03 忘却の彼方


 この星の最強生物は、竜族りゅうぞく龍人族りゅうじんぞく

 竜族は所謂「ドラゴン」。

 この星には、その他にも守人族もりびとぞく獣人族じゅうじんぞく(鳥獣人族ちょうじんぞくを含む)、人族ひとぞく幻人族ケイロン等の人種族が存在する。


 龍人とは、古の聖守族せいしゅぞくの進化種。

 太古には竜族をも従える力を持つ者がいた、とされる。

 それが「龍人」の名称の起源とも──。

 龍人はリザードマンやドラゴニュートのような半獣ではなく、ヒト属。

 外見も守人族もりびとぞくに非常に近い。


 守人もりびとは地球的なイメージでは森神族エルフに近い。

 非常にスリム。長い腕脚と美しい容姿。

 そして、特徴的な長い耳。

 地球的なエルフとは異なり、背も高い。


 龍人の体形もこの守人族に近い。

 そして、その体形には似つかわしくない超人的な身体能力を持ち、龍人術を操る。



        **


 そこは洞窟の奥にある泉の底。

 クレム聖泉の泉底に眠る肉体の主の名は、アルス。

 正式名は、アルス・ギィ・リート。

 龍人族、性別は男。


 約二世紀前の亡国(ランゲル公国)の英雄騎士。

 龍人族上位級の超人的肉体を持ち、龍人武具を装備し、強力な雷炎術を使った、とされる。

 リギルバート王国とレミロレゾン龍神国の謀略により、クレム聖泉に封じられた。

 ──全てその当人からの説明である。



 そして、元日本人の男の名は「?」だった。

 そこで、アルスは彼を「エイス」と呼んだ。


 このエイスの由来は馬鹿馬鹿しいほど単純だ。

 元地球人の男は自分の名前も分からなくなっていた。

 だが、幼少期の記憶の中で名前のイニシャルだけは確認できた──「AS」。


 それを聞いたアルスは、それ以降、男のことをエイスと呼ぶようになった。

 二番目のエが省略され、エイス。

 「エイエス」よりも、単にその方が呼びやすかっただけのこと。


        *


 二年間という限られた期間とはいえ、二人はかなりの情報を交換できた。

 ──とは言っても、エイスには記憶がない。

 ほとんどがアルスからの情報。


 最初の数か月こそ、言語習得に時間を割いていた。

 しかし、一旦会話が可能になると、アルスは遠慮することなく、たとえ一方通行になってもエイスに語り続けた。しかも、三か国語で、だ!


 エイスは分からなければ、その都度、質問するか、写真や映像を見せてもらいながら、アルスにとにかく話させた。

 そして、彼は辛抱強くそれを聞き続けた。

 アルスは他言語も交えながら話すために、二人はいつしか三か国語で会話するようになっていた。


 二人は何しろ精神体同士。

 睡眠なし、食事なしでも、疲れることなく話せる。


 アルスとエイスは人間的な相性が良かったのかもしれない。

 二人はただひたすらに話し続けた。

 ただ、話し好きなのはアルス。

 ほぼ八割はアルスが話した。

 時にぶつかることもあったが、それは余興のようなものだった。



        *


 ミクリアム神聖国ベルト地区コンフィオルの町には、クレム洞窟の祠がある。


https://img1.mitemin.net/a0/mc/irf3lpw7k5rhd1rjiurfg65918ec_1016_16y_vc_53xh.jpg

     <<大陸東部マップ>>

    <近況ノートにもマップを掲載中>


 アルスはランゲル公国とリギルバート王国との最終戦に敗れた。

 だが、リギルバート王国はアルスを倒せたものの、聖龍腕輪に守られた彼を殺すには至らなかった。

 聖龍腕輪の強力な自動防御機能が作動し、彼の命を奪えなかったのだ。


 そこで、リギルバート王国はレミロレゾン龍神国に大金を支払い、アルスの処分を依頼した。

 レミロレゾン龍神国には龍人術師リスターがいたからだ。

 龍神国の宰相リスター・エンバールは意識を失ったアルスをコンフィオルへ移送した。この間にも英雄アルスを救出すべく多くの者たちが立ち向かったが、リスターの智謀知略の前に倒れていった。

 そして、洞窟奥の聖泉の力を利用して、彼を泉底に封印したのだった。

 それは、決して解除できない最強の封印術。


 それが二世紀ほど前の話だ。

 アルスが封印されてから既に二世紀近くが経つ。

 当時、彼は重傷だった。そして、そのまま泉底に沈められた。


 その聖泉は元々コバルトブルーに輝く聖泉水を湛えていたが、リスターの用いた秘術により水は暗蒼色に変わり、黒く淀んだ。

 その水はアルス・ギィ・リートを拘束する力を持つだけではなかった。

 聖龍腕輪の防御をすり抜け、アルスの精神体(思念体)を徐々に蝕んでいた。


 肉体は少しずつ回復しているが、アルスの精神体はいずれ消滅することになる。

 その消滅の時が刻一刻と近づいていた。もう十年はもたないだろう。


 リスターの秘術はアルスの精神体を標的にしたもの。

 肉体を殺せないのなら、精神体の消滅を狙ったのだ。

 しかも、それは術発動者のリスターでさえ解除不能な古の秘術。



 二世紀の時を経て、アルスは最後の賭けに出た。

 彼は自ら精神体を浄化し、肉体、能力、記憶の一部を別人に譲り渡すことにした。

 自らが消滅することにより、聖泉にかけられた封印の秘術を解こうというのだ。


 アルスは残された力を振り絞り、精神体のままで招魂術を発動した。

 この星以外の多数の星々から、彼は強靭な魂力を持つ約六百の思念体を集めた。

 ──それらの思念体はその時既に死亡していたことを意味する。



 アルスが特に何もしなくとも、無の暗黒に耐えられず、集められた多くの思念体は自滅していった。

 彼はその思念体たちを観察しながら、最終的に三体の精神体を選び出した。

 そして、五年近い期間の中で三人の精神体と密に接してきた。

 アルスは龍人。並列思考(正確には完全並列同時思考)により、同時に三人の思念体と常に会話していたのだ。


 エイスはその中の一人。

 ──彼だけが選ばれたわけではなかった。


 エイスは三人の中で最後に選ばれた思念体。

 彼だけが三年弱の期間なのは、それが理由だ。


        *


 アルスは三人に真実を告げた。

 その後に、彼は自らの本意を伝えた。

 彼は自らの肉体と力、そして記憶の一部を譲り渡す。

 代わりに、たった一つだが条件を提示した。


 それは、レミロレゾン龍神国の宰相リスター・エンバールの命。

 ──龍人族の裏切り者。



 龍人は手首に聖龍腕輪をつけて誕生する。

 リスターは聖龍腕輪を持たずに生まれた龍人──(半)龍人ラフィル

 龍人とは違い、半龍人ラフィルは殺すことが可能。

 このリスターに復讐するために、アルスは自らを消滅させて、泉の封印を解く

 交換条件である。



 それを聞いたエイスは十秒ほど考えた。

 彼は既に自分が死んだことを自覚していた。


『アルス、悪いけど……おれは辞退するよ。

  おれは何も約束できない』


 その返答に、アルスの心が微かに動揺したのが分かった。


『……その理由を教えてくれるかな』

『あぁ……そうだな。

  じゃー説明しようか』


 エイスは辞退の理由を尋ねられるとは思っていなかった。


『おれはレミロレゾン龍神国のことも、その宰相リスター・エンバールのことも、お前からいろいろと教えてもらった。


  まぁ、その他にもいろいろ⋯⋯ 。


  でも、おれはその国を見たこともないし、彼に会ったこともない。

  お前の無念さは理解できるけど、それを引き継ぐわけにはいかない。

  そんなことをしてまで、お前の肉体を得て、生きたいとは思わない。

  それに……おれはもう死んでるわけだしな。

  消滅するなら、それはそれで構わない』


 アルスからの声が聞こえるまでにはしばしの間があった。


『いいのか、それで?

  二度とその機会はない。

  精神体が消滅すれば、無に帰すぞ。

  転生できる者は数億人に一人しかいないんだ。

  しかも、その転生先が人間とは限らない』


 エイスはあっけらかんとした声で返答する。


『ああ、それでいい。

  お前と話せて楽しかった。

  死ぬ前に、友達が一人増えた気がしているしな。

  それで十分だ』


 それは既に全てを受け入れ、覚悟した者の声だった。


 アルスは感慨深げに話しだした。


『そうか……、分かった。

  他の二人は応じてくれるようだし。

  残念だが、お前は外すことにしよう……』

 

 そう話したアルスだがさらに言葉を加えた。


『でも、お前はそんなに博愛主義者なのか?

  そうは思えんが……』

『いやいや、博愛主義者からはほど遠いと思うよ。

  心の根の醜い人間は山ほどいるからなぁ。

  蹴散らしてやりたくなったこともあったさ』

『なら、なぜ……?』


『他人のしがらみを背負おうなんて……

  人のすべきことではないよ。


  おれは、おれの信念のもとに行動したいし、そうする。

  おれがそう決めたのならまだしも、それを請け負うなんてなぁ……。

  お前はおれを殺し屋にしたいのかい?』


 アルスも「殺し屋」と問われて、返答に困る。


『そうではないが、結果的にそうなるな……。

  おれの本意ではないが、それでも譲れぬ思いがあるんだ』


『それは理解したよ。

  それはお前の思いだから、お前が決めることだ。

  でも、おれにはおれの生き方がある。


  ……あははっ、死に様の方が正しいかな。

  まぁ……せっかく生きられるのなら、この世界を自由に生きて、楽しみたい。

  そうじゃないなら、別にいいよ』


 アルスからの声がしばらく途絶えた。


『そうか。

  お前の考えは分かった。


  ……これまでいろいろと話せて、おれも楽しかった。

  本当に楽しかった!

  ありがとう』


『こちらの方こそ、ありがとう!

  最後にお前と話せて楽しかったよ』



 アルスと最後の会話を終え、エイスはさばさばした気分だった。


(地球でのことはもうほとんど思い出せないし。

 特に未練も湧かないな……。

 最後に特別な経験もできたわけだし、人生のオマケを楽しめたと思うことにしよう)


 エイスは既に消滅することを受け入れ、解脱者のような境地に入っていた。



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