第79話 君が生きていてさえくれれば

「――はい、これで全部だよ」


 私が落ちてきたところで、ヴィラはもう終わりと言うように顔を離した。

 目線が外れたことでぷつりと糸が切れたように体から力が抜け、ヴィラによりかかる形になる。ヴィラは私を抱き締めると、囁くように言った。


「どう? この国に見切りをつけるきっかけになったかな」


 ヴィラから記憶を受け取っていたのは、時間にして一分もなかっただろう。けれど、私には随分長く感じた。とても悲しく、辛い記憶だった。


 ヴィラが感じた悲しみは、いくら記憶を受け取ったからと言って全てを感じ取れるわけじゃない。

 信じていた人達に拒絶されたり、自分の体を傷つけられて、大事なものを奪われたのだ。ヴィラが怒る気持ちもよく分かる。

 でも、


「……同じじゃない」

「……え?」


 ぽそりと呟いた声にヴィラは反応する。私はなんとか腕に力を込めて、ヴィラの体を押す。強い力ではなかったはずなのに、よろりと、ヴィラの体は揺らいだ。

 私は自分一人で立って、もう一度、ヴィラにしっかりと言った。


「私とヴィラは、同じなんかじゃない」

「……同じだよ。私達はこの国の奴らに傷つけられた。空だって怖い目にあったり、疑われて悲しい思いをしただろう? マグワイヤーは確かに私が操っていたけれど、その他の人間は彼ら自信の気持ちと行動だよ」


 確かに、ヴィラの言う通りだ。マグワイヤー将軍が私がいるなら戦場に出たくないと言ったとき、伝令の兵士はマグワイヤー将軍以外にも同じ事を言っている人がいると言っていた。


 それから、アリスが私に人をつけるようになったのも、護衛と監視のためだ。

 私への不信を扇動したのはヴィラに操られていたマグワイヤー将軍だったかも知れないけど、そこには確かに他の人たちの気持ちがあった。


 それに昨日の雨の中、襲われたことは今思い出してもとても怖い体験だった。

 ヴィラの受けた行為とはまた違うけれど、私達は似通った境遇なのかも知れない。


 でも、私達には決定的に違うところがある。


「私は、私のことを信じてくれてる人を信じてる。その人達のために頑張ろうって思ってる」


 巫女の力が使えなくって落ち込んでも、神様が慰めてくれた。アリスは私を信じてくれた。レオナやローレン、アステラは、私に協力してくれた。

 みんなのことを思えば、どんなことだって頑張れる。


「ヴィラにだって、そんな人達がいたはずだよ。ヴィラのことを信じて、好きだった人達がいたはずなのに」


 ヴィラの記憶を見てきたからこそ、知っている。一緒に歌や踊りを楽しんだ人達。ヴィラに歌を教えてくれた人、楽器を見せてくれた人、占ってくれた人。

 みんな楽しそうに笑っていた。あの中には、ヴィラのことを信じてくれている人もいたはずなのに。


「……うるさい、」


 俯くヴィラがぽつりと零す。それでも私は止まらない。止めたくない。このままには出来ないから。ヴィラの復讐を放っておいて、この国がなくなってしまうなんて、嫌だから。


「それなのに、ヴィラは悪い人達の方を信じてしまった」

「……空、黙って」

「ヴィラが復讐したい人たちはもういない。悲しいけど、ヴィラの復讐はもう、終わってる」

「空、」

「今ヴィラがやってることは、王様があの魔物達の住処を侵略したのと、同じこと――」

「黙れっっっ!!!!!」


 私の声を遮るようにヴィラが叫んだ途端、強い光に目が眩んだ。光が収まった時にはもう、目の前にヴィラの姿はなくて。

 かわりに、白い大きな竜が、私に向かって鋭い爪を振り下ろした。


「空っ!!」


 アリスが私を呼ぶ声が聞こえる。避けきれる速さではない。でも私はもう諦めたくない。駄目元で、魔法を……!


 そう思ったとき、私の前に、金色が躍り出た。

 金色の瞳、金色の髪。柔らかな体が、私を包むように抱きしめる。え、と思ったときには、その背中を、ヴィラの爪が激しく切りつけていた。


「ぐうっ……!!」


 苦しげなうめき声、金色に散る赤色。倒れ込んできたその体を支えきれず、私は抱えるようにして尻餅をつく。


「……か、み……さま、」


 声が震える。その顔に触れようとして、自分の手が震えていることに気付いた。

 こんなの、嘘だ。違う。こんなこと、あるわけない。

 嘘だ嘘だと思うのに、目の前で荒い息を吐く神様は、それが真実だというように、いつもみたいに口角を上げた。


「ははっ……見たか、空。今度は、お前を守れたぞ」

「今度はっ、て……」

「最初に、お前が魔骸に、襲われた……とき、駆けつけて、やれなかったから、な、」

「そんな……そんなの、いいのに……! 全然っいいのにぃっ!」


 神様に縋り付く。背中からはどろどろと血が流れていて、止まらない。神様の白い服も、眩いばかりの金髪も、血に染まって行く。

 怖い。どうなっちゃうの? このまま神様、どうなるの?


「はやく、早く治療しよ、どこかに、きっと救護室、とか、」


 混乱しながらも、きょろきょろと辺りを見回す。立ち上がろうとして、神様に緩い力で止められた。


「落ち着け、空。……もう、助からない」

「そんなこと、言わないで! まだ大丈夫だよ、だって、だって神様だもん! 大丈夫だよ……!」


 大丈夫、だって神様だもん。きっと怪我なんてすぐ治る。大丈夫、大丈夫。

 そう思おうとするのに、目の前の神様は苦しそうで、全然大丈夫じゃなくて。


「……いいから、このままでいさせろ」


 苦しそうにしながらも、私を落ち着かせるように背中をぽんぽんと叩く。

 神様は、こんな時でも私を慰めようとする。だめだよ、今はもっと自分のこと考えてよ。このままじゃ、神様……!


「何で……なんで庇ったりしたのっ! やだよ、私のかわりに神様が傷つくなんて! やだよっ!」

「……知って、たんだ。こうなる……ことは、」

「え……?」


 知っていた? 神様を呆けて見つめる。神様は荒い息のまま、そうだ、と頷いた。


「ヴィラに、国を出ようと、誘われることも……それを断ったら、こうなることも、知っていた……。ゲームでは、攻撃を、魔法で防げたが……お前は、力が使えないだろう……?」

「そんな……なんで、言ってくれなかったの……?」


 前に神様にヴィラのことを聞いたとき、神様は知らないと言った。あれは嘘だったのか。でも、なんで嘘を?

 先に知っていれば、今のこの状況が防げたかもしれない。みんなの家が壊されることも、誰かが傷つくことも、こうして、神様が怪我することだって。


 ヴィラの誘いを断ったらこうなるんだったら、私がヴィラの誘いを受けていたら……。

 そう思って唇を噛む。すると神様は、ほらな、と笑った。


「知っていたら、お前は自分を、犠牲に、するだろう? ……空の、好きなように……して、ほしかったんだ」

「でも、神様が……!」


 神様に縋り付く。全部私のためということなの? そんなの嫌だよ。私は神様に貰ってばっかりで、全然、何も返せてなくて。それなのに、こんな!

 涙が溢れて止まらない。それなのに、私より辛くて痛いはずの神様は優しく微笑んで、私の頭を撫でた。


「私は、お前が生きていてくれて、幸せになってくれれば、それでいい。……お前が、ヴィラの誘いを断ったと聞いたとき、今度は死なせてなるものか、とな、思ったんだよ」


 そうして神様は満足そうに笑って、腕を下ろした。


「ああ、間に合って、良かった……。あっちこっちといなくなるから、探すのが、大変だったぞ。まあ……ギリギリだったが、大事なときに、間に合ったんだ。許して……くれよ、」

「許すよ! そんなの、全然許すから! だから神様、私を置いていかないでよ……! ずっと一緒にいてよぉ……!」

「空、しあわ、せに、」


 ふっ、と、光が消えたようだった。ずしりと私にかかる重みは、もう力を感じなくて、重くて。


「かみ、さま」


 呟いた言葉に、返してくれる神様はもういなかった。

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