02 イストアールの提案


 コンフィオルに戻った日の夜、エイスは久しぶりに聖殿内の食堂で夕食をとった。

 その後、彼はイストアールの執務室に招かれ、お酒を飲みながら二人で話した。


 イストアールが出してくれたのは兎人の管理人が作った果実酒。

 そう、そのお酒は帰りの馬車の荷台に積まれていたもの。

 イストアールは早速それをあけたようだ。


 ただ、お酒を飲むとはいっても、高次の毒耐性も持つエイスにとってはジュース。

 龍人はアルコールで酔ったりしない。

 エイスはそれを少し侘しくも感じるのだが、最近はそれにも慣れてきた。

 茶話会的な雰囲気を味わうだけだ。


        *


 最初の二十分ほど二人は世間話をしていた。

 そこでイストアールのグラスを空になり、二杯目が注がれた。

 すると、頃合いを見計らっていたのか、イストアールがそこで話題を変えてきた。


 ────それはエイスの今後について。


 イストアールは机から二つの封書を取り出した。

 エイスもアルスも、それを見て少し嫌な予感がした。


 一つは、ベルト地区長のボナザ・エ・ラル・ベルトからのイストアール宛の親書。

 そこには、エイスにベルト地区内に居住地を与えるので、そこに定住してもらいたいと記されていた。望むなら、コンフィオルの町を彼の居住区内としても構わない。

 そう記され、居住区を示す地図も入っていた。


 これは、コンフィオル周辺をエイスの居住地にしてはどうかという打診だ。

 居住区にコンフィオルの町を含めるということは、租税の一部がエイスにも入ることを意味する。

 また、この対象地はコンフィオル周辺から国境線までのかなり広域。

 地図上ではイストアールの山荘がある大滝ミララシアも含まれている。


『アルス、イストアールがいきなり居住地とか言い出したぞ』

『そうだな……。

  いきなりだが、まぁーいかにもな話ではあるな

  ただ、「与える」的な書き方をしているのはどうなんだ』

『そういうものなのか?』

『それはそうだろう。

  龍人は自分の住みたいところに住む。

  ただ、この辺りにはそもそも他に龍人が住んでいないし……

  普通は選ばないし、敬遠されるな』


 アルスの指摘するように、ベルト地区は州(小国)に近い広さがありながら、龍人が一人も住んでいない。また、過去に住んでいたこともない。

 イストアールの山荘周辺にまで蛇人アーギミロアやリギルバート王国の諜報員が現れたのも、それが間接的な要因である。

 龍人の居住地周辺であれば、侵入者が襲ってくることもなかっただろう。


 ミクリアム神聖国内でも龍人と竜が多いのは南域。

 特にオペル湖の周辺地域に居住地が多い。

 神聖国内を北上するにつれてその数は少なくなる。

 ミクリアム神聖国内でも北部地方になると、龍人はほとんど住んでいない。


 実は、このベルト地区は旧ベルト王国。

 元々はミクリアム神聖国の隣国だった。

 大戦末期に国領を献上し、神聖国の庇護下に入った。

 龍人の住まないその小国は自衛を諦め、ミクリアム神聖国に縋ったのだ。

 これにより国王ベルトは財産と王位を失ったが、人民の信頼を得て区長となった。

 以来、ベルトは首都インバルに幾度も龍人家族の移住を要請してきたが、それは未だに実現していない。

 結局のところ、居住地を決めるのは各龍人の自由意思。

 龍人家族や龍人族社会の柵はあるものの、他種族から干渉されることはない。

 大聖殿も龍人に対して請願することしかできないのだ。


 そこにエイスが現れた。

 コンフィオルの町でも、まことしやかにこの話題が取り上げられている。

 住民たちも期待しているのだ。

 馬車から降りたエイスに声をかけていた守人女性たちの多くは、その話を知る者たちだ。彼がここを居住地にするのなら、ぜひお近づきになりたいのだ。


 もう一つの書類は、かのリキスタバル共和国の行政長官からの書面。

 リキスタバル共和国からのエイスへのご招待だ。


『ぷっ……なんだ、それ。

  下心が丸見えじゃないか』


 アルスも思わず笑いだすほど分かりやすいお誘いだ。

 今度はエイスにも想像がついた。


 こちらの親書は恥も外聞もない。

 リキスタバル共和国内に領地を設けて、エイスをそこに招き入れたい。

 その手始めのだ。


 カミロアルバン帝国とリギルバート王国以外では、土地は誰のものでもない。

 この例外が竜族と龍人族。

 その居住地は事実上の領地扱い。

 アルスがベルトの親書を不快に感じたのもこのためである。


 共和国の内情は、ベルト地区どころではない。もっと切迫している。

 国内に住む龍人はわずかに三家族。

 旧獣王国領内には一人もいない。

 これがリギルバート王国との国境紛争の要因の一つにもなっている。


 ミクリアム神聖国内には百以上の龍人家族が住む。

 さらに、三百体以上の竜と百二十体近い水竜がいる。

 リキスタバル共和国からすれば、夢のような話。


 エイスのように移住可能な立場の龍人は滅多にいない。

 しかも、かなりの高次能力者だと報告を受けていた。

 もしエイスが共和国内に定住し、家族が増えれば、最上位級の守人が増えていくことにもなる。

 リキスタバル共和国にとっては、正に一石二鳥。

 そう、これは千載一遇のチャンスなのである。

 そのために、先ずはリキスタバル共和国へのご招待だ。


 イストアールは二つの書状をエイスに見せて、単刀直入にその裏事情も説明した。

 エイスはただただ笑顔でその話を聞いていた。

 その話を聞きながら、彼はアルスの呟きを思い出した。

 ────「龍人になんて生まれるものじゃない」


 龍人族は各国の国状や国境線を無視し、常に中立的な立場をとる。

 その理由は単純だ。

 政治的に利用されないためだ。

 それを許せば、龍人同士の戦いに発展しかねない。

 それは、龍人族にとって最悪の事態。

 破滅的な未来が待つ。


 アルスはこの禁忌を破った。しかも、大戦中に……。

 アルスは英雄。

 だが、それは龍人族以外の……だ。


 幸いに、エイスは龍人だが、公的には半龍ラフィルとして覚醒した。

 わざわざ火中の栗に手を出す理由はない。

 概略的な事情が分かったところで、早々にこの二つの話をお断りした。

 イストアールもその返事を聞いて、微笑んでくれた。


「気になさらないでください。

 もし私が御身の立場であったとしても、同様の返事をしたことでしょう」


 龍人が居住地を定める。

 それは、結果的にその周辺地の治安も担うことにもなる。

 隣接地域に他の龍人が居住していれば、紛争に巻き込まれるリスクも低くなる。

 だが、地域に龍人が一人しかいなければ、紛争地化することがあるかもしれない。

 いかに龍人であっても大国を一人で相手にするのは厳しい。

 ミクリアム神聖国内の話ならまだしも、リキスタバル共和国は論外だ。

 当然、イストアールがそれを考慮に入れないわけはなかった。

 ──それを分かったうえで、彼はあえてエイスにこう問いかけた。


「エイス様、それではこれからどちらに向かわれるのでございますか?」


 エイスにとってこの質問は非常にありがたかった。

 イストアールには覚醒後からお世話になってきた身だ。

 彼から何らかの要請をされると、むげには断れない。

 それを察して、彼はここから旅立つことを前提に質問してくれたのだ。


「今はとりあえず一度インバルに向かおうと考えている。

 聖竜湖オペルにも一度行ってみたい」


 アルスの思念体(精神体)の寿命はあと二十年ほど。

 その間は、アルスに新たな生活と体験をさせてあげたい。彼はそう考えていた。

 先ずは、戦場臭の少ない南域に向かい、彼に古都と聖竜湖を見せてあげたかった。


 これに対して、イストアールから予想よりも良い反応が返ってきた。

 正直、これは意外だった。

 彼はあまり良い反応を期待していなかったからだ。


 イストアールは守人たちに大自然との共生と調和を説いている。

 大滝の山荘でもリキスタバル共和国の守人四人をそう戒めていた。

 それだけに、彼のこの反応は意外だった。


 ただ、イストアールは齢723歳。

 しかも、この国の最高位神官だった人物。

 やはりそれなりの熟慮の上での応対だった。

 ────全ては彼の掌の中。


「エイス様、首都インバルに向かわれるでございましたら、良い仕事がございます。

 私が推薦状をお書きいたしますので、そこで働かれてみてはいかがでしょうか。

 インバルはこの国の首都。

 交通の要所でございます。

 オペル湖だけでなく、どこにでも容易に出かけられます」


 イストアールはいきなり仕事の話を持ち出してきた。

 エイスは龍人なのだが、半龍ラフィル

 居住地に閉じこもらなくとも、仕事に就き、普通に働くことができる。


 エイスは可能な限り自由に活動できるように、遠目には守人に見えるように容姿を調整した。普通に働くこともおそらく可能なはず。

 しかし、エイスにとってこの星での社会生活と労働は未知なるもの。

 大陸東部では、行き過ぎた商業主義と思想は、社会、自然環境、そして個人を傷つけるとして厳しく規制されている。地球とは社会環境が大きく異なるのだ。

 それもあって、仕事については、旅をしながらこの星の生活や社会を広く見てから考えることにしていた。

 エイスはアルスと話し、ダミロディアスの蛇真鋼塊を売却して、それを旅費にしてしばらく旅に出るつもりでいた。


「仕事と言われても、まだピンとこないところもあるんだが……。

 先ずは、しばらく旅をしながらあちこちを見て回ろうと考えていた。

 そうか、……仕事かぁ。

 ──それで、どういう仕事なんだ?」


 エイスはイストアールの瞳の奥がキラリと光るのを見逃さなかった。

 待ってました──的な輝き。


「インバルには守人族の巫覡ふげき(神官や巫女等)の専門育成機関がございます。

 正式には『インバル聖守術修学院』という名称です。

 私もそこの修了生でございます。

 その機関で聖守術の研究職に就かれてはいかがでしょうか。

 私はエイス様に最適な職だと思います」


『お、おい……

  イストアール……、気は確かか?!

  インバル聖守術修学院って大陸最高の研究機関だぞ』


 それを聞いて、アルスが驚きの声を上げた。


『そうなのか?』

『ああ、この国の上級神官たちはほぼ全員そこの修了生のはずだ。

  いや、それはこの国だけじゃない……』


 インバル聖守術修学院は大陸の最高学府。

 大陸中から守人族の神官や巫たちが集う。

 地球で言えば、オックスフォード大学のさらに上位機関に当たる。

 古都インバルにはいくつかの上位級守人術師の学校があるが、聖守術修学院は最古にして最上位の伝統校。


 大陸には多数の聖守術士学校が設置されている。

 その中でも、インバル聖守術修学院だけが「修学院」の校称を掲げる。

 他校はこの校称を用いない──それが不文律。

 (例外として、レミロレゾン龍神国に名称だけの修学院が一校存在する)

 

 ただし、これらの学校は地球のような教養教育や純学領域の研究の場ではない。

 地球のような〇〇学的な学問領域の常識と体系を学ぶことはない。

 あくまで実践的な聖守術の研究、習得、そして研鑽を目的とする。


 エイスは唐突に切り出されたこの話に少し戸惑った。

 社会常識不足がその原因である。

 この国を旅するつもりでいるのも、それが大きな理由の一つだ。


 エイスと同様に、アルスも最初は戸惑っていた。

 だが、一旦冷静になると、彼はその話に興味を示した。


(エイスは間違いなく傑物。

 ────いや、術については超越的な才を持っている!

 これは存外……面白いかもしれない)


 エイスは半龍ラフィルを装い、その能力の全容を誰にも見せない。

 イストアールらも彼の能力の一端を知るにすぎない。

 その彼の真の力を知るのはアルスだけ。

 ────そのアルスがインバル聖守術修学院に興味を示した。

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