08 獣人族への敬意
イストアールとシルバニアによる四人に対する確認作業は終わった。
それは実に二時間近くにも及んだ。
リキスタバル共和国の守人一行の本件に関する対応は見事だった。
もちろん、これは悪い意味での賛辞である。
不法入国に問われるべきはずのガルカナとベルロンの二人はアーギミロアとともに既に国境を越えている。
今ここにいるのは虎人系族と四人の守人。
二国を自由に出入りできる虎人系族に違法性はない。
そして、この四人の守人のリーダー格のミリカは、父がミクリアム神聖国人である。彼女も自由に入国できる。
その他の三人の父母も周辺国から共和国に派遣された者たち。ミリカの同行者であるため、短期滞在なら罪には問われない。
「全く、あいつらは……
悪知恵だけは働きよるわい」
実は、ミリカら四人はこの時に初めて自分たちが不法入国を問われかねない状況にあることを認識した。
四人は共和国の聖殿から派遣されたため、不法入国には当たらないと考えていたのだ。
お粗末な話である。
そして、ようやく自分たち四人がここに派遣された理由を理解し、青ざめた。
ここで、イストアールとシルバニアの二人は小休憩を取ることにした。
三巫女がささっとキッチンに向かい、紅茶と甘味物の用意をする。
エイスは暗い表情のミリカら四人を見ながら、アルスと話す。
アルスはその話から欠けていた情報が得られたのか、共和国の現状が朧気に見えてきたようだ。
『なぁアルス、あの四人は二国籍者ってことか?』
『まぁー扱いとしてはそうなるかな』
『そうだとすると、例えばミリカは神聖国の国民でもあるのか』
『本人次第だとは思うが、どうだろうな……。
リキスタバル共和国で生まれ育った守人となると、親次第だろうな』
『そうは言っても、四人とももう成人だろう。
──親次第って?』
『おそらくだが、イストアールたちもそこを探ってたんじゃないか。
もしかすると両親ともに帰国を望んでいないかもしれない。
他国の中位級守人にとって共和国は住みやすい国のはずだからな』
この世界の基本常識に欠けるエイスにとっては多少なり想像力も必要になる。
『それは共和国に中位級の守人がほとんどいないからなのか?』
『簡単に言えば、まぁーそうなんだが、それだと正しくもないんだ』
『はぁ……つまり、そこに裏話があるってことか?』
『いや、それほど大した話じゃない。
簡単に言うと、西の守人族に中位級以上の能力者はいないんだ。
もしいれば、そいつらには他国の守人の血が流れている』
『えっ!? 一人もいないのか!?
それって……全員が下位級能力者ってことになるんだが』
『信じられないだろう?
でも事実としてそうなんだ。
中位級以上の能力者なら国を追い出されてはいなかった』
これを聞いて、エイスはその事情の大枠をようやく理解できた。
『──ああーっ、そういう話か!
それで中位級以上の能力者を周辺国から派遣してもらってきた。
そりゃー厚遇されるだろう』
『おそらくそういう話なんだろう。
リキスタバル共和国の重鎮たちは西の守人族を国内に住まわせているが、国の舵取りに参加させる気はない』
『他国から派遣されたきた守人たちの方が信用できる?』
『それは当然だろう。
だから共和国内では派遣守人たちは重用されるわけさ』
『ははっ……なかなか愉快じゃないか。
移住を誘われたりしそうだな』
『だからイストアールが居心地が良いかと尋ねたんだ。
おそらくだが、ミリカの父母も上級神官並みの扱いを受けているはずだ。
待遇もきっとかなり良いんだろうな。
まぁーあいつは一応否定してたけどな』
『四十年以上も共和国にいるのはそういう理由からなのか。
それでアルスはミリカたちに手厳しいんだな』
『こいつら相当甘やかされてきたはずだ。
中位級守人が獣人護衛をつけてもらうなんて、おかしいぜ!』
エイスにもミリカとリイラの天然ぶりの理由が少し理解できてきた。
『そう言えば、四人も共和国の聖殿から派遣されてきたんだった。
四人は中位級の能力者だから自衛できるはずだな』
『いやいや、エイスそれは違うだろう。
守ってやるべきなんだ。
虎人女性たちよりもあいつらの方が強いはずなんだ。
あいつら、共和国の聖殿では相当甘やかされているんだろう』
『もしそうならかなり危ういな』
『──だな。
もしここに暗殺隊が襲ったきたら、あの四人が虎人たちを守るために戦うと思うか?』
『いや……それはないだろう。
ミリカたちは虎人女性五人を自分たちの護衛としてわざわざ連れてきている。
もしここで戦闘になれば、四人は真っ先に逃げるか……
あるいは、虎人女性たちを自分の盾として使おうとするだろう』
『──だから、そこが問題なんだ!
そうなれば、あいつらも西の守人族と同じだ。
それでも……虎人たちは必死に四人を守ろうとするだろう』
『ああ、それは間違いない。
虎人たちは生真面目だからな。
歴史は繰り返す
──正に、そうなるだろうな』
イストアール、シルバニア、三巫女が危惧しているのも、正にこの点だった。
現在の西の守人族の七割は、獣人族を盾にしてラクロバルアから逃げた者たち。
ミリカらはその中で育ち、共通の価値観と常識を持つかもしれない
──そう危惧しているのだ。
*
ミリカら四人の顔色に少し生気が戻ってきた。
デザートと紅茶の効果なのだろう。
もちろん、イストアールの話が二時間ほどで全て終わったわけではない。
彼は話の焦点を過去から未来に切り替えた。
リキスタバル共和国の守人族の今後を担うのは、目の前に座る若者たちかもしれないからだ。
イストアールがミリカらに対して特に諫めたのは、獣人族との関係だった。
──獣人族こそが大陸東部を支える主役。守人族は脇役。
イストアールとシルバニアの二人は迷いなくそう断言した。
これに三巫女も大きく頷いた。
しかし、当初、ミリカらはその真意を理解できなかった。
「よいか、我ら守人族と獣人族は一蓮托生なのだ。
守人族と獣人族は対等な関係。
確かに、それでも獣人族は守人族に敬意を払ってくれておる。
それを当然と思うようになったら、わしらは終わりだ。
その時はもう守り人ではない」
「しかし、われらの守人術がなければ、獣人たちの生活は立ち行きません」
このタイミングでミリカが初めてイストアールに反論した。
獣人族の話題になった途端だ。
「なにを寝ぼけたことを言っておるのか……。
そう思っているのはおまえたちだけだ」
「そ、そんなことはないはずです……。
実際にわれらの
それに守人族がいなければ、医術による治療も受けられません」
これを聞いたシルバニアが首を垂れ、首を小さく横に振った。
そして、失望の表情を浮かべた。
イストアールの表情が一気に曇る。
「馬鹿を言うでない。
そんなものは微々たる貢献でしかない。
元々獣王国に守人族はいなかったのだぞ。
リキスタバル獣王国を侮るでない。
──第一、西の守人族に医術師は一人もいないだろうに」
「で、ですが……
医系術能力者でなくとも、簡単な外傷治療くらいはできます」
「よく分からんことを主張するのぉ。
それではおまえさんは最前線に行って、負傷者の外傷治療をしてみるか?」
「い、いえ、それはさすがに……。
ただ、獣人たちは治療術を何も使えません。
戦場で傷ついても、その傷を癒すことができません」
これにシルバニアらのイストアール側に座る女性たちが驚きの声を発した。
「な、なにを言っているのですか!
戦場なら、獣人たちは自らの手で傷を縫合して、薬草で処置します。
痛みに耐えながら数十針を自らの手で縫い、戦い続けた者たちもいます。
そうやって戦場を生き抜いてきたのです」
これは純然たる事実。
リキスタバル獣王国だった時代には守人族は住んでいなかった。
なにかが起きれば、全て自らの手で対処してきたのだ。
「それで、結局おまえさんはなにが言いたいんだ?
守人術が使えるから、我らの方が獣人族より優れているとでも言いたいのか?
もしそうなら、それこそ愚の骨頂だ」
図星を指されたミリカが言葉に詰まる。
イストアールらが危惧しているのは、正にこの上位意識だ。
イストアールもミリカを少し厳しく責めすぎてしまった。
そこで、彼は話題を守人術に切り替えた。
──西の守人族は、守人術を過信し過ぎだ。
イストアールは先ずそう注意してから、また話しだした。
確かに、攻撃力だけに限れば、西の守人族でもケイロンよりわずかに上。
だが、数的にはケイロンの方が圧倒的に勝る。ケイロン兵の数は西の守人族の百倍以上。
それでも国境線防衛で優位を保てているのは、共和国の獣人族兵が数と質の両面において勝るからだ。
少し棘のある言い方だが、イストアールは率直にそう告げた。
だから、リギルバート王国軍はリキスタバル共和国山間部の獣人の強族を減らしたいのだと。
「わしたちは何度となく共和国の聖殿にそう伝えてきた。
それにもかかわらず、一世紀近く何の対策も講じられておらん。
それどころ、前線に近寄ろうともしない。
おまえたちに獣人族に守られているという認識はあるのか?」
イストアールのその問いかけに、ミリカら四人は心臓が止まりそうになった。
これがイストアールの話でなければ、一笑に付したかもしれない。
彼女たちは、戦闘経験はもちろんのこと、前線に行ったことさえない。
それにもかかわらず、本気で戦えば、ケイロン兵や獣人たちにも負けない
──彼女たちはそう信じていた。
ところが、イストアールから「獣人族に守られている」と言われて、急にその自信がなくなったのだ。
「何も答えぬか……。
まぁ、そうは思っておらぬのだろうがな。
では、ミリカ、おまえに尋ねよう。
外にいる虎人の男一人と、今森の中で戦闘になったとして
──勝てるか?」
ミリカは相手がイストアールであろうと、忖度などしない。
現況を考えて、彼女なりにシミュレーションする。
「失礼ながら……
勝てます。
いえ……、少なくとも負けることはないはずです。
本気で殺してよいのなら、先に森ごと焼き払います」
それを聞いて、イストアールとシルバニアが目を丸くする。
三巫女は笑いだした。
ミリカは、三巫女に笑われたことに戸惑う。
守人が一対一で虎人と戦うなら、少なくとも負けない戦い方はあるはず。
そう考えた彼女には、三巫女の笑いの真意を理解できなかった。
もちろん、接近戦になれば、クロー装備の虎人にはまず勝てない。
それは分かっている。
であれば、不利な状況に陥る前に、先手を打つ。
彼女にとってはそれが最善手だった。
「そうか、おまえは先に火炎術を使い、勝てるというのか。
それはそれで問題もあるが、面白くはあるのぉ。
アミルよ。
──おまえならどうだ?」
イストアールはミリカたちよりも遥かに格上の三巫女のアミルに質問を振った。
彼女は
その問いにアミルはしばし熟考する。
「条件が夜の森となりますと、勝機は薄いかと思います」
「なぜそう考えた?」
「虎人に森の中で気配を消されて隠れられますと、発見するのは困難です。
気配の読み合いはおそらく互角でしょう」
「ほぅ……それで?」
「ですが、聴覚、視覚、嗅覚のいずれについても相手の方が遥かに優れております。
攻撃の予備動作を察知され、雷撃の死角に入られるかもしれません。
こちらから先に動けば、必ず狩られるでしょう」
「ミリカは森を焼いて倒すと言っておるぞ」
そう問われたアミルの目がキッと鋭さを増した。
「確かにそうかもしれません。
──ですが、それはできません。
我々守人が森の命を奪うなどあってはならないことです。
私でしたら、虎人の目と鼻を一時的に封じて、その間に逃げます」
アミルにとって、最優先は森。
自らの生死でも、勝敗でもなかった。
イストアールは小さく微笑んだ。
「おまえなら戦闘時でも
「イストアール様、またお戯れを……。
虎人は
偽装されるのが関の山です」
そのイストアールとアミルのやり取りにミリカとリイラは衝撃を受けた。
同年代のアミルは戦闘時に広範囲の
そこに先ず驚かされた。
戦闘中に
「アミルはこの若さで八十近い中上位術を使える。
加えて、剣術でもそこそこ獣人たちと渡り合える。
平地でなら、アミルが間違いなく勝つ。
だが、森の中では、……まず勝てんだろう。
──かく言うわしでも、夜の森の中では虎人に勝てんじゃろうな」
ミクリアム神聖国の元最高位神官イストアールであっても、森の中では虎人一人に勝てない。それは、ミリカ、リイラ、シーリャ、ローシャには信じ難い話だった。
そして、アミルが八十近い中上位術が使えると聞き、耳を疑った。
ちなみに、西の守人族も神官級になると百近い術を使える。
だが、西の守人族は上位級術を使えない。
使えるのは、最上位レベルでも中位下級術まで。
このため、西の守人族式では、中位下級術を「上位級術」と呼ぶ。同様に、下位上級術を「中位級術」としてカウントする。
ミリカら四人からすると、アミルが共和国人になれば、最高位神官になれる。
二百近い数の中上位術を使えるイストアールに至っては、もはや神。
そのアミル、そしてイストアールでさえ、夜の森の中では虎人一人に勝てない。
それはミリカら四人にとって衝撃的な話だった。
実は、戦争経験者にとって、それは常識中の常識。
獣人族は五感に関して遥かに優れ、強力な物理攻撃や弓攻撃、さらに毒攻撃もしかけてくる。
森の中での戦いとなれば、日中でも簡単に勝てる相手ではない。
「守人族は獣人族とともに生き残ってきた。
我らは一蓮托生なのだ。
獣人族の守人族への敬意に甘えてはならん。
我らは龍人様や
獣人族からの助力なしには、社会は立ち行かん。
守人術だけで国は守れんし、豊かにもできん」
──自然豊かな地に根を下ろし、そこに住むのが守人。
イストアールは何度もそう繰り返し話した。
リキスタバル共和国の守人は町や平地を好み過ぎると。
「わしは一度退官し、ここで過ごしておった。
この場所くらいがちょうどよいのだ。
コンフィオルでも都会過ぎる……。
守人が守人たるのは、大自然の中にいる時だ。
龍人様を手本にせよ。
わしらはそのお傍に住み、自然の恵みを共に守る。
町に暮らす守人が増えるほど、その地域には争いが増える」
それは、西の守人族に対する強烈な皮肉。
共和国の国境を守るのは強靭な獣人族たちである。
共和国の守人族の実に八割以上が町に住む。
そして、各地域の聖殿や町から指示を出し、時に守人を派遣する。
ここに座る四人の守人たちが、正にその実例だ。
共和国内の守人族は、山、海、水、土の守り人とは既に呼べなくなっていた。
聖殿や聖堂の設置されていない村や集落に住む守人比率は1%にも満たない。
「リキスタバル共和国の守人がもう少し多く山間部に住んでおればのぉ……。
蛇人と毒大蛇の発見と対策ももう少し早かっただろうに。
そうできておれば、犠牲者はもっと少なかったはずだ。
今回、エイス様がたまたまここに来られていたから、全てに対処してくださった。
その偶然がなければ、白虎人族と虎人族の村々は全滅していたかもしれん」
ミリカたちは共和国の守人族も最善を尽くし、国を守ってきた。
イストアールからこの話を聞くまで、彼女たちはそう考えていた。
だが、エイスがここにいなければ、虎人系族の村々は高確率で全滅していた。
あの数のミギニヤとダミロディアスからの夜襲を受ければ、逃げることも難しいだろう。
白虎人ニルバから毒大蛇の目撃情報を先に得ていた。
それにもかかわらず、その調査隊を派遣するのにさえ手間取った。
その理由は実に単純だった。
誰も現地調査に行きたがらなかったのだ。
相手が毒大蛇ミギニヤの群れだったから。
ただそれだけのこと。
町から出て、現地に向かえば、事件や襲撃等に巻き込まれるかもしれない。
それを怖れたのだ。
獣人たちは降りかかる火の粉を払う覚悟ができている。
だが、町に住む守人族に果たしてその覚悟があるのか。
ミリカら四人はそう考えると、胸が痛んだ。
エイスのように、虎人たちの前に立ち、彼らを守るほどの気概はない。
指名されてここに来ただけのこと。
屍の焼却作業を担うのが精一杯で、それ以上のことは──。
イストアールには、そこを見透かされたような気がした。
四人は、自分たちが「西の守人族」と同一視されている理由をようやく理解できた。
そして、自分たちがその当事者の一人であることも認識できた。
彼女たちの表情がまたどんよりと暗くなっていった。
イストアールは四人へのお説教をそこで止めた。
四人は西の守人族の意識に毒されてはいるものの、彼女たちは派遣されてここにきただけだ。彼女たちが負うべき責ではない。
ただ、ミリカら四人に本質的に欠落しているものをイストアールたちは指摘せずにはいられなかったのだ。
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