第67話 アステラの好きな人
「おや、これはお可愛らしい」
夕暮れ時、茜色に染まる温室を覗いたローレンは、その光景に頬を緩ませた。
温室の中心、大きな木を背にして、空とアステラが身を寄せ合うようにして眠っていたのだ。ローレンはそっと二人に近寄ると、まじまじとその姿を見つめる。
アステラは普段の言動はアレだが、黙っていれば見目麗しい美少女である。空は言わずもがな。そんな二人が温室で寄り添う様は大変絵になった。
ローレンはその光景を最大限目に焼き付けようとするが、不穏な眼差しに気づいてか、アステラがゆっくりと目を開けた。
「ん……ローレン……?」
「残念、起きてしまいましたか」
ローレンは心底残念だと思った。空は起きていても寝ていても愛らしいが、アステラ相手に同じ気持ちは湧かない。空とぬいぐるみが一緒に寝ているような愛らしさだったのに、起きてしまってはただのアステラだった。
随分失礼なことをローレンは考えてため息を吐いた。だがそんなこととは知らないアステラは寝ぼけ眼で目を擦る。
「何してるんですかあ……あれ、空様……」
アステラはまだ寝惚けている様子だったが、自分に体重を預けている隣の空に気付き、はたと覚醒した。
「あ、そっか……修行してて、休憩してたらそのまま寝ちゃったのか……」
アステラが空に自分の気持ちを吐露した後、落ち着いた頃に二人は修行を再開した。暫くして休憩と称して二人で並んでお喋りを楽しんでいたのだが、暖かい陽気に誘われてか、どちらともなく眠ってしまったのだった。
アステラはそっと空の様子を窺う。まだすぅすぅと寝息が聞こえていて、眠っているようだった。その寝顔に思わず顔が綻ぶ。
するとローレンが声を抑えてアステラに聞いた。
「空様のご様子はどうでしたか?」
様子、と考えて、空がアリスと昨日から話せていない、としょんぼりしていた事を思い出した。アステラもローレン同様に声を抑えて答える。
「アリス様のことで悩んでいるようでしたが……もしや、アリス様も?」
「やはりですが。ええ、アリス様も似たようなものですよ」
ローレンの言葉にアステラはやっぱり、と合点が行く。ローレンがわざわざそんなことを聞いてくるということは、アリス絡みに違いないのだ。
案の定だと思うのと同時に、アリス様も空様と同じように悩まれているなら、きっと二人はすぐ仲直り出来るのだろうと確信にも似た考えが浮かんだ。
第一、傍から見てアリスの空への気持ちはバレバレだった。きっとアリスとしては他の人間が空によってこないようにするためにわざとだったとは思うが、それでもあからさまで。
そんなハナから独占欲を出してたアリスが、空の事情を知ったからと言って身を引くとはアステラは思えなかったのだ。大方、スネただけに違いない、と。
アステラは安心した。空に悲しんでほしくなかったので、アリスとの溝が深くなさそうなことにほっとしたのだ。そうして安心したら、目の前の人物に意識が向いた。
「……ローレンは、空様からお話聞きました?」
事情が事情なので、アステラは濁してローレンに尋ねたが、勘のいいローレンは何のことか分かったようで首を振った。
「いえ、今のところは。アステラは聞いたんですか?」
「はい」
「どう思いました?」
率直な質問だった。話を聞いてどう思ったか。それは空には言っていなかったことだった。
アステラはふと考えて、すぐに破顔した。
「私は……どんな事情があろうと空様は空様だと思いますから。私は空様が大好きなので、何も変わりません」
確かに最初は巫女としての空への興味が大半だった。でも今は。巫女かどうかと言う以前に、アステラは空自身が好きだと思った。一緒に話して一緒に笑って、アステラを抱き締めてくれる空が。
「そうですか」
言葉は素っ気ないが、ローレンは優しい顔でアステラに返す。何があったか知らないが、ローレンの空を見る目も随分優しいと、アステラは思う。
「ローレンもきっと、そう思うと思いますよ」
確信に近い口調で言えば、ローレンは一つ瞬いた後、アステラと同じように破顔した。
「ええ……きっと」
やっぱり、空様。何も心配することはありませんよ。みんな、空様のことが大好きなんですから。
ふふ、とアステラが微笑んで空の寝顔を見つめていると、ローレンが当初の目的を思い出したように動き出した。
「というか、いい加減起こさなければ外が暗くなってしまいますね。空様、起きて下さい。空様」
ローレンが空の肩を揺する。ややあって、空は唸りながらもぞもぞと動き出した。
「うんん……あれ、ろーれん……」
「舌っ足らずもお可愛らしいですが、もう日が落ちますよ。今日の修行はここまでにして下さい」
「わ、ほんとだ……いつの間に。……というか、最初何て?」
「そういえば、何でここにローレンがいるんです?」
空の疑問をよそにアステラが尋ねる。何か自分に用事かと思ったが、ローレンは空に手を差し出し答えた。
「空様を迎えに来たんですよ。馬車とはいえ、日が落ちてきましたから」
「あれ、でも確か今日の護衛って……」
今日の護衛はレオナの部下であったはず。空がローレンに手を借りて起き上がると、ローレンは続けた。
「レオナの隊はこれから出陣ですから。私が代わりの護衛を拝命しました」
「これから? もう夜になるのに?」
出陣ということは、魔物相手に戦うということだろうか。であれば、何故わざわざ夜に、と空は思う。夜での魔物との戦いは不利になることが多いはずであった。
だがローレンはその疑問をばさりと切り捨てる。
「相手は人ですよ。――今夜、人身売買の取引があるとの情報がありまして」
「あ……」
昨日のことを思い出して、空は自身の腕を抱いた。昨日のことは、魔骸と対峙した時とはまた別種の恐怖であった。
「ですから、今夜は一斉摘発です。昨日から今まで死にものぐるいで集めた情報が全て役立つと良いのですが」
一斉摘発。ということは、怪しい人達は逮捕されるということだ。空はそっとローレンの服を掴んだ。
「……その、ローレン……あのう……」
なら、アリスと喋る時間あるかな?
その一言が言いづらく、空は口ごもる。けれどローレンはくすりと笑うと、その空の手を取って優しく言った。
「――ご安心を。この件が片付けば、アリス様と話す時間が取れますから」
「……うん、ありがと」
ローレンはエスパーみたいだな。なんて思いながら、空はこっくり頷く。ローレンは微笑むと、空を温室から促した。
「では城に帰りましょうか」
「分かった。またね、アステラ」
「はいっ」
空が手を振ると、アステラは元気に頷く。そのまま別れの挨拶をして、空とローレンは温室を後にした。
でもすぐにばたばたと走る音がして、アステラが追いかけてくる。
「ちょっと待ってください!」
「どうしたの?」
空は振り返り立ち止まる。すると、アステラががばりと飛びついて来た。いつものやつかと空は一瞬身構えたが、アステラの空を抱き締める手が動き出すことはない。
不思議に思っていると、アステラは空を抱き締めながらそれは嬉しそうに、愛しそうに言った。
「私は巫女の空様ではなくて、空様が、好きですよ」
「アステラ……」
それは空がアステラに言った、巫女の私が好きでしょう、という質問の答えだった。思ってもいなかった言葉に、空の胸は詰まる。
アステラは空から離れると、少し照れくさそうに笑った。
「えへへ、まだちゃんと言ってなかったので」
「……ありがとう。嬉しい」
今度は空からアステラを抱き締めた。最大限の感謝と、親愛を込めて。アステラは、それは幸せそうに笑った。
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