03 霞中の近未来
船旅三日目。
ゴードウィクが近づくにつれて、川幅と水深が増していく。
これはいくつかの川が合流したことによるもの。
それでも流速が増すようなことはなく、むしろ緩やかになっている。
(──これはすごいな。
平地の高低差が極端に少ないのは分かっていたが……
ほぼフラットなうえに、ゴードウィクに向けてわずかな傾斜が続いていくのか。
大地がまるで水航路のために整地されたみたいだ)
エイスはこの国の平原と河川にいつも驚かされる。
ただ、水量が増したせいか、さすがに水の透明度は少し低下しきたようだ。
船上から川底を窺いにくくなった。
**
陽が傾いてきた頃、遠く先の大木の横に桟橋らしきものがちらりと見えた。
しばらくすると、川幅の変化に合わせるかのように、ここまでで最大規模の桟橋と建造物が現れた。
合計四基の桟橋があり、五隻の客船が既に係留されている。
その中の二隻は、ゴードウィク経由でミクレストアム共和国に向かう上級客船。
船体自体も大きく、外観からしてエイスの乗る船とは異なる。
どうやらその二隻はその桟橋から出航する便のようだ。
下り航路にもかかわらず、なんと四体のジャビュルが牽引するとのこと。
この夜の宿もこれまでとは違っていた。
船旅三日目の宿はなかなか立派な建物。地球の中規模ホテル並み。
組積造建築で、どこか英国的な趣のある建造物。
ここは乗客の水準に合わせた宿泊施設ということなのだろう。
『国外からの金持ち客がゴードウィク経由でこの辺りにまで来ているのさ』
『ミクレストアム共和国やエステバ王国からの乗客が多いってことか?』
『この状況はおそらくそういうことだろう。
どっちの国も神聖国ほど商業規制が厳しくない。
それに、こことは違って王族や貴族もいるからな。
上級客船が増えるってことは、単純にそういうことさ』
残念だが、エイスの乗る船は上級客船には分類されないようだ。
エイスの使っている狭い個室など、上級客船にはそもそもなかった。
**
この日の宿には二つの宿泊棟がある。
一つは明らかに新しく、綺麗で大きな宿泊棟。
おそらくそちらは上客用の新棟(新館)。
エイスが宿泊するのはそれとはまた別の建造物。
────まず間違いなく旧棟(旧館)。
エイスの宿泊棟も清潔に保たれてはいるが、従業員の数が明らかに少ない。
フロントに二人の従業員を見かけたが、おそらくこちらの棟の人員はそれだけ。
フロアや廊下に他の従業員の気配がまるでない。
部屋に案内してくれた人族係員たちは、愛想良く接客してくれたが、さっさと新棟の方へ戻っていた。
エイスはこれに特に驚きもしなかった。
新館のフロントで受付をしたら、別館に案内される。これは某国の観光地でもよくあること。エイスには漠然とだがそういう感覚があった。
彼はベッドのマットが普通に眠れる状態なら、その他はあまり気にならない性格。
だからどうこうという感情も湧かない。
ただ、このサービス格差はアルスには驚きだったようだ。
『なんだ、あいつら!
案内を終えたら、さっさと消えやがった!
この建物には人がいないじゃないか』
エイスにグダグダと不満を語りだした。
さすがは英雄アルス。このレベルの部屋には泊まったことがなかったようだ。
*
建造物は古いが、エイスは室内が広いことに驚かされた。
これまでの宿の部屋の二倍以上の広さだ。
浴室も広く、シャワーとやや大きめのバスタブが設置されている。
ところが、蛇口から出てくるのは水だけ。
肝心のお湯が出ない。
そもそもお湯の配管が設置されていないのだ。
昨日までの宿泊施設の部屋にはお湯の配管があり、普通にお湯を使えた。
(はてっ⁈)
守人族の宿泊客は術を使い、簡単にお湯に変えてしまうので支障ない。
バスタブに水さえ張れば、一分とかからずにお風呂の準備が整う。
龍人のエイスもそれで済むが、獣人族や人族には辛いところだろう。
この浴室でお湯を得るには守人の助けが必要になる。
『守人の係員でもいるのか?』
『そんなわけないだろう。
この階は守人専用ってことさ』
『ああっ……と、そういうことか。
えっ、でもさっき奥の部屋には人族が入っていったぞ』
『まぁそういうこともあるだろう。
そういう時は、泊っている守人に頼むのさ』
『はぁ!?
知らない守人にそれをお願いするのか?』
『うん?!
なにが不思議なんだ……。
それくらいすぐにやってくれるぞ。
まぁー頼んでくるのは人族くらいだしな』
『獣人族はどうするんだ?』
『そのまま水風呂だろう。
お湯好きなやつらは守人に頼むさ』
エイスはデュルオスが気持ちよさそうに温泉に入っていたのを思い出した。
ムキムキの虎人軍団も順番に並んで温泉に入っていた。
それを踏まえると、獣人族が一概に水風呂を好むようにも思えなかった。
エイスはその時の光景を思い出して、思わず笑ってしまった。
エイスはアルスとそんなやり取りをしつつ、夕食も検討し始めた。
施設案内の説明を見ると、新棟の最上階には高級レストランがある。
ただ、説明文にドレスコードの記述を見つけた。
面倒なので、その店は即却下に。
エイスはさっさと別の店の説明に目を移した。
結局、この建物の一階隅にある大衆食堂的な店に行くことに決めた。
この国のルールで、いずれの店も同一家族が経営している。
酒も素材も同じ。料理と値段が異なるだけだ。
実は、初日に泊まった宿の食堂で、船の護衛の獣人たちと一緒になった。
──昨晩もだ。
その際に、護衛たちがこの一階隅の店の料理人を褒めていた。
ただ、その店に食事に出かけるとなると、その店内での状況にも予想がついた。
それもあって別の店を一応探してみたのだ。
結局その店に行くとアルスに伝えると、店内の状況を察して笑いだした。
**
建物一階に降りて、飲食店の扉を開け、店内に入った。
そこには……、カウンター席周辺に昨晩と同じ
護衛の獣人たち四人と監視役の守人が座っている。
彼らはエイスを見つけて、爆笑しながら手招きする。
『まぁー、予想通りだな。
今晩もあいつらが話し相手かぁー』
アルスが茶目っ気たっぷりにそう話しかけてきた。
エイスは苦笑しながら、小さく手を挙げて合図を送り、そこへ向かった。
旅も三日目。食事や話し相手も決まってきた。
『旅ってこういうものじゃないか。
こいつらの話もなかなか味わいがあって楽しいじゃないか』
『ふふっ、まぁそうだな。
これはこれで楽しくはあるな』
エイスがカウンター席の前に着くと、その前のテーブルにメイラとロサンが座っていた。
エイスは二人に声をかけて、そのテーブルの空席に座った。
それからは……昨晩のデジャビュ。
ではないが、ほぼ似たような状況になった。
結局、周りには昨晩同様の十人ほどが集まり、盛り上がっていく。
黒豹人のおバカな昔話を聞きながら、それを酒の肴にダラダラと話す。
その黒豹人の話がなかなかに面白いのだ。
ついつい笑いの中に引き込まれてしまう。
そうこう話している間に、昨晩同様に時間は過ぎていった。
エイスの座るテーブル席にサービスのスィーツが出された。
(店のサービス?
ロサン用なのかな)
メイラとロサンの二人はそのスィーツを美味しそうに完食した。
「エイス様、これは美味しかったです」
「そうなのか?
それじゃー、食べてみようかな」
どうやらサービスのデザートのようだ。
砂糖たっぷりの果物菓子。激甘のフルーツタルト。
(んんっ!?
強烈な甘味の中に微かな苦みが……)
これは別にグルメ的な芳醇な苦みを表現したものではない。
エイスの解析が瞬時にその答えを導き出した。
(これは睡眠導入剤系の成分の苦みか。
偶然なのか?
生薬にもあるにはあるが……
隠し味的な素材の中にこの成分が含まれていたということか?
──それにしては量が多い気がする)
エイスの舌が睡眠導入剤系の成分を感知した。
しかし、エイスは龍人。高次元の毒耐性も有する。影響は皆無。
周囲を窺うと、他のテーブルでもこのスィーツが出されていた。
『アルス、これは偶然だと思うか?』
『分らんが、即効性のものではないんだろう?』
『ああ、即効性は低いが、徐々に脳機能を低下させる。
これを食べた者たちは今晩爆睡することになる。
一度眠りに落ちると、軽く叩いたくらいでは起きない』
それを聞いて、アルスはその目的について考えだした。
彼にはそれが偶然とは思えなかったようだ。
『ただ、毒物ではないわけだし、狙いが分からないな。
もしかしたら偶然かもしれないが……。
朝に寝起きが悪いくらいなら、特に騒ぐほどのことでもないかもしれないが』
『まぁ、……確かにそれはそうだ。
せいぜいふらついて、寝起きに転ぶくらいだろう。
大騒ぎするほどのことではなさそうだが、
さて……』
『朝食の時に状況を確認するしかないないかもな』
問題は、ここで解薬術を使うほどの騒ぎにするかどうかだ。
だが、それはさすがに難しそうだ。人数が多すぎる。
結局、エイスはそのスィーツを食べた人たちに、この後にモーニングコール的なサービスを依頼するように勧めるだけにとどめた。
睡眠導入剤は若い人族には強力に作用するが、守人に対しての効果は低い。
人族であっても、年配者に対しては熟睡時間が長くなる程度の効果しかない。
結局、エイスとアルスは騒ぎにならないように穏便に対処した。
念のため、朝食前にメイラとロサンの部屋に一度立ち寄り、二人の寝覚めを確認することにした。
**
エイスは部屋に戻っても、なぜだか胸が妙に騒めいた。
それはこれまでに感じたことのない嫌な感じの騒めき。
(この感じはなんだ……)
ただ、俯瞰視を強めてもこの周辺に特に不審なものは発見できない。
それでも、彼は今夜何かが起こるような気がしてならなかった。
今宵、ここで多くの人たちが深い眠りへと落ち、何か重大事件が起きるのかもしれない。だが、何も起こらないかもしれない。
何一つとして確定的に分かっていることはない。
ただ、エイスの本能が何かの異変を察知していた。
**
エイスは気分転換のために冷たい水のシャワーを浴びた。
頭がスッキリしたこともあり、彼は落ち着いて状況の整理をし始めた。
二人掛けソファーに腰を下ろして、濡れた髪をタオルで拭いている時だった。
(──なっ⁉)
いつもシミュレータに割り当てている脳機能の一部が停止し、そこに白い霞が現れたのだ。
その部分の脳機能が完全に停止したわけではない。半休止のような状態。
そこに白く薄い霧状の靄が過っていく。
こんなことはこれまで一度も起こったことがない。
エイスの意識の中で、その得体の知れない靄が通り過ぎながら消えていった。
(──今の霞はなんだ)
だが、消えたはずのその靄がまた頭の隅に現れた。
意識下に靄らしきものが浮かんだように映り、ゆっくりと流れていく。
それは初めての経験だが、彼は似たような感覚を憶えている。
それはエイスの思念体がこの世界に召喚された時だ。
エイスはその霞に警戒しながらも、その中を探りに入った。
────彼の意識がその中に進み入った時だ。
エイスの脳内に視界と俯瞰視とは別に、やや不鮮明なモノクロ写真のようなものが現れた。それはまるで古びた白黒写真。
外の廊下を天井部から広角撮影したような構図の写真。
場所は明らかにこの建造物内のどこかの廊下である。
その廊下を斜め上方から俯瞰的に捉えている。
次の瞬間、頭中に映っていたモノクロ写真が色付けされていく。
濃厚な色ではなく、薄い色彩のカラー写真へ変化していった。
──古びて色褪せたカラー写真のように。
直後に、その薄いカラー写真がまるでスロー再生の動画のように動きだした。
半速再生で荒い画質の映像が頭に映し出される。
この建造物内のどこかの部屋の扉がアップになった。
その扉のノブが内側から回された。
覆面をかぶった男が部屋の扉を開け、周囲の様子を窺いながら出てきた。
男は廊下に出ると、周辺を警戒しながら室内に向けて小声を発した。
直後に、また覆面をした大柄な男が出てきた。
その肩には小柄な男性が抱えられている。
さらに、もう一人覆面の男が出てきた。
その男も右肩に人を抱えている。
今度は女性。
──それは人族の女性。
エイスはその髪の長さと顔の輪郭に見覚えがある。
その瞬間にエイスは気づいた。
抱えられているのは、メイラとロサンの二人だ。
男たちはメイラとロサンを肩に抱えて廊下を足早に進み、階段を下りていった。
その時、廊下の奥にある大時計の時刻が一瞬だけ見えた。
二本の時計の針はほぼ真上を指している。
────0時3分。
二十分後だ!
そこで映像は消え、霞も消えていった。
それはほんの一瞬の出来事だった。
この直後に、エイスとアルスが緊急会議を始めた。
────その時刻まで、あと十九分。
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