03 インバル聖守術修学院
エイスはアルスからこの社会についていろいろと教えてもらってきた。
ただ、それはアルスの知識、経験、そして社会常識の範囲内に限られる。
エイスにこの世界の社会常識が欠けていることは、否めない事実。
彼もそれは十分に自覚している。
この国の教育課程や学校システムについて、エイスは何も知らなかった。
そのため、彼はイストアールからインバル聖守術修学院についての説明を聞きながら、同時併行的にアルスに解説をしてもらわなければならなかった。
エイスだから可能なことだが、当のアルスもそれを熟知しているわけではない。
それでも、イストアールの説明に何とかついていくしかなかった。
**
守人族社会では、基礎教育学校の途中から守人術の訓練が始まる。
そこで脳力、術才、術力、術幅等の基本能力の確認が行われる。
そして、これはかなり厳格でシビアな能力判定でもある。
この検査結果により、中位級以上とそれ未満に分けられてしまうからだ。
『下位級以下の割合はどのくらいになるんだ?』
『おれもよく知っているわけじゃないんだが、確か七割くらいだったと思う』
『ということは、中上位級以上の能力者は三割しかいないってことか』
『まぁーそんなところだろう。
下位級以下と呼ぶから語弊を生むが、要するに一般守人の比率ってことだ。
全体の七割が一般人と思えば、特に驚くことでもないだろう』
この一般層の守人たちは、12歳から生活術と化学系術に特化した育成過程に移る。その過程の中で、地球で言うところの第一次産業と第二次産業への活用術や支援術を集中的に習得する。
これらは守人族本来の天分とされる大自然の守護や管理等に用いる聖守術。
そして、守人族は15歳で成人し、全員が社会に出て働くことになる。
『12歳までの学校は多種族混交になっているのか』
『そうだ。
龍人族の子供もそこは同じだ。
おれも基本術の授業の時だけは守人たちと一緒に別の場所に移動していた。
その学校の生徒の九割は獣人族と人族だったからな』
『その後の三年間は各種族学校に通って、そこで一度社会に出る……と』
『共和国から来ていたあの守人の二人がそうだ。
確か……シーリャとローシャだったかな。
だから、二人はまだ見習い的な扱いだっただろう』
この後、最低二年間の現場経験を経ると、専門科学校の受験資格が得られる。
もちろん、その門戸を叩くだけで学校に入れるわけではない。
第一次や第二次産業分野の専門科学校は一般にも広く門戸を開いているが、聖守術専門科学校はそうではない。
聖守術専門科学校は中位級能力者以上でなければ、その受験資格を得られない。
専門科学校の授業は中位術の習得から始まるためだ。
『専門科学校以外に道はないのか?』
『いや、普通に全然あるぞ!
結局、この社会は実力主義だからな。
すごく優秀なやつは学校に進まずに弟子入りする』
『その時期に弟子入りするわけか……。
イストアールみたいな人物にか?』
『ああ、こいつにはかなりの数の直弟子がいたはずだ。
高次術は実際に使える者からしか学べないからな。
学校勤務の術師程度じゃー高が知れてる。
それに高名な師匠の直弟子の方が顔が利くようになる。
高位職にも推薦してもらえるぞ』
『そういうものなのかぁ』
『そういうものだ。
専科を出てから弟子入りするやつもいるぞ。
道は人ぞれぞれだ。
ただし、例外もある。
医術師だけは医専に行く必要がある』
『それは……まぁそうだろうな。
医術だけは弟子入りというわけにもいかないだろうな』
そのイストアールの名さえも霞ませるのが、「インバル聖守術修学院」の大看板。
インバル聖守術修学院は、聖守術研究と
このため、修学院の教授陣は大陸最高峰の術師たち。
イストアールでさえ、修学院の正教授にはなれないほどだ。
現状の四人の正教授はいずれも天才級か伝説級の術師であり、高名な術研究者。
ただし、医術師になるためにはいずれかの専門科学校に進学する必要がある。
もちろん、医系術の資質を持つことが最低要件になるが、この職だけは術技の実力と同次元に必要とされるものが他にあるからだ。
──それは、知識と経験。
これはエイスの蛇人アーギミロアの治療を参考にしても分かるはずだ。
この星には多数の獣人属種がいるため、属種に合わせた治療が必要になる。
医系術が使えるから医術師(医師)になれるわけではない。
そして、この目的のために設置されたのが医術専門科である
────通称「医専」。
医術師志望者は、医専に進むことになる。
**
守人族が担う社会的な役割は非常に幅広く、そして重責。
特に中位能力者以上は地域の様々な重職を担うことになる。
獣人族は守人族を敬い、その指示にも従う。
だが、これは秀でた守人に限られる。
盲目的に守人族に付き従うわけではないのだ。
ゆえに各聖守術学校は、優秀な人材を輩出することが求められる。
その中でもインバル聖守術修学院はその頂点に位置する。
大陸中の若き上位級守人たちが集まり、その門戸を叩く。
ただし、年次の入学定員は二百名。その中の六十名は医専。
この狭き門戸を潜り抜けられるのは、相当の実力者のみ。
イストアールはそのインバル聖守術修学院での研究職をいきなり勧めてきたのだ。
当然だが、この研究職者は講義も担当する。
エイスは話が唐突すぎて、イストアールの真意を掴みかねた。
「なぜまたその名門校におれを?」
「これはまたご謙遜を……。
私が思いますに、エイス様は医術の基本五十術も既にお使いになれるはず。
先日お教えいたしました
「ああ、あの術はそうだったが……。
だからと言って、五十も医系術を使えないと思うんだが」
「あの守人(ミリカのこと)の話では捕縛された蛇人も、エイス様が全て施術なさったそうではございませんか。
臓器損傷も骨折部も、切開なしで綺麗に結合・癒着していたと聞きました。
火傷、打撲、外傷等も全て完治していたと聞きました」
「まぁ、確かに治療はしたが……。
あっ‼
あぁ……、そういう話なのか。
治療で段階的に使っていく小術も、別々の術と言えば、確かに別のものか。
そういう些細な処置まで術として数えるものなのか?」
「一つ一つの処置のいずれもが立派な聖守術でございます」
エイスはイストアールにそう説明されても、返す言葉が見当たらなかった。
彼はそこで初めて「基本五十術」の真意を理解した。
切り傷一つでも治癒させるのに三段階を経る。
つまり、三つの小術(細小術)を使うわけだ。
エイスはイストアールに言われて初めて認識した。
彼にとってはそれらはあまりにも簡単かつ単純な術。
彼はシミュレータ演習で八十ほどの小術をいろいろと組み合わたり、統合したりしながら治療術種を増やした。それらこそが基本五十術。
エイスはイストアールと話して、ある事実に初めて気づいた。
彼は自己流でアーギミロアを施術したが、それは地球医学の医術体系と術式がベースだった。地球の基本術式に自らが使える医系術を融合させたのだ。
そして、それはこの世界の治療術とそれほど大きく変わらなかった。
地球と異なるのは、その医術行為の速度と精度。
何しろ、切開せずに外科治療までできてしまうのだ。
免疫向上や細胞の超活性化等も、小術の統合術で行える。
エイスには、目から鱗だった。
アルスが高笑いしながら話しかけてきた。
『お前はなぁー、自覚が足りないんだ。
エイス、自分の術習得速度が異常だと思ったことはないのか?』
『いや、悪いが……全くない。
そもそも比較の対象がいないからな』
『それはそうだが……
お前は灯りや着火とかの生活術を術数に入れていないだろう。
イストアールの数え方なら、お前は軽く七百以上の術が使えるんだよ。
おまえはいずれ千を超える術を使えるようになるだろう。
──そんなやつは他にいない!
おれはあの術を使えなかったんだぞ!
その俺の記憶だけで使えるようになったおまえは、とにかく普通じゃないんだ。
あれが使えるのは上位級の守人がほとんどで、龍人は普通使えないんだ』
『そういうものなのか?』
『そうだ。そういうものなんだ!
とにかく、お前の肉体制御も十分に普通じゃないが、術に関しては異常だ。
────
術の発動点を自在に操るなんて……、できるのはお前だけだ』
だが、このアルスの指摘は正しくなかった。
実は、大陸にはもう二人いる
────エイスはいずれそれを知ることになる。
ただし、それでもエイスと同次元なわけではない。
**
エイスはそれからしばらくイストアールからインバル聖守術修学院と仕事内容についての説明を受けた。
結局、三時間近くも二人で仕事の話をしてから、彼は部屋に戻った。
それから、エイスとアルスはこの件について夜遅くまで話し込んだ。
二人がそれだけ長く話したのは、エイスもこの仕事に興味を示したからだ。
実は、イストアールからの説明の中でも、二つの点がエイスの興味を引いた。
一つは、インバル聖守術修学院には大陸最古、かつ最大の図書館と資料庫がある。
そこには多数の聖守術古書、文献、資料等が保管されている。
それは質と量ともに、間違いなくこの世界一。
これは、エイスにとって魅力的だった。
イストアールからそう聞いて、頭がクラクラしたほどだ。
そう、彼はこの世界に転生する以前からの医師と学者の二刀流。
古の聖守術とその深淵を覗くことに、彼は既に魅了されていた。
実は、古の聖守術に関する遺伝子情報には不完全なものが多く、エイスでもその解析には限界を感じていた。
謎の潜在術は数多あるが、彼はそれを解くためのヒントや情報を探していた。
もしかすると、古文書中の文字や絵図等から何かを発見できるかもしれない。
次に、イストアールによると、修学院には百人超の
実に教授の約半数がロラン。
ということは、……見知らぬ聖守術を実見できるかもしれない。
──おそらくできるだろう。
それは彼にとって夢のような話だった。
傍らで実見できれば、より一層都合がいい。
彼にはそれらを解析する自信がある。
そして、イストアールは、このエイスの資質を見抜いていた。
龍人でありながら、戦士としてだけでなく、聖守術師の資質が驚異的に高い。
だからこそ、インバル聖守術修学院の職を推したのだ。
────実は、それだけの理由でもないのだが。
そして、エイスにとってもう一つ魅力的だったのが、聖守術修学院での働き方。
この星の暦は地球に非常に近い。もちろん、四季もある。
修学院の一期は三か月。年に四期
修学院では年間に最低二期を研究期(研究期間)に割り当てなければならない。
四人の正教授は年三期を研究期に当てている。
術研究や新術開発等の成果さえあげていれば、フィールドワーク等への制約も一切ない。
聖守術修学院の母体は聖守術研究集団。そして、それは今も変わりない。
この修学院は日本的な学校や学校法人等とは全くの別物。
研究者たちは、四人の正教授を頂点にして、常に最高の聖守術研究組織であることを求められる。
つまり、聖守術研究が最優先事項なのである。
だからこそ、その最高の術者たちから学ぶために、大陸中から若く優秀な守人術者たちが集まってくるのだ。
『なんでだろう……
すごく自由な仕事に思えるんだが』
『えっ⁉ いや……そうでもないだろう。
おれには普通よりも少し自由度が高い程度にしか思わない。
まぁー研究職だから、成果をあげてればいいんだろうし、
専門科学校の仕事よりは自由に動けるだろうな』
『前世の記憶があるわけじゃないんだ。
でも、修学院と比べると、時間と書類の山に追いかけられていたような……
そんな気がしてならないんだ』
『はぁ? なんだそれ……。
そんなに仕事してたら、頭か体がおかしくなるぞ。
おまえはそうでなくても一日中なにかやってるだろう。
先は長いんだ。
ほどほどにやるのがいいんだ』
外に出てから、エイスはアルスからいつも同じ注意を受けきた。
守人族は長命。そして、龍人族はさらに長命。
────ゆっくりでいい。なにも急ぐことはない。
どうやらエイスは喫緊の課題は、どこかにまだ残る前世の社会常識と感覚を払拭することのようだ。
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