第二章

01 聖殿の日々


 ミクリアム神聖国ベルト地区コンフィオルは人口約8000人の小さな町。

 ギロン山脈の麓まで30kmほどの距離。

 クレム洞窟があるのは、この町のすぐ傍。


 町の洞窟側には、旧聖堂を拡張改修した聖殿と聖殿衛兵所等の建造物が立ち並ぶ。

 ここは片田舎の町。普段、聖殿周辺には安穏な空気が漂っている。


 ところが、昨日午後からその様相が一変した。

 当然ながら、話題の中心は昨日の事件


 ────龍人アルスの消滅。


 町の人々の反応は悲喜様々。

 伝説の英雄騎士の死を嘆く者も、もちろん多い。

 しかし、同時に、その英雄騎士を救うべく、単身、戦いを挑んだラフィルの生存が話題になった。

 何しろ二世紀に渡り泉底で休眠していたにもかかわらず、生還したのだ。

 さらに、その武勇について多少の尾鰭が付き、彼の生還は街の酒場でも盛大に祝われた。


 そして、そのラフィルに注目し、話題の中心にしたのが守人族と人族の女性たちだった。

 昨日、担架で運ばれてきたのはラフィルの男性。

 しかも、濡れた金髪が輝く、それはそれは美しい男性だった……と。


 「けっ‼」、という一部の男性の声が聞こえてきそうだ。


 だが、事実である。

 何しろ、担架で運ばれてきた際のエイスの姿を一目見ただけで、女性たちが騒ぎだしたほどだ。

 無論、アルスの計画案にこの女性たちの反応までは含まれていなかった。


        *


 聖殿二階の特別室(迎賓室)は、広く、そして豪華だ。

 そこに置かれた大型ベッドに、エイスは寝かされている。

 その傍に椅子やテーブルが置かれ、エリル、リーロ、アミルの三人の高位巫女が座っている。

 彼女たちは三人で交代しながら、エイスのお世話をしている。

 とは言っても、エイスは静かに寝息を立てているだけなのだが。


 ちなみに、濡れたエイスの服を脱がせて、寝衣を着せたのも彼女たちだ。

 その時の三人の反応はなかなか興味深いものだったが──。


 リーロとアミルの二人は、それ以降も眠っているエイスの顔を見ては、頬を赤らめている。

 アミルは時々大きなため息を漏らす。

 ────分かりやすい二人。

 クールなエリルは無表情だが、それでも時折エイスの顔をじっと見つめることがある。


        *


 エイスは眠りながらも、脳内でいくつかの作業を進めていた。

 先ずは、覚醒した肉体の状態チェックだ。

 実際に筋肉や内臓器を動かした際の反応。そして、そこから分かった課題と問題等の精査。


 残念だが、想定よりも肉体の状態は悪く、完全な回復には時間がかかりそうだった。

 何しろ体内に栄養分が不足している。完全な枯渇状態。


 さらに、この聖殿周辺の状況、そして、人々の反応等も探った。

 洞窟から出たおかげで、俯瞰視術からかなり広範囲の状況を知ることができた。

 幸いなことに、ここはエイスにとって安全な場所のようである。


 エイスの肉体は眠っているものの、脳内は周囲の様々な情報を常時捉えている。

 三巫女や周辺の女性たちの反応にも、もちろん気づいた。

 彼は男性として率直に喜びはした。

 ……が、実際には、そんなことはどうでもよかった。

 それは、二の次、三の次……。いや、彼にとってそれはもっと下位のお題だった。


 彼の男性機能は近々正常に働きだすだろう。

 それでも、休眠状態から身体が完全回復するまでには一年近くかかりそうだ。

 エイスは遺伝子操作により肉体を最適化したため、現状の肉体はまだその変化に適応できていないのだ。

 それに、長命な龍人男性はそもそも淡泊なのだ。

 指数的に表現すると、正常な地球人男性を仮に100とすると、おそらく3未満。

 それもあってか、その類の興味がまるで湧いてこないのだ。


        *


 この日の午後になって、エイスはようやく目を覚ました。

 上半身を起こして、イストアールと三巫女たちと少し話した。

 その後で、エイスはようやく最初の食事をとった。

 彼はスープをゆっくりと味わいながら、味覚を楽しむかのように微笑んだ。


(ああっ……

 味ってこんなだったか?

 でも、こうだったんだろう……。

 味覚は学習しながら発達するからな)


 エイスはそんな記憶だけが残っていることに自嘲してしまう。

 それと同時に、その旨味の成分や栄養素等を正確に検出できる龍人の舌にも驚かされた。


 彼は一時間以上をかけて、スープ、果物、パン、そして焼き魚の身を口にした。

 そして、また眠りについた。


 その夜にエイスは再び目を覚まし、今度は三巫女の手を借りながら立ち上がった。

 それから、特別室の中をゆっくりと歩き、ゆっくりと腕を回したり、伸ばしたりしながら、体の動作感覚の確認作業を行った。

 これを基にして、脳内シミュレータの補正を行うのだ。


 それから、イストアールと話し、彼は洞窟内に攻め入る以前の記憶を失ったようだと伝えた。

 エイスは本当に自身の記憶を持たないだけに、これはあながち嘘ではない。

 ただ、ラフィルとしての以前の記憶を喪失したことにしなければ、以前の生活や社会常識を持たないエイスは不審に思われてしまう。

 これは苦肉の策だった。


 二世紀近くに渡り、泉底に沈んでいたエイスが記憶喪失になっていても、誰一人驚かなかった。

 イストアールは「再覚醒できたことが奇跡的」と話した。

 ラフィルとはいえ、生存だけでも奇跡的なこと。

 記憶喪失程度は驚くにも値しない。

 言葉が話せているだけでもすごいことだ。

 巫女たちからもそう伝えられた。


 いくつか想定外のことも起こったが、エイスとアルスの二人の脱出計画は何とか及第点をとったと言えよう。

 龍人の「英雄騎士アルス」は消滅し、「ラフィルのエイス」だけが奇跡的に救出された。

 そして、それを疑う者はいない。

 主役は消滅した────二人のハーフモブ計画はそれだけで十分に達成されたのだった。


        *


 その後、エイスは再度食事をとり、また眠りについた。

 睡眠中も、実動作のフィードバックから脳内シミュレータの補正を行い、様々な解析やシミュレーションを続けた。


 翌日から、エイスは一日五度の食事をとり、活動時間を少しずつ増やし、そしてまた眠った。

 それが五日間続いた。

 そして、その翌日に彼はようやく聖殿の外に踏み出した。


 それからの一週間は、正にリハビリだった。

 食事をとり、太陽光を浴びると、頭と体の両方の動きが軽快になっていく気がした。

 体力の回復も実感できるようになった。


 翌週から、エイスは軽い運動を始めた。

 正に、龍人恐るべしである。人族の体よりも回復が異次元に速い。


 木剣を借り、それを扱う練習も開始した。

 時間経過とともに、シミュレータでの演習に体が少しずつ近づいていく。

 同時に、三巫女たちからいくつかの守人術を習い、その練習にも取り組んだ。

 記憶と一緒に術も忘れてしまった。

 ────そういう設定で日々が進んでいった。


 肉体はシミュレータの演習時のようにはまだ動かないが、守人術は別だった。

 シミュレータで十分に演習していたこともあり、苦も無く術を発動できた。

 三巫女たちはその習得速度に驚くが、エイスは元々それらの術を使えていたのだろうと勝手に考え、納得していた。

 彼はそれほどまでに非常識な速度で守人術を習得していった。

 その中には、ここではイストアールにしか使えない高次守人術も含まれた。

 イストアールが三年がかりで習得した特殊な守人術も、エイスは二時間ほどで使えるようになった。

 とにかく彼の異常な次元の学習能力に、守人たちは驚かされた。



        **


 ────覚醒から約一か月半が過ぎた。


 エイスの身体は完全な状態には程遠いものの、それなりに動くようになってきた。

 ここで、エイスは一人での鍛錬に適した場所がないかをイストアールに尋ねた。


 彼はそろそろ一人で自主トレを行いたいと考えたのだ。

 四割程度から半分程度の力を開放して、肉体や脳の現状を把握しておきたかった。

 ただ、ここはコンフィオルの街中。周囲に多くの目があるため、この目的には適さない。それでエイスはイストアールにそう尋ねたのだった。


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