第72話 空の知らないアステラの戦い

「ん……」


 強い浮遊感に、私の意識は覚醒し始める。ぼんやりと目を開けて、すぐにはっとした。


「私、落ちてるううう!?」


 びゅおおおっと耳元でうるさいほど聞こえる風の音。髪や服がばたばたとはためく。目の前は夜の空だ。私は背中から落ちてるらしい。

 それがすぐ分かったのは、夜の空が赤い光に照らされていたからだ。赤い光と共に、黒い煙ももくもくと上に流れていく。


「確か歩道橋から落ちて……これってどうなのっ!? 戻ってきたの!?」


 自分から歩道橋の階段下にダイブして、そこからの意識はない。夜空だけでは判断出来ないし、何やら不穏な雰囲気だ。一体何が起こっているのか――。




 時は、空が攫われてからそう時間が経っていない頃に遡る。




 それは突然だった。アステラの教会に城から伝令がやって来て、空が攫われたことを教えてくれた。


 ついさっきまで一緒にいたのにそんなことになっているとは、と驚きつつも、使命を全うしなければとアステラは伝令を見送り部屋へと戻った。

 本当は空を探しに行きたいところだったけれど、緊急事態時、守り人は教会から出てはいけない決まりだ。


 空が見つかることを祈ることしか出来ない――はずだった。


「やあ、当代の守り人さん」


 いつ、どうやった入ったのか、部屋には白装束の女――ヴィラが立っていた。

 そしてその腕には、たった今攫われたと聞いたはずの空。空は気を失っているのか、ぴくりとも動かない。

 そしてヴィラは言った。


「封印の間を開けてくれないかな。これから魔骸が街に入ってくるから、空を安全な場所に連れていきたいんだ」


 アステラがヴィラに戦闘を仕掛けるには十分過ぎる条件が揃っていた。

 封印を守るのがアステラの役目なのは勿論のこと、魔骸が街に来ることを知っているのも不審であり、空を連れているということは、攫った張本人であることに間違いないのだから。


 しかし、いともたやすく、アステラは地に伏せることとなった。


「――やっぱり、箱入りは駄目だね。魔力は強いみたいだけど……これじゃあ、当時のエイルズのほうが幾分か強かった」


 傷だらけのアステラを見下し、ヴィラはため息を吐く。手応えがない、とつまらなさそうにした後、動けないアステラを引きずり、封印の仕掛けの本棚まで行くと、アステラの血を使って本棚の扉を開けた。

 そして地下の扉の前に行くと、アステラから鍵を奪い、扉を開ける。


「ああ、やっぱり封印も水晶も直したのか」


 部屋の中を見てヴィラは呟く。続けて、まあ、もう関係ないけど、と、誰に聞かせる訳でもなく言葉にすると、特にどうすることもなく部屋へと入る。


 何故そこまで全ての仕掛けを知っているのか、アステラは驚いたが、すぐにある一つの結論に辿り着いた。それは先程のヴィラの口振りからしても真実のような気がした。


「さて、ここなら魔物は入って来れないし、空を置いといても大丈夫だろう」


 ヴィラは空を部屋の中心、水晶の台座の隣に寝かせる。そして引きずられて放り投げられたまま、動く力のないアステラを見てにこりと笑った。


「でも、守り人はいらないから……君とはここでお別れだね」


 ヴィラがアステラに手をかざすと、手元で風が発生し始める。地下では魔法が使えないようになっている。それなのに魔法を使うということは、ヴィラの力のほうが封印より上だという証拠だった。


 アステラはなんとか体に力を込めて上半身だけ持ち上げると、息も絶え絶えにヴィラに向かって口を開く。


「……なんで、貴方は……空様を、ここへ……?」

「……ここは、守る部屋だろう? 全てが終わるまで、空をここに置いといて守るんだよ。私は終わらせるまで一緒にいられないから、それまでの間ね」


 答えてくれないかとも思ったが、意外にもヴィラはアステラの質問に答えた。けれど、それ以上は話すつもりはないようで、手元の風の威力が増した。


「さあ、守り人と長々お喋りをする暇はないんだ。さっさと死ぬといい」


 アステラは咄嗟に、気づかれぬよう自身の体に防御を築いた。それは守りに特化したアステラだからこその魔法であり、その繊細な魔法は封印を欺き、ヴィラに気づかれることはなかった。


 やがてヴィラは部屋から出て行く。防御のおかげか部屋の封印の力か、致命傷には至らなかった。アステラはよろよろと空を担いで地下から出た。

 怪我をした体で自分とさほど変わらぬ身長の空を担ぐのは至難であった。何度も転んだが、空だけは傷つかぬように気をつけた。


 本当は、ヴィラの言う通り空は地下にいた方がいいのだろう。街に魔骸が入ってくるというのなら、教会の地下にいた方が安全だ。

 でも、空はそれを良しとしないだろうと、アステラは思った。全てが終わって、街に何かあって、みんなが傷つくようなことがあれば、空はきっと悲しむ。


 それに地下にいるよりは、一刻も早くアリス達の元へ空を送り届けたかった。

 きっとみんな、空を探している。みんな空のことが好きだから、無事を願っているはず。


「もう……少し、で、外ですよ、空、様っ……!」


 地下の階段を上りきり、背中の空に声をかけ、教会の外へとアステラは向かう。いつもより、外への距離が随分遠く感じた。


 ふらふら、よろよろ。途中で転んだけれど、それでも背中の空は落とさぬように、また立ち上がる。

 そうして進み、教会の外に出た頃には、街は混乱の最中であった。


「これは……」


 どこかから火の手があがり、暗い夜に赤い明かりが灯っている。そこかしこから戦いの音や兵士の怒声、住人を避難させる声、住人の混乱の声が聞こえてきていた。


「久しぶりに出た、外がこれとは……残念です、ね、」


 アステラは少し笑って、城を目指そうと歩き出す。だがそれは、早々に阻まれることとなった。


「魔骸……!」


 アステラの前に魔骸がゆっくりと現れたのだ。アステラは後退る。


 平時ならば戦えるだろうが、ヴィラとの戦闘でアステラにはほとんど力が残っていなかった。だが逃げるにも、空を担いでは走れない。教会に戻ったら、いずれヴィラが来て空を奪われてしまう。どう転んでも絶対絶命であった。


 けれど、絶対絶命の時は、長くは続かなかった。


「アステラ!」


 名前を呼ばれたと思ったその時には、赤い炎が魔骸の全身を覆った。消し炭になった魔骸の代わりに現れたのは、息を切らしたローレンだった。


「一体何があってそんな傷だらけに……! それに、空様は無事なんですか!? 一体どこにいたんですか!?」

「ローレン……」


 ローレンは珍しく慌てた様子で、アステラの怪我や空の様子を見ている。


 アステラは言いたいことは色々あった。ヴィラとのこととか、その正体だとか、色々だ。

 けれど説明出来る体力はもうなく、ローレンの姿を見てほっとしたからなのか、とっくに力が抜けていた。


「空様のこと、お願いします」


 それだけ言うと、アステラは気を失った。

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