第75話 空とアリス

 アリスは目を見開いた。うけとって、と聞こえたかと思えば、時計塔から何かが投げ出され、直後塔が音を立てて崩れ始めたのだ。


「一体何が……」


 アリスは驚きながらも投げ出されたものに目を凝らす。それは徐々に高度を下げ、アリスの目にはっきりと映し出されていく。


 よくよく見ればそれは人間で、恐らく女性。ばたばたとスカートがなびき、黒い髪が黒い夜空に星のように線を描く。


「あれ、は」


 気付いたその瞬間、息が詰まった。目が離せなかった。あれは、あの姿は。


 アリスは呆けたように上を眺めていたが、はっとするとすぐに落下地点に急いだ。走りながら、受け止められるように風の魔法をかけて落下の速度を緩める。

 抱き留めようと腕を広げた時、くるりと、落ちてくる背がこちらを向いた。


 一番に目に入ったのは、その黒い瞳だった。オニキスのように深く黒く、だけれど夜空に輝く星のようにキラキラと光って見えて。

 その黒い瞳が、アリスを目で捉えた。驚きで見開かれた目に、アリスが映る。


「――アリス!」


 名前を呼ばれて、胸が震えた。こちらに向かって泣きそうな顔で手を伸ばすその姿に、アリスは広げた腕で、精一杯抱き留めた。


「空……!」




 落下の最中、不意に体がふわりと浮いたことに気付いた。その感覚には覚えがある。この世界に来たとき、アリスが受け止めるためにかけてくれた魔法と同じ感覚だった。


 もしかして。はやる気持ちのままに、私は下を見ようと体を反転させる。


 ――ああ、やっぱり。綺麗な青色。


 目の前には、空のように透きわたる青い瞳。

 その瞳を見た瞬間、胸がいっぱいになった。また会えた喜びとか、気付いた気持ちだとか、色々ごちゃ混ぜで。

 何だか泣きそうになりながら、気持ちのままに私はその名を呼んだ。


「――アリス!」


 あの夜から呼べていなかった名前。本人を前にして呼ぶだけで胸が高鳴る。その理由を、私はもう知っている。


「空……!」


 アリスは泣きそうな顔で腕を広げると、落ちてきた私をかき抱く。


「んっ、」


 瞬間、落ちるままに唇が触れた。柔らかなその感触は、この世界に来た時の事を思い出させる。

 でもあの時と違うのは、これが事故でないということ。


 どちらともなく重ね合った唇のままに、重力に従いアリスを下敷きに地上に倒れ込む。どさりとアリスの体が横たわった。

 散らばる白銀の髪。私を見つめる青い瞳。アリスに馬乗りになった私は、押し倒したまま気持ちを叫んだ。


「アリスが好きっ……!」


 アリスの目が見開かれる。驚いている事が良く分かった。それでも気持ちは止まらない。涙を必死に我慢しながら、アリスの瞳を見つめ続けた。


「いっぱい悲しませてごめんなさい。でも私はアリスが好きで、だから――会いたかった……!」


 離れてやっと気付けたその気持ちは、気付いてしまえば止まらない。昂ぶった感情では涙を堪えていられなくて、ついに溢れてくる。

 みっともない姿を見せられないと、手で強引に拭うと、起き上がったアリスがそっと私の手を止めた。


「……先に、言われてしまいました」


 え、と思考が停止する。アリスは優しく私の涙を拭うと、眉を下げる。


「私の方こそ、申し訳ありません。いつも行動ばかりで、肝心なことを伝えていませんでした」


 アリスが私を見つめる。青い瞳の中に自分が見えた。呆けた顔で、こっちを見てる。

 いつの間にか、とっくに私はアリスに捕らわれていたのだ。


「空が好きです。愛しくて愛しくて、もう、離したくありません」


 キラキラ、キラキラ。アリスの青い瞳が揺れている。もしかしたら、アリスもちょっと、泣きそうなのかもしれない。

 想いが通じ合うということがこんなにも泣きたくなるほど幸せだって、私は知らなかった。


「……どうして泣くんですか?」


 折角止まった涙がまた溢れてくる。アリスは瞳を細めて優しい顔をしながら、また私の涙を拭ってくれる。


「う、嬉しくてっ……それに、もう嫌われたかと思ってた……!」

「嫌う? 私が空を? あり得ませんよ、そんなこと」


 アリスは心底ない、というように少し笑う。でもそんなことない。全てを話した昨日の夜、私は本当に、嫌われたかと思ったんだ。


「……だって、アレックスのこととか、ノーマルエンドとか、私、ほんとに自分のことばっかりで……それに、自分の思うままにみんなの好感度操ろうなんて、傲慢だった……。みんなにはみんなの気持ちがあるのに、私……!」

「空」


 ぼろぼろと涙と言葉が溢れて来る。考えれば考えるほど非道い話だ。

 けれど、アリスは優しく、でも私を止めるようにハッキリと名前を呼んだ。


「私を見てください」


 そしてそっと私の顔に手を添えると、顔を近づける。びっくりしていると、こつん、とおでこ同士が触れた。


「私達は操られてなどいませんよ。だって、私が空を好きになったのは、空が落ちてきた時ですよ?」

「……そうなの……?」


 初耳だった。どうして出会った夜にあんなことになったのか、アリスの好感度だけが高かったのか、今ようやくわかった。

 新事実に驚いていると、アリスは至極真面目な顔で言った。


「はい。顔が好みでした」

「え、ええ?」


 まさかの顔っ!? アリスみたいなめちゃくちゃ綺麗な人が、私の顔をっ!?


「ふふ。一目惚れですから、それはしょうがありません」


 アリスは瞳を細めて笑う。間近で見るその顔は本当に綺麗で、この近さでそんな顔をされるとドキドキする。


 それに、一目惚れというならわたしにも少し覚えがあった。

 初めてアリスの瞳を見た時、唇が触れて、倒れ込んだとき。今見たいな近さで、アリスはふっと笑った。本当に綺麗だと思った。ドキドキした。


 もしかしたら、あの時から既にアリスのことが気になっていたのかも知れない。じゃなきゃ、押し倒されていい雰囲気になったりしない。


 アリスは顔を離すと、私を落ち着かせるように頭を撫でた。


「ですが、一緒に過ごすたびに、空の全てがどんどん愛しくなりました。空の好感度、というのは、私達の感情を操作できるものではないのでしょう?」

「はい……選択肢が見えるだけで……」

「ならやっぱり、私の気持ちは私のものです。それに、アレックスのことも……」

「あの! 私、アレックスのことは好きとかじゃなくて、この世界のことだって……!」


 瞳を伏せたアリスに慌てて否定する。アリスはこくりと頷いた。


「わかっています。空はこの国を本心から救おうとしてくれていたのに、昨日の私は自分の感情ばかりで……申し訳ありませんでした」

「謝らないでください! 私が悪かったんですから!」


 頭を下げるアリスを慌てて止める。

 そういえば、先日アリスのベッドの上で似たようなやり取りをした。あの時も今みたいに謝りあって……。

 同じことを思ったのか、アリスがくすりと笑った。


「……私達はいつも、謝ってばかりですね」

「……ほんと、そうですね」


 お互い見つめあってくすくすと笑う。凄く幸せで、やっぱり、少し泣きたくなった。

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