04 怒りの火炎渦


 午前0時1分。

 その部屋の扉は内から静かに開かれた。

 中から覆面をかぶった男が周囲の様子を窺いながら静かに現れた。

 左手には革鞄を持っている。


 エイスの見たシーンと全く同様に、この男の後から他に二人の男たちが出てきた。

 その二人の肩にはロサンとメイラが抱えられている。

 鞄を持つ男は扉を閉めると、他の二人に手で合図をしてから、階段へと向かう。

 その後を追うように他の二人も足早に移動していく。


 三人は廊下を左に曲がり、そこの階段を下りていった。

 ──時刻は0時3分。


 なぜか一階ロビーは無人。

 三人の男たちは一階のフロント前を堂々と歩いていく。

 男たちはそのまま建物正面の扉から堂々と外へと出ていった。



         *


 三人の男たちは足早に進み、宿泊施設の裏の柵を出て、広い空き地を進んでいく。

 そこから150mほど先の草地には馬車が止まっている。

 ザクザクと足音を響かせながら、三人は一直線にそこへ向かっていく。


 待機している馬車の横にも一人男が立っている。

 その男は灯りを三人の方へ向けて、近づいてくる者たちを確認しようと窺う。

 ただ、手に持つ灯り一つだけでは暗い。

 馬車の男は不安気な表情を浮かべながら、何度も三人の様子を窺う。

 だが、まだ遠い。覆面のせいで三人を特定できない。


 馬車まで5mの距離に近づいたところで、先頭の鞄を持った男が覆面を外した。

 それに続いて他の二人も覆面を外した。

 馬車の男も含めて、四人ともに人族。

 馬車の男は三人の顔を確認できたことで、ようやく安堵の表情を浮かべた。


「上手く運んだようだな」

「当然だ。

 楽勝だった」


 男はそう答えてから、馬車の男に鞄を示した。

 そこにいる四人全員が不敵な笑みを浮かべる。


 ロサンを抱えた男が馬車の荷台にロサンを下した。

 もう一人の男は肩に抱えるメイラを指さしながら、灯を持つ男に尋ねる。


「この女はどうするんだ?」

「女はリギルバート王国の奴隷商に話をつけてある」

「ふーん、そうなのか……。

 じゃー後で少し遊ばせてもらうとするかな」

「馬鹿野郎、俺が先だ!」

「ちぇっ! お前の後かよ……。

 それでガキの方はどうするんだ?」


 男は冷笑しながら口を開いた。


「──ガキの方は埋める」


 その話しぶりは害意に満ちていた。


 そう話しながら、男は肩からメイラを馬車の荷台に下した。

 ドサッ──という音が聞こえた。荒っぽい下ろし方だ。


 その揺れと大きな音でロサンが目を覚ました。

 ただ、暗いうえに薬のせいで頭も体も動きが鈍い。


「メ、メイラ!?

 お、おま、おまえたちは……

 えっ?!

 ────ボ、ボランじゃないか!

 な、なぜここに?」


 ロサンは目の前の男を知っている。

 だが、それは最優先事項ではない。

 彼はメイラを助けに動こうとするが、脚に力が入らない。

 腕にも同様に力が入らない。

 実は、メイラとロサンの食べたスィーツにはエイスが食べたものよりも多量の薬が盛られていた。

 そう。二人は最初から狙われていたのだ。

 ロサンはなんとか中腰になるが、フラフラの状態だ。


「ちっ! ガキの方が目を覚ましやがった。

 仕方ない。縛り上げて、口もふさいどけ!」


 ロサンは12歳の人族。まだ力は強くない。

 抵抗するが、男に抑え込まれそうになる。

 それでも、彼は必死に抵抗し、懸命に叫ぼうとする。

 だが、なぜか喉がまだ閉じた状態だ。

 大声を出せない。


 ロサンの呻くような声と激しい暴れ方でメイラも目を覚ました。

 彼女はゆっくりと体を起こすが、頭がどんよりと重い。

 置かれた現状を理解できないメイラはきょとんとしている。


 だが、彼女はすぐに事態が急を要することに気づいた。

 助けを呼ぼうとするが、薬の影響で思うように声を出せない。

 必死に抵抗し、殴られている弟を見て、彼女は弟を助けようとする。

 だが、やはり体が思うようには動かない。

 姉弟二人は絡まるようにして、荷台から転がり落ちた。


 その拍子にメイラの声帯が開いた。


「た、たす……

 いっ‼

 ゲホッ!」


 助けを呼ぼうと声を張り上げかけたところに、男からの強烈な蹴りが入った。

 その衝撃でメイラが2mほど転がった。


 あまりの衝撃に彼女はしばし呼吸ができなかった。

 同時に、彼女は腕に激痛を感じた。

 尋常ではないその痛みに、左腕を見ると腕が奇妙な角度に曲がっている。

 脇腹からも同様に激しい痛みを感じる。

 あまりの激痛にまた喉が閉じてしまう。

 ヒューという、むせぶような引き声しか出せなくなった。


「ちっ、暴れるからだ!」


 そこに必死の形相のロサンが男に体当たりした。

 だが、12歳のロサンの体重では、男はグラつくだけだった。

 それでも、骨折して動けないメイラの前に立ち、必死に姉を守ろうとする。

 そこに他の男たちもやってきた。


「くそっ! このガキが……

 騒がれると面倒だ。

 先に始末するぞ」


 その指示を聞いて、男たちが腰から小剣を抜いた。

 ロサンも隠し持っていたナイフを取り出し、必死の形相で男たちにそれを向ける。

 だが、それは刃渡り15cmほどのナイフ。しかも、工作用のもの。

 ただ、戦う以前に薬の影響で思うように動けない。


「おいっ……。

 こいつ生意気にやる気だぜ。

 バカなやつだ。

 それじゃー望み通りに先に逝っとけ!」


 60cm級の剣身がロサンへと容赦なく振り下ろされる。

 ────ビュッ!


「うぎょ……!?」


 男はそう奇妙な声を発した。

 斬ったはずのロサンはそのままで、男の視界からロサンを斬ったはずの小剣が消えたからだ。

 次の瞬間、男は猛烈な痛みに襲われた。


 その痛みで男はようやく気づいた。

 小剣とともに振り下ろしたはずの両腕が消え去り、そこから血が噴き出している。


 ギィェー‼

 ──叫び声が木々と暗闇に響き渡る。


 そこでようやく男たちはロサンの後ろに長身の守人が立っていることに気づいた。

 しかも、男は右手に1.7m級の大太刀を握っている。


「悪いな。少し遅くなった。

 メイラ、ロサン、大丈夫か?」


「エイス様‼」

「ああっ、エイス様」


 その約100m後方には護衛の黒豹人二人も猛速で駆けてきている。

 エイスはその黒豹人二人を遥か後方に置き去りにするほど速かった。


 メイラの状態を一瞥し、エイスが怒りの表情に変わった。

 いつもクールなエイスの瞳に憤怒の炎が躍る。

 地球人の虐殺の歴史と社会犯罪が彼の頭の中で大量のモノクロ写真とともに駆け巡った。


(──人間の暴虐性はなぜ変わらない!?)


 彼は右手に大太刀を握ったまま、左掌を上方に向け、火炎術を発動した。


 強烈な灼熱火炎ロアルの火炎渦がエイスの左掌の5m上方から吹き出した。

 50m超級の巨大な炎柱が400m以上も吹き昇る。

 最上層の炎渦は140m級に達し、一面を昼間のように明るくする。

 その竜巻のごとき火炎渦は、非現実的なほどの暴威。

 地上にいてもその周辺は燃えだしそうなほどの熱を受ける。

 そこにいるだけで火傷しそうになる。


 半ばリミッターオフ状態のエイスが本気で火炎術を使うと、途方もないエネルギーが放出される。

 その炎が地上に向けられれば、周辺の全てが焼失しかねない。

 もしそれが竜炎バロムだったら、たとえ上空に向けての火炎渦であっても、大惨事になるだろう。


『エイス、そいつはだめだ!

  もっと熱量を抑えろ‼』


 エイスを制止しようと、アルスが慌てて声をかけた。

 それに呼応するかのように火炎渦の熱量がわずかに下がった。


 馬が逃げ出そうと暴れだし、馬と一緒に馬車が横転した。

 人族の男たちの目には、天空全てが炎で燃えているように映った。

 そのあまりの業火と猛熱は、男たちに瞬間死の恐怖を与える。

 男の一人は腰が抜けて、失禁した。


 宿泊施設内で眠っていた守人たちまでその術波の影響で目を覚ました。

 あちこちの部屋の窓が開き、守人たちが外の様子を窺いだした。


 これにはそこに向かっている獣人たちもビックリだ。

 その竜巻のごとき爆炎柱を見て、他の船の護衛たちも一斉にこちらへ向かってくる。


「おまえたち、骨も残らないように焼いてやろうか?」


 普段温厚なエイスが珍しく怒りを露わにした。

 残る二人の男も慌てて剣を放り出し、両手を上げた。


 そこに黒豹人二人が到着した。

 すぐに三人の男を地面にうつ伏せに倒して、足で踏みつける。

 両腕を切り落とされた男は蹲り、ただ泣き叫んでいる。

 そこに、遅れて水蜥蜴人二人も到着した。


 エイスは灼熱火炎ロアルを止め、納刀してから、膝をついてメイラとロサンの状態を確認する。


 護衛の獣人たちは犯人たちを横転した馬車にあった縄で拘束する。

 その他にも大勢の護衛の獣人たちが間もなく到着した。


 少し遅れて数人の守人もやってきた。

 エイスは腕を切り落とした男の治療を守人に指示した。

 この宿泊施設であれば、どこかに守人医術師がいるはずだ。

 医術師が迅速に処置すれば、両腕はなんとか癒合するだろう。


 エイスは灯光術を発動し、周辺を明るくする。

 護衛の獣人たちの作業を助けるためだ。


 メイラの左腕はひどい状態だ。

 左上腕がパンパンに腫れ上がっている。

 左上腕骨中央の骨折。肋骨もだ。

 その他にも、数か所にひどい打撲。


 脇腹の状態を確認してから、彼は小術を組み合わせて鎮痛術を発動した。

 そして、メイラを静かに両腕で抱え上げた。

 それから黒豹人に声をかける。


「俺は戻ってメイラの治療をする。

 後は任せるぞ」

「助かったぜ、旦那!

 こいつらは俺たちで取り調べるから、任せてくれ」

「あぁ、任せた」


 護衛の獣人たちにとって、これは船の信用問題に関わる一大事。

 エイスが知らせてくれなければ、責任を問われかねない次元の事件だ。

 反対に、この類の事件を解決すると、雇用主から報奨を貰える。


 すると、もう一人の黒豹人が馬車の荷台付近からエイスに声をかけた。


「旦那!

 この鞄は二人のものじゃないですか?」


 その問いかけにロサンが反応し、慌てて鞄を受け取りに走った。

 ロサンはその鞄を受け取ると、大事そうに胸に鞄を抱えて戻ってきた。

 そのロサンの安堵の表情から、エイスはこの一件の賊の狙いがようやく分かった。


(この賊の狙いはあの鞄か。

 それにしても、メイラとロサンはまだ15歳と12歳……。

 鞄の中身は──)



        **


 エイスが二人の救出に遅れたのにはいくつかの理由があった。

 第一は、初めて経験したあの白昼夢のような映像についてのアルスとの意見交換。

 第二に、それが実際に起こるかどうか、先ずは検証しなければならなかった。

 第三に、メイラとロサンの二人だけが標的になる理由が分からなかった。


 この最後が難題だった。

 そのシーンが非常に短かったため、その連れ去りが二人の身にだけ起こることか、それとも他の多数の宿泊客にも同様に起こることなのか、見極められなかったのだ。

 エイスとアルスは、睡眠導入剤成分入りのスィーツが事件に関係すると考えた。

 そうなると、同時多発的に起こる事件性についても想定しなければならなかった。

 誘拐であれば、メイラやロサンよりも裕福そうな家族も泊まっていた。

 また、二人よりも幼い子供たちの誘拐も危惧した。

 事件が実際に起こること、そして賊の人数や狙い等を確認する必要があった。


 そうは言っても、時間的な猶予がなかった。

 とりあえず、寝ていた護衛の四人を急いで叩き起こし、最悪の事態に備えた。

 もちろん、エイスは俯瞰視で二人の状況を把握していた。

 ただ、さすがに二人が目を覚まして、揉み合いになることは想定していなかった。

 ロサンが目覚めなくとも、数分後にはエイスたちが賊を制圧していたはずだった。




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