ヤのつくお嬢はクマさんがお好き

白霧 雪。

第1話 ゴミはゴミ箱に捨てましょう。

 金持ちの子供が集まる学校と聞いていたから、伊睡蓮わたしみたいな暴力的で我儘な女とは相容れない、さぞお上品でお淑やかな女性ばかりなんだろうなと思っていた入学当時。

 半年前の自分に教えてあげたい。ここは見目麗しい花園とは名ばかりの毒草ばかりでした。


(うぅン、わたしの靴箱はダストボックスじゃあないンだけどなァ)


 一応確認。

 もう一週間以上開けていない靴箱を物は試しに興味本位で見てみると、なんだかすごいことになっていた。白とか茶とか、とりあえず口に出したくないモノであふれかえっている。これのどこがお嬢様学校なのかしら。

 三足を無駄にしたところで靴箱を使うのを辞め、靴は教室前に置いてある鍵のかかるロッカーで保管することにしていた。まァ、そのロッカーも画伯もびっくりな落書きで可愛らしくなっているが。


 手に持っていたローファーに履き替えて、内履きは手持ちの袋に突っ込んで、生徒玄関わや足早に出た。


 修羅の国・ニホン。

 魔境だとか魔都だとか言われているトウキョウの中でも、比較的穏やかなミヤコ区の一画にある雅ヶ丘女子學園高等部。

 今年の春から、地元を離れて進学をしたわたしは絶賛幼稚な嫌がらせを受けている。


 初夏でいくら陽が落ちるのが遅くなってきているとは言っても、十九時を過ぎればさすがに夕暮れも黒に浸食をされていた。

 校舎を出れば、遠くにお月さまが見える。


「あらぁ~? カナハジメさんじゃない。こんな遅くまで残っているなんて、どぉしたの?」


 くすくすくす、と耳ざわりな嘲笑にげんなり。今日は出くわさなくてラッキーだと思っていたのに。無視をしたら明日うざいくらい絡んでくるんだろーなァ、とうんざりしながら声の聞こえた方を向く。

 いじめっ子三人娘が男を数人従えて佇んでいた。ご苦労サンなことに、わざわざ出待ちをしていたんだろう。


 心底くだらない。面倒で溜め息を吐くと、三人娘のうちのひとりが眉を跳ねさせる。きっと、こういう態度が彼女たちは気に入らないんだと頭ではわかっているけれど、わざわざ仲良しこよしするためにガッコーなんて通ってるわけじゃないので洒落の利いた言葉ひとつ思い浮かばなかった。


「どちらサン?」


 嘲る笑みを浮かべ、ゆらりと小首を傾げる。

 いじめっ子たちは怒りに顔を赤くして、その後ろで控えていた男たちは睡蓮の笑みにわかりやすくデレデレと相好を崩した。


 いじめっ子たちは金持ちの御令嬢なだけあって、よその学区のオンナノコたちよりも身なりに金を使っているから綺麗で可愛い顔をしてるけど、中身がブスだから台無しだ。

 性格が悪い自覚はもちろんあるけど、やるなら正々堂々一対一のタイマンだ。喧嘩する気兼ねも無いくせに、絡んでくんじゃねーよ。マジで時間の無駄――とは声には出さなかった。


 純白の制服に身を包む彼女たちとは対象的に、睡蓮が身にまとっているのは純黒の制服だ。黒のブラウスに学年カラーの赤いリボンタイ。規定通りの膝丈の黒いスカートに、白い足を隠す黒タイツ。黒をまとっているからこそ、彼女の色の白さが眩く映えた。


 匂い立つ白花のかんばせの美少女が、嘲笑を浮かべている。


 墨を落とした黒髪は癖がなくしゃらしゃらと風に靡き、黒真珠の瞳はぱっちりとしていながら垂れ目がちで、左目の泣きボクロが色香を漂わせている。制服から覗く手首や足首は茎のように細く、ちょっと力を込めただけで手折れてしまえそうなほどに華奢だ。

 年頃の少年少女よりもずっと大人びた雰囲気で、雨に濡れた花や、雪解けの夜を思わせる匂い立つ美少女――それがかなはじめ睡蓮すいれんだった。


「生憎とわたし、ひとりでお手洗いも行けないよォなオンナノコと、オトモダチになった覚えはないの」

「ッ~~~! ただ一緒に行っているだけじゃない!!」

「あら、あらあら、そうだったのネ。わたしの勘違いだったワ。でも、さすがに、十六歳にもなって、おねしょしてしまったお布団を隠すのはどぉかと思うのヨね。クローゼット、カビ臭くなってしまうんじゃなァい?」


 サァッと顔色を蒼褪めさせるリーダー格のオンナノコに、睡蓮は「あっ」と口元に手のひらを当てて、酷く申し訳なさそうな表情かおを作る。


「もしかして、オトモダチにはナイショだったかしら? ゴメンなさいネ、てっきり、オトモダチなら話ているかと思ったのよ」


 手のひらの内側で、にんまりと笑みを浮かべる。


 花のJKどころか花も恥じらう美少女である睡蓮は、自身の性格をよくよく理解していた。そして、どちらかと言わずとも決して虐められる側ではないことも理解している。それなりにプライドはあるし、舐められっぱなしもムカツク。ここが学校じゃなかったら、適当に路地裏に引きずり込んでた。一対一だろうが一対多数だろうが、睡蓮は負ける気がなかった。


「あっ、え……ゆ、百合子さん、おねしょ……」

「してないわッ!!」

「……」

「な、なによその目! ッあなたも!! 適当なことを言わないでくれる!? 名誉棄損で訴えるわよ!?」

「じゃァ、わたしは侮辱罪、強要罪、暴行罪であなたたちのことを訴えようカナぁ」


 ヒステリックに喚きたてるオンナノコに、一本、二本、三本と指を立てて提案・・をする。これら三つに関しては、しっかりと証拠も押さえていた。音声も、映像も。呼び出しのテンプレートであるトイレで水をかけられたり、校舎裏でオンナノコたちからリンチされたり。


 生ぬるいなァ、と思いつつ、ただひたすらに無言で耐えていた睡蓮は、そろそろこのにも飽きていた。この場合の耐えるとは、睡蓮が反撃や抵抗をしてしまわないように耐えるという意味だ。


「そ、そんな余裕言っていられるのも今のうちなんだから!」

「そうよ! カズ君たちにわざわざ来てもらったのよ!」


 カズ君がどれかは知らないし興味もない。後ろの男たちのうちのどれかなのだろうな、と思いながら「フゥン」と適当に返事をする。金でも握らせて連れて来たチンピラだろう。

 太陽は遠くでどんどん沈んでいく。空が夜に包まれてしまえば、睡蓮の時間だ。


「もとはと言えば、あなたがイサラ君に近づくのがいけないのよ! イサラ君だって、編入生が珍しいからかまってるだけで、調子に乗らないでくれる!?」


 イサラ君ってダレ。また新しい名前が出て来たことに眉を顰める。記憶を探るがイサラなんて名前の男、睡蓮の覚えにはなかった。


 睡蓮の世界は、『身内』か『それ以外』だ。

 一度懐に入れた者なら覚えるし、そうじゃなかったら覚える必要もない。記憶容量の無駄遣いだもの。だから、いじめっ子の彼女たちの名前も知らないし、覚える必要もない。


「調子に乗った覚えなんてナイけど」

「そういう、澄ました顔がムカつくのよ!」

「百合子さんの言う通りだわっ。ねぇっ、カズ君! あの子、好きなようにしちゃっていいわよ。リンチでも、マワしても、好きなようにしていいわ!」

「ハハッ任せろよミカちゃん。あんな上玉、好きにしていーんなら五万も安いモンだわ!」


 下品に笑う男たちが、オンナノコを押しのけて前へ出てくる。どうやら、リンチされて輪姦まわされるらしい。無感情に塵芥ゴミを見る。きっと、コイツらは無抵抗なオンナノコにいままでも暴力を振るってきたんだろうな、というのが窺い知れる。


 金でチンピラを雇って、気に入らないことがあれば兵隊のように差し向ける。――嗚呼、心底気に食わない。


 睡蓮の座右の銘モットーは『鷹は飢えても穂を摘まず』だ。

 どんなに貧窮したとしても不正な金品を受け取らず、道義に外れることを決してしない、そんな意味だ。すでに道を外れていると言っても過言ではないのに、仁を忘れてしまえばそれはもはや人でなし。


 家の者たちに蝶よ花よと育てられた睡蓮は、天然ふわぽわ無自覚美少女ではない。

 可愛い可愛いされて育ったので自身の容姿はよく理解しているし、自信だってある。そこらへんのアイドルより可愛い自信がある。実際、アンニュイでダウナーな雰囲気も合わさって、学校では高嶺の花のような存在だった。


 性格ブスの毒草と、棘のある綺麗な花なら、どちらに触れたいだろう。ちょっと火遊び、くらいなら毒草でもいいだろうが、本気になって熱を上げるならたとえ毒があったとしても綺麗な花がいい。


 握りしめたら折れてしまいそうな手足をしているのに、ブラウスを押し上げるバストはたわわに揺れて、横目に見た女たちよりも高い位置にある腰はきゅっと括れている。濡れた瞳は挑発的にこちらを見つめ、余裕のあるお綺麗な顔を恥辱に歪ませたい。男の独占欲や執着心や、情欲を燻ぶらせる美しい少女だった。


 金で雇われた男たちは、『ミヤコ区』だから、と気が緩んでいた。他の区画ならこうもいかない。どこもかしこも、その区を仕切っている輩があちこちに蔓延っており、強姦事件だなんて噂になればすぐに犯人捜しが始まるからだ。


 ――だからわたしはミヤコ区のそれなりに金持ちの学校に編入することになった。の区なんて、ミヤコ区かあとはもっと外側の手に入れても価値のない廃れた区しかない。

 伊睡蓮わたしは、否、トウホク最大勢力の指定暴力団ヤクザ『い組』は手始めにミヤコ区を手中に収めることにした。その先駆けが、七代目組長・かなはじめ藤次郎とうじろうの長女・伊睡蓮である。


 荒くれ者の男連中に囲まれて育った睡蓮が、半グレ未満のチンピラに恐れを抱くこともなかった。

 勝てる戦はしない主義だが、勝てない戦は勝てる戦にしてしまえばいい。そも、向こうから突っかかって来たのなら正当防衛と言い張れる。たとえ、過剰防衛と言われようとも。


 だから睡蓮はにっこりと笑みを形作った。


「ここだと目立つけれども、イイの?」


 艶めいた唇に、チンピラはごくりと唾を呑み込んで、下卑た笑みを浮かべた。


「案外乗り気?」

「じゃ、あっち行こーぜ」


 細くて薄い肩を、浅黒く日焼けした腕が抱く。

 嫌悪に眉根を寄せた睡蓮だったが、この後のことを考えて笑顔を維持した。馬鹿な男たちはこの美しい花が、虫が飛び込んでくるのを待つ人食い花であることに気づくことはできなかった。飛んで火にいる夏の虫である。


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