第70話 アリス、出陣す
「将軍の意識は戻ったか!?」
アリスの執務室。入れ代わり立ち代わり報告や指示を仰ぐために人が出入りするなか、入ってきたローレンを見るなりアリスは声を上げる。
だがローレンは首を振ってアリスに答えた。
「まだです。現在治療が進められています」
「くそっ……!」
アリスは執務机を拳で強く叩く。今は感情を抑えることがどうしても出来なかった。
空がヴィラに攫われてすぐ、部屋に飛び込んだローレンと兵士達が見たのは、血だらけで倒れているマグワイヤーの姿だった。彼は瀕死の状態で気を失っており、直ぐ様医療班の手によって病院に運ばれた。
部屋の状態からしても、マグワイヤーが風の魔法によって攻撃されたことは明らかだった。そして空の行方不明。浮かび上がるのはヴィラの存在だった。
ヴィラが風魔法を使えることは昨日明らかになっており、尚且つ空に対して執着している。このことから、アリス達はヴィラが空を攫ったのだろうと推測した。
だが事は推測に他ならない。真実を知り、空の行方を探すには、その場にいたマグワイヤーからの情報が不可欠だった。
だが当人は意識不明。現在ヴィラと空の行方を追っているが、以前なんの手掛かりもない状態だった。
「……申し訳ありません。全て私の責任です」
ローレンは苦悶の表情でアリスに頭を下げる。護衛という立場でありながら、空から目を離したのはローレンの責であった。
ローレンを責めることは簡単である。だがアリスは自身を落ち着かせるように息を吐くと、ローレンに頭を上げるよう声をかけた。
「……お前に責がないとは言えない。だが、今このタイミングで事を起こされるなど、誰も思っていなかったことだ。……それは私も同じだ。今だからこそ、警戒を強めておくべきだった」
アリスは拳を強く握った。それは自分の不甲斐なさへのやり場のない怒りだった。
ヴィラが空に接触を図ったのは昨日のこと。その翌日にまさか堂々と城から空を攫うなど、思っていなかったのだ。
それに、人身売買事件の方に気が逸れていたことも否めない。ヴィラはそれに乗じてまんまと空を攫っていったのだった。
「だが、ヴィラはどうやって空を攫ったんだ……」
玄関ホールまではローレンが空に付いていた。だが、士官との話が終わり、ローレンが気が付くと空の姿は消えていた。
いくら今日は人が多かったとはいえ、流石にヴィラのように旅人の姿をしているものがいたら目につく筈だ。それなのに、空は忽然と姿を消した。
そもそも何故、マグワイヤーがアリスの部屋で怪我をしているのかも謎だった。
全ての鍵はマグワイヤーが握っているのだろうが、当人はまだ生死の境を彷徨っている。どうにかしてこちら側に戻ってきて貰わないといけないが、アリスにはどうすること出来ないことだった。
分からないことが多すぎる。頭を抱えたくなったアリスに、ローレンがそのことですが、と距離を詰めた。
「空様がメイドと歩いているのを見たという者がいました。そのメイドを先程問い詰めたところ、マグワイヤー将軍に空様をアリス様の部屋へお連れするよう言われたとのことでした。アリス様が部屋で呼んでると空様に言うように、と」
「なんだと……!」
アリスは驚きの表情でローレンを見る。だがこれで合点がいった。空は見たことのあるメイドだったがゆえに、その言葉を信じてついて行ってしまったのだと。
また、外に連れ出されたり、知らない部屋だと警戒しただろうが、アリスの部屋だったがゆえに警戒もしにくかったのかも知れない。
「空様を部屋にお連れした後は、将軍と入れ代わりになり、その後は部屋から離れたため知らないとのことでしたが……先日、将軍と白装束の旅の者が一緒にいるのを見たと言っています」
「本当かっ!」
「はい。将軍本人から口止めされていたため誰にも話さなかったらしく。今回も、脅されて将軍の手伝いをしたと言っています。こんなことになるとは思わなかった、と」
全てが驚きの事実であった。だが、これで諸々の合点が行く。マグワイヤーがアリスの部屋にいたことも、ヴィラと一緒にいたであろうことも。
「……将軍とヴィラは繋がっていたということか」
「ええ。以前街で将軍が高台に居たのも、もしかしたらヴィラと会う予定か、会った後だったのかも知れません」
以前、ローレンは空と一緒にヴィラを探して高台まで出た際に、そこで偶然マグワイヤーと会っていた。
あの時マグワイヤーは不審人物を探しに来たと言っていたが、あれは嘘だったのだろう。まんまとしてやられたということだ。
「問題は、何故将軍が怪我をしていたのか、だ」
「仲間割れでしょうか?」
「そうかも知れないが、それだけなのか……?」
いまいち釈然としないものを感じながら、アリスは首をひねる。
すると、バタバタと慌ただしい足音が聞こえ、兵士が部屋に飛び込んできた。
「伝令です!」
「どうした」
兵士の顔面は蒼白だった。只事ではない様子に、アリスとローレンは背筋に冷たいものを感じた。
そして兵士が発した言葉は、やはり二人の予想通りに最悪の報告であった。
「全ての門から、魔骸が押し寄せています!」
「なんだとっ!」
アリスは音を立てて立ち上がる。瞬時に頭に浮かんだのは白竜であった。
五百年前、同じことが起こった。白竜が暴れ、魔骸が街に押し寄せた。だがそれはすぐに解決した。異世界の巫女が、白竜を封印したのだ。
だが、今現在、巫女である空は力が使えない上に、その行方は知れない。
「くそっ……! レオナの隊をすぐに討伐へ向かわせろ! 住民は城に避難を!」
「はっ!」
兵士が来たときと同じように慌ただしく部屋から出ていく。
もう一斉摘発どころではなかった。この王都の、国そのものの危機だった。
アリスは前髪をかき上げ息を吐くと、剣を手に取った。前線に出る覚悟であった。城のことは国王と王妃に任せ、前線で指揮を取る。
それがアリスの、この国を守る最大の方法だった。
「お供します」
部屋から出ようとするアリスの前にローレンが出る。それはアリスが自分を置いていこうとしていることに勘づいての行動だった。
案の定、アリスは首を振った。
「ローレン、お前は空を探してくれ」
「それでは、誰がアリス様の背中をお守りするのですか」
「自分で守る。それに、うちには優秀な兵士ばかりだ。私の背中なぞ、問題ない」
「ですが!」
ローレンは食い下がる。アリスはローレンの肩に手を置くと、彼女の瞳を見つめた。
「私の代わりに空のことを任せられるのはローレンだけだ。頼む。見つけて、守ってくれ」
それは真摯な眼差しだった。本当はアリス自身で空を探しに行きたかった。だが、この大事に王女としての責務を放り出すことなど出来なかった。
アリスは国を、国民を愛している。そしてそれを守ろうとしてくれる空のことも。
空のためにも、この国を守らなければならないのだ。空が帰って来られるように。空とこれからも、この国で一緒にいられるように。
ローレンは最初納得の行かない顔をしていたが、そのアリスの気持ちを汲み取ってか、やがて片膝をつき、その命令を拝領した。
「……わかりました。必ずや見つけて、貴方様の元へ」
「頼んだ」
ふっ、とアリスは微笑むと、執務室を後にする。歩きながら、ポケットに手を入れた。取り出したそれは、空と同じ瞳の色をした指輪だ。
黒い、キラキラと光る石を暫く見つめると、左手の薬指にしっかりとはめた。そうして前を見据えて歩き出す。
必ず無事にまた会えると、信じて。
「……始まったか」
部屋のバルコニーから街を見下し、神様は呟く。そして金色の髪を揺らすと、部屋から出て行った。
誰もいない部屋に、扉の閉まる音が響いた。
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