04 虎人族
その獣人は大木のそばで蹲るようにして倒れていた。
頽れたその姿勢は土下座のようにも見える。まるで異様に毛深いレスラーが後頭部を殴打されて失神しているかのように──。
さすがにそのままの姿勢にしておくのは少し気の毒に思えたのだろう。エイスが動いた。
中腰になり、獣人の肩の辺りを手でぐいっと押して体を横に倒した。
それでようやく獣人の顔が見えるようになった。
体長は2m超級。
ムキムキ……。マッチョな獣人。
泡を吹いているが、呼吸はしている。
虎系獣人────虎人族。
頭にぴょこんと虎耳が出ているが、顔には毛が少ない。
わりと人間的な顔。まぁまぁなワイルド系のイケメンである。
ただ、二本の牙の先が唇からのぞいている。歯はかなり鋭そうだ。
腕や脚は虎模様で毛がびっしりと生えている。手指は細くも、毛も少ない。それに長い尻尾。
地球的にも、典型的な獣人だろう。微モフ系。
失神しているが、その姿は正に亜人である。
コンフィオルの町には獣人が少ない。
歩いていたとしても大人しい系の獣人だけだった。それもあってエイスはあまりじっくりワイルド系の獣人を観察したことがなかった。
エイスは初めて見るその虎人の姿を興味深そうにしばし観察していた。
エイスが笑ってしまったのは、その服装だった。
靴なしで、革の半ズボンにサスペンダー。
記憶にはないのだが、彼はどこかでその姿を見たことがあるような気がした。
それとは対照的だったのが山荘管理人の兎人。
なかなかかわいい服を着たオシャレさんだった。
山荘管理人はかなりかわいい系の亜人。長い耳が髪からぴょこんと出ていた。
エイスは虎人と兎人を比較しながら、アルスにいろいろと質問していた。
*
観察を終えて、エイスが立ち上がった。
『さーて……、こいつはどうしたものかな』
『う~ん、山の虎人族だからなぁ。
わりと純朴な獣人だし、悪意云々はないと思うんだが──。
ただ、用件は分からんが、何らかの理由でお前を監視していたんだろうからな。
とりあえず担いで連れて帰ろう。
明日尋問しようぜ』
『そうだな。
ところで、こいつら強いのか?』
『ああ、ぼちぼち強いぞ。攻撃力は高い。
ただ、打たれ弱いから、お前が殴ると簡単に逝くぞ!』
『攻撃力だけが高いわけか?』
『攻撃力と俊敏性は高い。
拳撃と足蹴は石が砕けるほど、強烈だ。
爪は金属とそう変わらないから、剣や槍もはじくぞ。
おまけに、戦闘にはその腰に下げている
ただ、……こいつらは腹の皮膚と脂肪層が薄いんだ。
お前なら軽い一発でおつりがくる。
さすがに人族ほど脆弱ではないが、防御力は高くない』
『そうか。憶えておくよ』
エイスはその虎人を縛り上げて、
非常に清潔な体である。蚤等の寄生虫などどこにもいない。
つやつや、ピカピカの毛並みだ。
アルス曰く、虎人族は潔癖症なのだそうだ。
一日最低二回は入浴するらしい。
このマッチョな姿で潔癖症とは────エイスはそれを聞いて爆笑してしまった。
爆笑した後、彼は約150kgの虎人を軽々と肩に抱えて、山荘へと戻っていった。
*
翌朝、エイスが捕縛した虎人の様子を見にいくと、まだ気絶したままだった。
エイスが体調を診たところ、肉体的な問題は特に見当たらなかった。
だが、意識が深層まで落ちていているために、自力で覚醒できないでいる。
ラーダムは古の龍人術。思念体に強く作用する。意識が戻らないのはそのためのようだ。
念のため、エイスはその虎人の思念体に回復術をかけておいた。
ラーダムはある程度以上の知能を持つ野生動物等には非常に強く作用する。
だが、獣人程度に知能が高くなると、効果が変化し、死に至るようなことにはならない。
(おそらく守人にはほとんど効かないだろう。
ただ……そうなると、その逆でも効果が低くなるということか……。
昆虫とか原始的な生物には対してはあまり効果がないだろう)
それから数分後、その虎人が目覚めた。
我に返った虎人は、ガバッと起き上がり、目の前に立つエイスを認識した。
その途端に、虎人の長い尻尾が縮こまり、丸まった。
全身が激しく震えだした。
それを見たエイスは、ラーダムの用法を再考することにした。
(この術は工夫次第で結構使えそうだな。
与える恐怖にバリエーションをつけられるようなら、かなり面白い術になるかもしれない)
その虎人の反応は当然のことだ。
昨晩、彼は嘗て経験したことのない死の恐怖を味わったのだ──しかも、失神するほどの。
その恐怖の張本人が目の前に立っているのだ。
冷や汗をかかない獣人であっても、その恐怖を思い出したのか、全身の毛が逆立っている。
それを見てから、エイスが尋問を始める。
「おい! なぜおれを監視していた」
エイスがそう問いかけると、虎人の体に電気が走ったかのようにビクビクッと反応した。体がさらに委縮し、肩まで大きく震えだした。
「聞こえなかったのか?
なぜおれを監視していたんだ」
一分ほど待ってみたが、何の返事もない。
困り顔を浮かべながら、目線を再度虎人に向けると、虎人はさらに委縮する。
マッチョな獣人なのだが……。
エイスは優し気な美男子。少なくとも恐くはない……はずなのだが。
数分後に、返答しそうにもなかった虎人が何らか意を決したのか、顔を上げた。
ガタガタと震えながらも口を開いた。
「イ……イ、イストアール様の……お家に……
み、み、見知らぬものが入ったのを……み、みつけて。
……そ、それで、よ、ようすを窺って……おり……ました」
この話が事実なら、イストアールの知り合いなのかもしれない。
だが、イストアールはここに獣人族は来ないと言っていた。
「おれはイストアールの知人だ。
別に怪しいものではない」
エイスはそう答えたものの、虎人にとってにわかには信じ難いようだった。
「なんだ……。おれの話が信用できないのか?」
エイスはわりと優しく話しかけているのだが、虎人にはそう聞こえていないだろう。それでも話し方は多少マシになってきた。
「い、いえ……。ただ……、あのただならぬ殺気は……」
いや、あれは殺気じゃないんだが──とは思うものの、術の説明をしても無駄だろう。
エイスは話していても埒が明かないように思えてきた。
そこで、彼は銀色の身分証を取り出し、中腰になって、虎人の顔の前にそれを示した。
「おれはエイスだ。
コンフィオルからここにきた」
銀色の身分証を確認した虎人は、震えが止まり、少し安心した顔になった。
予想外に、その身分証の効果は絶大だった。
同時に、虎人は少し訝しむような表情を浮かべた。
「なんだ?
身分証は偽物じゃないぞ」
「そ、そんなことは思ってもおりません。
そのカードが偽造できないことはよく知っております。
た、ただ……」
虎人はかなり普通に話しだしたが、そこで話を止めた。
「ただ、なんだ?」
「あ、あっ……。
い、いえ、神官様にあの殺気は……普通出せないと思いまして……。
そ、それに守人様にしては御耳が少し短いような気もしまして」
それを聞いてエイスが笑いだした。
虎人はその笑いの意味が分からず、キョトンとしている。
「あははっ……、悪いな。ついつい……。
それは、そうだろう。おれは守人ではない。
おれは
その虎人は生まれて初めて本物の龍人を見た。
話には聞いたことはあったが、本物を見るのは初めてだった。
特にラフィルは今や絶滅危惧種。エイスの容姿を見れば、守人と考えるのが普通だ。
そこで虎人は少し妄想的な誤認をした。
仮に自分が龍人かラフィルだとして、夜に監視者を発見したとしたらどうするか……と。
理由はどうあれ、その相手は危険人物に間違いない。
自分なら、そいつをさっさと始末していたかもしれない。
虎人は勝手にそう考えた。
エイスは面倒そうなので、虎人をもう開放しようかと考えたところだった。
いきなり虎人がひれ伏して謝罪の言葉を口にした。
──縛られたままでの土下座。
彼は一分ほど虎人の謝罪の言葉を聞いてから、縄をほどいた。
「いいぞ。もう帰りな」
「は、はぁ……!?
よ、よ、よろしいのでしょうか?」
「ああ、別にもういいぞ。
鍛錬の邪魔になるから、しばらくこの近くには来ないでくれ。
それから他の者にもそう伝えておいてくれ」
虎人はそう言われて少し呆然としている。
予想外にあっさりと許されて、逆に驚いているようだ。
「ところで、お前……、猪豚を食べるか?」
「はっ!?
……はっ、はい。
大好物でございますが?」
「そうか。なら、そこのテーブルに置いてある残りの猪豚を持って帰れ。
おれが食べる分は切り取ったから、そこにあるのは全部やるよ」
「えっ?」
死の恐怖を体験した虎人だったが、一夜明けると、肩に1.4m級の猪豚を抱えていた。
正に、狐につままれた気分だ。
ただ、去り際に目撃したエイスの剣の素振りがあまりに速く、それに驚かされた。
驚異的な視力を持つ虎人の目でも、その刃を一度も捉えることができなかった。
**
村に戻ったその虎人は一部始終を話し、しばらくはそこに近づかないように注意した。そして、白虎人と虎人の獣人族長デュルオスにも同様に報告した。
────エイスという名のラフィルがいる。
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