第76話 舞台は整えられた
「名残惜しいですが……そろそろ行きましょうか。ここは危険ですから」
そう言って、アリスは私を立ち上がらせてくれる。
つい今までアリスしか見えていなかったけれど、周りは酷い状態だった。燃える建物と黒煙。半壊した家々や瓦礫。少し離れた位置からは、戦っているらしき声や音が聞こえる。
落下しているときに見えた赤い光や煙は火事のものだったらしい。今日外に出た時とはあまりに違う様子に驚いてしまう。
「どうして、こんな……」
一体街に何があったのか。ヴィラに眠らされてから、夢の世界以外の記憶はない。起きたら既に落下していて今に至る。
その過程ではこんなことになる予兆は全くなかったはずだ。まさか一斉摘発でこうなるとは思えないし……。
「空が攫われた後、街に魔骸が押し寄せたのです。住民は城に避難させましたが、倒しても魔骸は増える一方で……」
「そんな……!」
アリスが教えてくれたことに驚く。それと同時に悔しくなった。
私に、巫女の力が使えれば。そうすればみんなと戦える。みんなを助けることができるのに。知らず、手に力がこもる。
「空」
けれど、そっと、アリスが私の手に触れた。優しいその手は私の握りしめた手を開く。
「空が気に病むことではありません。今は出来ることをやりましょう」
微笑んで、あいた手を代わりにアリスが握ってくれる。暖かくてしなやかな手が、私を優しく包む。
「うん……ありがとう」
心の中にはやっぱり私が力を使えれば、という思いがある。けれど、今ここでそれを悔やんでいてもしょうがない。アリスの言う通り、出来ることをしなければ。
アリスの手を握り返す。アリスは私を見てにこりとすると、私の手を引いた。
「とにかくまずは、どこか安全な場所に――」
「行けると思う?」
その声は、決して大きくはないはずなのに、はっきりと、澄んで聞こえた。
「ぐっ!」
一瞬、何が起きたか分からなかった。私の半歩前にいたはずのアリスが、私の後ろに吹っ飛んだのだ。
「アリスっ!」
アリスは半壊した建物の瓦礫に背中を打ち付けたようで、苦しそうにしながらもなんとか立ち上がろうとしている。急いで駆け寄ろうとして――けれどそれは叶わなかった。
「目が覚めるのが早かったね、空。もう少し眠っていると思ったんだけど……これも巫女の力かな」
後ろからするりと頬を撫でられて、耳元で囁くような声に体が固まる。
でも、後ろを振り向かなくても、それが誰なのかなんてわかり切っていた。
「……ヴィラ」
名前を呼べば、ヴィラはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「ああ、いや、違うか。空は巫女の力がないもんね」
そう言われたとき、はっと思い出した。レオナとご飯を食べに行って一人でお店を飛び出した時。ヴィラに会って違和感を覚えたのだ。
それがなんだったのか、今やっとわかった。
「どうして、私が巫女の力が使えないことを知ってるの……?」
あの時、ヴィラはマグワイヤー将軍と私達の会話を聞いて、私が巫女だと知ったと言っていた。
けれど、あの場で巫女の力が使えないという話はしていない。それなのに何故、ヴィラはそのことを知っているのか。
後ろにいるヴィラに、声だけで問う。ヴィラは隠す素振りも見せず、あっけらかんと答えた。
「そんなの、見てたからだよ。空が魔骸と戦ってるところを」
「見てた……? でも、避難したんじゃ……」
ヴィラは魔骸が街に入ってきたとき、驚いた様子で私に逃げようと言った。
あの時私は自分に巫女の力が使えると思っていたから魔骸のところに向かったけれど、戦う力の持たないヴィラは避難したと思っていた。
けれど、ヴィラはくすりと笑って、私を後ろから抱きしめた。
「逃げるわけがない。だって、魔骸を呼んだのは私だからね」
「……それ、って、」
体に電流が流れたような気さえした。頭が混乱する。どう言おうとしたのか、混乱しながらも何かを言わなければと口を開こうとして、
「っと、」
「あぐっ!」
いつの間にか、ヴィラの後ろに周っていたアリスがヴィラに斬りかかった。けれど、ヴィラは足をアリスに蹴り込みアリスはまた建物へとふっ飛ばされる。
「アリスっ……!」
「残念だったね、王女殿下」
ヴィラはアリスを見下したように笑う。ガラガラと細かい瓦礫が崩れる中、アリスはゆるりと立ち上がった。
「……お前のせいだというのか」
俯いた顔。低く出された声。
「ん、なに?」
聞こえなかったのか、ヴィラが聞き返す。アリスは勢い良く顔を上げた。
「今この街が、国が! こうなっているのは! お前のせいだというのかっ!!」
響く怒声は、流石にこの国を統べる次期王のものだった。威圧感と迫力に、私の体がびりびりと震える。
けれどヴィラは、気圧されるよりはむしろ冷静に、事実を述べるときのように淡々とした口調で答えた。
「……少し、違うな。君達自身のせいだよ。君達の罪が、今この有様を作っている」
「……どういうことだ」
アリスが返す。途端、ヴィラは先程までの冷静さがなくなったように笑い出した。私の肩を掴んだ手を支えに、体をくの字に曲げて笑う。
ひとしきりそうすると、笑いの余韻を残して声を張り上げた。
「ああ、その返答こそが罪だっ! 無知がどれ程の罪になるか、君達は知らなければならない!」
「一体何を言っている……!」
「どうしてこの街が今こんな状態なんだと思う? ――罪を償ってもらってるんだよ」
燃える家々。立ち上る煙。瓦礫の山。戦闘の音。それらをバックに、ヴィラは手を広げる。全てがヴィラのために整えられた舞台の背景のように見えた。
「五百年前から続く、私への罪を!」
ヴィラの台詞が、私の鼓膜を震わせる。その最中、修行でローレンが言っていたことが頭の中でリフレインする。
ローレンは言っていた。魔骸は白竜の配下のような存在だと。
それにさっき、その魔骸をヴィラは呼んだと言った。そして今の言葉。それは、つまり。
「お前が、白竜か……!」
アリスが苦々しげに言う。ヴィラは瞳を細めて微笑を浮かべた。それは何よりも、肯定を意味していた。
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