第2話 綺麗な花には毒があります
男は、自身の一物を突っ込まれて啼いて善がる少女の姿を妄想していた。
「ぐっァ……!」
「ひっ、も、もうっやべでッ」
――はずだった。
雅ヶ丘女子學園からそう遠くない場所にある、使われていない倉庫は男たちの溜まり場だった。
スプリングの利かないベッドにマットレスを重ねて、その周りに椅子やらソファやらが置かれている。レイプを肴に談笑する場所だった。
たまたま知り合った雅ヶ丘女子學園のミカはとても都合がイイ女だった。
オジョウサマで上品で、頭も悪くないはずなのにほどよく馬鹿で、使い勝手がとても良かった。ミカ伝いで知り合った百合子はもっと都合が良かった。恋に狂った女ほど扱いやすいモノはない。
百合子と契約をして、金を貰ったら言うことを利く犬の真似事をしてやった。
ミカと半年、百合子と出会って二か月ほどが過ぎた頃。
いつにもまして、お上品な顔を今まで以上に憎悪に歪めた百合子に「この女を懲らしめて欲しい」と金と共に渡された数枚の写真には、ミカよりも、百合子よりもずっとずっと、数百倍イイ女が映っていた。
アイドルなんて俗物的なモンじゃない。どれもカメラ目線ではなく、隠し撮りを思わせるが被写体の素材が良いのだろう。一枚一枚がプロのカメラマンが撮ったかのように思えてしまった。ああ、その反らした視線をこちらに向けて欲しい。まるで、ファム・ファタールのような女だった。
「まぁじでさぁ~……女の子ひとりに大の男が揃って乱暴とか、まじでダッサ!!」
柔らかな肌に手のひらを沈みこませるはずだったのに指一本触れる間もなく、そいつは倉庫の入り口をバイクでフッ飛ばして現れた。
ダボっとした緩いオーバーサイズのパーカーに、黒のスキニーズボン。ハイカットのブーツを履いたそいつは、真っ白い髪に色素の薄い灰青色の目をしていた。
脅威のないミヤコ区で幅を利かせるチンピラは、だからこそ周囲の情報に機敏である。
「ウテナ区の
ぱちり、とその大きな黒真珠を瞬かせた睡蓮は、突然の乱入者に目を奪われる。
上京するにあたって、覚えさせられた情報の中にその名前があった。
ミヤコ区の隣に位置するウテナ区が拠点の暴走族『
総勢五十名の暴走族にしては少数衛の走り屋集団である。喧嘩や抗争というよりも、走りをメインに各地の峠攻めなどをしてはよく警察に追いかけられている。ただの走り屋集団ならさもありなん、売られた喧嘩は買う主義であり、総長から平隊員まですべからく喧嘩が強いものだから『い組』の要注意リストに名前が載ってしまったのだ。
総長は光に透けるとキラキラと降る雪のような白髪に、
確か、名前が――
「
「なぁに? 呼んだかぁ? てか、オマエだいじょーぶ? ぼく、間に合った感じ?」
「う、ン。アリガト、危機一髪だったから、助かったヨ」
男共を蹴散らした『
チラ、と差し伸べられたそれを見て、逡巡をしてからそっと白魚の指先を重ねた。
「怪我はない?」
「ン、無い、よ。アナタが助けてくれたから」
暴走族の総長とは思えないほど甲斐甲斐しく、尻餅をついていたスカートの後ろを手でほろってくれる弥那兎に唇を引き結ぶ。ある意味、ラッキーだったかもしれない。父から指示をされている中に「トウキョウの重要人物と交流を持つこと」という項目があった。
「コイツら、知り合い?」
「いいえ、今日初めて顔見たわ。……なンだか、ガッコウの子のオトモダチみたい」
肩を竦めて見せる。
五、六人いた男たちは皆意識を失い、固いコンクリートの上に四肢を投げ出していた。一様に皆、一撃で意識を刈り取られている。圧倒的強者の絶対的存在感に、睡蓮は知らずうちに口角が上がってしまう。
「――オマエ、笑ったら可愛いな」
「え」
にかっ、と歯を出して笑う弥那兎に目を丸くする。
笑わなくてもわたしは可愛いンだが、という言葉は飲み込んだ。
蝶よ花よ、可愛い可愛い
「名前、なんてーの?」
「……睡蓮」
「スイレン? スイレンって花の睡蓮?」
ほっそりした白い指先に自身の手指を絡ませる弥那兎はパーソナルスペースがびっくりするほど狭い。
「スイレンちゃん? スーちゃん? レンちゃん?」
「スーちゃんがいいなァ」
にっこりと、笑った方がカワイイと言われたのでとりあえず笑っておく。
うちのオジサンたちは睡蓮がにこにこしているだけでお小遣いをくれる人たちばかりだ。さすがに、同年代のオトオコノコにお小遣いをせびるほど落ちぶれてはいないが、連絡先くらいゲットできたならラッキーだという打算さがあった。
「じゃァ、ユシヤ君はウサちゃんだね。ウサギみたいな色してるし」
「えぇ~……ぼく、もっとかっこいいのがいい。ウサギって可愛いじゃん。強くてかっこいいのがいーいーなぁー」
甘い、バニラの香りがして、きゅっ、と首に長い腕が絡みつく。
びゃっと全身の毛を逆立たせて飛び跳ねる睡蓮なんて気にせず、またたびを与えられた猫のように頭をこすりつけられる。ウサちゃんじゃなくってネコちゃんだったか。
真っ白い髪の毛なんて、とくにウサギのようだけど。
ウサちゃんはやだぁ、とごりごり頭をこすりつけてくる弥那兎に首をひねる。ウサちゃん、ぴったりだと思ったのに。真っ白でふわふわの毛皮――それでいて、強くってかっこいい。
「それなら、クマくんは?」
「熊、クマかぁ……スーちゃんは熊、好き?」
「――えぇ! わたし、クマさんが一等好きなの」
とろり、と。
熱に溶かされた蜜のような甘やかな笑みを浮かべた睡蓮に、弥那兎は色素の薄いその目を見開いて、咽喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
友愛、親愛、恋慕、恋情。
花の如く可憐で真っすぐな美しい笑みに、弥那兎はぽぽぽっと頬を赤くして睡蓮に抱き着いていた体をぱっと放した。一歩、二歩、後ろへ下がるが腕を伸ばせばすぐに届く位置で立ち止まった弥那兎は胸の内がむず痒くなる感覚にグッと手のひらを強く握った。
「……家まで送ってく」
「ウウン。だいじょうぶ。すぐそこまで、迎えが来ているから。この人たちも、二度とこンなことできないように、おまわりさんに引き渡すわ」
「じゃあ、連絡先教えて。ウテナ区に来たら案内してやるよ」
十一桁の電話番号を
「おまわりさんが来る前に、クマくんも行った方がいいんじゃない?」
「……そーするわ。ぼく、サツのブラックリストに載ってんだよね」
うげぇ、と舌を出して苦い
「んじゃ、連絡するから」
「うン。待ってるネ」
エンジンをふかして、大きな音を立てて遠くなっていく背中を見送った。
思わぬ収穫だった。ウテナ区周辺をしめる暴走族総長の連絡先だけでなく、好意的な感情も抱いてくれたようで大変満足だ。
――このゴミ共に大人しく付いてきた甲斐があった。これで収穫ゼロだったら、うっかり殺しちゃっていたかも。
「…………えいっ」
ぴょん、と軽く飛び跳ねて、イキがっていた男の顔面に着地する。ゴキュッだとか、鼻が折れる感触だとかが靴の裏越しに伝わってきて、不快感に眉根を寄せた。
本当は、弥那兎が助けてくれなくても自分ひとりでどうにかできる自信があった。そこらへんの不良だとか、チンピラだとかに、わたしが負けるわけがないんだもの。
「きったないなぁ。顔もブサイクだし、喋る言葉も下品だし。それに加えて喧嘩も弱いなンて、なっさけなぁーい」
とっくに意識のない男共の顔面に、順番に飛び乗っては鼻っ面を折っていく。弥那兎に折られた奴もいたが、そんなの関係なかった。飛び石に飛び移るように遊んでいると、入口から聞きなれた声がかけられる。
「お嬢。靴が汚れるからそろそろやめましょ」
「――クマちゃん!」
パッと、ツンと澄ましていた横顔を笑みで花開かせた睡蓮はコンクリートに靴裏をこすりつけて液体を拭き取ると、『クマちゃん』に向かって駆けだした。
「無事、みたいですね。怪我もない?」
「ないヨ。親切な総長さんが助けてくれたノ」
「熊取谷弥那兎?」
「ン」と満面の笑みで首肯すると、クマちゃんと呼ばれた青年は深く息を吐き出した。
弥那兎は繊細なガラス細工のような細面の美青年だったが、枢もシャープな輪郭に精悍で彫りの深い顔立ちをしている美形だ。
「遊ぶのもほどほどにしてくださいよ。後始末をするの、私なんですから」
「だいじょぉぶ。クマくん、イイ子だったから」
枢の長い腕にまとわりついたまま、感想を口にする。
悪ぶってるとか、ヤンキーカッケーとか、そういうのじゃなかった。純粋に、優しくってイイ子。意外と警察官とか向いていそうな子だった。
「クマ、ですか」
「うン。
「……ほんとに気に入ったんですね。あまり、入れ込まないようにしてくださいよ。暴走族とは言え、カタギなんですから」
にっこりと笑みを形作る睡蓮には何を言っても無駄だろうことを枢は知っていた。
クマ、とは睡蓮の中でも特別な愛称である。まさか襲われたところを助けられて気に入った、というわけじゃあないだろう。
「……あの
「うーン。まだダメ。適当に二、三本折って躾けたら放逐しちゃっていいわよ」
「処分しないので?」
「そろそろ、うざったいなァって思っていたから。見せしめにはちょうどいいでしょう?」
黒真珠が闇に溶ける。
うっそりと、宵闇の空に浮かぶ三日月みたいな笑みを浮かべた睡蓮に、枢はドキドキと心臓を高鳴らせた。
「――我が華の仰せのままに」
死よりも苦しい思いをさせてやろう。
汚い手で尊い華に触れた罰だ。
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