第4話 わたしが一番かわいいの



 雅ヶ丘女子學園は幼稚舎から大学院まである超マンモス校だ。名だたる財閥や金持ちが寄附して成り立っており、幼稚舎から入園試験が行われ、入るのも出ていくのも難しいエリート校に数えられる。


 数年前までは女子学校だったが、少子化による生徒数の減少や、出資者たちからの要望で幼稚舎・初等部は新たに男子学校を設立、中等部からは共学になり男子生徒の受け入れも始めた。もちろん、一定の寄附をしてくださった資産家たちの子息に限ってだが。


 生徒のほとんどは幼稚舎や初等部からのエスカレーター式で進級・進学をしており、編入生など数年に一度。そんな中で、十数年ぶりの編入生である睡蓮は良い意味でも悪い意味でも注目の的だ。


規定の制服は白を基調としているのに対し、途中編入生に与えられるのは黒色の制服だった。白なんて似合わないと自負しているし、着慣れた黒色で良かったと睡蓮は思っているのだが、ほかの生徒たちはは違う。


 人間とは、異物を嫌う生き物だ。特に子供はその傾向が顕著であり、紛れ込んだ異物を追い払おうと躍起になる。


 純白の中にぽつんと黒がひとつ。


 お金持ちのお嬢様やお坊ちゃんばかりな中で、教師の立ち位置は生徒たちよりも低く、睡蓮に対して行われる嫌がらせも見て見ぬふりだ。リーダー格の百合子チャンの祖父が政界のドンと言われているものだから、わざわざ注意して火の粉を被りたくないのだ。誰しも、可愛いのは我が身である。


「ねぇ、あれ……」

「あの子って、編入生の?」


 午前の授業が終わって昼休みに入った校舎内は、不自然なざわめきが広がっていた。


 校門の真ん前に付けられた高級車。


 メルセデス・ベンツでもプレゼントしようか、と言う父に、「これがイイわ!」と我が儘を言って手に入れてもらったベントレー・アルナージだ。大型高級四ドアセダンで、製造は二〇〇九年で終了している。

 昨今の女子ウケするパステルカラーやぱきっとしたビビットカラーではなく、深みのあるインディゴの車体に一目惚れした。運転免許は取る予定だが、しばらくは専門の運転手が付くので性能は二の次で選んだ車両だった。


 運転手付きで社長出勤(堂々の遅刻)をする睡蓮は注目されているのも構わず、引き留める生活指導教師を笑顔ひとつで交わして、自身のクラスへと顔を出した。


「おはよぉ、昨日ぶりだねぇ」


 睡蓮の思った通り、百合子チャンはぽかんとアホ面を晒し、すかさずそれをカシャリと写真に収めた。

 ハッとして我に返った百合子チャンは立ち上がった衝撃で椅子を後ろに倒しながら睡蓮から距離を取る。


「な、な、なっ……!」

「うふふ、アホ面がさらにアホ面になってるわよ」


 端末から目を離さないまま、小馬鹿にした笑みを口元に浮かべる。


「あなたっ、なんで……! あ、あの人たちは……!?」


 なんで、どうして!? と少しも頭を使わずに喚きたてる百合子チャンに、クラスメイトたちはなんだなんだと野次馬根性をむき出しにしてこちらの様子を伺っている。


 クラスメイトたちは良くも悪くも無関心だった。


 親の権力を笠に着て好き勝手に振る舞う百合子チャンには取り巻きが沢山いる。おこぼれを貰おうとする必死な寄生虫だ。害虫は駆除しなきゃ。住みやすい街づくりをするのも、権力者の義務である。


「ンふふ、どーしたと思う?」


 やられっぱなしの大人しい編入生。それが伊睡蓮の印象だった。

 つまらなさそうな表情かおで、幼稚な嫌がらせを受けている大人びた編入生が、満面の笑みを浮かべてカースト上位者に逆らっているのだ。クラスメイトたちはドキドキと胸を高鳴らせた。


「ッなに、したのよ……!!」


 キッとお上品な顔を歪めて睨みつけてくる百合子チャンに大股で一歩近付いて、彼女にだけ聞こえる声で囁いた。


「――人間って、いくらで売れると思う?」

「ヒッ……!?」


 ただの脅し文句だが、箱庭で育てられたお嬢様には刺激が強すぎたらしい。化粧で彩られた顔を真っ青にして、ゾッと怖気に嗚咽の零れる口元を手のひらで覆った。


 い組は違法な人身売買を取り締まる側だ。社会見学と称して、現場・・に連れて行かれることの多い睡蓮はそういう場を目にすることも多い。


 だからこそ、なんでもお金で解決をしようとしておる百合子チャンの危うさに気づいた。彼女は搾取される側の人間だ。ぬくぬくと温室で育てられた百合子チャンはいずれ除草剤を撒かれて引っこ抜かれてしまうだろう。


 政界に幅を利かせる政治家の孫娘で、顔も悪くない。政界に居座りすぎた男への脅しの材料にはもってこいだ。ついでに、男へ恨みのある人間にしてみたら宝石の蜜のような存在だろう。


「ねェ、百合子チャン。喧嘩売る相手はちゃんと選ばなきゃダメよ」

「なに、なによ、なんなのよ、あなた……!?」

「ふふっ、もうやられっぱなしでいてあげられないからネ、ってことよ」


 黒いスカートを翻して、真っ黒な瞳で傍観しているクラスメイトたちを振り返る。


「百合子ちゃんだけじゃないわ。貴方たちにも言っているのヨ。脳ミソ、詰まってンならちゃぁんと考えて行動しましょうね」


 不自然なざわめきがシンと静まり返って、言いようのない不気味さに誰かが唾を呑み込んだ。真正面から睡蓮の異質さにてられた百合子チャンはもはや言葉も紡げずに顔を紙のように白くしている。


 別に、生まれも育ちも後ろめたくないので隠すつもりはない。調べようと思えば調べられる情報であるし、甘んじて嫌がらせを受けるこの状況も、周囲の好奇心に満ちた視線も面倒くさくなってしまった。


 睡蓮は少々やりすぎてしまうきらいがあるため、父に相談をしたら「好きなようにしなさい」とお許しが出た。だから睡蓮は、好きなように、自分の思うままに行動することにした。


「貴方たちも、お付き合いするオトモダチは選ンだほうがいいんじゃないかしら」


 暗に、百合子チャンは相応しくないと言う睡蓮に、クラスメイトたちは顔を見合わせる。


 良くも悪くも睡蓮は雰囲気・・・があり、影響力がある。どうすれば人が言うことを利くのかを無意識に理解して、無意識に言動に移すことができるのだ。


 ここまで言えば頭の悪くない進学校生徒の諸君はお付き合いする相手を選んでくれるだろう。このまま百合子チャンに好き勝手振舞わせても、損をするのは周りである。それを理解していたとしても、権力という笠を着ていた百合子チャンに怯えていたのだ。


「――そうだわ、おじい様は元気にしていらっしゃる?」


 わかりやすく、心配を滲ませた表情かおで問いかける。ぽかり、とまぁるく口を開いた百合子チャンの返事を待たずに、睡蓮は教室を後にした。


 金切声のような叫びが教室から聴こえてきて、つい手を叩いて笑ってしまった。


「あー……さっぱりしたァ♡」


 お澄ましした横っ面に平手でも打ち込んでやろうかと思ったが、あの反応で十分楽しめた。


 百合子チャンのおじい様と面識があるのは、睡蓮の曾祖父だった。なんでも、まだ若かりし頃に議員になるため力を貸したのだとか。まさか恩を仇で返されるとは曾祖父も思わなかっただろう。


「制裁して♡」とは言っていないものの、容赦ない父は何かしらの行動をするに違いない。情が薄く、鉄仮面なんて言われる父だけれど、父なりに子供を愛してくれている。腹心の部下からは子供の存在は父の唯一たる弱点となりうる、なんて言わしめるほど。


 クマちゃんのところにでも行こうと授業をサボる気満々でいた睡蓮は、ふと窓から見えた校門の前に停まったゴツイ単車に足を止める。


「あれ、クマくんだ」


 黒い車体の側に人影も見え、しゃがんで煙草を吸う姿はまさしく不良と呼べる。遠くから見てもクマくん――弥那兎のカラーリングは目立つなぁ。


 窓を開けて、下を見る。

 現在地は二階。約四メートル以上の高さがあるが、危機感やら恐怖感やらが死滅してしまっている睡蓮は「これくらいなら飛べそうだなァ」とひとり頷いた。


「クーマぁーくーん!!」


 大人しいふりをするのはもうやめた。どうせサボろうが何しようが退学になることはないんだから、好き勝手しよう。そもそも、我慢なんて性に合わないんだ。


 窓から身を乗り出して、弥那兎を呼ぶ。よく通る声に気づいた弥那兎は、上半身が落ちかけている睡蓮にギョッとして煙草を地面に落としていた。


 ちょうどよくカバンを持っているし、中靴から外靴に履き替えて、トントン、と整える。


「よっ、と」


 窓の桟に足をかければ、遠目に弥那兎が何かを言っているのが見えた。慌てて駆け寄ってくるが、それよりも飛び降りるほうが早い。


 気軽に飛び降りるには高すぎるそれを、ひょいと飛び降りた睡蓮の頬を風が叩き、枢が丁寧に梳いてくれた髪が巻き上がった。

 パルクールはできないが、運動神経は悪い方じゃないと自負している。だからと言って、スタントマンでもないのに二階の窓から飛び降りる所業は褒められたことじゃない。


「スーちゃん……!!」


 切羽詰まった弥那兎の声に、落下する衝撃を緩めようと手を引っ掻けるつもりだった壁の突起を掴み損ねてしまう。


「あ」


 やべ、クマちゃんに怒られる。

 常日頃はお嬢全肯定ロボットであるのに、睡蓮がちょっと無茶をしたり怪我をしたりすると怒髪冠を衝く勢いで枢は怒る。それはもう、自由気ままな睡蓮が怒られないようにしなきゃ、と思うくらいにはトラウマになっている。


 目の前で窓から落ちた(自発的に飛び降りた)可愛いひとに、弥那兎は心臓が口からまろびでるかと思った。声にならない悲鳴を上げ、気が付いたら走り出していた。自然なスタートダッシュに自己ベストを更新できそうだ。


 服が汚れるのも厭わず、地面と睡蓮の間に滑り込み、柔らかく華奢な体を腕に中に抱きしめる。


「――……っはぁ~……死ぬかと思った……」

「わたしが重たいってことかしら?」

「バッカ! スーちゃんのバカ! お前は羽根よりも軽いっての! ぼくじゃなくてスーちゃんがだよ! 飛び降りるとか何考えてんだ!?」


 ぐわり、と声を荒げる弥那兎に小首を傾げる。


「でも、クマくんが助けてくれたわ」


 きょとん、と目を丸くする睡蓮は何がダメだったのか理解していない。危なくなったら誰かが助けてくれる、そう信じて疑わない目だ。助けてくれなかったら、それはそれ。

 死んだら終わり、と考えているのがバレたら多方面からお説教を食らうだろう。


「…………おま、……なん、はぁ……なんで飛び降りたんだよ」

「だって、玄関まで行っていたら時間がかかってしまうデショ。早くクマくんに会いたかったンだよ」


 地面に胡坐をかいて、膝の上に睡蓮を座らせた弥那兎は深々と溜め息を吐いた。肝を冷やしたというのに、当の本人はくふくふと笑みをこぼしている。


「もう、こんな無茶すんなよ。ぼくはどっか行くとかしねーし、ちゃんと待ってっからさ」

「うン。善処するね」


 あくまでも善処するだけである。それをしっかりと感じ取ったらしい弥那兎は深く深く溜め息を吐き出した。


 弥那兎の手を引いて、教師に見つからないうちにさっさと学校から出てしまう。一応、金持ち進学校であるので関係者以外が無断で敷地内に立ち入ることは禁止されてた。


「クマくん、うちのガッコーになんか用事だったの?」

「はぁ? スーちゃん、もしかしてケータイ見てない?」

「見てないよ。わたし、さっきガッコー来たばっかしで、ちょっとひと悶着やってきてサ」


『ひと悶着』ではなく『ひと悶着


 ついツッコんでしまいそうになったが、まぁそんなこともあるだろ、と流してしまえる弥那兎に睡蓮はニコニコだ。可愛いナァ、と愛玩動物を愛でる気持ちになる。


 枢もペットみたいなモノだけど、可愛くはない。

 顔は整っているがキチンとオトコノコだし、ひょろく見えるが着痩せするタイプで、意外と筋肉質な体型をしている。太ももは固いし、胸板も固い。


 それに比べると、弥那兎はとても綺麗な顔をしている。よく見れば睫毛は長いし、髪はふわふわツヤツヤでキューティクルが生き生きしていた。

 薄い色素は履かない印象を与えるが、コロコロと明朗な笑顔を浮かべるととたんに美貌に息が吹き込まれ、まるで初夏の新緑を思わせるオトコノコだった。


「遊びに行こーぜ。そのお誘い」

「……たまたま、わたしがクマくんに気づいたからいーけど、気付かなかったらどうするつもりだったの?」

「教室まで迎えに行くけど」


 それはそれで面白かっただろうな。学校中が不法侵入者に大騒ぎになるだろうが。


「ウテナ区の案内をしてくれるのよね。まだほかの区に行ったことがなかったから、とても楽しみにしていたのヨ」

「区外に行かないなんてイイ子ちゃんじゃん」

「ンふふ、わたし、イイ子チャンなんかじゃないわよぉ」


 バイク乗れる? 運転はムリ。じゃあメット被って、しっかり掴まってな。そんなやり取りをしながら、弥那兎の後ろに跨って、ギュッと腰に抱き着いた。

 かすかに震えた背中に口角を上げ、柔らかな上体を押し付ける。

 ふにゅん、とたわわに実った胸元が背中に押しつぶされて形を変えた。


「…………スーちゃん、わざと?」

「なンのこと?」

「…………ふぅん、そ。わかんないならいーや。んじゃ、しゅっぱーつ!」


 走り屋と言うわりには、安定した安全運転だった。

 法定速度をしっかり守って、気遣った運転をしてくれる弥那兎が普段は特攻服トップクを着て峠攻めをしているとはとても思えなかった。今度連れて行ってくれないだろうか。顔を武器にして頼み込んだら連れて行ってくれそう。


 データで特攻服に身を包んだ弥那兎を見たが、贔屓目なしに格好良かった。ショート丈のジャケットは軍服のようで、揃いのブーツで地面を踏み鳴らす様はとても目を惹いた。り合ってみたいなァ、とぽつりとこぼした睡蓮の瞳は爛々と輝いていた――まるで獲物を狙う肉食獣のようだったと枢は語る。


 送迎時の車とは違う、流れる風を肌で感じて、びゅんびゅんと通り過ぎていく景色に目が躍った。


 信号で止まれば、時折振り返って言葉をかけてくる弥那兎に、睡蓮は稀に見る満面の笑みを浮かべて見せた。


「クマくん! 連れてきてくれてアリガトっ!」


 ぱかり、と口を開いて顔を真っ赤にする。エッ、かわいっ。


「アッ、青! 信号青だよ、クマくん!」

「うぇ、ぁ、あー、うん、……スーちゃん、かぁいいね」


 ふにゃり、とガラス細工のような面立ちを熱にとろけさせた弥那兎の率直すぎる口説き台詞は、「そうよ、わたし、かわいいの」と言う自己肯定感MAXな笑顔で肯定された。



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