10 精霊の光


 あまりの窮地に、マイヤルの頭の中で何かが弾けとんだ。

 それまで黙り込んでいた男が、突然一方的に支離滅裂な説明を始めた。

 言い訳にもならない意味不明な話を途切れることなく続ける。

 その場にいる者たちから、話を止められることも、話しかけられることも拒絶するかのように、とにかく声を荒げ必死で言葉を羅列し続ける。

 生薬の配合、効能、副作用等々、思いつく限りの用語と言葉をただただひたすらに言い連ねていく。

 思考回路が暴走したかのように、マシンのごとく音を発し続ける。


『はははっ。

  いやいや……こいつ、

  これはこれですごい芸当だな』


 アルスがそう揶揄して、笑っている。

 それはまるで周囲の者たちを近づけないための防御結界技。


 これはなかなか面倒な男だ。

 周囲の者たちもこの男の口をどうにかして閉じさせようと方法を探す。

 しかし、そう思わせた時点で既にこの男の術中に陥っている。

 その曲芸的なスゴ技はそれなりの効果を上げていた。


 だが、そこにはエイスがいる。


 その状況を静観していた彼が静かに微笑む。

 その表情のまま、彼は左右の手を30cmほど開いた。


 パシィーン!

 ──柏手かしわでを打つ大きな音が室内に鳴り響いた。


 その瞬間、マイヤルの体がビクッと反応して、話声がピタリと止んだ。

 マイヤルの目がエイスの両手に注目する。

 それでも、我に返ったマイヤルはまた話を再開しようとする。


 マイヤルがまた声を発しようとした時、彼の目がエイスの次の動きを捉えた。

 右腕が上がり、マイヤルの方へと向けられる

 ──まるで攻撃術でも発動するかのように。


 それに気づいたマイヤルの体が硬直する。

 エイスがその気なら、マイヤルは羽虫のごとく瞬殺されるだろう。

 喉まで出かかっていた声がその恐怖の中に消えていった。

 尋常ではない量の汗が彼の顔から流れ出し、床に滴り落ちる。


「マイヤル、おまえは一体どれだけの人たちを手にかけた。

 その罪を潔く告白する気はあるか?」


 マイヤルはそう問われて心臓が止まりそうになった。

 そう。眼前に立つ龍人は全てを知っている。


 それでもこの男は全力でこの場を切り抜けるための言い訳を探す。

 だが、エイスの右手が自分の方を向いている。

 得体の知れない恐怖、不安、損得勘定等が入り混じり、彼は嘔吐しそうになる。

 しかし、多少の罪悪感を覚えることはあっても、悔悟かいごの念に苛まれたことはない。

 マイヤルとはそういう男。


「私は人族のためにただただ懸命に尽くしてきただけでございます。

 私の力不足でお亡くなりになった方々がおいでになるのは確かです。

 その全てが私の責任だとおっしゃるのでございますか?

 それはあまりに酷な責めではございませんか」


 マイヤルは絞り出すような声でそう語り、そして涙する。

 もちろん、それは演技。

 同時に、彼は次の逃げ口上を懸命に探す。


(な、なにか……なにかこの場を切り抜ける……

 良い言い訳はないのか)


 この場では何も認めず、言い逃れ続けるしかない。

 マイヤルはそれが最善策だと判断した。

 そうすれば、いずれ治安隊(警察的な治安維持隊)が呼ばれるはず。

 拘留されたとしても、彼にはその追求から逃げ切る自信があった。


(だが、龍人様だけはマズい。

 なにをしても裁ける者がいない。

 こ、この御仁をなんとかしないことには、わしは……終わりだ)


 ただ、さすがのマイヤルもエイスの右手に対する恐怖で妙案は出てこない。

 仕方なくて、彼は子供のように泣きじゃくりだした。

 そして、なにも認めず、ひたすら弁明しながら涙する。

 そして、縋るような目でエイスに慈悲を求める。


 だが、そんな演技が通用するほどエイスは甘い相手ではない。

 エイスは無表情のまま、軽く右手を握り、親指と人差し指を抓むように動かす。


 パチィーン!

 ──エイスの鋭いフィンガースナップ音が室内に鳴り響いた。


 その鋭い音がマイヤルの口と動きを再び封じる。

 室内にいる者たちが静かにエイスの後方に移動していく。


 すると、室内にふわっとした豆粒大の光体がいくつか現れた。

 それらはフワフワと宙に浮かび、エイスとマイヤルの間を漂う。


 その数が少しずつ増えていく。

 一分ほどで三十ほどの光体が現れて、静かに浮かんでいる。


「左腕を見てみろ」


 エイスからそう言われて、マイヤルは自らの左腕を見る。


「はひっ!?

 ひぃーーー!

 ──う、うでが……」


 彼は生まれて初めて自らの左腕の内部を見た。

 左腕が内部から光り、皮膚、筋肉、脂肪が透けている。

 解剖でもされたかのように、左腕全体の骨と血管が剝き出しで見えている。

 まるで人体標本の腕の部分のように、内部が透けて見えているのだ。


 実は、単にマイヤルの左腕に内照透視術ラモストリアがかけられただけだのこと。

 だが、その術を知らない者にとって、その状態は悪夢。

 この時点でマイヤルは既にエイスの手中に落ちた。


 マイヤルの顔が恐怖に引き攣る。


「おまえの話を信用する者などここにはいない。

 周りに浮いている小さな光体がなにか分かるか?

 ──それは精霊たちだ」


「……せ、せ、精霊?」

「ここでおまえを裁くのはおれたちではない。

 その精霊たちがこれからおまえを裁く。

 適当な話をしていると、精霊たちが次におまえに何をするか

 ──おれにも分からないぞ」


 無論、この話は嘘だ。

 これは次のステップに向けての仕込み(暗示)にすぎない。


 ただし、室内に浮かんでいる光体は本物の精霊たち。

 精霊は単なる思念体(精神体)。

 小動物や小鳥等の悪意を持たない無邪気な思念体だ。

 それは、実はどこにでもいる。

 普段は視認できないだけのこと。

 エイスは周辺にいた精霊たちをそこに呼び、一時的に可視化したにすぎない。


 精霊の正体を知り、その可視化術を使える者はほとんどいない。

 これは、死を超越してきたエイスだからこそ使える術

 ──思念体術。


「精霊たちはおまえの記憶と心を覗く。

 精霊たちに裁かれる前に自らの罪を認めて、全てを話すか?」


 マイヤルの頭に瞬間的に怖れが過った。

 そして、「記憶と心を覗く」の言葉がとげのように頭に残った。

 それでも、この男は精霊の存在を疑うことで、恐怖心を必死に抑え込もうとする。


 マイヤルはなにも認めることなく、今度は黙り込んだ。

 この男に時間を与えたところで、慚愧ざんぎに至ることはないだろう。


「告白する気はないようだな。

 精霊たちに哀れみの感情はないぞ。

 ──いいのか?」


 エイスは真綿を締めるようにして、マイヤルを暗示の中に少しずつ沈めていく。

 マイヤルの瞳には既に怯えが映っている。

 だが、それでも沈黙し続ける。


「では、精霊たちに犯した罪を裁かれるがいい」



 エイスはまたゆっくりと親指と人差し指を重ねるように動かす。

 今度はマイヤルからよく見えるようにして。

 そして、焦らすように。


 パチィーン‼

 ──エイスのフィンガースナップ音が再び鳴り響いた。


 その音を合図に、マイヤルの周りに精霊たちの光が集まっていく。


 マイヤルの目が大きく見開き、顔が恐怖に歪む。

 本能的に逃げようとするが、体が硬直し、思うように動けない。

 ──そう、マイヤルはエイスの暗示の中に既に囚われていた。


 直後に、エイスはマイヤルに向けて異なる術を発動する。



( <<【脅鳴波ラーダム】>> )



 鋭い波動がマイヤルの体を瞬間的に通り抜けた。


 エイスが発動したのは、モードBの脅鳴波ラーダム(Lv.1)。

 モードBは脅鳴波ラーダムの精神系攻撃。

 (情動系神経回路を攻撃し、後天的な恐怖を強烈に引き出す)


 先ほど周囲の者たちがエイスの後方に移動したのは、この余波を避けるためだ。

 事前の段取りでそう取り決めていた。


 最弱レベルの脅鳴波ラーダムだが、狭角かつ距離が近い。

 マイヤルの意識の深層から最悪の恐怖が強烈に呼び覚まされる。


 マイヤルは人族。

 獣人よりも、ストレス耐性は高いが、恐怖に対して極めて脆弱。

 エイスがかけた暗示により、マイヤルは自らが生み出す恐怖の沼に沈んでいく。

 彼の目は現世を見ながら、同時に異界も捉える。


 マイヤルの目が急に虚ろになった。

 体から意識が抜けたようになり、茫然と立ち尽くす。


 次第に彼の顔が苦悶の表情に変わっていく。

 ──ガタガタと足が震えだした。


 その足の震えがどんどんと激しくなっていく。

 そして、とうとう全身が激しく震えだした。

 夥しい量の汗が彼の体から滴り落ちる。


 マイヤルの体がまるでマリオネットにでもされたかのように不自然に揺らめく。

 暗示に縛られ、体の自由がきかない。

 叫び声を上げようにも、声が出ない。

 滝のように滴り落ちる汗で床には水溜まりができていく。


 その場にいるの者たちは、そこで信じられないような光景を目撃する。

 マイヤルの姿がまるで手品のように白髪の老人に変化へんげしていったのだ。

 顔はげっそりと痩せ細り、毛髪の半分が床に抜け落ちていった。

 マイヤルは、最後にはしゃがみ込み、全てを垂れ流した。


 それはわずか五分ほどの出来事。


 パチィン‼

 ──エイスが三度みたびフィンガースナップを鳴らした。


 それと同時に、エイスは暗示と内照透視術ラモストリアを解いた。

 だが、脅鳴波ラーダムは解かれていない。


 いつの間にか、エイスの後ろには五人の神官たちが立っている。

 へたり込んだマイヤルの前に医専神官が歩いていく。


「マイヤル、お前はこれまでに何人を殺めた?」


 十秒ほどの沈黙の後に、マイヤルが呟くように答える。


「……さ……さん

 さんびゃく……」


 これにはその場にいる全員が驚いた。

 エイスも含めて、予想が一桁違っていたのだ。


「三百……。

 は、はぁー

 それで……それは何年前からだ?」


 怯え続けるマイヤルの反応は鈍い。


「じゅ……じゅうねん……か……それ以上……。

 ひっ、ひぃーっ!

 た、た、たすけてくれ!

 こいつらを何とかしてくれ!!」


 マイヤルは幻影の沼から脱したが、まだ一部の幻影が見え続けている。

 おそらくマイヤルの周囲には彼が恐怖するなにかがまだ複数見えているのだろう。


 エイスが脅鳴波ラーダムを解いていない以上、一度深い眠りにつかない限り、その幻影が完全に消えることはない。

 しかも、脳が極限状態に疲労するまで、その幻影はマイヤルを眠らせないだろう。

 つまり、この状態が意識を失うまで続くのだ。

 もしエイスが脅鳴波ラーダムを再度重ねれば、マイヤルの精神は崩壊し、廃人になる。


 守人たちはそれからいくつかの質問をして、最後にこう尋ねた。


「これに関わっていた医術師はだれだ?」

「そ、それは……

 ベ、ベル……ベルロアース

 ジク・シシハル」


 予想通りの名前が挙がった。

 これでようやく黒幕の守人医術師を拘束することができる。

 そう守人たちが安堵した。

 ────その時だった。


「それに……

 オルケス……リグ・ベリオン」


 バサッ──エイスの後方で物音がした。

 その名を聞いて、神官の一人が手に持っていた記録用紙と書類を落としたのだ。

 医専神官たち全員が唖然とした表情を浮かべる。


「な、なんてことだ……」


 医専神官長からそう言葉が漏れた。

 その人物は、ゴードウィク聖守術専門科学校の医専教授。

 まさかのノーマークの人物の名だった。

 ──それも超大物の。


        *


 マイヤルはその場で捕縛され、大聖殿へと連行されていく。

 汚物まみれの老人が引きずられるようにして治安隊の馬車に乗せられた。

 この邸宅にやってきた時とはまるで別人の姿に変わっている。


「告白に納得すれば、精霊たちがおまえに危害を加えることはない」


 エイスはマイヤルが部屋から連れ出される際にそう告げた。

 内照透視術ラモストリアを解かれたマイヤルは少し落ち着いた表情になっていた。


 エイスは神官たちに術の効果時間の予想を伝え、尋問、家宅捜索、被害者リストの作成を急ぐように伝えた。

 マイヤルが自白している間に、少なくとも被害者と共謀の医術師たちを明らかにする必要がある。

 神官らはすぐに先に名前の挙がった二人の医術師を拘束するように指示を出した。

 この邸宅の裏に隠れていた数台の馬車と治安隊が一斉に動き出した。


 遠のいていく馬車を見ながら、エイスが口を開いた。


「おれが手助けできるのはここまでだ。

 ここから先はそちらの仕事だ」


 医専神官は片膝をつき、そこにいたその他の者はひれ伏して謝意を示した。

 エイスは苦笑しつつ、全員を立たせた。

 そして、マーサとローグとともに帰っていった。


 エルイだけはここに残り、邸宅の主と今後の対応について話すとのこと。

 この邸宅の主もまたゴードウィク人族社会の重鎮の一人。



        ** 


 エイスらが帰宅した後、大聖殿からの使者がマーサ宅を訪れた。

 大聖殿からエイスに最上級宿泊施設の部屋が用意されたとのこと。


 だが、エイスはそれを断り、マーサ宅にもう一泊することにした。

 結局、マーサ宅に三連泊。

 そして、明日にはゴードウィクを発つ。

 ────おそらく今夜も宴会だろう。



        **


 この件に深く関与していた守人医術師二人はこの日の夕方までに捕縛された。


 だが、これでこの事件が全て解決したわけではなかった。

 エイスが町から去った後に、この一件は芋蔓いもずる式に広がりをみせる。

 さらに二人の守人医術師と三人の人族薬師が捕まることに──。


 この事件は、ゴードウィクの人族社会を揺るがす大事件に発展していく。

 既に死亡した被害者の総数は、実に683人にも及ぶ。

 要治療対象者の数は84人。

 当然だが、ゴードウィク大聖殿と守人医術師協会が無償でその治療を担う。


 エイスが偶然的に関わったことで、結果的に多くの命が救われることになる。




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