04 旅立ち
エイスがコンフィオルに戻ってから四日目の午前。
エイスは聖殿内の応接室で三組の商人と面会していた。
ダミロディアスの頭骨中から取り出した蛇真鋼塊を売却するためだ。
そのためにイストアールがこの町で信頼のおける商人たちを呼んでくれたのだ。
蛇真鋼は、地球で言うところのレアメタル合金の塊。
この蛇真鋼を通して、ダミロディアスは従属する蛇たちへの指示、さらに周辺状況を探るための電波を発受する。
この蛇真鋼は長距離念話用の術具製作には欠かせない特殊な素材。
この星にこの類の特殊半導体合金を製錬する技術はない。
と言うより、自然環境にダメージを与える重工業系の製造業は禁止されている。
このため、特定竜種とダミロディアスの頭骨中から取り出す以外に入手法がない。
つまり、超希少材。非常に高値で取引される。
────商談の結果、その蛇真鋼塊には金貨82枚の値がついた。
通貨は、ミクリス龍王国、ミクリアム神聖国、エクレムスト連邦、リキスタバル共和国、ミクレストアム共和国、エステバ王国、ライアムル、ボルザレンタス等の国々の共通通貨。
EU並みにしっかりとした通貨統合が行われ、現在の通貨になった。
大陸東部国連合では偽造防止のために、紙幣は使われない。
偽造できないように、簡単な術で金純度が分かるようになっている。
金貨1枚は日本円では約6.25万円。
金貨1枚は銀貨25枚。銀貨1枚は銅貨25枚。
銅貨1枚は日本円で約100円。銅貨1枚は鉄貨4枚に両替できる。
蛇真鋼塊の売価は日本円で約512万円にもなった。
噂に違わぬ価値であった。
だが、これでも買い叩かれたらしい。
イストアールはやや不満そうな顔をしたが、エイスはその提示額で応諾した。
エイスは先に金貨20枚を受け取った。
その残金は後日に支払われる。
「相場を考えますと、もう少し交渉の余地があったように思います。
よろしかったのでございますか?」
「相場の範囲内なら、それでいい。
おれは商人ではないし、別に儲けたいわけじゃないんだ。
素人が下手に色気を出すものじゃない。
──と思うんだが、そうじゃないかな?」
それを聞いたイストアールは笑いながら二度頷いた。
そして、エイスはお世話になった諸経費等として、イストアールに金貨30枚を渡すと伝えた。
もちろん、イストアールはエイスに費用等を請求する気などは毛頭なかった。
何しろ共和国内で多発していた獣人族襲撃事件を解決し、蛇たちの焼却処分まで手伝ってくれたのだ。また、共和国から報奨金を受け取ることもできた。
それでも、エイスはそれについて触れもしなかった。
イストアールは一礼とともに、黙ってその申し出を受けてくれた。
翌日、エイスは衛兵所に立ち寄り、小太刀を金貨5枚で買い取った。
その小太刀は衛兵用の量産品。原価は金貨2枚だった。
それにもかかわらず、彼はあえて金貨5枚を支払った。
壊れてしまった大太刀の修理費分を上乗せしたのだ。
**
エイスは旅用の衣服と必要品を購入するために町に出かけた。
実は、彼が一人で街に買い物に出かけるのは、これが初めてのこと。
面倒だったのは、変装だ。
普通に一人で外出すると女性たちに取り囲まれてしまう。
まさかそのためだけに三巫女に同行してもらうわけにもいかなかった。
それで変装が必要になった。
大きめのメトロキャップを借り、トレードマークの美しい金髪をその中に隠した。
さらに、眼鏡をかけ、術で偽髭もつけた。
これで金髪慧眼は目立たなくなった。
さらに変相もする。
ここで使ったのは、古の聖守術の
目立つ耳の長さと輪郭も変えた。
これは光学迷彩に非常に近い術。
術の効果は最長でも六時間だが、この術は途中解除も、再発動も可能。
術効果のある間は守人を装うことができる。
──そのはずだった。
だが、外に出ると身長と体形からそれでも怪しまれた。
さすがにそこまでは変えられない。
振り返って立ち止まり、じっと見つめてくる女性たちもいた。
それでもエイスと特定するには至らなかった。
彼はその場その場を足早に立ち去り、事なきを得た。
それで何とか半日をしのぎ、旅用の鞄、衣服、靴、そして日用品等を買い揃えた。
その他にもお世話になった人たちへの贈り物等も購入した。
結局、彼の手元に残ったのは金貨37枚と銀貨18枚。
**
二日後、エイスの髪がいきなセミロングからボブに変わっていた。
彼は360度全方向を術視できる。そして、術を使い、自ら髪を切ったのだ。
なかなか似合っている。
──まぁ、元が良ければ、どうであれ似合うのだろうが。
「エ、エイス様……」
アミルがそれに気づいて唖然とする。
彼女はロン毛のエイスの方が好きだったようだ。
反対に、エリルとリーロはそのボブを気に入ったようだ。
二人の目がそう語っている。
ただ、ボブになったこともあってか、小顔がより一層小さく見える。
超足長の十一頭身が、さらに小顔になり、11+に見える。
──それはこの世界でも犯罪的だ。
***
この翌日、エイス、イストアール、三巫女で昼食を取りながら歓談していた。
そこに、聖殿の事務官が現れて、イストアールに書簡らしきものを手渡した。
どうやら国内でも特別な手荷物や手紙をやり取りするための翼竜便のようだ。
翼竜便とは、その名の通り翼竜を使った速達便のようなサービス。
通常は国家間か主要都市間のみでしか利用できない特別便。
普通はそうなのだが、コンフィオルの傍には翼竜便の中継基地がある。
そのおかげで、翼竜便を利用できる。
神聖国内であれば、早朝便に書簡が間に合えば、夕方までに配達が行われる。
その書簡に目を通し終え、イストアールは静かに顎髭を撫で始めた。
「エイス様、先日の修学院の件でございますが、返答がまいりました。
この後に面接と術力の見分はございますが、書類審査は通過いたしました。
お話を先に進めましてもよろしいでしょうか?」
二人で仕事の話をした翌日の夜に、エイスは聖守術修学院の話を受諾した。
イストアールはすぐに書類一式をまとめて、翼竜便でインバルに送付した。
その返信が届いたのだ。
実は、このエイスの話はインバル聖守術修学院の学長からの要請だった。
イストアールから修学院へ連絡したわけでなかった。
事の発端は、イストアールがクレム聖泉でのアルスの最後について報告書を作成し、それをインバル大聖堂に送付したことだった。
その件はインバル聖守術修学院にも報告され、大聖堂から調査員が派遣された。
それが大滝にも同行していたシルバニア・ドリ・アングルクルスだった。
シルバニアはインバル聖守術修学院の准教授。
彼女は龍人直系子の
そのシルバニアでさえ、エイスの能力に驚愕させられた。
翼竜でインバルに戻ったシルバニアは、大聖堂への報告書作成よりも先に聖守術修学院の学長エイケル・リロ・ア・ミルファーにそのことを報告した。
──本来は、アルスを封印した秘術の調査が最優先事項だったのだが。
そこから、インバル聖守術修学院はエイス獲得を最優先事項に切り替えた。
高次術師の
龍人は基本的に完全防御の戦士型超人。
だが、
それは、正に「聖守神」に相応しい大陸最高峰術師。
もしそうなら、聖守術士学校にエイスを奪われるわけにはいかなかった。
インバル聖守術修学院にはその特別な理由があるからだ。
インバル聖守術修学院の創設者は
しかも、伝説的な超高次術師の
────大聖守術師ミビルガンナ・オル・キドロン。
この歴史を熟知するシルバニアは、大聖堂への報告書提出をわざと遅らせている。
聖守術修学院側はこの間にエイスに会い、その実力を見極めなければならない。
イストアールの推薦とは言っても、書類審査だけで採用するほど愚かではない。
「手間を取らせてしまって申し訳ないが、話を先に進めてくれないか」
「いえいえ、お気になさらないでください。
ある意味、これは当然の流れでございます。
インバル聖守術修学院であれば、周りに有象無象の輩が湧いて出てくることもございますまい」
それを聞いて、これが初耳の三巫女は仰天した。
シルバニアがいろいろと観察しつつ、懸命にメモを取っていたことを思い出した。
「イストアール様、エイス様はインバル聖守術修学院に招かれたのでございますか?」
「そうだ。
シルバニアが報告を上げ、学長から直々に打診があった」
三巫女は絶句した。
こうなると、もはや彼女らが口出しできる次元ではない。
彼女たちの表情が急に暗くなった。
「それで、いつここをお発ちになられますか?」
「数日中に発とうと思っている。
準備の方ももうほとんど終えている」
イストアールはこのエイスの言葉を聞いて、少しこみ上げてくるものがあった。
彼の頭に、クレム聖泉の泉底からエイスを引き上げた時のことが過った。
目的地はミクリアム神聖国の首都インバル。
古の都。そして、イストアールの母校でもあるインバル聖守術修学院。
そう思うと、年甲斐もなく、イストアールも胸が少し熱くなった。
そして、それを誰よりも楽しみにしているのがアルスだ。
龍人アルスとして、それは終ぞ叶わぬ夢だった。
今さら「都が見たい」もないものだが、エイスには素直にそう話せた。
そして、エイスもアルスにその古都を見せてあげたかった。
二人はいよいよ扉を開いて、外の世界へと旅立とうとしている。
イストアールと三巫女に再会の約束をして、食事を終えた。
***
三日後の夜明け前。
エイスは、聖殿内でイストアール、三巫女、その他のお世話になった人たちと旅立ちの挨拶を交わした。
彼は外へ出ての見送りを断り、一人静かに裏口から外に出た。
裏口から静かに見送る者たちに、小さく手を振り、別れを告げてから、エイスは一人歩き出した。
『ここの人たちにはお世話になったな』
『ああ、本当にな。
イストアールもそうだが、三巫女にも世話になった。
三人とも料理が上手いし、美人だったな』
『結局そこかい、アルスは!
ふっ……、インバルに着いたらみんなに手紙を書くさ』
『そうだな。それがいいだろう』
彼はまだ薄暗い通りを足早に歩き、街の中心部にある広場へと向かった。
そこで彼はベノン行きの長距離乗合馬車に乗った。
最初の目的地はそのべノン。
朝一の第一便だけあって、乗客はまだ三人のみ。
乗合馬車のため、途中の町々で乗客は増えていく。
エイスは偽髭に大きめのメトロキャップをかぶり、眼鏡をかけている。
ちなみに、エイスの顔に髭はない。そもそも生えない。完全な偽髭である。
通りを歩くエイスの姿に何人かの通行人が振り返ったが、出立時はまだ暗かった。
おかげで気づかれるようなことはなかった。
荷物は最低限の着替えや装備類のみ。
他の所持品は全て木箱に入れて送付した。
とは言っても、中木箱が一つだけ。
馬車の横長簡易座席に腰掛け、帽子を深めにかぶり、眠る風を装う。
ガタガタと揺れる車中で、エイスはアルスと中継地ベノンについて話していた。
『ここからベノンまでは遠いのか?』
『遠くはない。
ただ、馬車だから遅いぞ。
それに、実は……おれもよく知らないんだ。
水航路の最北港だから、町の名を知っているだけだ』
そこはもうアルスも見知らぬ町。
──エイスはどの町も知らないのだが。
次の町ではもう少し客が乗ってくるだろう。
そうは言っても、この馬車の乗客定員は十二人まで。
おそらく乗客全員がベノンに向かうはずだ。
ベノンはコンフィオルから約120km離れた町。人口は約1.5万人。
途中の町を経由しながらの二泊の馬車旅。
銀貨15枚(約3.8万円)の運賃には二泊の宿代も含まれる。
宿は所謂「馬旅宿(inn)」。
食事には一般客もいる食堂兼パブを利用する。これは別料金。
微妙な運賃設定だ。
『少し高いような気もするんだがどうなんだ』
これまで自分で運賃を支払ったことのないアルスがそう呟いた。
それでも彼はどこか楽しそうだ。
乗合馬車に乗ろうと言い出したのもアルス。
理由は単純だ。彼はこれまで一度も乗ったことがなかった。ただそれだけのこと。
その運賃もあってか、さすがに怪しい客は乗ってこない。
ベノンからは船に乗り換える。
インバルまでは船旅。
これもアルスの希望だ。彼はこの国での船旅の経験がなかった。
『この国の水航路はとにかく有名なんだよ。
一度乗ってみるべきだろう』
ということだったので、船旅に決まった。
単に「乗りたい」のだろうが、「乗ってみるべき」と話すのがアルスらしい。
そして、エイスの大袈裟な変装もベノンまでの予定だ。
───それも状況次第なのだが。
**
ミクリアム神聖国内の平地部は高低差が少ない。
目視では分からないほど緩やかな傾斜の平地が延々と続く。
この特徴的な地形のおかげで、国内は四大湖が川で繋がっている。
大陸最大の聖竜湖オペルと三つの湖が川で結ばれ、その間を船で行き来できる。
https://img1.mitemin.net/c2/ut/6j9g1tbdhl5ohxivdwm037uwblfc_23b_jv_rq_27pu.jpg
<<水航路の旅マップ>>
(近況ノート中にもマップを掲載)
ベノンからインバルまでは水航路で最短18日ほど。
費用は宿泊費込みで金貨5枚になる。昼食のみ料金に含まれる。
陸路に比べると快適な旅路を楽しめるが、この国の物価的にはかなり高額である。
ただし、インバル聖守術修学院には、到着は一か月後と伝えてある。
途中で気になった町や場所があれば、そこも見て回るつもりでいるからだ。
聖竜湖オペルとミシリアン島を宿泊観光する予定にもしている。
約一か月の旅。費用の概算は金貨8枚(約50万円)。
(日本国内だと一か月の旅費はいくらくらいだったか……
あーっ……ダメだな。
こういうのは、何も出てこない)
思い出せないのではない。そもそもその記憶がないのだ。
脳内にエイスの思い出等は潜んでいない。
彼が持つのはたまたま現在の脳に引き継ぐことができた習慣や記憶だけ。
それ以外はどれだけ探したところで発見できない。
ただ、エイスはそれを悲しんではいない。
彼は、逆にそれでよかったと思っている。
生前の世界のことを、グダグダと懐かしんでも仕方がない。
もう戻ることなどできないのだ。
ここは地球とは異なる星。
今はエイス。
正式名は、エイス・オ・ルファ・リート。
これは覚醒前にアルスと話し合って決めた名前。
銀色の身分証にもその名前が刻印されている。
彼はこの名とともにこの地で生きていくことに決めたのだ。
────いよいよその最初の旅が始まる。
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