02 人族の姉弟


 ベノンからの船旅も二日目。

 船を牽引するジャビュルは今日も軽快に泳ぐ。

 昨日から続く晴天の下、船は順調に進む。


 船は馬車旅とは違い、ほとんど無音で揺れない。

 船から油の匂いも全くしない。

 非常に気持ち良く、快適な乗り心地だ。


『だからこの船旅が最高だって言っただろう!』


 アルスはドヤ声で何度もそう言ってくる。

 エイスもこれには賛同するしかなかった。

 「時は金なり」などと言われたら、さすがの彼でも蹴とばしたくなるだろう。


 最初は個室内にいた乗客たちも、この陽気に誘われ、一人、また一人、船上のテラスに現れる。

 エイスもテラスでお茶を飲みながら、心地良い風と時間を楽しむ。


 アルスはこののどかな旅に少し感動していた。

 戦乱の地で「龍人」として生まれ、その残酷な宿命と重責を疑問にも思わず、彼はこれまで生きてきた。

 だが、エイスと出会い、彼の中で何かが変わった。

 今の彼はそのしがらみと束縛の鎖から解放されたことが何より嬉しかった。



        **


 そろそろお昼時。

 エイスの俯瞰視が2kmほど先に桟橋を捉えた。

 イン(馬旅宿)的な建造物もあり、その庭の様子からそこが昼食会場と思われる。


 船員と船の護衛たちが突然バタバタと動きだした。

 どうやら当たりのようだ。

 船員たちが着船の準備を始めた。

 護衛たちも単眼鏡を出して、周囲に異常がないかを確認している。


 ちなみに、この船には四人の護衛がいる。

 全員が獣人。

 水蜥蜴人が二人。残る二人は黒豹人。

 昨晩もエイスはこの四人と話す機会があり、いろいろと面白い話を聞けた。

 水蜥蜴人は少し不愛想だが、黒豹人は気さくで、話もなかなか愉快だった。


『四人とも結構強いぞ』

『あぁ、そんな気配を感じる。

  それで、アルス……

  水蜥蜴人と黒豹人の組み合わせは護衛としてはどうなんだ?』

『船の護衛としてはかなりバランスがいいだろう。

  水蜥蜴人は水面を走れるし、潜るのも得意だ』

『黒豹人の方は?』

『とにかく目がいい。俊敏で夜目も利く。

  クロー装備での戦闘もなかなか強いしな』

『クローか……

  白虎人とどっちが強いんだ?』

『あのなぁ……エイス。

  白虎人族は最強獣人種の一角だぞ。

  白虎人と比較するのはさすがにかわいそうだ』


 アルスによれば、高額な水航路の護衛には、この二獣人種は適任、かつ適した組み合わせとのこと。

 海牛人は戦闘に向かないため、不測の事態が起これば、この四人が対処する。

 ただ、護衛とは言っても、発着時には船員たちの補助作業も行う。


 個室の船旅は高額。乗客は基本的に富裕層。

 四人の護衛がいるのもそれが理由である。

 また、この護衛たちとは別に守人一人がデッキにいる。

 デッキに立っている守人は航路監視や非常時対処を担う。

 エイスは水航路上の各船から探索術ビュラが一定時間間隔で発信されていることにも気づいていた。

 これは各船舶に搭乗する守人が取り決めに従い発しているもの。

 どうやら探索術ビュラをビーコン的に用いて、周囲の船舶との位置関係を掌握しているようだ。

 地球とは異なり、その方法は術技だが、電波活用術であることには変わりない。


        **


 エイスは下船して、昼食会場の四人席のテーブルについた。

 四人席と六人席のテーブルしかなかったからだ。

 すると、エイスのテーブルに女性客三人が近づいてくる。

 まだ空いたテーブルがあるのにだ。

 どうやら彼女たちはエイスとお近づきになりたいらしい。

 船のテラスは船員が席に案内するため、エイスに近づきにくい。

 女性たちはここが絶好の好機と考えたようだ。


(この妙な感じは……)


 さすがはエイス。背中でその視線を感じとった。

 仕方なく、他のテーブルに移動しようかと考えた時だった。

 ベノンの宿で見かけた姉弟二人が先に近づいてきて、エイスの座るテーブルに同席してもよいか尋ねてきた。


 渡りに船。エイスは笑顔で相席を了承した。

 三人の女性たちはそれを見て立ち止まり、別のテーブルへ歩いていった。


 エイスはこの人族の二人と昼食を共にした。

 そして、これをきっかけに二人と話すようになった。


 二人は人族。

 コンフィオルにも人族はかなり住んでいたが、話す機会はほとんどなかった。

 エイスは元人間だが、人族とまともに話すのは、これが初めて。


 この世界の人族は、肉体的には地球人とほぼ同じ。

 ただ、そのほとんどが地球のゲルマン系かスラブ系といった容姿。

 エイスはまだ黒髪の人族を見たことがなかった。


 予想通り、二人は姉弟。

 姉のメイラは15歳。弟のロサンは12歳。

 この世界では姉のメイラは成人を迎えたところだ。

 そうは言っても、人間の15歳はやはりまだ若い。

 それでも既に十分に大人のマナーと会話ができている。

 この年齢は、きちんと大人として扱えば、十分に大人として振る舞えるということだろう。

 もちろん、その逆のことも言えるのだが──。


 二人はゴードウィクに住む祖母宅を訪ねる。

 祖母は心臓を悪くしているため、お見舞いを兼ねて様子を窺いに行くとのこと。

 ただ、これが初めての二人旅。安全な船旅とはいえ、少し不安だったようだ。

 父母から「誠実そうな守人様と話しなさい」と助言されたそうなのだ。

 何かが起こっても、守人の近くにいれば守ってもらえることが多いからだ。

 二人はベノンの港でジャビュルと戯れるエイスの姿を見かけて、彼に話しかけようと決めたらしい。

 外見は守人を装っているのでそう思われたのだろう。

 エイスは思わず苦笑してしまった。

 ──龍人が一人旅をしているとは誰も思わない。


『なんだか複雑な気分になるなぁ』

『急になんだよ、アルス?』

『いや……こんな風に守人と思われて普通に話しかけられるのも、

  全然嫌じゃない。

  龍人だと、こんなことは絶対にないからな』

『それはそうだろう。

  龍人アルスに気軽に話しかけるやつはそうそういないだろう』

『まぁー普通でないやつならいたけどな!

  あーっ、なんだかものすごく損した気分になってきた』


 もちろん、これは冗談。アルスは笑っている。

 ただ、それは彼の偽らざる本音なのかもしれない。


 アルスは基本的にオープンで人好き。もとい、話し好き。

 大戦後に守人として生まれていれば、きっと楽しく生きていたのだろう。

 エイスはいつもそう思う。

 そして、返せるものなら、この体を彼に返してあげたくなる。

 だが、それは既に不可能。

 今のこの肉体はエイスのために再構築されたもの。アルスとは全くの別人。


        **


 それから、ゴードウィクに到着するまでの間、エイスとアルスは二人からいろいろと話を聞くことができた。

 それらはアルスからの情報とは一致しないものも多かった。

 彼もミクリアム神聖国内の人族の社会や日常生活まで知っているわけではない。

 しかも、二世紀という時間が経過していた。

 当のアルスでさえ、二人の話を興味深そうに聞いていた。


 特に、二人の家の家業についての話は大変参考になった。

 ミクリアム神聖国の獣人族や人族の生活を垣間見ることができた。


 二人の実家は、三家族の獣人と五家族の人族が共同で農牧業を営んでいる。

 八家族共同経営の生産者。

 獣人と人族の家族が共同事業を営むのは、非常に一般的らしい。

 そして、二人の実家もそれなりに裕福な生活が送れているのだそうだ。

 だからこそ二人がエイスと同じ船に乗っている。


 ただ、当初エイスには共同農牧業から裕福な生活をイメージできなかった。

 日本的な第一次産業のイメージが強かったからだ。


 日本と異なり、神聖国内は分業制を採らない。

 ここでは、効率重視の商業形態を厳しく規制している。

 販売専業店や量販店等は禁止。

 仲買のような卸や問屋も厳しく規制されている。

 地産地消が大原則である。


 二人の実家は、農場、牧畜、加工・販売、さらに街中にレストランも共同で営んでいる。

 生鮮品だけでなく、チーズ、燻製、酒類等まで製造し、街中にそれらを販売するための店舗やレストランまで持っている。

 生産から販売、そして加工や飲食業まで、八家族で営んでいる。

 中抜きがないからこそ、そこそこ裕福な生活が送れるわけだ。


 神聖国内では、基本的に直営方式か準直営方式でなければならない。

 この二方式は商業的に非合理的な側面があるものの、一次生産・製造者を強く保護する。

 お酒を製造していれば、パブのような飲み屋もできる。

 だが、お酒を仕入れて、パブだけを開業することはできない。


『その割には、飲み屋にはそこそこの種類の酒が置いてあったが?』

『どこの家庭でも発泡酒と果実酒くらいは仕込んでる。

  酒は結構簡単に作れるからな。

  イストアールでさえ自分で作ってたのを見ただろう』

『そう言えば、結構な数の酒樽が地下に置いてあった。

  獣人たちからもかなりもらっていたしな。

  ただ、店で出す分を各店で全て造るは無理じゃないか?』

『酒造者同士での酒の交換は許されているんだ』

『あっ、そういう仕組みなのか』


 街中にはパブも多いのだが、いずれの店でも酒の仕込みは家内で行っている。

 また、料理人だけで飲食店等の開業はできない。

 自前で食材を準備するか、生産者か、あるいは原材料の生産者と共同でなければならない。

 料理人として働くことはできても、非生産者だけでは開業できないルールだ。

 この国では、個人の事業規模が拡大し過ぎないようにブレーキがかけられている。



        **


 昼食後、エイスはまたも船上のテラスでお茶を飲んでいた。

 景色を眺めながら、エイスはアルスと話す。

 話題は、先ほど同席した人族の姉弟から聞いた話についてだ。

 二人はその情報を整理しながら、国内の人族社会の状況について意見交換をする。

 アルスの故郷だった旧ランゲル公国よりも、この国の方が獣人族と人族の共同事業規模がかなり大きいようだ。


『メイラの話だと、二十家族以上の共同事業もあるようだった。

  従業員も合わせて二百人近い規模かぁ』

『何が気になるんだ?』

『規模を拡大して、効率化を図ると……だ。

  おそらく事業規模の競争が始まるからなぁ。

  聖殿がそうなる前に規制か解散命令を出すだろう』

『大陸東部では、作り過ぎや取り過ぎにつながる商行為は許されない。

   そこに抵触するということか』

『そういうことだ。

  メイラとロサンの家の事業規模までなら、まぁーぎりぎり丈夫だろう』


 そんな話が二人の間でされていた時だった。

 ──エイスの広範囲俯瞰視が川の支流に大型生物を捉えた。


 その生物はかなりの巨体。

 エイスはすぐに俯瞰視の精度を上げ、同時に解析を開始した。


『エイス、なんだ⁉

  なにを見つけた?』

『まだ分からないが、そこの支流の上方2.6km辺りにかなり巨大な生き物がいる』

『巨大って、どのくらいだ?』

『全長が20mを超えている。

  ただ、水中にいるから、気づくのが少し遅れた。

  ここからでは詳細を捉えにくいんだ』

『20m超級⁉

  そいつは、少なくともジャビュルじゃないな。

  まだ距離はあるか……。

  この船には影響はないんだろう?』

『こっちに向かってきているわけじゃないから、問題ない。

  ただ、今までに見たことのない形象だ』


 エイスはここまでにもジャビュル以外の10m超級の水獣を数種類確認していた。

 だが、その生物は20m超級、かつ首が細長い。

 おそらく初めて遭遇する生物だ。


 エイスは猛速で解析し、その詳細な画像生成レンダリングを行う。

 その巨大生物の外形がほぼ再現され、部分的な体表面も描き出されていく。

 それを覗いていたアルスがその正体に先に気づいた。


『これは緑水竜りょくすいりゅうだ!』

『──竜!?』

『こいつは珍しいぞ。

  川の支流にまで緑水竜が出てくるとはな』

『お、おおっ‼

  これが……本物の竜』


 この世界に竜が存在することは、エイスももちろん知っている。

 それでも本物に遭遇したのは初めてのこと。

 「緑水竜」と聞いて、なぜかエイスの胸が高鳴る。


 エイスはその姿を見たかったが、緑水竜は支流を上っていく。

 残念だが、緑水竜を実際に見ることはできないようだ。


『珍しいと言っていたが、川にはいないはずの水竜なのか?』

『湖か池に棲んでいるから、普通なら川には出てこない。

  おそらくどこかの地下水脈を経由して支流に出てきたんだろう』

『なぜ支流に?』

『そうだな……。

  この国は川が多いからなぁ。

  おそらくだが、水質や密漁を調べていたんじゃないか』

『はぁ⁉ ……調査とは驚いた。

  そこまで知能が高いのか?』

『エイス、なにを言ってるんだ。

  竜種によっては獣人族や人族よりもずっと賢い。

  神龍様にもなると、龍人でも頭が上がらないんだ』

『一部の竜は龍語以外の言語も話すらしいし……。

  アルスが様付けで呼ぶくらいなのか。

  これは驚いた』


 アルスによると、湖、池、河川については水竜が絶対的な権限を持つようだ。

 なにか問題があれば、水竜たちが大聖殿やかんなぎに竜令として伝える。

 網漁が原則禁止されているのも、水竜が取り決めたことらしい。

 網漁は水中の生態系に著しい悪影響を及ぼすからだ。

 ミクリアム神聖国では竜令は事実上の最上位令。大聖殿は無条件にそれに従う。

 それを神龍が発した時には、龍人族ですら従うとのこと。


 水航路の旅の二日目にして、エイスは初めて竜に遭遇した。

 ──正確にはニアミス。

 当然だが、エイス以外にその存在に気づいた者はいなかった。


 エイスはお茶を飲みながら、ペンを走らせてノートに緑水竜の姿を描き始めた。

 インク式のペンにもかかわらず、彼はどんどん描き進めていく。


『お、おいっ……エイス。

  おまえ、絵……うまいな。

  そっくりじゃないか』

『そうか?

  あまり意識したことがなかった。

  そう言えば、これまであまり描いたことがなかったな』


 そう返事をした後も、エイスは楽し気に緑水竜を描いていく。

 彼は俯瞰視から得たイメージを参考にして、まるで本物を見たかのようにその姿を描き出していった。

 もちろん、それは彼の転生前の能力の一つ。

 実は、医師の能力とデッサン力は無関係ではない。


 ノートには数ページに渡り、様々な視点からの竜の姿が描かれた。

 空いたスペースには気づきや特徴等のメモ書きも添えられた。

 ────アルスの緑水竜についてのコメント付きで。



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