第6話 報告
■エルゴ王国王宮
その日。王宮内はいつになく騒々しく、その理由を第一王子のドルアス・フォン・ルーングランドが知ることになったのは昼過ぎのこと。ちょうど新しい婚約者のナディアに贈るための花を選んでいる最中だった。
「なに?あの女、逃げただと?」
本当であれば拍手喝采でもするつもりだったのだろう。しかし報告に現れた者の内容によれば、元婚約者にして罪人のリリアーナは処刑されることなく逃亡を果たしたという。
――ふざけるな。
「なんて忌々しい女だ。せっかくこれで晴れてナディアと結ばれたというのに。いつまでも邪魔しおって」
「しかしあの女との婚約は既に解消されたのでは?」
「そんなことはわかっておる!これは気持ちの問題なんだよ。いいか、あの女はな、我が愛しのナディアを陰湿にもいじめてきた悪女だぞ。あんな女がいつまでものうのうと生きていたらナディアの気が晴れないではないか!」
ドルアス第一王子は思い出す。ナディアから聞いたリリアーナの数々の悪行を。彼女の評判を貶めるための謂れのない悪口をはじめ、そのほかさまざまな仕打ちを。
本当に酷い話ばかりだった。ナディアの語る内容の中にはリリアーナに毒入りの茶を無理やり飲ませられたという話さえあったほどだ。なんだそれは。もはや悪行どころか犯罪ではないか。
まったく信じられない話だ。まさか自分の婚約者がこれほどまでの陰湿で卑劣で、どこまでも愚かな悪女だったとは。あのエルブランダ伯が反逆の罪で処刑された時、多くの貴族どもがそんなはずはないと衝撃を受けていたが、むしろあの女の親ならあり得ると納得したほどだ。
だいたい、あの女は昔から気に入らなかったのだ。やれ王族として相応しい態度をとれとか、王になるために様々な学問に励むべきだとか、うるさいのだ。
ったく、一体何様なのだ?こっちは王子だぞ?婚約者はあくまで婚約者であって、それ以上でもそれ以下でもない。真に権力を持っているのはこの俺なのだ。それなのにあの女、まるで自分がこの世でもっとも偉い人間であるかのような態度を取る。なぜあの女は分を弁えることができないのだ?
その点、ナディアは俺のすべてを受け入れてくれる。常に俺を立ててくれる。いつでも俺に敬意を払ってくれる。それいでいて、ありのままの俺を受け入れてくれる。
彼女といると、王族というあらゆる責務から解放され、一人の男として認められたような気分になれる。
彼女だけなのだ、俺の真の理解者は。だからこそ彼女が俺の婚約者であるべきなのだ。
邪魔なのだ。リリアーナは。いい加減、俺の人生から退場して欲しいものだ。
ナディアだけがいればいい。彼女といる時間だけが俺の幸せだ。それを邪魔するものは誰であろうとも許さない。
「それにしても、たかが女一人も処刑できないとはなんという体たらくだ」
「まったくですな、殿下!」
「逃がした兵どもに厳罰にするべきです!」
「ふむ?ふーむ、確かにそうだな」
リリアーナのことばかり考えていたせいか、臣下に言われるまで気づかなった。確かにいくら元貴族の娘とはいえ、しょせんは女だ。なんの力もないただの女が処刑されることなく、まんまと逃げおおせただなんて、王国としてはとんでもない失態だ。
「仕事も満足にできないとは、いくら下級騎士とはいえ目に余るな。それでも王国の軍人か?ここは厳罰に…」
「お、お待ちください殿下!なにとぞお時間を!逃亡した罪人は必ずや捕まえてみせます!」
見せしめの意味も込めて処刑現場にいた兵士どもに重罰を下そうと思ったのだが、最後まで言わせないと慌てた様子で男が前に躍り出てくる。
この男は確か…誰だったか?えーっと、軍務尚書だったか?ここ最近、急に人事の変更があったので覚えるのが面倒だな。前のドラン軍務尚書は辞めたのだったか?
まあ誰でもいい。とにかく今は一刻も早くリリアーナを捉えて処刑することが先決だ。
すべて予定通りにことを運ばなければ。早くナディアと正式に婚姻を結ぶその日まで、余計なことなどあってはならない。
「ではすぐに捕えてみせよ!それをもって今回の失態を不問とする。できなければ、わかってるな?」
「…必ずやご期待に応えましょう」
やけに真剣な顔つきで部屋を出ていく軍務尚書の男。部屋に残されたのは取り巻きの貴族たちと給仕のメイドだけだった。
「ところで殿下、聞きましたか?」
取り巻きの一人がなにやら面白そうな話があるといわんばかりの態度で語りかけてくる。
「なにがだ?」
「それが例の女が逃亡した際なのですが、なんでも空を飛んで逃げたそうですよ」
「はあ?なんだそれは?」
あまりにも素っ頓狂な言葉につい変な言葉が出てしまった。
あの女、そんな魔法使えたか?
元来、魔法を使うためにはそれ相応の修練が必要なのだが、リリアーナが魔法がを使えるなんて話は聞いたことがなかった。
もちろん、いくら婚約者といえどあの女をすべて知っているわけではない。もしかしたらこっそり魔法の練習をしたのかもしれない。だが、空を飛ぶなんて高等魔法が貴族といえど魔法の才のない子女に使えるのか?
学園にいた頃も魔法の授業は専攻していなかったはずだが…だいたいあの女は内政官のコースを専攻していたような…
「きっと相当派手に暴れたのでしょうね。こういった噂は尾ひれがつくものですから、バカな平民が大げさに語ったのでしょう」
「ふむ、だろうな」
だいたい死刑囚はたとえ魔法が使えなかったとしても、余計なことができないように魔封じの刻印を施されるものだ。たとえリリアーナに魔法の才があったとしても、魔封じの刻印がある限り魔法は使えないだろう。
「それとですね」
「まだなにかあるのか?」
「いえ、あの女が逃亡する直前に殿下宛に言伝を残したのですが…」
ふむ、どうせあの女のことだ、嫌味の一つでも言ったのだろう。
「あのですね、これはあの女が言ったのでわたしが言ったわけではないのですが…」
「わかってる。どうせくだらない戯言だろう。いいから申せ」
「はぁ、えっとですね。なんでもあの女、殿下のことを殺す、などとくだらないことを申していたそうで」
「ほう?それは愉快な話だな」
あの嫌味な女にしては遠まわしな言い方のない、ずいぶん直截な言い方だな。
「くくっ、、あの堅物女でも冗談が言えるのだな!やれるものならやってみろ、と言ってやりたいな!」
「はは、まったくですね!」
どうやって逃げたか、その方法まではわからない。だが今のあの女はもう貴族でもなんでもない、本当にただの女だ。そんな女になにができる?やれるものならばぜひやってみて欲しいものだ!
別にあの女がどんなふうに捕まろうとさして興味はない。だが、ふふ、そうだな。わざわざ一国の王子を殺すと宣言したのだ。むごい殺され方をされても文句はないよな!
「国中に触れを出せ。凶悪な死刑囚が逃亡したとな。生死を問わず、捕まえた者には報奨金を出すと伝えよ。それと…そうだな。オルガ騎士団にも捜索にあたらせろ。王族を敵にまわすことの恐ろしさをあの女に教えてやれ!」
「ハッ!仰せのままに!」
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