第71話 夢の終わり

「空、起きなさいっ! 朝よっ!」

「う、ううん……」


 眩しい光。カーテンが開けられたんだ。昨日遅くまでゲームしてたんだから、もうちょっと寝かせてよ……。

 もぞもぞと頭まで布団をかぶったけれど、すぐに引っ剥がされた。


「いつまで寝てるの! 学校遅刻するでしょ!」

「ん……? がっこ……おかあさん……?」


 意識が覚醒し始めて、その単語に違和感を覚える。

 私は異世界の巫女としてアリス達の世界に来たから、学校は行ってない。それに、お母さんがこの世界にいるはず、ない。


「お母さんっ!?」


 がばりと起き上がりその姿を見る。紛うことなき私の母だった。お母さんは突然私が起き上がったことに驚いているようだった。


「わっ。なに? どうしたの?」

「何でここにいるの!? どうやってこの世界に……」

「世界って……寝ぼけてるの? ご飯出来てるから、早く顔洗って目、覚ましなさい」


 お母さんはゲームのしすぎよ、なんて言って呆れた顔で部屋から出ていく。そう、私の部屋から出て行った。ベッドと漫画やゲームが並んだ本棚に、勉強机がある、私の部屋から。


「ええ……?」


 私が今住んでいるのはお城の一室のはず。でも、ここはどこからどう見ても元の世界の私の部屋だった。

 もしかして私、元の世界に帰ってきたの……? でも神様は、私はこの世界で死んでるから生き返れないって言ってたはず……。


 首をひねりながら言われた通りに顔を洗いに行く。さっぱりしたけれど、全然何がどうなっているのか分からなかった。


「おはよう、空。変な夢でも見たのか?」


 リビングに入ると、朝ご飯を食べてるお父さんが私を見て笑った。お母さんから聞いたぞ、世界ってなんだ? なんて言ってからかう。

 お母さんは私の朝ご飯をテーブルに置きながら、もう目は覚めたの? と笑った。


「お父さん、お母さん……!」


 その久しぶりに見た“いつも通りの光景”に、目が潤む。


「わっ! なんだ、どうしたんだ、本当……」

「熱でもあるのかしら……」


 二人は泣き出した私の傍に慌てて来ると、何だ何だと心配してくれる。暖かくて、懐かしくて、私は増々泣いた。

 きっと、こっちが現実なんだ。私はゲームのやり過ぎで夢でも見てたんだろう。そうに違いない。


 夢から覚めて、両親に会えて嬉しい。でも、寂しいとも思う。もうアリスや神様、みんなに会えないということが悲しい。

 それに、アリスには誤解されたままだ。私がアレックスを好きだって。


 両親に慰められながら、私は夢の終わりを確信した。




「行ってきます」


 朝ご飯もしっかり食べて、制服に着替えた私は家を出る。直前まで両親は心配そうにしていたけど、家にいても陰鬱な気持ちになりそうなので、学校に行くことにした。


「はあ……」


 青空の下、ついため息が出る。ここまで落ち込むなんて、いくらなんでも現実と夢をごっちゃにしすぎだ。いい加減ゲームをやる時間を少し減らしたほうがいいのかも知れない。


 それにしても、変な夢だったな。アレックス達攻略キャラが女になるなんて。私死んじゃってるし。神様まで出てきて。しまいには隠しキャラに攫われて……私、主人公になりたい願望でもあったのかな…………って、あれ。


「ここって」


 ぴたりと、足が止まった。目の前には歩道橋の階段。この場所で、夢の私は死んだ。


「流石に怖い……けど……」


 歩道橋を使わずに学校に行くことは出来る。でもそうなると遠回りになってしまう。朝起きるのが遅かった上に色々あったから、今の時間はギリギリだった。

 遅刻しないためには、この歩道橋を使うしかない。


「……大丈夫……だよね」


 自分に言い聞かせるように呟く。だってあれは夢だ。気を付けて上れば、そうそう落ちない。

 私は手すりを掴んで、一段一段しっかりと踏みしめて階段を上る。

 でも上りながら思った。ここから落ちれば、またあの世界に行けるのかな、なんて。


 なんとなく振り返って下を見て、いやいやと首を振った。あれは夢なんだから、ここから落ちたところで怪我をするだけだ。最悪、夢のように死んでしまうかも知れない。

 死ぬのは怖い。また両親を悲しませるし、また会えなくなる。


「……いやいや、またって」


 まるで前回あったような言い方だった。あれは夢なのに。

 自嘲するように笑いながら、階段を上る。気付けば、夢で落ちた段数まで上っていた。


「ここから落ちたのか……」


 見下ろせばまあまあの高さ。落ちたら痛いだろうな。でもアリスに会え……いやいや、あれは夢だ夢。


「……学校行こ……」


 馬鹿げたことを考える前に学校に行ってしまおうと前を向く。

 でもその瞬間、目の端で見知った色が光った気がして、また振り返った。


「――なんで、」


 足元に落ちていたそれを拾い上げる。

 光に反射してキラキラしているそれは、夢の中でアリスに買ってもらった青い宝石の指輪。


「なんで、ここに……夢の、はずじゃ、」


 混乱する頭に、走馬灯のようにアリスとの思い出が浮かび上がる。


 初めて会ったとき。青い瞳に捕われて、吸い込まれるかと思った。触れた唇の柔らかさ、抱き締められた体の感触。笑った顔。

 その日の夜に押し倒されて、恥ずかしくて混乱して、でも凄くドキドキして。それからも何度も迫られて、その度に私の鼓動は跳ねた。


 それってそういうことに慣れてないから?

 ――ううん、それだけじゃない。それだけなら、私の瞳と同じ色だと、宝石を持って笑うアリスに、嬉しいなんて、幸せを感じたりしない。

 別の人を好きだと誤解されて、こんなに悲しくならない。

 

 アリスのことを思うだけで幸せで苦しくて、愛しい気持ちが、夢なんてわけがない。

 この気持ちが、好き以外の気持ちとは、思えない。


「私、アリスが好きだ」


 気持ちがぽろりと口に出る。気付いたら、口に出してしまえば、もうその気持ちを止めることは出来なかった。


「……私、帰らなきゃ」


 あの世界へ、アリスのところへ。

 そうだ、私はヴィラに捕まって、それで気を失ってるんだ。こっちのほうが、夢の世界なんだ。

 もうこの世界に私の居場所はない。私は、今の私の場所へ、みんなのところに帰らなきゃ。


 歩道橋の下を見る。ここから飛び降りれば、もしかしたら……。覚悟を決めて、体を投げ出そうとした、その時。


「空」


 呼ばれた声に、はっと振り返った。


「お父さん、お母さん……」


 階段の上に、お父さんとお母さんが立っている。悲しそうに眉を下げて、愛おしそうにこちらを見ている。


「どこに行くの、空」

「危ないから、早く上っておいで」

「……上らない。私はこのまま落ちる」

「何を言ってるんだ。そんなことしても危険なだけだ」

「危険じゃないよ……きっと、アリスが受けとめてくれる」


 初めて会ったときのように、きっとアリスが私を抱きとめてくれる。

 確信にも似たその思いを聞いて、二人は増々悲しそうな顔をした。


「止めて、空。これ以上危険なことをしてほしくないの。どうして貴方が傷ついて戦う必要があるの? 空はあの世界になんの関係もないでしょう?」


 その言葉は、私の心をついた。

 確かに言う通り、私はあの世界になんの関係もないかも知れない。そもそも、ノーマルエンドになればあの世界から出ていく予定だった。


 それに今目の前にいるこの二人は本当の両親ではなく、もしかしたらヴィラが見せている夢なのかもしれない。

 けれど、私の心が生み出した幻想かもしれないのだ。だから目の前の二人が言う言葉は、私の心の奥底の声でもあるのかもしれない。


 でも、そうだとしても、今の私の気持ちは。


「関係なくないよ。あの世界には、アステラやローレンやレオナ……私の友達がいる。保護者みたいな神様だっているし……私の好きな、アリスだっている。これ以上の戦う理由がある?」

「……でも、この世界なら傷つくこともなく幸せでいられる」

「そうだね。ここにいたら傷つくこともないのかも知れない。けど、それが幸せとは思えない」


 手にある指輪を見る。青く光るその宝石を見ているとほっとした。

 私は真っ直ぐに、二人を見つめた。


「傷ついたっていい。私は私のいたい場所にいるのが幸せ。これからもあの世界にいたい。アリスと一緒に、いたい」


 持っていた指輪を左手の薬指にはめると、後ろを振り返った。

 青い空に、歩道橋の階段と、地面。少し怖いけれど、その先にアリスがいるなら。


「だから、」


 あの時と違い、私は自分の意志で下へと落ちる。ふわりと一瞬体が浮いて、痛みを感じる前に意識がブラックアウトする。

 その刹那、綺麗な青色が見えた気がした。

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