第二話 姉の不幸は蜜の味

「あ、お姉様~!」

「ミシェル」


 部屋に戻る途中で、妹のミシェルが声をかけてきた。


 彼女は私より四つ年下で、金髪の縦ロールに青い目が特徴的な少女だ。とても活発な性格で、魔法の才能もとても高い。


 ただ、屋敷の中の環境のせいか、私の事を見下すような態度をいつも取っている。私からしたら、もうそんなのには慣れてしまったけど。


「聞きましたわ! ついに結婚相手が決まったと!」

「ええ、そうらしいわね」

「随分と物好きな方がいらっしゃって、本当に良かったですわね! 私もお姉様を見習って、お姉様とは真逆な素敵な男性と結婚しますの!」

「そう。応援してるわ」


 わざわざ言ってきた嫌味に一々反応する事も無く、私は自室へと戻ろうとする。


 あんなのに毎回付き合っていたら、いくら時間と体力があっても足りないわ。ああいうスルーする能力は、前世で働いていた時に、上司の小言をスルーしていた時の経験が活きている。


「お相手の方、あの有名なアルバート様なんですってね。ずっと魔法の研究ばかりしてる異端児!」

「そうらしいわね」

「それを聞いた時、考えてみたの。どうしてお姉様のような、恐ろしい魔力を持った女性を選んだのか」

「…………」

「きっと、お姉様を魔法の実験動物にする気なのよ!」


 何を言うのかと思ったら、そんな事を言って私を哀れんで、優越感に浸ろうとしているのだろうか? それとも、それを聞いて慌てたり落ち込むのが見たいの?


 でも残念。私はもう人生をとっくに諦めてるの。だから、実験動物にされようが、悲観するような事はしない。


「魔法の人体実験って、かなり怖そうですわよね。一体どんな目に合うのか……ああ、お姉様……可哀想に!」


 言葉では可哀想と言っているけど、顔がにやけようとするのを必死に我慢してるのが丸わかりだ。ミシェルからしたら、私の不幸なんて娯楽でしかない。


「悪いけど、私は荷物を纏めるのに忙しいの。それじゃあ」

「あら、纏めるような荷物を持っていただなんて! よければこのミシェルもお手伝いしましょうか?」

「結構よ」


 面白半分でついて来ようとするミシェルを振り切って、私は自室へと入った。


 部屋の中には、ベッドや机といった必要最低限な物しか置かれていない。クローゼットの中も、スカスカでほとんど服が入っていない。


 それに、全体的に掃除が行き渡っておらず、家具も古いものしかない。自分で掃除をしていた時期もあったけど、最近はもうどうでも良くなっていた。


 さて、持っていく物を纏めろと言われても、特に必要な物なんて無い。いつも通り、本を読んで過ごすとしよう。


「……もう全部読んでしまった本ばかりだし……適当にこれでいいか」


 本棚に収まっていた本を一冊取り出し、ゆっくりと読み始める。


 読書は前世からの趣味で、今もずっと継続している。現実なんて救いの無いものばかりだけど、物語にはちゃんと救いがある。


 悪人を倒す。恋人と結ばれる。目標を達成する――いろんな救いがあり、そのどれもが私には眩しい。その世界を見れる読書が、私は好きだった。


 とはいえ、昔のように本を読んで感動する事は、ほとんど無くなってしまったけどね……。


「……白馬に乗った王子様、か……そんな素敵な人が実在するなら、私もちょっとは救われたのかも……なんてね」


 くだらない事を考えても仕方がない。今日もこのまま本を読んで過ごして、明日の旅立ちの時を待とう。



 ****



 ――夢を見ていた。それは、私がまだOLとして働いていた時の、忌まわしい記憶だ。


 毎日毎日、一人で数人分の仕事を捌く為に、会社のパソコンと格闘をして、なにかあったら全部私の責任にされて、悪くないのに取引先に頭を下げさせられて、上司に理不尽な事で怒鳴られて……訴えたら一発で勝ててただろうな。


 でも、あの時の私にはそんな余裕なんて一切無かった。ただ目の前の問題を片付ける事と、自分が少しでも傷つかないようにするのに手一杯だった。


 そんな日々に耐えきれなくなって……私はとある日の出社前に、なにかがプツンと切れてしまい……自ら命を断った。


 どうして今更こんな夢を見ているのだろう? 嫁ぎ先で実験動物になんて話を聞いたから、少し早めの走馬灯でも見てるのだろうか?


「こんなものを見ても、何も心が晴れないわ。さっさと目を覚まして、私……」


 思い出したくもない過去から逃れる為に、私は思い切り自分の頬をビンタすると、次の瞬間には目を覚ましていた。


 か、体が痛い……私ってば、座って読書をしながら、そのまま眠ってしまっていたようだわ。


「なるほど、こんな寝方をしたから昔の夢を見たのね。仕事に疲れてデスクで寝落ちした事は、何度もあったし」

「失礼します。出発前に身支度をさせていただきます」

「……ありがとう」


 ガチガチになった体をほぐす為に伸びていると、珍しくメイドが私の部屋にやってきた。


 いつもは身支度の手伝いなんてしないくせに、こういう時はちゃんとするように指示をするのね。見栄だけは一人前のお父様らしいわ。


「フェリーチェ様、向こうで粗相のないようにしてくださいませ。旦那様の為に」

「……ええ」


 別に、わざわざ身支度中にそんな事を言われなくてもわかってるわ。今まで通り、いない者としてひっそりとしていれば、迷惑をかけないだろう。実験動物にされたら、話は別だけどね。


「はい、準備が出来ました。馬車の準備もできてますので、一秒でも早く乗ってください」

「言われなくても、ちゃんと乗るわよ」


 さっさと忌み子の私に出ていってほしいのがにじみ出ている言葉を背に受けながら、私は馬車に乗り込んだ。


 わかっていた事だけど、見送りに来てくれるような物好きは、誰もいなかった。ここまでいくと、いっそ清々しさすら感じてしまうくらいだ。


 本当に……私の人生って何なのかしら? 前世も今も、こんなに必要とされないで、嫌われて……私以上に不幸な人がいるなら、ぜひ話を伺ってみたいわ。


「フェリーチェ様、到着しました」

「ええ、ありがとう」


 屋敷を出発してから半日程ぼんやりと過ごしていると、のどかな田舎町に居を構える屋敷の前へとやってきた。


 ここがマグヴェイ家の屋敷……私が住んでいた屋敷と、あまり変わらない規模だ。さすがは侯爵家といったところだろう。


 でも、それ以上に私には気になる事があった。それは――


『ようこそ、フェリーチェ様!!』


 ――屋敷の前には、沢山の使用人達がズラッと並んで、私の事を歓迎する光景が広がっていた。

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