、上り航路の船は一時間ほど早く運航を終える。

 ジャビュルを過度に疲労させないために、早めにリリースしていくからだ。


 役目を終えた二頭のジャビュルは、桟橋横で大好物の果物を夢中で食べている。

 船員たちも心得たもので、ケチケチせずにジャビュルがお腹一杯になるまで果物を与える。

 そうしないとジャビュルたちが船の牽引を渋るようになるためだ。


 エイスたちも船を降りて、この日の宿泊施設に入った。


 上り航路になり、客層も変わった。

 当然だが、宿泊施設もそれ以前とは様変わりし、格調高い大型建造物になった。

 ロビーの雰囲気からして、これまでとは異なる。


 エイスは部屋に案内され、その室内を一瞥しただけで呆れてしまった。

 内装と空間演出からしてこれまでとは異なる。

 当然のように広いリビング。そして、スリーベッドルーム。

 さすがは上級客室切符の部屋である。


 そうは言っても、エイスは一人。

 頭の中でアルスが爆笑している。


『今晩はどのベッドで寝るんだ?』

『ははっ……

  いや、おれは別にそこのソファーでもいいんだがな』


 エイスは半分本気でそう答えたのだが、アルスにはジョークにしか聞こえなかったようだ。

 アルスの大爆笑の声が頭に響いた。



        *


 エイスは読書中。

 室内の巨大ソファーで足を伸ばして寛いでいた。

 そこにヨニュマがやってきて、部屋のドアをノックした。


 部屋に入ったヨニュマもこの室内にはやはり驚いている。


 彼女は夕食の予定を確認にきたのだ。

 このホテルには複数の高級レストランがあり、通常はそれらの中から選択する。

 また、広い庭園内には酒場と食事処を兼ねた大衆的な木造平屋の店もある。

 エイスの選択に合わせて、エンリカとヨニュマは服装を考えなければならない。

 二人は高級店に相応しい服も一応持ってきている。

 ただ、それを着ることになるかどうかはエイスの選択次第だ。


「きみたちにはどこか希望でもあるのか?」

「い、いえ……滅相もございません。

 私たちはお供をさせていただくだけでございます」

「ふーん……

 そうなのか。

 まぁーそれなら、今日はとりあえず下の食事のできる酒場に行く。

 顔馴染みがそこにいるからな。

 それでもいいか?」


 事実上、二人に選択権はない。これはエイスの選択により決まる。

 ヨニュマは高級レストランに特に行きたかったわけではないが、少し拍子抜けしてしまった。

 内心では少し期待もしていたが、気後れしていたのも事実。

 とは言っても、これはエイスの選択。彼女はそれに従うしかなかった。



        *


 約束の時刻が近づき、エンリカとヨニュマの二人がエイスの部屋に向かおうとした時だった。


『これから部屋を出るから、迎えにくる必要はない。

  正面出入口で会おう』


 エンリカとヨニュマの頭にいきなり念話が響いた。

 二人は目を合わせて驚きの表情を浮かべた。


 実は、二人が驚くのも当然だった。

 ピンポイントの念話には制約があり、一対一であってもそう簡単にはいかない。

 先ず、相手の場所が特定できていること。

 次に、相手が念話可能な待機状態、かつ特定念話帯が指定されていること。

 最低でもこれらの条件が整っていなければならない。


 不特定多数に対する広範囲の念話術もあるが、それは守人族の緊急事態時用の特別なもの。通常時には利用しないルールになっている。

 そのため、複数人に対して相手側から一方的に話しかけることはできない。


 二人は念話の準備をまるでしていなかったこともあり、大いに驚いたのだ。

 おまけに、その念話は今までに経験したことのないほどクリアーに聞こえた。

 守人族の使う探索術ビュラや念話も、所詮は電波応用術。

 アナログ無線電話と何ら変わらないため、念話にはかなりのノイズが混ざる。

 一方、エイスの念話は思念体術の応用。

 一般的に用いられる念話とは全くの別もの。

 二人は化かされたような気分になったが、とりあえずエントランスへ向かった。


        *


 エントランスでエンリカとヨニュマと合流したエイスはそのまま外に出た。

 そこから庭園の方へと向かい、一般客も入れる大衆酒場的な雰囲気のお店に三人は入っていった。


 奥の席には黒豹人の二人の姿が見える。

 この二人は航路上の全ての酒場やレストラン等のメニューを食べ尽くしてきた。

 各宿泊場所で最もコスパの高い店に現れる。

 その他にも見慣れた顔がいくつか見える。

 エイスに気づいた連中が爆笑しながら、大きく手を振っている。


「あいつらの舌は確かだ。

 下手な高級店よりも美味しいものが食べられる」


 エイスはエンリカとヨニュマにそう笑顔で話しかけた。

 その時のエイスの無邪気な笑顔を見て、二人は卒倒しそうになる。



 ──それからは、……いつもの宴会になった。


 黒豹人のお馬鹿話を聞きながら、食事をとり、いつものように盛り上がった。

 エンリカとヨニュマの二人とも、最初は静かに食事をしていた。

 だが、料理とお酒が美味しいことに驚きながら、黒豹人の二人の話に乗せられていった。

 お酒が入るとエンリカの素が徐々に表れ、黒豹人の二人とともに爆笑トークを披露してくれた。


 一方で、ヨニュマは大人しく、あまり多くを語らない。

 だが、彼女は恐るべき酒豪だった。

 その飲酒のペースはゆっくりと上昇していった。

 彼女は黒豹人の二人をいとも簡単に撃破し、その後に周辺にいた獣人たちも次々に駆逐していった。

 宴の終盤には、酔い潰れた獣人たちが彼女の周りのテーブルや床に転がっていた。

 エイスはそのヨニュマのお酒の相手をしながら微笑んでいた。

 エイスにとってこの夜はエンリカとヨニュマの二人の性格を知るのに絶好の機会になった。


 エイスのお酒の強さはまた別次元。

 ──彼は龍人。

 高次元の毒耐性を持つ。アルコールに酔うようなことはない。

 アルコールは瞬時に分解されてしまう。

 それは、彼にとって少し寂しくもあった。



        **


 翌朝、エイスは早くに目を覚まし、リビングでお茶を飲んでいた。

 本を読んでいると、彼の俯瞰視が興味深い人物を捉えた。

 それは、獅子人ハーフの守人ヨルグ。


(ほぉー、早朝からか……。

 これは意外にまじめなやつかもしれないな。

 面白いじゃないか)


 ホテルの裏庭に現れたヨルグは一人で柔軟体操とストレッチを始めた。

 入念に体をほぐしてから、大きめのショルダーケースから木刀を取り出した。


 それから、ゆったりとした袈裟切りを何度も繰り返す。

 2m20cmの身長、しかも彼は獅子人ハーフ。

 守人のしなやかで細身の肉体の中に、獅子人の超人的な筋力を併せ持つ。

 剣の一振りが別次元に鋭い。

 それは人族では絶対に到達しえない領域。


 時に袖振り返しを交えながら、ヨルグは一人稽古を続ける。

 それは休みなく二十分ほど続いた。


 フゥーという息吹とともに彼は木刀を下した。

 わずか二十分とはいえ、それは非常に密度の濃い稽古だった。

 おそらく彼は日々の鍛錬を欠かしたことがないのだろう。

 それが分かるほどに内容の濃い稽古だった。


 ヨルグは汗を拭うために、タオルを取ろうとして横を向き、心臓が止まりそうになった。

 7mほど離れた所にエイスが立っている。

 彼はヨルグの稽古を見ていたのだ。


(ば、ばかな……。

 やつはいつからあそこにいたんだ!?)


 そう。武人にとって、それはあってはならないこと。

 彼は稽古中に周囲の気の流れを捉えていなかったことになる。

 単なる素振りは稽古ではない。

 彼は実戦想定の稽古をしていた。

 ──そのはずだった。


「悪いな。

 邪魔しないようにしていたせいで、逆に驚かせてしまったようだな」


 エイスにそう声をかけられて、ヨルグはようやく我に返った。


「い、いえ

 ……いつからそこにおいででしたか?」

「十分ほど前からかな」


 その返答にヨルグは軽い眩暈がしてきた。

 近づいてきていることにも気づかず、十分間も見られていたとは──。


「エイス様、……完全に気配を消す術でもあるのでしょうか?」

「そんな術はないだろう。

 それがあるなら、俺も知りたい」

「それは……そうでございますが、普通はこの距離で気づかないわけがないのです」

「そういう質問か。

 それなら、話は簡単だ。

 ヨルグの気が強く出過ぎていただけだろう。

 おれはそれを邪魔しないように素通ししただけだ」


 ヨルグはその説明を聞いてもその主意を理解できなかった。

 だが、彼はそこで過去の出来事をふと思い出した。


「そ、そう言えば、昔師匠に同じようなことを言われた気が……。

 『自分の気配をもっと抑えろ。丸見えで、がら空きだ』と」

「ああっ……まぁーそんなところかな。

 闘気が迸っていたから、俺はそれを邪魔しないようにしただけだ」


 ヨルグは師から「出過ぎた闘気は命取りになる」と何度となく窘められた。

 頭の奥で、師の顔と「だから、わしが言っただろうに」という声が聞こえた。

 その声のおかげなのか、ヨルグの体から緊張感が一気にとけた。

 彼は昔を思い出し、大声で笑いだした。

 一頻り笑ったところで、彼はエイスに話しかける。


「エイス様、よろしければ少しお相手をお願いできませんか?」

「相手!?

 まぁーそれはいいけど、おれは木刀を持ってないぞ」

「私がいくつか持っております。

 それでもよろしければ、お使いください」


 ヨルグはそう話すと、地面に置かれた革製ショルダーバッグから四本の木刀を取り出した。

 エイスはその四本の木刀に触れて、思わず唸った。


「これは手製の木刀じゃないか!

 自分で削り出して作っているのか?」

「はい。これだけは好みとこだわりがございますから」


 エイスが唸ったのは、無理もないことだった。

 その木刀のバランス、強度、湾曲形……等々、実刀に合わせた素晴らしい出来だ。

 どうやら彼の師はかなりの高次剣士だったと思われる。


 エイスは四本の中から最も大きく重い木刀を選んだ。

 1.8mサイズ。刀身部だけでも1.5m級だ。

 それはエイスの持つ大太刀に近いサイズ。

 普通はそんな大きな木刀を持っている者はいない。だが、ヨルグは身長が約2.2mということもあり、それを持っていたのだ。


「エイス様、なぜその木刀を?」

「単に全体のバランスが好みなだけだ。

 普段、おれは大太刀を使っているしな」

「はぁ!?

 すると、あの小太刀は小刀の扱いでございますか?」

「いや、そういうわけではない。

 小太刀には小太刀の用法と技がある」


 エイスはヨルグよりもさらにスマートな体形だが、その木刀を軽々と持っている。

 その大きさに加えて、材質的にも重い。重量は2.5kg近い。

 それをエイスはまるで小枝でも持っているかのように扱い、持ったままでストレッチを始めた。


 簡単な準備運動を終え、エイスが中段半身に構えた。

 ヨルグはその構えを見て、背筋に冷たい電流が走ったように感じた。


 エイスの構えは信じられないほどの脱力状態。

 ──もとい、自然体。

 体中の筋肉のどこにも力が入っていないように見える。

 重い木刀を持っているはずなのに、腕の筋肉のどこにも張りが見えない。


(う、うそだろう……)


 まるで物理法則を無視したかのようなその構えに、ヨルグはなぜか気圧されていく。

 エイスには間合いや構えによる駆け引きが成立しない。

 それは彼にとって初めての経験だった。


 一分ほどヨルグはエイスの動き読もうと必死に考えた。

 だが、結局、迷いなく全力撃するしかないと覚悟を決めた。


 その時、正にその瞬間だった。

 エイスの右前上腕の筋肉がほんの微かに動いたのをヨルグは見逃さなかった。

 獣人ハーフ特有の鋭敏な感覚で相手の予備動作のさらに直前の微動を見切った。

 それに即応し、最小限の遅延時間で、ヨルグが動いた。


 その刹那。エイスの姿が残像のように薄まり、その場から消えていく。


(あれは誘い……だったのか)


 ヨルグの頭にそう過った時には、微かな風とともに何かが横を通り抜けた。

 彼の手から木刀が消え、腕に痺れを感じた。


 振り向くと、エイスは彼の3m後方に立っていた。

 エイスは微笑みながら二本の木刀を持っている。


「あれでも遅かった……ということでしょうか?」

「いや、反応速度としては最短だった」

「ですが、動き出した時には既に後手に回っておりました」

「それはそうだろう。

 おれの初動はおまえの視点を瞬間的に止めるためだけのものだ。

 もしあれが誘いに見えたのなら、目が瞬間的に止まってしまっていたことになる」


 この説明でヨルグはようやく事態を飲み込めた。

 エイスはヨルグの目を瞬間的に止めるためだけに右上腕の筋肉を微かに動かした。

 ヨルグがそれに反応する以前に、彼の目が瞬間的に止まった時点でエイスは動きだしていた。

 ヨルグが始動した時には、エイスは既にヨルグの手元を打つところだったのだ。

 ヨルグがどのように素早く反応しようと、その0.07秒の遅れは致命的だった。

 獣人ハーフの守人ヨルグの動体視力をもってしても、超高速で瞬間移動するエイスの実体を捉えることはできなかった。


 ヨルグは二刀の使い手だが、二刀を持ったところで結果は変わらないだろう。

 これは刀術云々の以前の話なのだ。

 ヨルグはエイスを守人だと思っているが、彼は龍人。

 しかも最上位級の。

 強さの次元が本質的に異なる。

 たとえヨルグであっても、戦闘モードのエイスには触れることさえできない。


 加えて、エイスはヨルグの稽古を先に十分近くも見ていたのだ。

 ヨルグは全方向から解析され、その身体能力や剣術等は既に丸裸にされていた。


 ただ、ヨルグはそんな事情は知らないし、考えてもいなかった。

 単純に、強い相手に出会えたことを喜び、胸躍らせた。

 懲りないヨルグは、その後さらに三度も手合わせをしてもらった。

 結果はなにも変わらなかった。

 ──エイスは風のように消え、ヨルグの木刀を奪った。


 それはヨルグにとって不思議な体験だった。

 結局、彼は一度としてエイスにまともに打ち合ってもらえなかった。

 勝敗は一瞬で決し、木刀を合わせる機会さえ一度も与えられなかったのだ。

 ヨルグが先に打ちこんでも、気づけば一瞬で攻守が逆転し、木刀を奪われた。


「真剣なら死んでいるぞ。

 もっと生存確率を意識した方がいい」


 エイスはヨルグにそう伝えると、稽古の相手をやめて、部屋へと戻っていった。


 ───二の太刀は死への賭け。


 これは伝説的な剣豪として知られる竜系人ヴァラオ剣士ベリオス・ランダードの言葉。

 ──生き残りたければ、一刀で相手を沈めろ。


 ヨルグはその言葉と重ね合わせながら、この朝の体験を振り返った。

 そして、エイスはベリオスの直弟子ではないかと妄想してみたりもした。

 そう考えると、彼にとって少し退屈だった船旅が急に楽しくなってきた。



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