016 難しいな賃貸契約ってやつは

 不動産屋に到着。

 大手企業の店なだけあって店内は綺麗だ。

 入口から中まで賃貸物件の張り紙がベッタリである。


「ども! いらっしゃいませぇい!」


 ザ・体育会系といった感じの男が俺の相手をしてくれるようだ。

 お姉さんに騙されて傷ついた心にゴリラみたいな男はやや重い。

 ま、なんだっていいか。サクッと済ませよう。


「奥多摩第1ギルドの近くで適当な物件を見繕ってほしい」


「賃貸でしょーか!?」


「おう」


「かっしこまりましたぁ! しょーしょーお待ちを!」


 男は何やらキーボードをカタカタしている。

 ディスプレイが背を向けているので内容は分からない。

 ただ言えるのは、男のほうが俺よりタイプ速度が上ということ。

 唯一の誇れるものですら負けていることに悔しさを感じた。


「ありますねー! 込み込み4万のワンルームですかね! 築13年でユニットバス、間取りは6畳です!」


「えー、奥多摩のくせに月4もとる感じ?」


 ナチュラルに奥多摩を見下す発言をしてしまう。

 そのくらい衝撃的だったのだ。

 奥多摩のワンルームは月2万くらいだと勝手に思っていた。

 だが、不動産屋の男はまるで動じない。


「たしかに奥多摩のくせに月4はいただけないですよねー!」


 何の躊躇いもなく便乗してきたのだ。

 ヨイショを心得し者の言動である。

 こいつは絶対にリア充だ。


「ですが、ないんすよ! 奥多摩第1ギルドの近くは他に!」


「そうなの? やっぱり奥多摩だから?」


「ですねー、やっぱり奥多摩はいけませんよ。お兄さんは冒険者っすか?」


 いつの間にか男の口調がフレンドリーになってきている。

 しかし嫌な気はしなかった。


「まぁ、そうだね、冒険者」


「だったらこことかどうっすか!? 八王子なんすけど、最寄りのギルドまで20分で行けますよ! 20分と言っても半分は電車移動なんで実質10分みたいなもんすよ!」


 男が提示してきたのは月3.5万のワンルームだった。

 狭くてボロい代わりに奥多摩のワンルームよりは安い。


「奥多摩と違って他所へのアクセスもいい感じっすよ! 八王子なんで!」


「なるほど」


「とりま下見に行っちゃいますか!」


 男はおもむろに社用車のキーを持ち出した。

 こちらの返事を待たずに動こうとしている。

 押せば折れると思っているのだろう。


 たしかにその考えは間違いではない。

 俺の心はなかなかに揺れ動いていた。

 ゴリラ男の営業術に。


 しかし、この男は分かっていなかった。

 俺がどうして賃貸を求めているのかを。


「下見は不要だ」


「あっ、やっぱりお気に召しませんでしたか!」


「いや、気に入った。20分なら問題ない距離だ」


「じゃあ、下見は後日ってことで?」


「違う」


「えっ」


「今すぐ契約しよう。今日からその物件は俺の家だ」


 俺にとって、大事なのはギルドまでの距離だけだ。

 郵便物の回収をする手間を考えると、できるだけ近い方がいい。

 あとはなんでもよかった。基本的には潤滑油野郎で寝泊まりするから。

 事故物件でも、両隣がジャンキーでも、ゴキブリハウスでも問題ない。

 賃貸物件に求めるのは住所だけだ。


「本当にいいんですか!? 流石に下見はしないとまずいっすよ」


「問題ない。無駄を省こう。さぁ契約の時間だ」


「わっかりました! それならまずはコレお願いします!」


 男が一枚の紙をテーブルに置く。


「コレは?」


「保証人承諾書です!」


「保証人……?」


 聞き覚えのある単語だ。

 たしか親父が言っていたような気がする。


「賃貸には保証人が必要なんす! 親御さんか友人に頼んで保証人になってもらってくださいっす!」


「へっ? そういうのいる感じなの? ここ」


「ここじゃなくても必要っすよ!」


「困ったな……」


「まさか保証人いないんすか!?」


 男がわざとらしく仰け反る。


「実はそうなんだよ」


 ガックシと項垂れる俺。


「なら保証会社を通すといっすよ! この物件、保証会社でいけるんで!」


「保証会社……?」


「えっと、保証会社っていうのは――ペラペラ、ペラペラ」


 ゴリラ男は懇切丁寧に説明してくれた。

 しかしそれらの言葉は俺の耳を右から左に流れていく。

 まるで念仏でも聞いているかのようだった。


「よくわからないからやめておくよ……」


 意気消沈した俺はその場をあとにした。


「大丈夫! 分からなくても大丈夫ですってー!」


 などと男は言っていたが、大丈夫かどうか分からない。


(金があるだけじゃ家を借りれないのかよ、この国は……)


 自分が社会の最底辺と再認識した。


 ◇


 バイク屋に戻ると、カスミはバイクを買い終えていた。


「どこに行ってたんですかユウト君! 何度もラインしたんですよ!」


 言われて気づく。

 たしかにラインでアホみたいに喚いていた。


「すまんすまん、不動産屋に行っていてね」


「不動産屋?」


「今の俺は住所不定だろ? だから家を借りようかと思ってさ」


「なるほど、それは名案ですね。で、いい物件はありましたか?」


「物件はあったが、やめておいたよ」


「どうしてですか?」


「保証人ってのが必要なんだってよ」


 カスミが「あー」と思い出したような声を出す。


「そういえば保証人とかありましたね」


「そうなんだよ。俺、保証人いなくてさ。保証会社とかいうのもよく分からないから今日のところはやめておいたよ」


「なるほどです」


「そんなわけだから、カスミ、保証人になってくれないかい?」


「それはダメです!」


 きっぱり断られた。


「やっぱりダメか」


「私もよく分からないんですけど、お母さんとお父さんが昔から保証人には絶対になるなって言っていて……。だからごめんなさい!」


「かまわないさ」


 思っていたよりも賃貸は難しい。

 俺はモデルハウスのお姉さんを思い出した。


(やっぱり家は借りるより買うほうがよさそうだな)


 そう結論づけたところで、カスミの買ったバイクを見る。

 実に目立ちまくりなピンク色だ。

 男が乗っていたら盗んだ物だと思われるに違いない。


「なかなかいい感じのバイクじゃないか」


「ですよね!? ですよね! もう一目惚れでした!」


「あれだけ悩んでいたのに一目惚れもくそもあるかよ」


「ぐぐぐ……」


「で、どうするんだ? 乗って帰るのか?」


「そうですねー、せっかくなんでそうします!」


 カスミはバイクに跨がると、ヘルメットを取り出した。

 驚くことにフルフェイスだ。


「なんだそのヘルメットは」


「だって危ないじゃないですか!」


「だからって原付にフルフェイスなんておかしいぞ」


「おかしさより安全第一ですよ!」


 カスミがバイクを走らせる。

 過去に原付に乗っていたのかして、運転に危なげがなかった。


「さて、俺も戻るか」


 バイク屋で購入した原付とヘルメットを車に積んで運転席に座る。

 そうして車を発進させようとした時、一通のメールが届いた。

 ヨウツベ経由で企業からメッセージが届いているそうだ。


「ついに来たか、企業案件!」


 ウキウキでヨウツベを開く。

 企業の依頼を受けて宣伝する「企業案件」は人気配信者の証だ。

 まさかチャンネル登録者数3万人で案件がくるとは思わなかった。

 ――と、思いきや。


「なんだこれ」


 メッセージの内容は俗に言う「企業案件」ではなかったのだ。

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