06 川と湖と職人の町


 ミクリアム神聖国中央域の最大都市ゴードウィク。

 豊かな水の町。人口は約22万人。

 この町のすぐ傍には大きな湖があり、五つの川が町全体をまるで区分けするかのように流れている。

 交易の要所、そして職人の町として知られる。


 スロベニアのリュブリャナに似た町並み。

 街中には多数の見事な大木が生い茂る。


 この町のすぐ横にある湖はミクリアム神聖国の誇る水航路の拠点の一つ。

 このため港は中心街から少し外れた場所にある。

 中心街までは徒歩で40分ほど。乗合馬車なら15分の距離。

 オペル湖行きとミクレストアム共和国行きの船が発着する。



        ***


 ゴードウィク港の立派な正面ゲートから、美しい金髪の男性が現れた。

 眼鏡と顎髭のために表情までは確認できないが、その立ち姿だけでも人目を引く。

 正面ゲート周辺に立っている女性たちが、一人また一人とその男の方へ視線を向ける。

 ────それはいつもの光景。


 ゲートを出ると、エイスの目に川と美しい街並みが飛びこんできた。

 川沿いには木々と石造建築物が立ち並ぶ。

 そして、視線の先には優美なアーチ状の橋が重なるように整然と並んでいる。

 お洒落ではないが、豊かな緑と見事に調和した閑静な街並みだ。


 街中には大型の石造建築物が並ぶ。

 そうは言っても、建造物は高くとも七階から八階建て。平均的には五階建てまで。

 基本的に組積造の石造建物がほとんどだ。

 ガラス張りの高層ビルなど、どこにも存在しない。


 エイスの目には、町の南西方向の建造物は古く、反対に北東部はわりと新しいように映った。

 彼はその点をアルスに尋ねる。


『北東部の建物の建築様式が他とは異なるみたいだな。

  この町も攻撃を受けたことがあるのか?』

『そうだ。

  俺がまだ戦っていた当時にこの町も何度か攻撃を受けたはずだ』

『カミロアルバン帝国の軍はここまで勢力を伸ばしていたのか……。

  可燃性物質広範囲起爆術エクルアミストが開発される前だろう?

  よく撃退できたな』

『いや、ミクリアム神聖国が自力で撃退したわけじゃない。

  帝国軍を撃退したのは竜族だ』

『竜族が動いたのか?』

『ああ、八体の竜と竜系人ヴァラオが動いた』

『そういうことか……。

  ただ、さすがに竜たちでも砲撃は厳しいだろうに』

『竜族と竜系人ヴァラオは頭が良い。

  さすがに馬鹿正直に真正面からはいかないさ』

『……となると、奇襲と夜襲か?』

『そういうことだ。

  夜中に突然真上から現れて、広範囲の雷撃ザリオ灼熱火炎ロアルで攻撃をされてはなぁ。

  火薬は諸刃だ。広範囲電撃にも敏感に反応する。

  八体もの竜が同時に攻撃してきたら、打つ手はない』

『その戦場があの辺り(北東部)だったわけか』

『そういうことだろうな。

  ただ、後にも先にも帝国がこの国に攻め入ったのはその一時期だけだ』

『その時にはかなりの犠牲者が出たのか?』

『この町でも一万近い犠牲者が出た。

  だが、ここには職人たちが多い。

  犠牲者の八割近くは人族(穏健派)だったはずだ』


 煉瓦や石材の建築物の多い町には、街並みに戦争の爪痕が残る。

 エイスは、ミクリアム神聖国は五十年戦争に巻き込まれなかったと聞いていた。

 だが、全く無縁だったわけではなかったようだ。

 ただ、アルスから言わせれば、その程度なら「無縁」の扱いらしい。

 それほどにカミロアルバン帝国は非道の限りを尽くしたということだった。


 アルスはそれでもかなり感慨深そうだった。

 この街並みと人々の生活ぶりからも、時代の変化を感じ取れたようだ。

 彼はそれを喜びながらも、心情的には少し複雑な思いもしたのだろう。

 きっともう少し後に生まれたかったのではないか。

 エイスはそう察した。


        **


 エイスはこの港で今度はオペル湖行きの船に乗る。

 次の乗換地はストルフォーク。聖竜湖オペルの北の玄関口の町。

 そこから大陸屈指の観光地へ向かう。

 美しい水の都、ミシリアン島。


 ただ、切符はべノンの町でストルフォーク行きを購入したため、船は変わらない。

 船はここで簡単な点検と補給を受け、乗組員も休息をとる。

 発船は三日後。

 エイスはその間にこの町を観光するつもりだった。

 過去形なのは、その予定が変更になったためだ。


 港の正面ゲートを出たエイスの横には、メイラとロサンの二人も立っている。


 ──そう。

 結局、二人を祖母宅まで送り届けることになったのだ。

 何しろ二人の鞄には大金が入っている。そして、今やそれを知る者も多数いる。

 まさか、その鞄を持たせたままで放り出すわけにもいかなかった。


『悪いなアルス。

  ゴードウィクの街を見て回る時間が少し短くなる』

『まぁーいいさ。

  今日がそれで潰れても、明日から見て回ればいいんじゃないか。

  二人を放っておくわけにもいかないだろう』


 二人は別に「旅は道連れ」的な心意気なわけではない。

 この姉弟を送っていっても、一日くらい町をブラブラする時間はあるだろう。

 単純にそう考えての行動だった。


 三人は荷物とともに、先ずは中心街行きの馬車に乗り込んだ。

 四頭立ての16人乗り馬車だが、乗客はエイスたちを入れても10人。

 馬車は軽快に走っていく。


 中央通りで馬車を降りると、祖母宅方面に向かう馬車の通る道まで歩く。

 鞄を抱えるロサンはやや緊張気味な面持ちだ。

 エイスに寄り添うようにして歩きながらも、警戒は怠らない。

 もちろん、エイスが俯瞰視で周囲の状況を常時監視している。


 アルスは通りを移動しながら馬車を乗り換えるのは初めてらしい。

 それだけでも新鮮なようだ。

 アルスは街中をブラブラするのが結構好きだ。


『乗り換えが非効率だな』


 とか言いながらも、通りの趣が変わるのが楽しいようだ。


『戦時中の街は汚かったし、暗かった。

  銃弾や砲弾の痕を見て楽しい気分になるやつはいない。

  それに、いつも馬か翼竜に乗っていたからな。

  ゆっくり街中を見て回る機会なんてなかった』


 のんびり街中を見て回りながら、気になったお店の中に入ってみる。

 アルスにとっては、それだけでも十分に楽しい時間なのだ。


 エイスもこの類の馬車移動は初めて。

 とは言え、通りを移動してのバスの乗換と、同じと言えば同じ。

 エイスはむしろ都市部にも自動車が存在しないことを改めて実感し、それが新鮮だった。


(自動車が走っているのが当たり前だったからな。

 大きな町の通りを走っているが馬と馬車だけというのも……

 いいな!)


 馬車は風情がある。

 コンフィオルと同様に、街中でも馬たちが交通の要だ。


 そして、その料金の支払い方法が特徴的だ。

 アルスが街中の馬車代金の支払い方法を知るわけがない。

 出発前に三巫女のアミルから教えてもらった。


 基本、切符のない乗り物は、支払い時にお釣りを返さない。

 バスでお釣りが出ないのとは異なる。

 規定料金以上で支払うのが暗黙のルール。

 銀貨しか持っていなければ、銅貨料金を銀貨で支払うことになる。

 お釣り分はチップ的な扱いになる。

 地球にもこれに似た運賃支払いを採用している都市がある。

 両替の必要がある場合は、搭乗前に済ませておかなければならない。


 今日はメイラが三人分をきっちりと用意して支払ってくれている。

 さすがは人族のしっかり者。


 ただ、お上りさんの人族や獣人の中には時々釣銭を求める者もいるらしい。

 それでも小競り合いにまで発展することは稀なようだ。

 だが、最後まで釣銭で揉めるのは、……ほとんどが人族とのこと。

 獣人は諦めが早い。揉めるまでに至らないそうだ。


 通りで待っていると、二頭立ての10人乗り馬車がやってきた。

 二頭立てだが、今度は馬が大きい。

 クライズデール級よりも二回りは大きい。見事な馬体だ。


(この馬はよく見かけるけど、どの馬もおとなしそうだ。

 脚が少し太めの馬の方が温厚なのかな……)


 エイスは大型馬好き。今度は彼の顔が少し嬉しそうだ。

 乗車する際に、メイラが降りる場所を御者に告げる。


 ゴードウィクの町には人族が多い。

 人口の四割弱が人族。そして、職人の町。

 エイスは通りの店を眺めながら、ショーウインドの大型ガラスの出来に感心した。

 地球のようなコンピュータ制御の工作機械、溶解炉、溶融炉等を用いずに、巨大ガラスを製作するにはかなりの技術が必要なはず。

 人族の職人が製作したはずだが、その技術は侮れないレベルだ。


 この世界では、人族は農牧業では獣人族に勝てない。

 感覚器を含む基本能力が違い過ぎるからだ。

 反面、精密・精工な加工と製作の技術は人族が勝る。

 鍛冶職人や料理人の大多数が人族。

 酒造りは人族と獣人族の共同作業。

 獣人族の嗅覚と味覚は酒造りに不可欠だからだ。

 獣人族と人族の共同事業経営が多いのは、自明の理なのだろう。


(存外、適材適所なのかな……。

 獣人族と人族が共生する社会はバランスが良いのかもしれない)


 多種族共生の結果が大陸東部域の国々。

 それを拒否した人系族の国が、カミロアルバン帝国とリギルバート王国。

 地球と変わらない美しいショーウインドを眺めながら、エイスの頭にそんな思いが過った。



        **


 馬車に揺られること、十五分。

 馬車が止まり、エイスらが降りてきた。

 四階建以上の建造物が立ち並ぶ、落ち着いた雰囲気の居住区。

 祖母宅はどうやら目の前の五階建ての高級フラット(英国式集合住宅)のようだ。

 なかなか広そうだし、かなり綺麗な建物だ。


 エイスは尾行がないことを確認していたが、念のために広範囲俯瞰視を用いた。


(尾行はないはずだ。

 不審者もいない。

 ──大丈夫だな)


 安全確認を終え、エイスのお役目もここまで。

 メイラとロサンの二人とも、ここでお別れだ。

 二人にそう告げて、エイスは繁華街へ戻ろうとする。


 ────が、ロサンがエイスの腕を掴んで離さない。


 メイラもエイスを祖母宅に招待しようと、何度もそう願い出る。

 終には、引き留めるために彼女もエイスの腕を掴んで離さなくなった。


 通りではそのプチ騒動がしばらく続いた。

 そこに、そのやり取りに気づいた二人の叔母が降りてきて、建物から出てきた。

 エイスはこの機を上手く活かして、挨拶だけしてその場から離れようとした。

 ────が、またも失敗。


 三分後、エイスは三方向を囲まれるようにして、建物内に押し込まれていった。



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