017 ステーブン・スペンバーグ

 俺にメッセージを送ってきたのは映画の製作会社だった。

 世界一有名なハリウッド映画の監督ステーブン・スペンバーグの会社だ。

 ヨウツベ経由でなければイタズラだと確信するレベルの大手である。


「映画の製作会社が俺になんのようだ? それも海外の超大手とか……」


 メッセージは長々と書かれていた。

 海外の企業だが、文章はしっかりと日本語だ。

 日本語の得意なスタッフがいるのだろう。


「なるほど、そういうことか」


 用件は『潤滑油野郎』のレンタル契約についてだ。

 期間限定で貸して欲しいとのことだが、細かいことは書かれていない。

 詳細はメールでやり取りしたいとのことだった。

 要するに「その気ならメールを送ってこい」と言っている。


 この手の連絡は初めてではない。

 これまでにも何度か他の企業から打診されていた。

 とはいえ、今までは有象無象の名前も知らない会社だった。

 条件も頭が悪いとしか思えないものばかりで、返事すらしなかった。


「とりあえずメールするか」


 相手は有名な映画監督の製作会社だ。

 そこを相手に契約を交わしたとなれば箔が付く。

 陰りの見えている我がチャンネルのネタにもなるだろう。

 俺は詳細を要求するメールを送った。


「さて、戻るか」


 そう呟いた瞬間に返信があった。

 相手は既に文面を用意して待っていたようだ。

 エンジンを切ってメールの確認をする。


「どうかしたんですかー!?」


 バイク屋の店員が近づいてきた。

 問題ないが少し駐車場を借りるよ、と伝える。

 店員は「さっさと失せろ」と言いたげな顔で承諾した。

 で、改めてメールを読み返す。


「すげぇ」


 相手の条件は過去最高だった。

 契約期間は2年で、その間は独占的に使いたいとのこと。

 つまりゲートワードを他人に言うなってことだ。


 また、ゲートワードは伏せたままでも構わないらしい。

 ゲートの転送機能を使うからだろう。

 別のギルドに任意のゲートを作れるシステムのことだ。

 その際、ゲートワードを非公開で生成することができる。


 加えて、魔物に対する条件もしっかり加味されている。

 もし『潤滑油野郎』に魔物が現れても責任は取らなくていいそうだ。


 まとめると、俺のすることは沈黙だけである。

 2年間、誰にもゲートワードを教えなければ問題ない。

 そうするだけで、莫大な契約金が支払われるのだ。


 その額――なんと2000万円。

 ゲート転送機能で『潤滑油野郎』のゲートを転送してやるだけでこの額だ。

 スペンバーグの会社にすらワードを教えないでいいというのが大きい。

 情報漏洩のリスクが皆無なのだ。


「流石はハリウッドだ。レベルが違うぜ」


 俺は二つ返事でこの話を引き受けそうになった。

 これほどの好条件は、今後、降ってくることがないだろう。

 穴場の『変態』と違って、独占しても金にならないからな。


 だが、金にがめつい俺の頭が高速で働き、待ったをかけた。


(2年後にゲートワードが知られていない可能性はないよな。それに、2年間も沈黙を貫くのも難しいな)


 奇跡的にも他の誰かがゲートワードを知る可能性は否めない。


 また、人為的なミスによる情報漏洩もありえる。

 言い換えると、配信中に俺やカスミが口に出してしまうことだ。

 これを防ぐのは難しい。うっかり口を滑らす可能性は低くない。

 2000万なんて大金を手に入れたあとだと尚更だ。


 もし契約期間中にそんなことをしでかせば笑えない。

 契約は強制解除され、さらには莫大な違約金を請求されるだろう。

 ごめんなさいで済むのは子供の喧嘩だけだ。


 今回の話はすごく配慮されているが、だからこその制限が付きまとう。

 人は言うなと言われると言いたくなるもの。

 俺みたいな社会不適合者の人間ともなれば、もはや自制は難しい。


「すると……この条件では飲めないな」


 俺は代替案を出すことにした。

 ゲートワードを買い取ってくれないか、という内容だ。

 額は買い切りなので2億円でどうか、と吹っ掛けてみる。


 これはアメリカの有名企業にのみ通用する手だ。

 ゲート利権の支配者たるアメリカだけは、特定のワードをロックできる。

 仮にスペンバーグの会社が『潤滑油野郎』を申請して、それがアメリカ政府に承認された場合、スペンバーグの会社以外は『潤滑油野郎』のゲートを生成することが不可能になるのだ。

 日本政府すら許可無く立ち入ることができなくなる。


「やはり即決とはいかないか」


 相手の返事は即答だったが、即決ではなかった。

 検討するから少しまってくれ、というものだったのだ。

 俺は承諾する旨の返事を送り、奥多摩第1ギルドに向かった。


 ◇


 2日後、スペンバーグの会社から返事が来た。

 相手方の答えは――イエスだ。

 なんと2億円でワードを買い取ってくれるという。

 さらに契約の流れについても提案してきた。


 まずは相手のエージェントが契約書を持ってこちらに来る。

 それにサインした後、ワードを教えて1億円をもらう。

 相手が『潤滑油野郎』のロック申請を行い、米国政府が承認する。

 承認を確認したら残りの1億も払う、という流れだ。

 つまり承認されなかったら残りの1億はもらえない。


 全くもって問題ないので承諾した。

 米国政府が申請を却下しても1億は手に入る。

 それだけでも十分だった。


 さらに数日後。

 昼前、相手のエージェントから連絡が入った。

 奥多摩第1ギルドに到着した、とのことだ。


「ユウト君、今日はえらく張り切っていますね」


「もちろん!」


「何かあったのですか?」


「もうじき分かるさ」


 カスミは今回の商談について何も知らない。

 口を滑らすとまずいから彼女にも黙っておいたのだ。


 この数日は本当に大変だった。

 心が浮ついて配信もままならなかったのだ。

 そんな状況からようやく解放される。


「あんたがエージェントかい?」


 ギルドを出てすぐのところにそれらしい女が立っていた。

 黒のスーツに身を包んだサングラスの女だ。

 仰々しいアタッシェケースを持っている。


「金好様ですね、お待ちしておりました」


「えっ? えっ? ユウト君、どういうことですか!?」


 あたふたするカスミ。

 エージェントは無表情でそれを見ている。

 一切の感情が感じられないのは、相手がプロだからだろう。


「じきに分かるさ」


 俺はエージェントを『潤滑油野郎』に案内した。

 当然ながらその時点ではゲートワードを見せない。


 飛空艇に戻り、俺たちの部屋で話を進める。

 居間のソファに向き合って座ると、エージェントが契約書を差し出した。


「こちらが本契約の契約書になります。ご確認ください」


 まずは俺が確認する。

 条件や契約の流れなどが記載されていた。

 全て事前に話し合って決めたものだ。

 何の問題もない。


「カスミも確認しろ」


「あっ、はい!」


 カスミが目をぎょっと開いて契約書を読む。

 彼女は俺と固定PTを組んでいるから、決して他人事ではない。


「書いてあるから分かると思うが、今日をもってこのダンジョンを譲渡することにした。相手はあのステーブン・スペンバーグの製作会社だ。ここはトム・フルーズの最新映画の撮影で使われるらしい。今さらになったが問題ないよな?」


「ステーブン・スペンバーグ!? トム・フルーズ!? 超大物じゃないですか! すごいです! もちろん問題ないです! でも少しお待ちください。今、必死に読んでいますので」


 カスミがゆっくりと丁寧に読み込んでいく。

 そして、いよいよラスト、契約条件に到達すると――。


「いち、じゅー、ひゃく……に、におくええええええんん!?!?」


 案の定、とんでもなく驚き、顔面から目玉がビヨーンと飛び出す。

 これまで無表情だったエージェントが微かに笑った。

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