08 三人の白虎人(1)
この星でも地球と同様に紅茶が販売されていて、その種類も多い。
エイスが攻撃術の演習を始めた翌朝。彼はキッチンで紅茶を入れ、ミルクと砂糖を入れようとしていた。
そこで彼の手がはたととまった。
────いつものエイスなら朝の紅茶に砂糖を入れたりはしない。
(そう言えば、あまり深く考えたことがなかったが……)
日頃、彼は甘味類にはあまり縁のない生活を送ってきた。
ところが、今朝は珍しくお茶に砂糖を入れようとした。
しかも、スプーン二杯も。普段は、入れても一杯まで。
無意識に二杯目を入れようとしたところで手が止まったのだった。
昨日、電撃と火炎術の演習をほぼ丸半日行った。
(もしかして……脳内で糖類がいつも以上に消費されたのか)
彼はその関連性について一考し、すぐにアルスに尋ねた。
『それはよくあることだろう。
昨日、おまえは丸半日の間攻撃術の練習をしたんだ。
甘いものが欲しくなっても別におかしくないさ』
『そういうものなのか?』
『はぁ!? いや……そういうものだろう。
普通、頭が疲れた時には甘いものが欲しくなるんじゃないか』
エイスはそのアルスの返答に、なぜか笑ってしまいそうになった。
どこかで誰かから、それに似た話を聞いたような気がしたからだ。
────それは、きっと地球人女性。
そして、エイスのその気づきはアルスの返答で確信に変わった。
エイスは屋外のテーブルに座り、砂糖入りのお茶を飲みながら脳内の状態を精査していく。
(時々エイスは意味不明な質問をしてくるよなぁ。
甘いものが欲しくなることくらい誰にだってあるだろうに……)
アルスからすると、エイスの言動の方が謎だった。
*
エイスは、脳の現状分析を終え、その解を得た。
やはり、昨日の術演習の影響から脳内のブドウ糖と数種類のビタミンがいつもより減少していた。
(脳の構造が人間とはかなり違うからなぁ。
実際に術を使ったおかげで、脳内器官の詳細な働きを理解できた)
龍人術や守人術の発動時には、脳がそれらの栄養素を消費する。
地球人とは違い、龍人は異なる糖質類を非常に効率的にブドウ糖に変換できる。
また、脳力用の糖分と数種のビタミンを蓄えておく器官も脳内に備わっている。
それとは別に、龍人も守人も体内に蓄積された体内気を使い術技を発動する。
体内気(体内術気)は、言わば術技の実エネルギー。これに対して、脳内気(脳内術気)はそのエネルギーを術技として発動、そして制御する際に使われる。
実際の術技の発動には二種類の術気が併せて使われる。
エイスだけは脳構造を踏まえて術制御を行っているが、他の龍人や守人もそんな面倒なことは一切考えていない。そもそもその二つの違いを全く認識していないのだ。
ゆえに、術技を多用すると、ゲームのMP切れ的な状態に陥る。
それを超えてさらに術を使い続けると、意識を失ったり、最悪の場合は死に至ることもある。
これは、龍人と守人ともに同様である。
だが、龍人は守人とは比較にならないほど体内気の蓄積量が大きい。
ここで注目すべきはエイスである。彼は必ずしもこれに該当しないのだ。
そして、それこそがアルスの記憶を基にしたシミュレータ演習と実際の攻撃術演習の齟齬の原因だった。
『おれはどうせそんなことだろうと思っていたんだ。
それにしても……
周囲のエネルギーまで取り込みながら術を発動していたのか……』
『いや、おれは単にその方が効率的だと思っただけだ。
だから、あまり意識せずにそうしていたんだが……。
でも、攻撃術の発動点に術気を集約する方法は同じだ。
体内気の操り方自体はアルスの記憶とシミュレータでの演習の通りにした』
実は、エイスは術発動中に使った術気を自然界から同時に補っていた。
外界の自然気(超電磁気)を取り込みながら術を発動し、体内術気の消耗を最小限に抑えていたのだ。
『みんながやっていることじゃないのは分かっていたけど……
もしかしておれだけなのか?』
『エイス、おまえ……なにを言っているんだ⁉
みんな何年もかけて術を習得して、さらにその術を磨き上げていくんだぞ。
一つの術を完全に体得するまでには年単位の長い時間が必要なんだ。
それを、外界の自然気を取り込みながらって──
──できる方がおかしくないか?』
これはアルスの指摘の通りだ。
だが、実はそれには理由があった。
クレム聖泉にかけられていた封印術を解く際に、長く休眠状態だった当時の肉体には解除術を発動できるだけの体内気は残っていなかった。
そこでエイスは外界の自然気の力を借りたのだ。
その時から彼は外界の自然気の力を常時使ってきた。
さらに、攻撃術の発動に慣れてきてからは、発動中の術技にその一部を上乗せしていたようなのだ。
『それが本当なら、おまえは体内気を消耗せずに攻撃術を使えるってことか?
そんなデタラメな……』
『いや、そういうわけじゃない。
周囲のエネルギーを取り込むために、それ用の術を発動しているような感じだ。
その術気の分はやはり消耗していたようだ』
『おいおい……、また意味不明なことを……。
それだと、事実上複数の術を併用した攻撃術と同じだろうに。
術の発動法だけがおれと同じなだけで、それ以外は全く別ものじゃないか!』
そう、エイスは事実上複数術を同時発動していたのだ。
より正確には、攻撃術と補術(補助術)を併行的に発動し、制御していた。
ただし、それを実現するためには非常に高次の多重並列思考力が必要になる。
(それって電撃術や火炎術という大枠が同じなだけで、実態は別の術じゃないか。
それに、龍人だって術気消耗を意識すると、大術をそうそう連発できないが──
──エイスにはそれも可能ということか)
このアルスの考察は的を射ていた。
大規模術や高出力術であっても、エイスはよほど長時間使い続けない限り、体内気切れに陥ることはない。
ただし、これは転生時に肉体を最適化したエイスだけが有する特別な能力である。
他の龍人に同じことができるわけではない。
────このエイスの能力の秘密は、この先の物語中で明らかにされていく。
**
いつもなら午前の鍛錬の時刻になっていたが、エイスはまだ山荘前のベンチに座っていた。
実は、この日と明日の午前は軽めのトレーニングと鍛錬のメニューになっている。
これまではやや筋トレ的な狙いで、あえて肉体に高負荷をかけてきた。
ただ、この場所までやってきた最優先はあくまで肉体の基本活動力の回復。
ここで一度クールダウンだ。
エイスは山荘の空き地で軽く汗を流した後で温泉に入り、イストアールから借りた本を読みだした。
ここに到着してから、彼はこの星の歴史に関する本に目を通していた。
アルスから話には聞いていたが、本中の記載内容とは多少ズレもあった。
それらをアルスに再確認しながら、大陸の史実について学んでいく。
*
一時間後、エイスは山荘に鍵をかけ、滝下へ下りていこうとした。
階段を数段下りたところで、彼の足がピタリと止まった。
(おっと、どうやらお客様だ。
──んっ、三人か?
これは……獣人族だな)
エイスの広範囲の三次元俯瞰視がこちらに向かってくる獣人たちを捉えた。
三次元俯瞰視の術統合が進み、エイスは単一術として既に発動できるようになっていた。
三人の獣人たちがこちらに近づいてきている。
そのせいか、滝上の小湖周辺の鳥獣たちも含め、ギロン山脈の山中が少し騒がしくなった。多数の鳥獣がその反対方向に移動していく。
獣人たちが特に強烈なオーラを発しているわけではないが、鳥獣たちが慌てて移動している。
エイスは階段から引き返して、こちらにやってきている獣人たちが見えやすい場所に移動する。
獣人たちはまだ山の中腹辺り。距離にして山小屋から3.5kmほどは離れている。
エイスは三次元俯瞰視を拡大して、さらなる情報を得ようと試みる。
(あれは……虎人族か。
ただ、前に捕縛したやつよりも少し細い……。
それにしても二人はかなり背が高いな)
そこにアルスが割り込んできた。彼も三次元俯瞰視の状況を観察している。
『こいつら、
虎人とは体形と走り方が違う』
『白虎人族って……、白虎なのか?』
『ああ、白いぞ。
虎人系族の中でも最上位種だ。
頭も良い。獣人族の中でもかなりの上位種だ。
──獣人族の中ではわりと話しやすい方かな』
『いきなりパンチとかはないのか?』
『ない。あいつらは理性的だ』
いきなりパンチの代表例は大熊人族と河馬人族。
この二種族は町にも入れてもらえないそうだ。
『目的はおれかな?』
『……それは分からないが、その可能性もありそうだ』
『もし話すことになったら、何か注意点はあるか?』
『いや、特にはないが……。
あの様子だと、リキスタバル共和国との国境周辺から来たのかもしれないな。
もしそうなら、いきなり襲ってくるようなことはまずないと思うが……
戦闘になったら、両手に
エイスはシミュレータでクロー攻撃の演習もしたが、なかなか面倒な攻めである。
両手のクローを巧みに使って、槍や剣を絡めとり、折ろうとしてくる。
ボロ刀しか持たないエイスにとっては非常に厄介な攻めだ。
まぁ、それでも、それはエイスの一刀を受けとめられればの話である。
しかし、向こうは三人。
戦闘になれば、シミュレータ演習通りとはいかないだろう。
しばらくすると、エイスは山を移動する白虎人三人の姿を遠目に捉えた。
そして、さすがは上位種の獣人族。向こうもエイスに気づいた。
『アルス、あいつら手を振ってきたぞ……』
『ああ、これは……確実にここへの客だな。
お前の知り合い……なわけはないし。
──なんの用なんだ?』
『俯瞰視で様子を見る限り、喧嘩腰ではなさそうだが。
この間の虎人つながりかもしれないな……。
ここに来ているのなら、話してみるしかないだろう』
そう話した後に、エイスはお茶を出すためのお湯を沸かしながら、屋外のテーブルの周辺を片付けだした。
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