第三章

01 共和国からの来訪者


 イストアール・エン・ケ・オルカタスは神官としてミクリアム神聖国に長年仕えてきた。

 聖殿と聖堂は竜族・龍人崇拝の地域拠点。

 そして、その中枢が首都インバルの大聖殿。

 満700歳を迎える年、彼は年齢による肉体的な衰えを感じ、一度退官した。

 この当時、彼は首都インバルの大聖殿最高位神官の地位にいた。


 龍人族ほどではないが、守人族も長命種。

 ただ、そうは言っても、守人も700歳となるとさすがに高齢。

 それでも、彼は今も杖なしで普通に歩ける。


 退官後、彼は大滝ミララシアの傍で隠居生活を送っていた。

 そして、定期的にコンフィオルに足を運び、クレム聖泉の様子を窺っていた。

 彼は大恩人のアルスを救出しようと、長らく研究を続けてきた。

 それは退官後も変わらず、「解除不可能な封印術」を解くための鍵を探してきた。


 だが、コンフィオルのあるベルト地区の区長ボナザ・エ・ラル・ベルトに請われ、コンフィオルの神官職に再就官した。

 老いたとはいえ、最高峰の守人術の使い手。数少ない上位聖守術師イクシペリアの一人。

 彼が神官職の地位にいるだけでも、その周辺の守人族、獣人族、人族が安心して暮らせる。


 区長ベルトが三願の礼を尽くしてイストアールを迎えたのには、実はもう一つ理由があった。

 ──それは彼の人脈。


 数百年にも及ぶ神官職時代に、彼は多くの弟子、門下生、従者を抱えていた。

 彼の下にはミクリアム神聖国内だけでなく、周辺国からも多数の守人が集った。

 その弟子の総数は300人を超える。

 門下生や従者の総数は優に千人を超える。

 コンフィオル聖殿に仕える三巫女も彼の曾孫弟子。

 今もコンフィオル聖殿にはイストアールに会うために多くの人々が訪れる。

 これがベルト地区にとってどれだけの価値を持つかは想像に容易いはずだ。



        **


 蛇人アーギミロアとダミロディアスとの戦いがあった翌日の午前、ヴァリュオが白虎人五人と虎人四十人を連れて大滝ミララシアに戻ってきた。


『あーはははっ。

 なぁー、エイス、だ……だから言ったろう!』


 アルスが爆笑するのを聞きながら、エイスは必死に笑いを堪える。

 隣にデュルオスとニルバがいるからだ。


 ただ、二人がそうなるのも当然だった。

 なかなかにマッチョな虎人たちがぞろぞろと森を抜けて現れたのだ。

 エイスの頭にボディビルダーのコンテストの白黒写真が現れた。

 スリムな白虎族の男たちに比べると、虎人たちはいかにもなムキムキ。

 なかなか精悍な猛者たちが集まったようで、一見にはとても頼もしい光景だった。

 それでも、なぜか笑えてしまう。


        *


 多くの鳥獣が本能的にそうであるように、虎人族もまた毒蛇に鋭敏な反応を示す。

 本能的に蛇に対して警戒するからだ。


 その虎人族の精鋭たちを出迎えたのは、身も凍るような現場だった。

 ムキムキのマッチョたちがその現場の状況を見て、悲鳴に近い声を上げた。

 だが、それも仕方のないこと。

 眼前には巨大毒蛇の屍がまるで絨毯のように敷き詰められている。


 男たちは森を抜け、大滝下の砂地が見渡せる場所で足を止め、そこから前に進もうとしなかった。ヴァリュオから激が飛ぶまで、男たちはしばらく立ちすくみ、その現場をただただ静観していた。


 もちろん、男たちは事件の説明を受けていた。

 だが、その現場の状況は彼らの想像を超えたものだった。

 男たちの尻尾にも全く覇気が感じられない。


 「──まぁーそうなるわよね」


 ニルバは苦笑いしながら、そう声にして、ため息をついた。

 これから、あの毒大蛇たちを抱えて移動させるとなると、男たちもゾッとすることだろう。それは彼女にも容易に想像がついた。


 デュルオスも、ニルバも、できればその現場に近づきたくはない。

 体の中からその拒否反応が湧き上がってくる。

 しかも、その毒蛇たちは自分たちを狙っていたのだ。

 それを思い出すと、余計に背筋が冷たくなってくる。

 だが、屍を処分しないわけにもいかなかった。

 二人もヴァリュオが指揮する場所へと向かった。



        **


 ヴァリュオらの一団から遅れること、約三十分。

 虎人族の女性五人がまだ森の中を歩いていた。


 さすがに背丈はニルバほど高くない。平均身長は180cmくらいだろうか。

 そして、その後ろを守人族の一行がついていく。

 ──守人は六人。

 

 リキスタバル共和国、ギロン山脈近くの町から派遣された守人たちだ。

 ヴァリュオの情報は昨晩中に所轄の聖殿に伝えられ、六人の守人が急遽派遣されたのだ。


 先頭を歩く二人は男性。その後ろの四人は全員女性。

 守人族の先頭はベルロン、35歳。

 その次を歩くのが、この一行のリーダー、55歳のガルカナ。

 その後ろに続くのはいずれも女性。25歳のミリカと19歳のリイラの二人。

 そして、その後ろからシーリャとローシャが続く。二人は16歳と15歳。


      *


 ここに派遣された六人の守人たちは、聖殿からの派遣チームとしてはかなり若い。

 大陸では、年齢的には15歳で成人を迎えるが、守人族社会では最年長のガルガナでもまだ若手。


 それが顕著に表れるのが守人術の習得数とその術域幅である。

 一般的な生活術を除くと、守人術の習得には時間がかかる。

 共和国水準の中位級術であっても、一術を習得するのに年単位の期間を要するものは多い。


 実際に、ガルカナが百近い守人術を習得するまでにはかなりの修練を要した。

 それもあって、彼がパーティーリーダーを任されるようになったのは50歳から。

 そのガルカナであってもこの任務は大役だった。

 普通であれば、神官クラスが最低四人は派遣される。ところが、彼はまだ神官職に就いていないにもかかわらず、今回の派遣隊ではリーダーを務める。


 実は、所轄の聖殿の担当神官は、諸事情からガルカナら六人しかここに派遣できなかったのだ。

 出立前にはこんなやり取りがあった。


「ガルカナ、そしてベルロン。

 よいか、これは大事件だ。

 だが、おまえたちも知っての通り、今は時期が悪い……。

 千人以上を南部に送っているのだ。

 この地区から今派遣できるのは、おまえたち二人しかいない。

 すまないが、二人で行ってくれ。

 ミリカとリイラの二人を補佐としてつけるのが精一杯だ」

「我ら二人だけでございますか!?

 ですが、補佐があの二人となりますと……

 そのぉ……大丈夫でしょうか。

 それに、アーギミロアを移送するのに私とベルロンの二人だけでは……」

「分かっておる。

 だが、いないものはいないのだ。

 ミリカとリイラをつける以上のことはできん」

「しかし、……それですと、また別の問題が起きかねません。

 それに、現地指揮をあの二人に任せるのでございますか?」

「はぁー、それもなぁ……。

 わしも重々分かってはおるが、今派遣できるのはあの二人だけだ。

 移送の警護はデュルオスか他の白虎人たちに頼むしかなかろう。

 この書面をデュルオスに渡してくれ」


 なんとも心もとない話である。

 しかも、六人の中で実戦経験があるのは、このガルカナとベルロン二人のみ。

 その他の四人は何やら訳アリそうだ。


 ミリカの習得術数は、生活術を除くと三十五。

 共和国内では「若き天才」と呼ばれるリイラでさえ、まだ四十二の術を習得したにすぎない。

 そして、このパーティー中で最年少の二人はまだ見習い。

 シーリャとローシャは優秀な方だが、それでも使える術はまだ十五ほど。

 二人とも火炎術をようやく実践的に使えるようになったばかりだ。


 ただし、先にも触れたようにこの四人には実戦経験がない。

 ガルカナとベルロンの話を参考にするなら、戦力としてカウントするのは難しそうだ。


 この一行の任務は主に二つ。

 一つは、蛇人アーギミロアの移送。


 アーギミロアは先日起きた事件の主犯。

 同時に、その他にも数千人の獣人族を殺害した実行犯と推定されている。

 ヴァリュオの報告から、隣国のリギルバート王国軍中将の関与が濃厚なだけに、リキスタバル共和国はこれからアーギミロアを慎重に取り調べなければならない。


 さらに、彼が捕縛されたと知れば、リギルバート王国は彼に刺客を送るだろう。

 つまり、アーギミロアは要警護の対象。

 リキスタバル共和国への移送というより、事実上の護送任務だ。


 もう一つの任務は、毒大蛇の焼却処分。


 ダミロディアスは超大型だが、焼却処分が比較的に楽な毒蛇。

 しかも、その鱗は希少金属でもあるため、高額で取引される。

 ヴァリュオはエイスの了承を既に得ていて、それを持ち帰る予定だ。


 問題は、やはり毒大蛇ミギニヤ。

 ミギニヤを焼くと強烈な毒煙が発生する。

 正に、煮ても焼いても食えない。非常に厄介な毒蛇だ。


 ギロン山脈の中でもこの大滝ミララシア周辺の森は自然豊かな鳥獣たちの住処。

 ミギニヤを処分する際にも細心の注意が必要になる。

 単に屍を集めて焼けば済む、というほど簡単な作業ではない。

 しかも、諸事情からこの処分をミクリアム神聖国に依頼するわけにもいかなかった。


「二人とも事情は分かっていると思うが、あの場所だけはマズい。

 最悪の場所でこの事件が起こった……。

 コンフィオルに知られる前に何としても処分を済ませてくれ」


 そこで、その要員として守人六人を急遽ここに派遣した。

 だが、今回は異例中の異例のケース。


 通常、守人の派遣までにはかなりの時間がかかる。

 さらに、ミクリアム神聖国の入国審査は非常に厳格で、条件も厳しい。

 移民を一切受け入れない国家であるため、入国許可を得るのにも時間がかかる。

 どんなに急いだとしても最低一か月は待たされる。

 ただ、当然ながらそれでは時間がかかり過ぎる。


 そこでヴァリュオらに同行し、裏技的にミクリアム神聖国に入国してきたのだ。

 白虎族と虎人族の村々は、ギロン山脈沿いに位置していて、例外的に国境周辺を自由に行き来することができる。山脈付近の国境グレーゾーンに住むからだ。

 そして、国境線付近の警備は獣人族の役目でもある。

 普通であれば、共和国の守人族は先に入国の申請と許可証が必要になる。

 それを承知で担当神官は、守人六人をミクリアム神聖国へ派遣した。

 一行は入国許可証を持たないが、ヴァリュオらとともに国境を越えた。

 ヴァリュオには非常事態扱いと説明して、強引に虎人系族に協力させたのだ。


 実は、それらは表向きの理由。

 六人の守人が急ぎ派遣されたのには、先ほど挙げた目的の他にもう二つの理由があった。


 その理由の一つは、その山荘の所有者がコンフィオル聖殿の神官イストアールであること。

 この件は、リキスタバル共和国とリギルバート王国の二国間の紛争の火種になるかもしれない重大事件。そうではあるにもかかわらず、神官たちがそれ以上に懸念したのは、事件が起こったその場所だった。

 ──そこは、かのイストアールが所有する山荘。


 これはリキスタバル共和国の守人族の重鎮たちにとって一大事だった。

 共和国の聖殿神官たちは、ミクリアム神聖国の大聖堂に一時派遣され、そこで勉学と修業を積んだ者が多い。

 この当時のインバル大聖殿最高位神官は、かのイストアール。

 このため、その多くがイストアールとその直弟子たちの指導を受けていた。

 そして、それが共和国の聖殿神官たちの自慢でもあるのだ。

 ──イストアールの孫弟子、あるいは門下生を自称する者たちも少なくない。


 今回の事件の事後処理でその師の手を煩わすようなことにでもなれば、コンフィオル聖殿に出向いて、最低でも総員で土下座

 ──だけではすまないだろう。

 仮にそれが避けられないとしても、蛇人アーギミロアの移送だけは終えておきたかった。それもあって、すぐに出動可能だった四人の守人を秘密裏に派遣したのだ。


 そして、もう一つの理由もイストアール絡みである。

 龍人アルス、そしてイストアールは、二人とも周辺国の守人族と獣人族にとっては英雄的な存在。リキスタバル共和国内においてもその名を知らない者はいない。

 そして、二世紀もの間、アルスとともにクレム聖泉に封印されていた同血の(半)龍人ラフィルが最近生還した、と共和国内でも噂になっていた。

 ──そのラフィルの事実上の後見人も、かのイストアール。


 今回の事件で毒大蛇たちを殲滅したのは、その「(半)龍人ラフィルのエイス」。

 まだ目覚めたばかりのその(半)龍人ラフィルは、たった一人で600体ものミギニヤを一瞬で倒した。

 聖殿の担当神官は、ヴァリュオからのその報告を聞いて、卒倒しそうになった。

 リキスタバル共和国としては、その(半)龍人ラフィルの手をこれ以上煩わせるわけにはいかなかった。それこそ大師の怒りを買いかねないからだ。


 これらが、リキスタバル共和国の所轄神官の言うところのである。

 ──なんとも低次元、かつお粗末な話である。



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