05 肉体の再生と進化


 アルスからエイスへ肉体の主導権が移ったことで、肉体にも大きな変化が生じた。

 それと同時に、予想通り、泉の封印が一気に弱まった。


 封印術の効力が低下したおかげで、肉体の治癒が一気に進みだした。

 損傷部の治癒が進み、エイスの抱えていた多所の鈍痛も薄れていく。

 聖水濃度が上昇するに従い、損傷部の治癒は進んでいった。


 ただし、治癒と回復はまた別の段階である。

 傷が癒えれば回復するわけではない。

 完全回復のためには、先ずこの泉から抜け出さなければならない。

 外に出て、外光や食事等から栄養素、ミネラル、ビタミン等の摂取が求められる。

 もちろん、そのうえで十分な休養が必要になる。


 アルスは、外に出てからも完全回復には最低八か月かかると予想していた。

 水中から最低限の酸素と栄養素を取り込みながら、肉体は二世紀近くも休眠していたのだ。そう簡単には元に戻らない。



        *


 このタイミングで、アルスはエイスに対して一つの要請を行った。

 それは、他星の科学、技術、商業等を持ち込まないこと。

 同時に、アルスはエイスに対して元地球人であることも隠すように伝えた。

 過去にも、この星には地球からの転生者が何度か現れて、その度に災いの元になったからだ。


 カミロアルバン帝国はその最たる悪例。

 帝国は地球人転生者が指導者となり建国された。

 その人族転生者は、主に化学と商業思想を持ち込んだ。

 結果的に、それから大量殺戮兵器、戦争、階級制、奴隷制等々が人族の中に生まれ、この大陸に災厄を招いた。

 人族が主導権を握った当時の大陸中東域は惨状を極めた。


 その惨状からこの大陸と人々を救ったのが、上位守人たちが創造した超電磁気術「可燃性物質広範囲起爆術エクルアミスト」だった。

 この可燃性物質広範囲起爆術エクルアミストは、数km圏内にある窒素系に代表される化学物質や高可燃性物質等を全て起爆する。爆弾や弾薬等はもちろんのこと、発火性の高い固体や液体の類の全てを起爆し、葬り去れる。


 この術の登場により、地球的な火薬兵器、重火器、大規模破壊兵器等は葬られ、人族の蛮行は終焉を迎えた。

 同時に、人族が導入した過度な商業主義や階級制度等も同時に改められた。

 それでも、人族の国(カミロアルバン帝国)には未だに奴隷制度が残る。


 また、今から十世紀近く前に現れた人族の転生者は、元地球人の生物学者だった。

 その元生物学者は大陸中西部の人族社会に巨大な闇組織を作り、そこで悍ましい人体実験を行った。

 幻人族ケイロンは、この交配実験から生み出された。


 「転生者」の響きは、この星ではけして良くない

 ──アルスはそう言い添えた。

 これは、転生者であることも、地球人であったことも、決して明かすなということだ。


 エイスはこの要請を快諾した。

 アルスの見せてくれた記憶の中のその当時の映像は、正に地球的な悲劇、そして惨劇だった。

 それを知ったエイスは、少なくとも自分がその引鉄にならないことを心に誓った。

 そして、写真のように断片的に残っている化学の知識も封印し、外界には漏らさないことにした。

 その中でも薬剤的(薬学的)な記憶は完全封印の対象になった。

 これは、この星の生態系への影響が危惧されるためだ。


 この星は五十年戦争の悲劇から脱して、ようやく以前の状況を取り戻しつつある。

 それでも、国家間戦争が消えたわけではない。

 だが、可燃性物質広範囲起爆術エクルアミストの登場と長い交渉の甲斐もあって、どの国でも大量破壊兵器(火薬と重火器を含む)の製造と土地売買は禁忌となった。

 ただし、カミロアルバン帝国内だけは人族同士の土地売買を禁止していない。


        *


 この大陸には、大別して龍人族、守人族、人族、獣人族の四種族が住む。

 これに加えて、人族と他種族の交配実験から生まれた幻人族ケイロンもいる。

 人族と獣人族は固有術を使えないが、ケイロンには攻撃術を発動できる者がいる。


 この星の最多人種は獣人族、次いで人族。

 この二族の関係がとにかくこじれやすい。

 理由は、主に人族の信仰、そして過度な商業主義と思想だ。

 獣人族は、大自然の恵みは分け合うものと考える。

 そして、自然環境に手を加えたがらない。土地売買など論外なのである。

 山、海、川の幸を誰かが独占することなど、あってはならないのだ。


 だが、地球転生者が持ち込んだ商業主義、思想、手法は一部の人族に根づいた。

 それが獣人族とぶつからないわけがなかった。

 その挙句に、殺戮兵器の開発と侵略。

 大陸中央域ではこの二族の衝突が現在も続いている。


 ただし、人族は大別して二派に分かれる。

 真面目な性格の人族は他種族からも好まれる。

 だが、知略的・好戦的で気難しい人族も多い。


 人族の中でも融和的で温厚、そして龍人族や竜族を崇める「穏健派」。

 穏健派は協調的な人族。こちらは獣人族との関係も悪くない。


 それとは別に、神や信仰の象徴を人とする「人神派」。

 人族こそがこの星の最上位たるべき存在。それが人神派の行動原理である。

 そして、「武+経済=力」と考え、ひたすらにこの二力の増強に邁進する。

 ──人族は「穏健派」と「人神派」の二派に分かれる。


 各国内はこれら四種族の人口比と力関係により、国情が大きく異なる。

 アルスによると、この四種族の中で最も欲深く、ゆえに好戦的なのがケイロンと人神派の人族。

 人口が多いこともあり、紛争には必ずと言っていいほど、人族かケイロンが係わっているそうだ。

 しかも、今やケイロンと人族は最悪に仲が悪いそうだ。


 エイスはこの話を聞き、少し罪悪感を覚えた。

 ただ、然もありなん。それだけに呆れる方が先だった。



        *


 エイスとアルスはこの泉を出た後についても具体的に検討し始めた。

 泉から出たエイスは、いきなり外敵から狙わるかもしれない。

 先ずは、それをいかに回避するかである。

 同時に、肉体の回復期間をどこでどう過ごすか。

 それらについても二人は慎重に検討を重ねた。


 喫緊の課題は、先ずは泉から脱出する際とその直後。

 それが上手く運んだとして、それからの二週間。

 おそらくこの二週間が大きな難所になるだろう。

 次に、その後の数か月間。


 幸いに、エイスはアルスも驚くほどに脳力開発に長ける。

 まだ脳機能の半分も使いこなせていないのだが、それにもかかわらず、アルスが不得意だった念話と念視、そして俯瞰視を早くも使いこなしだしていた。

 エイスはそのいずれもアルスよりも遥かに高次元に使える。

 龍人族でも最高レベルの水準と言っていいだろう。



        *


 エイスは泉底にいながら、高次元の俯瞰視術を用いて洞窟の周辺状況を調べだした。しかも、俯瞰視術に念視術を組み合わせて、三次元的に周辺状況を捉えていく。


『なんだよ、これ……

  おれはこんな俯瞰視術を使えなかったぞ』

『あぁ、これか。

  いくつかの術を組み合わせてみたんだ。

  この方が便利だと思わないか』

『い、いや……ま、まぁ、それはそうだが……。

  組み合わせるって……

  そんなこと、普通できることじゃないぞ』

『そうなのか?

  でも、実際にできてるわけだし』


 エイスはアルスの脳も含めて肉体の全てを詳細に解析していた。

 アルスの使っていた術技はその発動過程まで詳細に解析され、高次元に最適化されていった。

 龍人の脳力を最大限に駆使・活用し、全ての術技の再編と統合、さらに再構成も進める。


(おいおい、こんなことができるものなのか。

 エイスはいつの間にか二十以上もの作業を並列的に操っている。

 おれにはこんな脳力はなかったんだが……)


 いつの間にか、エイスは泉底にいながら、洞窟外の状況まで調査できるようになっていた。その情報は脱出作戦の立案には欠かせないものだ。


 洞窟の外、そのまま正面方向に進んでいくとコンフィオルの町に着く。

 町は外壁に囲まれていて、洞窟方向に門がある。

 その門の近くに五棟の大型建造物が並んでいる。


 一つは教会に似た建造物。

 その隣には庶務所と駐在所を兼ねると思われる建物。

 さらに兵所と思われる建造物、宿舎、馬房等が確認できた。

 彼はそこに駐在するおよその兵数も掴んだ。


 そして、毎日同時刻に巫女が泉に礼拝にやってくる。

 時に神官らしき老男も同行する。

 礼拝時間は30分ほど。

 巫女たちは礼拝後に瘴気の浄化も行っている。

 この状況を観察する限り、この神官と巫女が脱出時の障害になることはなさそうだった。



 それでも、エイスは周辺状況の調査を慎重に重ねながら、この後の脱出作戦についてアルスと話し合った。

 その話し合いの中で、エイスはアルスが仰天する話をまたもし始めた。


『アルス、どうやら肉体が再活性化する過程で多少なり顔や体形を変えられそうなんだ。

  悪いけど……、多少変えてもいいかな?』


『へっ!?

  はぁーっ?

  ──おれの顔や体形を変えるってことか?』

『まぁ、簡単に言えば、そういうことだ。

  より守人族に近い顔や体形にしたいんだ』


 守人族の体形や顔はエルフを思い浮かべるといいだろう。

 長身で手足が長く、非常に細身。そして、長い耳。


 龍人族は、聖守族の肉体がさらに別方向に進化した種族。

 体形的に守人族に近いがもう少し筋肉質。

 顔もエルフほど細面ではないし、耳も少し短い。


『それが可能なのか?』

『おそらくだが、肉体が変化している今ならできそうなんだ。

  記憶(遺伝子情報)の中にその変更法を見つけた。

  それで、脳内と身体能力的な調整と最適化も試しているところだ。

  おそらく、これは今しかできないと思う』


 驚くべきことに、エイスは遺伝子配列を解析して、自らの肉体を変化させると言いだした。そして、それは思念体(精神体)が受肉した今しかできないこと、と。


 それを聞いてアルスがやや呆れたように話しだした。


『エイス……

  この短期間に、おれができなかったことをいろいろと開発したよなぁ。

  感心させられるぞ』


 エイスは遺伝子配列の解析を通じて、脳力開発にも着手していた。

 現状、彼の脳は既に二十四の並列思考力に加え、多重処理力も獲得していた。


『ここにきてから肉体の探索と解析が得意になったよ』

『おれはお前より長くここにいるが、そんなことは考えもしなかった。

  体や脳内を徹底的に調べて、潜在能力の一滴まで絞り出そうなんて、誰もやらないぜ!』

『暇だったからな……。

  単なる暇つぶしだったんだ。

  おかげで最適化が得意になった』


 アルスは笑いながらも、エイスの話に別の狙いがあることに気づいた。

 彼は質問の焦点をそこに合わせてきた。


『……で、そうする目的は何だ?』

『このままアルスとして動きだすのは危険すぎると思う』


 アルスはそれだけでエイスの狙いも察した。


『確かに……

  それもそうだな。

  ここを脱出できたとしても、おれの復活だと誤認されるのはうまくない。

  それはできれば避けたいところだな。

  せっかく脱出しても、厄介事に巻き込まれるかもしれない』

『そういうことだ。

  そこで、だ。

  アルスはここで死んだことにして、別人になろうと思うんだ』


 エイスはいきなり突拍子もない提案を始めた。


『いや……、おれはそれで構わない。

  どうせおれはもうじき消滅する。

  それが可能なら、それが最善策だろう。

  ──本当に体形や容姿まで変えられるのか?』

『実際には、やってみないことには何とも言えないんだが……。

  骨と筋肉の質と密度を調整する必要があるが、おそらく問題なくできるはずだ。

  これから、守人族に近い体形を仮想的に再現しながら、最適なバランスを見つけるよ』


 アルスはエイスのそのデタラメな試みを聞いて、逆に楽しくなってきた。

 龍人であるエイスは、けしてモブにはなれない。

 そうであるなら、標準的な守人に似せることで、ハーフモブ的な存在を目指そうと提案しているのだ。


『ぷっ、ははっ、はははっ……。

  守人族風の龍人に生まれ変わろうってのか!

  面白いじゃないか。ぜひやろうぜ‼

  でも、それなら(半)龍人ラフィルと自称した方がいいと思うぞ』

『半龍かぁ……。

  確かにそうだな。その方が何かあっても堂々と龍人術を使える。

  ただ、それでも外見は守人に寄せた方がよくないか?

  守人似の姿なら、わりと自由に動けるだろうし』

『あぁ、龍人はそもそも少数だから、目立ちやすい。

  まぁーそれに、おれの顔のままだと、間違いなくどこかで喧嘩を売られるだろうからな。

  守人なら街中にも住んでいる者が多いし、どこでも自由に歩けるだろう』


 アルスは楽し気にそう語った。


『龍人族に喧嘩を売るやつがいるのか?』

『いや、普通はいない。

  ただ、おれは名前を知られ過ぎた。

  おれを倒して名前を売り出したいバカもいるさ!

  カミロアルバン帝国から首に賞金をかけられていたしな』


『じゃー守人似の姿でいくよ』

『分かった。

  無駄な戦いや争いは避けた方がいいだろう。

  おれに異論はない』


        *


 二人はその時に向けての準備を着々と進めていった。

 この話し合いのように、エイスは守人族似の外見へと調整と最適化を始めた。


 エイスとアルスの泉からの脱出計画もいよいよ大詰めを迎えようとしていた。



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