07 波乱の予感


 ローストビーフや赤ワインと香草の煮込み等の肉料理が四種類。さらに、ラザニア似のパイ包み、焼貝、スープ、サラダ、カンパーニュ等々が十人用の大型テーブルの上に並ぶ。

 豪華な料理がエイスの前に盛られ、彼はワインとともにそれらを口にする。

 見た目通りに、それらは味も食感も良い。


 エイスは「お茶だけ」という話でメイラとロサンの祖母宅にお邪魔した。

 ──当然だが、それだけで終わるわけがなかった。

 夕食の時刻になってもエイスはまだそこにいた。


        *


 メイラとロサンの祖母宅には、叔母とその娘が住んでおり、三人で生活している。

 祖母マーサは68歳。

 既に他界したマーサの夫、姉弟二人の祖父は建築家。

 この高級フラットもその祖父が設計した建造物。

 息子のローグも建築家だが、ここで同居はしていない。

 ここに住むメイラとロサンの叔母は、二人の母の妹。彼女の夫も既に他界したとのことだ。


 ここに招かれ、お昼をご馳走になった際に、メイラとロサンが祖母らに先日の事件等の大筋を話した。

 エイスが助けてくれなければ、ロサンは殺され、メイラは他国に売られていた。

 二人はその時の深刻な状況と心境を話した。


 それを聞いた祖母ら三人はすぐにひれ伏してエイスに謝意を述べた。

 気づけば、そこにメイラとロサンも加わり、五人がひれ伏していた。


 その後に何が起こったかは想像も容易いだろう。

 五人がエイスをそのまますんなりと帰すわけがなかった。

 ────結局、この日エイスはこのお宅に泊まることになった。


 その後に、メイラとロサンは祖母マーサと叔母からかなりの剣幕で怒られていた。

 二人に大金を持たせた母親にも激怒していた。

 まぁ、エイスも驚いたくらいだ。誰でもそうするだろう。


『なぁーエイス。

  この家と生活を見る限り、治療費に困っているようには見えないんだが』

『全く同感だ。

  と言うより、これはかなり裕福な暮らしだろう』


 話をする中で分かったことだが、やはり祖母は手術費用に困っていなかった。

 姉弟二人の母親はマーサへの感謝の気持ちから、治療費全額相当の金貨を持たせたのだった。



        **


 本人の意向とはほぼ関係なく、エイスのこの日の宿が決まってしまった。

 この日、町を一人で散策する予定だったが、結局それは叶わなかった。

 代わりにエイスはすっかり懐かれてしまったロサンと一緒に散歩に出かけた。

 近所をぶらぶらするつもりだったが、夕方までにはまだ時間がある。


『エイス、どうせなら街中へ出ようぜ』

『それはいいけど、どこへ行きたいんだ?』

『いや、特に行きたい場所があるわけじゃない。

  中心街の雰囲気を知りたいんだ』

『わかった。

  じゃーそうしよう』


 二人は馬車に乗り、中心街へ向かった。

 そして、ロサンと一緒に街中を見て回りながら、時にお店の中に入ってみたりもした。アルスはそれだけでも十分に楽しそうだ。


 エイスは数冊の本、革製の佩刀ベルト、それに小さめのオーバル型眼鏡を購入した。ちなみに、それは変装用だ。


 三時間半ほどで祖母宅に戻ると、ダイニングにはロサンの伯父ローグ(姉弟の母親の兄)が座っていた。

 エイスはローグたちと挨拶を交わしたが、またもその全員にひれ伏された。

 エイスは守人と思われているが、それでもこの対応だ。

 彼はとにかく普通の守人を演じることに徹した。


        *


 豪華な食事がテーブルに並べられ、長い夕食が始まった。

 五時過ぎ頃からワインと前菜をつまみながら始まった夕食を終え、エイスらはソファーに移動する。

 時刻は既に八時半を回っている。


 体調の優れないマーサは、さすがに部屋で一度休んでいた。

 ソファーに移動してエイスたちが話していると、お風呂上がりの彼女が現れた。


 一見では元気そうだが、エイスは彼女のむくみと肌の色艶から病症に察しがついた。風呂上がりで少し紅潮した肌のせいか、病症が一層分かり易かった。


(これは明らかに肝臓か腎臓。

 いや、おそらくその両方だろう。

 心臓が良くないそうなんだが、う~ん……どうなんだだろうか。

 それよりも何だか妙にアンバランスな症状の表れ方をしている)


 エイスはその点が気になり、医術師の診断と現状について尋ねた。

 あまり係わらないようにしていたのだが、ローグについ質問してしまった。

 メイラの骨折を瞬く間に治した話をメイラとロサンの二人から聞き、ローグが説明してくれた。


 ────心血管疾患。

 その説明を聞いて、エイスの表情が曇る。

 彼には少なくとも心疾患のようには見えなかったからだ。

 腎臓と肝臓の障害による高血圧が心臓にも悪影響を与えている。

 エイスは心臓以外の内臓器の病を先ず疑った。

 彼ならこっそり簡易透視術スキャンを使うこともできたのだが、それは控えた。


 マーサの肌には気になる紅斑も出ている。

 エイスはマーサとローグの方を向いて口を開いた。


「気になるところがある。

 おれが一度診ようか?」

「エイス様、気になるところとは?」

「一見しただけだが、心臓よりも肝臓と腎臓の方が問題にみえる。

 簡易透視術スキャンを使えば、はっきりするはずだ」


 このエイスの提案に家族全員が驚きの声を上げた。

 だが、メイラとロサンの一件からもエイスが高次の守人医術師であることは明らかだった。

 皆が戸惑っていると、祖母マーサが自ら診察を願いでた。


 エイスはマーサをソファーに寝かせると、軽度の導眠術をかけた。

 術中に動かれてしまうと困るため、その間は眠っていてもらうことにしたのだ。


 ところが、彼はマーサを軽く触診した段階で、方針を変えた。


(これは……

 明らかに不自然な症状だ。

 簡易透視術スキャンではなく、内臓を全体的に診るべきかもしれない)


 彼は周囲で見守っている家族に向けて話しだした。


「普通は手から簡易透視術スキャンを発動して、その周辺を透視する。

 だが、この場にいるのは幸いに家族だけだ。

 内臓器官を全体的に俯瞰するために特別な術を使おうと思う。

 みんなにも体内が見えるが、驚かないでくれ」

「えっ!?

 お母様の体内を見ることができるのですか?」

「そうだ。そういう術だ」


 エイスは簡易透視術スキャンではなく、内照透視術ラモストリアを発動する。

 ソファーに横たわる祖母の体が内から輝きだした。


 「おおっ」や「ええっ」という驚きの声が漏れ聞こえる。


 体内の輝きが強まり、内臓器官や血管等がその輝きの中で浮き上がるように見えてくる。

 その輝きが強まるに従い、皮膚組織や肉等が視界から消えていく。

 内臓器官と血管等だけが半分透き通った状態で見えている。


 心臓が大きく脈打ち動く様子がそのまま見える。

 心臓が脈打つ度に、血管が伸縮して血液が全身を循環している。

 全員がリアルな内臓器官と血管の様子を凝視する。

 その場にいる家族はまるで固まっているかのように動かない。


内照透視術ラモストリアを使って正解だった。

 人族の内臓器官は地球人に非常に近いがやはり微妙に違っている。

 中枢神経構造も少し異なるな……。

 臓器は地球人よりも進化しているようだ。

 心臓は特にそうだな)


 蛇人アーギミロアに比べれば、人族の肉体はそれほど複雑な構造体ではない。

 彼は五分ほどの時間を使い、内臓器官を入念に調べた。

 それから、エイスは解析のために数十秒間動きを止めた。


 エイスの顔が周囲で見守る家族の方へ向く。


「やはり、予想した通りだ。

 弱ってはいるが、心臓そのものに異常はみられない」

「ええっ!?

 しかし、ベルロアース先生は心臓付近の血管二本を手術する必要があると……」

「いや、それはおかしい。

 心血管に処置を要するものはない。

 だが、腎臓と肝臓を中心に臓器の状態が不自然に悪い。

 それが高血圧の原因にもなっている」


 その話を聞いて、息子のローグは動揺する。


「し、しかし、ベルロアース先生は……」


 エイスは心臓とその周辺に手を翳して、上空に拡大して投映する。

 彼は各所や血管を指差しながら、その状態について説明していった。

 本物の心臓とともに説明を聞いたローグは表情を強張らせて黙り込んだ。


 話を聞いていた叔母は、それについて何か思い当たるところがあったようで、その場の話に割って入った。


 そもそもマーサは膝が悪くなり、薬師に頼み、煎じ薬をもらったのだそうだ。

 それを飲み始めてしばらく経った頃に、祖母に血尿の症状が現れた。

 それで、人族専門の守人医術師の診療所へ行ったとのこと。


 心血管の問題。加えて腎臓も良くない。

 そう診断され、治療と薬師からその処方薬(漢方的な薬)を受けるようになった。

 それから少しずつ体調が悪くなり、現状に至ったとのこと。

 今は胸に重苦しさも感じる、と。

 膝の痛みがいつの間にか心血管疾患へと変わっていったそうだ。


 叔母からその説明を聞いたエイスは、今度は腎臓を拡大して、家族にその状態を見せる。

 腎臓の色が明らかに悪い。濃く、やや薄暗い茶色。

 肝臓の状態もかなり悪い。やや灰色で、肝硬変も起こしている。

 どちらも弾力性に欠け、硬化している。


 そこまで説明してから、エイスは内照透視術ラモストリアを止めた。

 そして、導眠術を解いた。

 マーサはすぐに目覚めたが、少し怯えたような家族の表情を見て、不安を覚えた。

 少し考え込んでいる様子のエイスに五人全員が注目する。


「悪いが、今服用している処方薬を見せてくれないか」


 叔母が小走りでその処方薬を取りに向かった。

 エイスはそれを受け取ると、今度はその処方薬をテーブルの上の皿に広げる。

 そして、その粉薬に手を翳して電磁波を照射し、解析を始めた。

 エイスの手から薄い多色の光が照射される。

 解析を始めて数秒後に、エイスの表情が俄かに険しくなった。


「──そういうことか」


 エイスはそう呟き、口元に手を添え、また考え始めた。


「こ、この薬に何かが入っているのでしょうか……」


 その沈黙と緊張感に耐え切れず、ローグがエイスに話しかけた。

 エイスはそう問われて、クールな表情で話しだした。


「そうだな……。

 簡潔に答えよう。

 これは薬ではない。

 生薬も混じってはいるが、胸脇部の圧痛を一時的に抑える程度の効能しかない。

 この中には、他に毒茸の成分、それにもう一種類、毒物(毒性元素)が微量に含まれている。

 肝臓と腎臓を中心にした臓器の機能障害の元凶はこの二つだ。

 時々胸が重く感じるのはこの毒茸の成分によるものだ。

 これを定時的に服用すれば、間違いなく肝臓と腎臓を患う」


 室内が静寂に包まれた。

 マーサはあまりの驚きで口がぽかんと開いてしまっている。

 他の者たちも似たような表情をしている。


 その数秒後から大騒ぎになったことは言うまでもないだろう。

 全員が真っ赤な顔である人物の名前を挙げ、そして罵る。


 ────人族薬師、マイヤル・ニイルセン。


 それでも家族は五分ほどで落ち着き、エイスの次の言葉を待った。

 その視線を受けて、エイスが再び口を開いた。


「原因は分かった。

 さっさと治療してしまおう」


 そうマーサに伝えてから、エイスは家族の方に視線を送った。


「「「「「 エーッ‼ 」」」」」


 家族全員が見事なハーモニーを奏でた。

 タイミングも全員見事にピッタリだった。

 エイスは思わず笑ってしまう。


「解毒してから、肝臓と腎臓の回復処置をしよう。

 この程度の肝硬変の治療ならそう時間はかからない。


 完全回復には多少時間がかかるが…………

 うんっ?

 ────やらないのか?」


 直後に、全員から同時に「お願いします」の声が響いた。

 それを聞いて、今度はアルスが爆笑する。


 エイスはマーサを再度ソファーに寝かせると、先ずは肝臓の上に右手を翳した。

 それから、解毒(毒素の分解)のために多数の小術が同時発動される。

 彼の掌が薄い紫色に輝いている。

 解毒の処置を終えると、肝硬変の治療、そして腎臓とその他の臓器周辺の処置も行われた。

 その後に、今度は二十ほどの小術を組み合わせて、各臓器の状態に合わせた回復処置が施された。

 解毒から回復までの所要時間は十分ほど。

 それらの処置を終えてから、エイスはマーサに話しかける。


「これでもう大丈夫なはずだ。

 それから……

 左膝の関節に少し水が溜まっているな。

 これも治しておこうか?」


 エイスにそう尋ねられて、マーサは満面の笑みを浮かべながら、その治療もお願いした。

 膝の治療はわずか三分ほど。あっという間に終わった。


 全ての治療を終える頃には、マーサの顔色がまるで別人のように良くなっていた。

 家族一同がまたひれ伏して感謝の意を述べた。


 エイスはさっさと全員を立たせると、ソファーで話し合いを始めた。

 彼は先ず、マーサのこの一件からは非常に危険な匂いがすると伝えた。

 薬師が微毒を混ぜて調剤し、医術師もそれに関わっている可能性が高い、と。

 彼には被害者がマーサ一人だけとは思えなかったのだ。

 その理由までは分からない。だが、彼には嫌な予感がした。


 家族五人はエイスからのその説明を聞いて、身も凍る思いがした。

 そして、近所に似たような症状の老人がいることを思い出した。

 それから、エイスと五人はこの事件について、別の角度から話し合い始めた。


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