10 貴重な機会
獣人族の体内時計はかなり正確だ。
そのせいか、虎人たちは時計を持ち歩かない。
とは言っても、それは時刻的な正確さではない。
日の出と日没。たとえ洞窟の中にいても、本能的にそれが分かるらしいのだ。
食事の時刻も季節により変化する。そして、その腹時計に合わせて働く。
このため、日照時間が多少短くなる冬季には、日中の活動時間も相応に短くなる。
──当然、仕事時間も短くなる。
山間部に住む虎人たちの日常生活にはそんなものだ。
それで困ることもない。
**
大滝下の砂地周辺の野原は、夜明けとともに急に騒々しくなる。
虎人たちが朝早くから動き出すからだ。
野営地周辺では夜明け前から虎人たちがごそごそと起き出してくる。
辺りが薄明かるくなる頃には、本能的に目覚める。
それから、目覚めた順に少し上方にある岩場の湯溜まりへ向かう。
山荘横の温泉から溢れ出るお湯がそこに溜まっていて、浴場として使えるのだ。
綺麗好きな虎人たちは早朝から水浴びし、体を磨き上げるのが習慣。そこに温泉があるとなれば、当然のように全員が集まってくる。
朝からマッチョ軍団がその岩場周辺に群がる。
──早朝からなかなかに愉快な絵面だ。
**
この日からミギニヤの焼却作業が始まる。
滝下の砂地にエイス、イストアール、三巫女、その脇にミリカとリイラらが立つ。
シルバニアはなぜか少し離れた場所に座り、ノートとペンを持って待機している。
イストアールは過去に何度かミギニヤとも戦った経験を持つ。
さすがに実戦の経験値も高い。
三巫女のリーロも一度だけ駆除に同行したことがあった。
その時のミギニヤは6m級一体。
それでも、守人三人に人族三人での駆除だった。
駆除担当は守人三人。焼却炉への移送作業のためにさらに人族三人が必要だった。
他の駆除作業時には、人族ではなく獣人が同行する。
だが、獣人族は猛毒のミギニヤに本能的に近づきたがらない。
人族の方がまだマシにミギニヤに触れることができる。
そういう理由で事後処理のために人族が同行した。
そのイストアールとリーロも実際に600体ものミギニヤの屍を目の前にすると、さすがに背筋が寒くなってきた。
その中には8m級と9m級もかなりの数で混ざっている。
「これを焼却するのはなかなかに厄介だのぉ。
焼くことは、まぁーどうとでもなるが、毒煙の発生を最小限に抑えんとな……。
この数だとそう簡単にはいかんぞ」
このイストアールの指摘の通り、そこが問題の焦点。
つまり、高めの焼却温度が求められる。
今回、櫓積みされたミギニヤの数が多いため、より一層高い焼却温度が必要になる。
イストアールによると、焼却の初期段階にミギニヤの毒血を半焼させないように、高熱で一気に焼かなければならないとのこと。
高熱で完全燃焼させることができれば、毒煙は発生しない。
だが、ここに焼却炉があるわけではない。
櫓積みにしているとはいえ、屍は大量の水分を含んでいる。野焼きでその焼却温度を上げるのは簡単なことではない。
ただし、肉から水分がかなり抜けて、脂が滴り落ちてくる段階になると、普通の白煙や黒煙になるそうだ。その煙は有毒ではないとのこと。
「それなら、最初だけ俺がやろうか?」
普通に考えれば、エイスの
それを聞いて、イストアールが顎に手を置き、思案する。
彼はエイスの
だが、そのエイスの言葉に三巫女のアミルとエリルの二人がほぼ同時に小さく挙手した。
どちらが話しだすかで、二人は互いに譲り合う。
結局、エリルが話しだした。
「エイス様のお手を煩わせるわけにまいりません。
私たちは
三人で大丈夫でございます」
「それならおれは別にそれで構わない」
「私たちも最近火炎術を使っておりませんでしたので、良い訓練の機会になります」
イストアールがしばし思案したのも、三巫女の訓練機会を考慮してのことだった。
コンフィオルの町中では電撃や火炎等の攻撃術の訓練機会が十分に得られない。
一般的な衛兵訓練所内で上位火炎術の練習を行うわけにもいかないからだ。
三巫女は既に一年半近くもその訓練をしていなかった。
また、対ミギニヤでの火炎術の演習にもなり、かつ焼却処分の練習にもなる。
彼女たちにとっても、これは非常に良い機会だ。
「ふむ……。確かに、おまえたちにも良い訓練の機会ではあるのぉ。
ここほど安全に火炎術の訓練ができるところはそうそうないからな。
そうじゃのぉ
──お前たちなら四日もあれば余裕だろう」
イストアールにそう問われ、三巫女は互いに目線で確認し合った。
三人が揃って頷いた。
その時だった。想定外の場所から声が響く。
「も、申し訳ございません。
ぜひとも、私たちにもお手伝いさせていただけませんでしょうか」
その声の出所は、並びの端から少し離れた位置。
昨日何度も聞いた声だった。
イストアールらの会話に、突然ミリカがそう声を発して、割って入ってきたのだ。
イストアールと三巫女はその声に少なからず驚かされた。
理由は簡単だ。
ミリカとリイラは二人ともに中位中級の能力者。
脳力的には
焼却炉を用いないため、この焼却作業には
毒煙の発生を最小限に抑えるには熱量の高い
このタイミングで話に割り込んだからには、そのレベルの
「おまえたちは高熱の
それとも特別な術杖でも持っておるのか?」
「い、いえ、……私たちは中熱までしか使えません。
それに、そのような杖も持っておりません」
術杖とは、特殊合金で製作された術力増強を可能にする杖の総称。
術杖は特定術専用に作られる超レア物。
しかも、超高額なうえに壊れやすい。おまけに術消耗も倍化する。
このため、常用する者はほとんどいない。
イストアールは顎髭を撫でながら目線だけをミリカへ向ける。
「ほぉ……
それで何をしようというのだ?
あまり言いたくはないが、それでは作業の邪魔になるだけだ」
「熱量不足なのは重々承知しております。
ですが、何卒ミギニヤへの火炎攻撃の経験を積ませていただけないでしょうか」
その短い言葉だけで、イストアールと三巫女は彼女たちの事情を察した。
リギルバート王国南部とリキスタバル共和国の南西域はミギニヤの生息地。
ダミロディアスも同域に生息する。
ミクリアム神聖国にはその生息域からたまに迷い入ってくるくらいだ。
だが、リキスタバル共和国はそうではない。守人族には多様な毒大蛇の対処が求められる。
毒大蛇の中でも、やはり厄介なのはミギニヤ。
ミギニヤが増えすぎると、その周辺地では被害が多発する。
最終的には、守人族がその対処に向かうことになる。
何しろ警護の要である獣人たちがミギニヤに近づきたがらないのだ。
ミギニヤは難敵。そしてなにより数が多い。
ミギニヤはダミロディアスのような毒霧までは吹かない。
それでも、強靭な肉体を持つだけでなく、猛毒唾の攻撃がある。それが皮膚に触れるだけでも危険だ。
また、ミギニヤへの攻撃には、一般的に電撃を用いない。
毒血毒が飛散するためだ。
結果的に、対ミギニヤの基本攻撃は火炎術。
火炎なら、猛毒唾にも効果的だ。
「なんじゃ……。
おまえたちはミギニヤの焼却処理よりも、火炎攻撃の実践演習の方が主なのか?」
「大変恐縮ではございますが、私たちには千載一遇の機会なのでございます。
屍とはいえ、ミギニヤに実際に火炎術を向ける機会などそうそう巡ってはまいりません。
私たち四人にもぜひともその機会をお与えください」
実は、この駆除と焼却処理だけは、獣人族が西の守人族にも頭を下げて頼みにくる数少ない仕事なのである。本音ではミギニヤに近づきたくないものの、西の守人族にとって、自らの存在価値を誇示できる重要な機会でもあるのだ。
「四人だと……」
「私とリイラ。それにシーリャとローシャの四人でございます」
ミリカはそう話してから、深々と頭を下げた。
リイラ、シーリャ、ローシャもその後ろに並び、同様に深々と頭を下げた。
ミギニヤの屍に火炎術を使い、自分の火炎攻撃の威力とその効果を実際に確認できる機会など、おそらく二度と巡ってこない。
何しろ、実際に遭遇したした時には、生死を賭けて焼き倒すしかない相手。
ここには、その練習に使える無傷の屍が山ほどある。
自らの火炎攻撃の効力、また焼殺するだけの火炎術力の目安等を得られる。
さらに、火炎術による毒煙発生の実体験もできる。
これは三巫女のレベルの守人術の使い手であっても、非常に価値の高い訓練機会だ。
イストアールも、もし自分が駆出しの頃なら、やはり頭を下げてでも参加を願い出ただろう。その気持ちは十分に理解できた。
「さて……、どうしたものか」
そうは言っても、彼にとって昨日会ったばかりの守人たち。
門下生というわけでもない
──広義には門徒の一人かもしれないが。
あまつさえ、虎人たちに同行し、不当に入国してきた不埒者たちでもある。
「イストアール、話の筋は理解できるんだろう?
なら、邪魔にならない程度にやらせてみないか」
判断に迷っていたイストアールに向けて、エイスがそう声をかけた。
実は、エイスは守人たちの術力差を見たかったのだ。
実力的には「三巫女>>>リイラ>ミリカ>シーリャ、ローシャ」の順。
それが実際の火炎術にどの程度表れるのか。彼はそれを見てみたかった。
結果的に、エイスのこの発言が全てを決めた。
共和国の守人族の四人もミギニヤの焼却作業に加わることを許された。
ただし、主力はあくまで三巫女。
ミリカら四人は補助的な役割を担うにすぎない。
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